村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

日本野球、WBCで優勝、おめでとう

なんにしても、おめでたい。
僕は幼少の頃から、野球が大好きで、自分の長男も7歳から少年野球をさせて、中学3年まで毎週楽しませてもらった。

日本の野球が世界に通用するかってことは、野球好きにとって最大の課題で、野茂が単独でアメリカにわたり、ドジャースでマウンドに上がったときなぞは、衛星中継に釘付けになって応援していた。
あの、世界の王選手でさえ、あの当時、大リーグに通用するかどうかぎりぎりだといわれてきていた。
数年に一回、大リーグのチームが日本にやってきて、日本の一流の選手と戦ったが、日本が束になってかかっても、全く歯が立たなかったものだ。

それが今、世界の頂点に立っている。
信じられない。
短期決戦だし、運も相当ある。
とはいえ、実力がなければなれないのは当たり前だが、かといって、これで日本が世界で一等強いかといえば、そうともいえない。
だって、あの韓国戦を思い出して欲しい。
冷静なイチロー選手が、ツイ本音で言ってしまった。
「自分の野球人生で、最も屈辱的な日だ」と。
だから、3度目の韓国戦では、日本の選手は本当にマジになって戦っていた。

このWBC、しり上がりに日本は調子を上げてきたように思う。
最初は、アジアの予選リーグから始まったが、楽勝ムードが漂っていて、当然全勝でアメリカにわたると思われていた。
ところが、韓国に打ちのめされた。
2チームが参加できてよかった。
アメリカでも、日本は韓国に負けた。2敗になってしまった。
もうこれでお仕舞いだと、誰もが思った。
ところが、運が残っていた。
アメリカが、メキシコに負けてしまったのである。
そして、幸運にも、日本は準決勝に進むことが出来た。
そこから、日本の快進撃が始まった。
全選手が、持てる力の最大を発揮するようになって来た。
スルト、韓国を圧倒し、決勝でキューバまで叩きのめした。
これは、どう考えたらいいのだろう。

ここで、いつもの癖で、近藤流に『気組み』で勝ったのだといいたい。
ところが、そうでもなさそうである。
『気』ということからすれば、キューバの方が日本よりズーと入っていたように思う。彼等は全員アマチュアで、オリンピックと同じように国を代表してきている。そして、全員が国家公務員らしい。
まして、韓国なぞはその気迫はすごいものを感じる。
特に、日本と戦っているときはすごい気迫を感じるし、兵役の免除もあるからだ。

じゃあ、日本が勝った理由はーーー。
まあ、兎に角勝ったんだから、良いじゃないかというところだが、そこが僕の悪い癖で、どうも素直じゃない。
本当に、実力?

実力という意味では、もしかして、韓国のほうが上だったんではないか。
なんだか、ここのところすべてが韓国に対して弱気なのである。
この間の、フィギュア選手権でも、圧倒的に浅田真央選手が優勢だと前評判だったが、結果はご存知のように、優勝は韓国の若手であった。
トリノオリンピックで、日本は結局荒川選手のメダル1個だけだが、韓国は8つまでは取ったの覚えているから、9つか10はいけたんじゃないか。
冬のオリンピックは、日本のほうが優勢だと思っていたのに、結果は全く逆だった。
女子のゴルフも、藍ちゃんだのさくらだのと騒いでいるが、あのアメリカのツアーで、今のところ藍ちゃんは全く歯が立たないのに、韓国選手たちの活躍は目覚しい。
今年の、日本国内で行なわれる女子ゴルフのトーナメントは、韓国選手に相当賞金をさらわれそうである。
女子バレーもすでに、韓国に抜かれているし、何をしても日本より優勢だ。
相手が日本だと、特別に燃え上がる『何か』があるのかもしれない。そのように教育され来ているのだから。

僕たち日本人は、いま、何に燃えるのだろうか。
僕はひねくれ者だから、ああゆう風に世界一になっても、すぐその後が心配になってしまう。

この間のオリンピックのときも、その前の高橋のマラソンも、野口のアテネでの金のときも、頂点を極めたアスリートたちのその後が気の毒でならないのである。

ボクシングなぞも、世界チャンピオンになるために、懸命にトレーニングを行なう。並大抵の努力ではない。
そしてようやくつかんだ世界の頂点、でも、その瞬間から彼は全世界から追われる立場になる。
そして、自分はもうおうものがないから、おってくるものたちを蹴散らすしかないのだが、今度は、目標にされた自分を倒そうとしている連中よりもっと、過酷な練習に耐えなければならない。

荒川さんは、どうなさるんだろう。
金メダルを取ったはいいが、これからは常に金メダリストとしての演技を強要される。
最高峰の技術、演技を披露しなければ、世間が納得しない。
でも、あとから、浅田真央ちゃんが追っかけてくる。
もう並んでいる。いや、もしかして既に抜かれているのかもしれない。
でも、荒川さんは金メダリストだ。それなりの演技は見せなければならない。
こうした重圧は、多分、その立場に立ったものだけしかわからないことなのだろう。
金を目標に4年間、いやもっとだろう。過酷な修練を積んでようやくつかんだ栄光。
でも、つかんだその瞬間から、金メダリストとしての技術、貫禄、言動など『相応しさ』を強要されるようになるから、ひどければ、そうしたものに取り付かれて、恐怖で毎日が苦しみの連続になってしまうこともある。

