村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

「展示替」しますよ

2月の初旬に、大河ドラマコーナーの展示替えが行なわれるので、そのために、先日新しい展示品を借りてきた。
NHKから既にいただいているものは、昨年中に歴史館のホームページにupされているが、今回借りたのは、もらえないもので、実際にドラマで使用されたものである。

原田佐之助の槍や皮の胴衣、鉢鉄などや香取君が使用していた鎖帷子(かたびら)、刀類などである。
詳しく知りたい方は、http://www.city.hino.tokyo.jp/shinsenr/を参照してもらいたい。

既に公開しているものの中からは、斎藤一がいじっていた(削っていた)こけし4体などをはじめ、様々な手紙や落書きなども出す予定だ。今展示中のものも、最後まで引っ張るものもある。
コルクや歳三の二本差、沖田の刀、手拭などはそのままである。また、ロビーにある函館湾のジオラマや『誠』の旗も勿論最後まで飾る。

また、本編の『新選組誕生』の方も1月30日に展示替をすることになっている。
一度だけでは見切れませんよ。三度は展示替えをします。


最近のニュースから。

ニュースなどでは、二極化現象が進行しているらしい。日本人の貯蓄率も下がってきていて、貧富の差が広がっているということだ。う~ン。
言われてみれば、そうかな。
すぐ浮かぶのは、ホリエモンだ。
あの人、ものすごい勝ち組の人で、金ですべてが、『幸せ』まで買えると豪語していた。
その末路が、あの逮捕劇だ。

さて、私たちの生活。
二極化か。
日本の歴史は、僕は、一枚張りの社会で来ていた様に思うのだが。
つまり、常に決まった権力者に支配されてきた訳ではなく、誰にでも這い上がるチャンスはあった。
幕末の歴史は、徳川の特権体質を維持しようとヤッケになっていたグループと、何とか覆そうとしていた連中の争いだったように思う。
言うまでもなく、後者の勝利に終わって、新しい近代が誕生した。
その徳川時代は260年間も続いて、日本の歴史の中でも突出して異常に長い政権だった。
その前は尾張の百姓だった豊臣秀吉が十数年、その前は織田信長が、またその前は関東の豪族上がりの足利氏、その前はよくわからない北条氏、そして頼朝が作った源氏も三代で潰れ、その前の平家もたった24年間程度の政権だった。

こう見ると、海外の貴族などとは違ってわが国の権力者とは、めまぐるしく交代してきていることがわかる。
ヨーロッパで有名なハプスブルグ家なぞは、1400年代から1918年の第一次世界大戦敗北までの長きに渡って権力をほしいままにしていたのだから、とんと驚きである。
フランスの王家ルイも、1200年代に起こって1800年代まで途中いろんなことがあったにしろ、権力の座にいた。フィレンツェにもルネッサンス時代に、14世紀から15世紀にかけてメディチ家なども全盛を誇り、18世紀まで存在した。

日本という国は極東のはずれで島国だから、情報が入りにくいし、ほかからの侵略もほとんどなかった。
なのだけれども、異常なほど新陳代謝のよい体質を持っていた国だと思えてくる。
めまぐるしく政権が変わるから、貴族は貴族のままではなく、いつ没落するかわからない。また、いつ這い上がって下克上出来るかもしれない社会だった。
本質的に、天皇家は別格だとしても、誰でもが這い上がれる実力一本の国なのかもしれない。
一歩間違えば、あのホリエモンがわが国の経済を支配してしまっていたかもしれない。だって、株式市場の17%を彼の会社ライブドアー株が支配していたというではないか(この辺りの知識は浅薄なので、これ以上は言わない)。
ただ、逮捕されてしまったから、そうはならないだろうが、上手く切り抜けて氷山の最下層の辺りに潜んでいれば、あるいは相当の権力を握れていただろう。

東横インというホテル会社も不正を働いていたという。
ここには随分と泊まったこともあるので、感慨もひとしおなのだが。
だって、あの四条大宮の交差点近くに聳え立っているし、壬生に最も近いので、新選組関連で京都に行かれた方は、ご利用になられた方も多いと思う。
(実は、昨年の京都ツアーだって、ここに予約を取ってあった。結果は違うホテルになったが)。
ここの社長が昨日記者会見していた。
「60キロ制限のところを、67キロぐらいで走ってしまった」と。
う~ン、そうか。
僕は変に納得してしまった。
上手い表現だなあ、と。
あの社長さん、記者会見の言い訳を徹夜で考えた結果、ああいったんだろうな。
だって、誰だって、そのくらいの違反はしている。
していない奴は、世の中にいない。
だから、マスコミだってそうは非難できないだろうと。
(でも、一斉に報道する。とんでもない奴がいるもんだと。鬼の首でもとったように、その会社がまるで、悪の権化のように。所得番付トップのバラエティーの司会者までが調子に乗って)
《念に1~2回しか利用しない身障者用の部屋を空けておくわけには行かない》という、理屈。
今の時代、こんな言い訳がとおるはずもないのだが、あえて言った社長。
僕は、何もこの社長を弁護するつもりはない。
違反は違反だから。
でも、僕もスピード違反でつかまったことある。
たった10キロのオーバーだが、違反は違反。仕様がない。
でも、「みんなやってる」じゃないか。
くそ~。
《だって、このくらい、みんなやってるじゃないか。やらなきゃ、競争に負けて、会社が潰れる。そしたら、社員一同とその家族が路頭に迷う。これくらいいいじゃないか》という理屈か。
(明治に入ったばかり、9月の仙台藩。『一緒に戦ってくれ』と、榎本と土方に言い寄られて苦悩した仙台のお殿様伊達慶邦。結局、徳川を裏切って官軍についた。領民の生活を守らざるを得なかったお殿様の決断を思い出す。お詫びに、土方歳三に水色の刀の下げ緒を贈った。それが今、日野の佐藤家にある)。

そうだろう。
何処のホテルも、似たようなこときっとやっている。
ただ、見つからないだけ。
わが国の国民も、みんな知っている。
『捕まったやつは、運が悪い』と。
ただ、みんな利口だから、本当のことは言わない。本音を言っちゃ、今の社会上手く渡っていけないからだ。
あの姉歯とかいう設計会社も、ヒューザーの小嶋とか言う社長も、それにつるんだ建設会社も、みんな《これくらい》なのではないか。
そうして日本の国は、戦後発展してきた。
もしかして、すべてが砂上の楼閣なのかもしれない。
大きい天変地異があれば、あっという間に崩れるのか。

法治国家だから、見つかれば『お縄』なのだ。
運が悪い、で片付く。
片付けてきた。
今後も、運の悪い人間がお縄になり、上手く切り抜けてきた連中がよい人生を送る。
今、隣りの町田市選出の代議士がマンション偽装問題で槍玉に挙げられている。
上手く逃げられるのか、そうでないのか。
捕まれば、これまでの輝かしい代議士生活も名誉も何もかもすっ飛んで、家族たちは元のところで暮らせないほどに世間から叩かれる。

土方歳三の締めくくりは鮮やかだった。
だから人気がある。
それに引き換え、近藤さんは哀れだった。
運か。
僕は、妙に近藤さんに引かれる。
人の一生って、どう締めくくるかだよね。
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大江戸ツアーから、西郷隆盛の人柄へ

この間、僕のBBSのコーナーで、図らずも、その気はなかったのだが、西郷隆盛のことを語ってしまった。
大江戸ツアーで、西郷さんの銅像をみたとき、参加者の方々の多くが「何故着流し姿なのか」を『知らない』というからだ。
でも、実は、西郷さんて、言うのがとっても難しい人だ。
僕は、とっても、最大級に尊敬しているんだけれども、そして、幕末についてこれまでたくさんいろんなところで語ってきているんだけれども、西郷さんについては、上手くいえたことがない。
そのくらい表現に難しい。
だが、折に触れて、気分に任せて言っていきたいと思っている。

話は違うが、今、1月21日の夜中なんだが、どういう弾みか、うちの高2の娘が今後ろで『土方歳三最期の一日』を見ている。お正月番組のDVDをまとめ見しているのだ。
3日の7時30分辺りから、山本耕史が会津を散策した時の模様も今やっていた。
その中で、喜多方で『朝ラー』というのを彼が食べていた。
そう、その名の通り朝からラーメンなのだ。
喜多方のラーメンは、昔ながらの支那そばの風で、『みそ』や『とんこつ』も良いが、僕はやっぱり最後は支那へ行ってしまう。
娘が言った。
「明日、食べたいな」って。
「何処のを?」と、聞いた。
「ウン、ミンミンでいいや」と。

『ミンミン』とは、僕の家の近くのラーメン屋なのだが、昔ながらのラーメンという意味合いでは、この辺りではピカイチである。
この店、兎に角、気まぐれで、いつやっているかわからない。こういう店は、大概が評判悪く、長くは続かないものだが、ここは味がよいから、開いていればいつも並んでしまう。
行ってみたい人は、今度歴史館に来たときにでも声を掛けてくれれば、出来るだけお付き合いしますよ。
車で5分程度だから。
ただし、やっているかはわからない。
(管理人注:ビッグボーイ横のミンミンでしたら月・火休みです。ただ営業日も11時から16時までの5時間のみ)

おっとっと、今日は西郷さんのお話しするつもりだったのだが、悪い癖で、新年になっても相変わらず脱線が多い。

15代将軍の慶喜が、慶応3年10月14日に大政奉還をしたのは知られていることだが、その後、12月9日の王政復古の大号令で慶喜の官位や領地まで没収すると言い出した。
この辺りが慶喜の誤算で、先手を打って政を返上したつもりが、まさか領地財産まで取り上げると言い出されるとは思ってもいなかった。
これには徳川方も従うわけにはいかないから、当然戦争になってしまう。
これが、鳥羽伏見の戦である。

当時、徳川の領地といえば、日本全国に天領として散らばっているものはあったが、最大級のものは関八州であろう。
ここを取り上げられるということになるのだが、新政府は何故、そんなむごいことを言い出したのだろうか。
政権をいきなり返上されても、先立つものがないのである。
天皇政権といったって、徳川幕府からせいぜい3万石程度の領地しか貰っていないのだから、全国を治めるなぞ、出来るわけがない。
天下に、新政府として威厳を持って政治を行なうには、それまでの徳川幕府と同程度の財力を持たねばならぬと考えた。
だから、それまでの徳川の全財産を取り上げるのである。
徳川方からすれば、一大名に戻るのだから、なにも財産領地まで取り上げられるいわれはないということになるのだが、それも一理はあった。
だから、西郷や大久保、岩倉らは徳川を罪人、朝敵に仕立て上げる必要があった。
12月25日、江戸の薩摩屋敷を幕府は焼き討ちした。
これも、西郷の挑発にのせられてしまったもので、面白いように薩摩の思うがままに幕府は翻弄されてしまった。
人生、だめになり始めると、とことん転がり始めてしまうものなのかもしれない。

ここで、西郷という人間について、さまざま憶測されるのだが、つまり、戦争好きな男だと。
あの司馬遼太郎氏まで、そのように思っておられるようだ。
「西郷は、徹底した武力革命思想家だ」としている。
強大な徳川政権を倒すには、おいそれとはいかない。5年も10年もかかるかもしれない。自分たちはそうした途方もない大仕事に手をつけてしまった。
だから、自分たちは『戦屋』にならなければならないと、腹をくくった。

う~ン。
でも、僕は違うと思っている。
戦屋になりきるということは本当だったと思う。
ならなければ、新しい時代がやってこないからであって、でも、そのことと自分が戦が好きかどうかということについて、ストレートにはつながらない。
人生、不本意に事を行なわなければならないことがあるからで、西郷の場合には、そのことが、明治に入っても実に多く、彼の名を持って行なっていることでも、本人は納得していないことの連続である。
僕は、西郷さんは、本当は戦争が大嫌いな人だったと確信している。これは、説明が難しい。
あの人の人生、やってきたことや書き残したことを総合して考えると、あの溢れるばかりの愛情と優しさの中に、人を殺すことに反発を感じるからである。

チャップリンは言った。
「一人を殺せば殺人犯だが、大勢を殺せば英雄だ」と。
西郷さんは、一人でも大勢でも殺したくない人だったに違いない。

でも、彼は革命を推し進めなければならない立場に立たされていた。徳川政権を倒し、新しい政体を生み出すには、前時代のものを全部払拭して、焼け爛れた焦土の中からあたらしいエネルギーを見出すものだろうと考えざるを得なかった。
それまでの歴史が、日本国ばかりでなく、世界の先例からして無血の政権交代なぞないのだった。
でも、出来ることなら、血を流さないで事を収めたかったのである。
だから、『無血開城』に快く応じた。
むしろ願った。
だから、そうなるように仕向けた。勝海舟は立場は違うが、全く同じ考えを持つ人物だったから、ことは順調に進んだ。
明治維新が、ああゆう風になったのは、時代がそうさせたのではなく、勝と西郷が強引にそのように終結させてしまったといえなくもない
。あの二人でなければ、100%、ああゆう結果にはなりっこないからだ。
あのときには、山岡鉄太郎の駿府への、有名な斥候としての働きもあった。この間の書簡がたくさん残っていて、西郷と大久保、岩倉などがどのように変化していったかもわかる。
残る課題は、慶喜の命をどうするかということと、領地没収についてである。
結果として、殺されなかった。
敵将の首をとってしまうことは当然のことだが、そうしなかった。そして70万石残った。
徳川家も一大名になった。
西郷は最低でも100万石は必要だと主張したが、反対されて70万石になってしまった。

西郷さんは心優しい人で、徳川家が存続してゆくには、100万石程度ではとても足らないだろうとわかっていた。
だが、新政府軍は薩摩藩だけではないのである。
過激な人たちの集合体であり、薩摩ばかりがいい顔するわけにはいかないのである。
実際、5月15日に起こった上野の戦争も長州の大村益次郎の活躍で収まった節もある。薩摩の戦略ではなかった。
大将とは、あちらもこちらも立てなければならないのである。

土佐の立場もある。
だから、近藤勇は殺された。
この場合、勝の助命嘆願書は確かに板橋に届けられたらしい。また、別ルートで西郷の指令もあったかもしれない。
だから、有馬藤太は近藤に優しくしたし、命だけは助けてやりたかったと伝わる。
この話は、薩摩は新選組に特に恨みがなかったからだという人もいるが、そうかもしれないが、僕は西郷さんの人柄だと思っている。

長くなってしまったので、続きは次回とする。

大江戸新選組めぐりツアー風景ご紹介

管理人より

14日、大江戸新選組めぐりツアーを行い、沢山の方がご参加してくださいました。
その様子を写真付きで少しご紹介しています。

こちらからどうぞ。

幹事のもまさん、とこめぐさん、そしてお手伝いを引き受けてくださった方をはじめ、参加してくださった方々、ありがとうございました。

バスの中で何人もの方が「これは私が担当」と、色々ガイドしてくださり、びっくりすると共に感激しました。
村瀬からは別にブログが届くと思います。

追記:
村瀬の当日の感想コメントはBBS(掲示板)に書いてあります。

管理人より白戸さんへ私信

1月2日にこのブログから「管理人だけに観覧許可」でコメントをくださった白戸さんへ。

村瀬と直接メールのやりとりをしていたきたいので、メールアドレスを同じ方法でお教えください。
もしくは、村瀬に直接メールしてください。

よろしくお願いします。

謹賀新年。「歳三、最期の一日」必ず見よう

元旦の朝は心地よい。

除夜の鐘が鳴って、午前零時になって新年がやってきても、どこかまだ『紅白』の音が耳に残っていて、大晦日の気分だ。
『行く年来る年』で大分消されているのではあるが、あの馬鹿騒ぎ(?)がまだ残っている。
出演者の殆んど全部が、「男が勝とうと」「女が勝とうと」どうでもよいことだと思っている。
観ている視聴者も同じなのだ。
ナノに、相変わらず、今どっちが優勢だとかで、あんなこと繰り返している。
みのさんまで。
高額所得者、あの人こそ、コマーシャリズムの象徴なのかもしれない。
審査委員も、付き合うのに楽じゃない。
ところで、映画監督の山田さん、あの人も本気で採点などをしたのだろうか。
歌番組はいいとして、男女が争うの、もう、よしたら。
みっとみないよ。
耕史さんは正直もんだから、いまひとつ乗り切れていなかったような気がする。そこが、いい。
だから(?)、「前川」を「山川」といった。
これが、またいい。
あの人、顔が童顔なのに、自己主張がはっきりしている。
僕は、土方歳三とは離れて、役者としての耕史さんに期待している。
高倉健さん。いい役者ですねえ。もう75歳になるんですね。
感じさせませんね。

午前零時を迎えても、なんとなく、大晦日の延長でしかない。
だから、(紅白を)いつもは見ないようにしているのだが、去年は耕史さんが司会に出るので(それとナカマユキエ)、見ないわけには行かなかった。
本当のお正月らしさは、ひと寝入りしてから元旦の朝、外へ出た時の、あの冷たい空気の爽やかさを感じてからだ。

僕は杉並区の西荻窪に育って今は日野市に住んでいるが、『ズーと』同じ感覚を持ち続けている。
これは、元旦の朝の、あの独特な静けさにあるのかもしれない。
なんてたって圧倒的に、車の数が少ない。
人通りもないのである。
静寂なのである。
だから、幼少の頃、外で羽根突きなどをやっている人の声などが聞こえると、あの羽子板でカラフルな羽の玉を打ったときの音が近所中に響いて、その音だけでお正月なのであった。

近年は、その羽根突きの音なぞ聞いたことがない。
最も、僕の幼少の頃は、まだ伝統的な子供の遊びってモノが随分と残っている時代だったから、べえゴマや凧揚げだって当たり前のようにやったものだ。
最近の子供たちは、お正月に何して遊んでいるのか。
あっ、そうか、自分の子供を見ればいい。
ゲームとかテレビを見ていた。
独り部屋に閉じこもってしまって、近所の子供たちと遊ぶ、コミニュケーションを交わすってことがない。
自分の子供でさえ、そのようにしか躾けられなかった僕だから、他を批判することは出来ない。
でも、うちの子だけが羽根突きや凧揚げって訳にも行かないし。
これらは、なんにつけ、日本の伝統的な美しさ、よいものをぶち壊していってしまうような危機を感ずるが、年のせいかーーー。

僕は毎年、両親のお墓が池上本願寺にあるので、初詣がてら墓参りをすることにしている。
この習慣は随分と前からのものなので、うちの子供たちも、お正月はソレをするものだと思い込んでいる。
最も子供たちは、うちの親戚が集まるので、お年玉が目的で行きたがっていたのだが。
その子供たちも高校生になって、バイトもし始めている。
もう、お年玉を貰う年齢ではないのだ。

その子供たちが、気合を入れて午後7時すぎからテレビを見始めた。
そう、『土方歳三、最期の一日』である。
勿論、僕だって見た。
感想。
ウーン、あえて言わない。
皆さんの方から、先にご発言して欲しいからだ。
今日は先行してハイビジョンでやっていたのだが、正式には総合テレビで3日の9時から放映する。
その後に、正式にコメントすることとなるだろう。

でも、ちょっとだけ。
三谷さんの脚本。
どこか、僕の本に似ているんだよね。というと、生意気かな。
じゃ、逆でもいい。
僕のが似ている。
だとしても、決して僕は三谷さんの原稿を見てから本を書いたわけではない。
偶然の一致ということになる。
僕の、あの『人間土方歳三』は、既にお読みになられた方はご存知のように、箱館の料亭【武蔵野】において、土方歳三が過去を振り返って吐露すると言う展開だ。
今日の続編でも、この料亭が映し出されていて、大変興味深いこととなった。
なんだか、映像で映し出された妓楼と僕がイメージしていた武蔵野とよく似ているので、気味が悪いくらいなのだ。
それと、あの《誠》の旗。
今、当歴史館に展示してあるそのものが映し出されていた。
そして、例のあの、箱館湾のジオラマ。
詳しいことは、3日に皆さんがご覧になってからにするが、土方歳三が持ち歩いている、あの青い小紋の柄の刀、あれも今、当館にある。
そして、コルクーーー。

この【武蔵野】は、実際に存在した料亭兼妓楼なのだが、今の八幡坂あたりにあった。
丁度、イギリス領事館の右斜め上辺りか。
その後は宝来町に移転して後、消滅したと現地にシナハンしたときに聞いた(シナリオハンティングの略。業界で言う)。
これから箱館に行く予定のある人は、是非行ってみてほしい。あの辺りは、新選組にそして箱館政府に縁のあったものが多い。
ゆっくり探索して欲しいのだ。

箱館というところは不思議な街で、ヘンな発展の仕方をしている。
僕が始めて、高校生の頃、修学旅行で行ったときとは大分、様変わりしてしまった。
あの頃はまだ、駅前は相当の繁華街で、賑やかな街並みであったのだが、このごろは人がいないのである。
こうした現象は地方の各地で見られる現象で、駅前なのになぜか寂しいのである。
お店は、大概午後6時にはシャッターを閉めてしまう。
それだけならまだしも、このごろは2割から3割程度のお店が閉まっているのをよく見る。
だから、街全体に活気がない。歩いている人も少ない。
一極化現象がいけないのか。他に何か原因があるんだろうか。

函館駅も、随分と近代的に変わった。
これが良いのか、よく分からない。
でも、少なくとも、あの京都駅については正直言って『残念』だ。箱館駅も新しいのは良いが、僕は好きになれなかった。
以前の、何か古くてさびれていて、青函連絡船の連絡口で北海道の入り口。
冬の北海道をイメージさせてくれる象徴的な存在の駅とは、大きく様変わりしてしまっていた。
駅を背にして右方向、つまり、箱館山のほうへ向かうには市電がよい。いまだに路面電車で、味わいがある。
これは、なくして欲しくない。
どんなに経済優先の世の中に変わっても、日本全体から全く路面電車をなくすようなことはしないで欲しい。どんどん減ってきている。長崎、鹿児島、高知、路面電車の街なのだ。

若い人にはどう感じるのかわからないが、僕には郷愁さえ感じる。
何故?
わからないが、高校の頃、あの新宿の歌舞伎町から都電が出ていて(確か13番から15番線まで3本走っていた。
そのうちの13番に乗って牛込柳町で降りた。そこが僕の高校だった)、毎日通っていたのだが、偶然試衛館のあるところだった。
フジテレビだって、お台場に移るまでは、ズーと河田町にあって僕の高校とすぐ隣だったから、社員たちは皆あの都電に乗っていたはずだ。
勿論、その頃は新選組のことはどうでもよく、半分平凡パンチ・VANやJUN/ヴァイタリス/で半分ブラバンでクラリネットを吹いていたから、興味が違ってはいたが。
何のことだかわからない人が多いかもしれないが、説明は省くから、想像して欲しい。
つまり、団塊の世代のつまらない独り言として。

話を箱館に戻す。
う~ン、市電に乗ると10分ぐらいで十字街という交差点にくる。
この手前で、あのレンガの倉庫群が見事にお土産屋に変身している姿を見ることができる。
大変な人で賑わっている。魅力のある一角に変貌している。
そのレンガの向こう側が箱館湾で、その辺りも若い人向けの雰囲気に変わっている。
どこか、小樽の運河の雰囲気に似せてるような雰囲気もするがーーー。
でも、ソレは市電に乗って右側だけのことで、左側は気の毒なくらい淋しい街並みなのだ。
空き地も多い。見るからに死んでいる。
ここが、あの箱館?といいたくなるほど、気の毒なのである。
ただ、あまり現代的に発展しない方がいいとも言える。
いい環境がそのまま残っているからだ。
このチグハグさが、いいのかもしれない。
今年、やっぱり、みんなで行こう。

駅を背にして、正面を行くとすぐ、松風町という交差点にぶつかってしまう。
そこを左に折れると道が細い。あの半島に沿って左に伸びていて、五稜郭地区に向かう。
途中、一本木関門の辺りを過ぎる。
歳三は、ここら辺りで死んだとされる。
最近では、この五稜郭辺りが賑わっている。
地方都市って、そういう現象が多い。
つまり、駅とは全く関係ないところが賑わっているのだ。
会津若松も同じで、駅を降りると、とんでもなく淋しいところである。一度、去年、市長さんに言ったことがあった。
図々しいけど。
「駅前、何とかされたらいかがですか」と。
会津の市長さんは菅家さんといって、まだ40歳そこそこで若いけどヴァイタリティーがあって素晴しい人、大好きな人である。
だから、あの、僕の本をすぐ贈った。
丁寧なご返事が来た。
最大の賛辞が述べられていた。
お世辞だとしても、あの長いものを最後まで読んでいただけただけでも、驚きだ。飽き飽きしていたら、きっと読めないと思うから。

正月から、長々と書いてしまった。
家族が奥さんの実家に行っていて、朝から一人きりなので、自由に時間が使えるからだ。

今年も、文章が長くなってしまうのか。
困ったものだ。
短くて、端的にいえないものか。課題にしよう。

皆様、3日の「続編」は必ず見て、このコーナーで、江戸ツアーで語りましょう。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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