いまや世界の王さんである。
イチローより、世界では以前からズーとまえから王さんなのだ。当たり前である。
あのベーブルース、ハンク・アーロンの記録を抜いて、世界一のホームラン王なのだから、当然なのだけど、どういうわけか日本では『王ジャパン』ではなくて、『長島』なんだよね。
今度の優勝で、アメリカの新聞はこぞって『王さん』を前面に出して称賛しているらしい。向こうでは、当たり前なのである。
今、アメリカでは、多分、長島といったって知る人は殆んどいない。
王さんは、誰でも知っている。
でも、日本では違う。

『鎖国』を思い出す。
国際社会で、日本という国の位置づけはどうなのか。周りからどう見られているのか。その評価は。世界の水準と日本の水準は、なぞ正確な情報が必要である。
僕ら、日本人は正しい情報に飢えている。
マスメディアに、責任があるかも。
正しい情報をつかんでいないのだ。
がせねたをつかまされた議員もいたが、日本のマスコミ全体が、がせねたで平気で動いている。
だから、この間のオリンピックのスノボーのように、世界で本当にトップレベルだと思い込まされてきたし、蓋を開ければ、唖然とするような結果だ。

今、僕ら日本人は鎖国状態に置かれてはいないか。
今こそ、世界の中の日本という国を、冷静に僕らが見直す必要があるのではないだろうか。

それにしても、終戦後、僕ら日本人に勇気を与えてくれたスポーツマンに朝鮮系や台湾系の人たちが多いのは、何故なんだろう。
力道山、金田正一、王貞治、張本勲などだ。
今、それらの国から日本のあり方を問われているがーーー。
スポンサーサイト

再び、京都へ

突然、京都へ行きたくなって、バスの予約をしたのだが、もう行楽シーズンに入っているのか、一杯だった。
仕方なく、最終の新幹線で行ったのだが、京都駅に着いたら、夜の11時半を廻っていた。

今回は、どういうわけか、『龍安寺』へ行きたかったからである。
何故龍安寺なのかって、たいした理由じゃないが、いつだったかテレビを見ていて生きたいと思ったからだ。
大河の新選組!で、近藤の女房ツネ役の田端何とかさんという女優さんが、龍安寺を案内していたことがあった。
そのときの映像が素敵で、どうしても、行きたかったのである。
龍安寺といえば、有名なのは石庭であって、僕はもう何十年も前に修学旅行で行ったきりなので、ゆっくり拝見したわけではなかった。
だから、一度はゆっくり見てみたいと思っていた。

何よりもびっくりしたのは、龍安寺というのは、あんな広い寺だったのかということだ。
京都の寺って、時々そういうことがあって、西も東も本願寺はでかいし、南禅寺だって、大徳寺だって大きい。
龍安寺も大きいのである。
ここには、石庭のほか、方丈という建物に、もともと立派な襖絵がはめられていた。
それも、30枚にも及ぶらしいのである。
それが見事に、今一枚も残っていない。
テレビでは、テレビ東京で放映していたのだが、見ごたえのある番組だった。
今、その襖絵は、全部海外に流失してしまっているらしい。
そのうちの何枚かを、その番組で発見し、数枚がアメリカの確か、ボストンの美術館に保存されていることがわかった。

なんとも美しかった。
だから、見てみたいのだが、日本では見られないし、帰ってくることなぞ、あるんだろうか。
美しいといえば、竜安寺なのだから『庭』なのだが、たまたま正面の塀を工事していて、前面幕が張り巡らされていて趣どころではなかった。
ただ、このままじゃなんとなく悔しいから、工事中の塀のそばへ行って、どんな工事をしているのか確かめてやろうと思った。
たまたまそこに、宮大工が仕事をしていた。
大概こういうときは、気難しい大工がいて、そばへ寄ると機嫌悪そうにされるんだが、このときの大工は気さくな人で、こちらが近寄ると嬉しそうに、大工の方から話しかけてきた。
「運が悪いね、今、工事やってるから」
僕も、こういう大工と話が出来るのも珍しいことなので、
「ヤッパリ、こういう屋根の修理も宮大工さんというんですか」
「わしら、屋根師かな」
「ところで、今やっているその作業は、そこからまだ何かするんですか」
その屋根師は、もう数百年も前に作られたと思われる土塀の屋根に、一枚一枚薄い小さい板を形を整えては乗せて、芯の細い釘を打ち付ける作業を繰り返していた。
材質は聞かなかったのだが、多分ヒノキだろうと思われる厚さ1センチもない薄い板で、10センチ×20センチ四方の軽い材質のものをカンナで削っては屋根に乗せていた。

あの石庭を囲んでいる塀は全長どのくらいあるんだろうか。
少なくとも正面と両脇は囲んでいた。
それを全部修理するんだから、4ヶ月かかるのはわかる。この3月まで修理するらしい。
「地道な作業ですね」と聞いた。
「でも、これでおしまいさ」
「へえ、その先はないのですか」
「このままだよ」
よく見ると、既に修理が終えているところは、確かにそのままほうってあった。
「室町の時代から、この形ですか」と聞いてみた。
「そうだ、数十年に一回は直してきてるんだ」と。

あの塀の屋根、遠くから見るとよくはわからないが、そばで見てみると、細かい板が重ねられていたことがわかる。
なんとも風情のあるよい光景を見せてくれた。

襖絵は、ないんだからどうしようもないが、庭をゆっくり鑑賞して満足、と行きたかったが修理中だった。

でも、このたびの目的は、『蹲(つくばい)』にあった。


蹲とは、『つくばう』の名詞か。
これは、うずくまることである。
うずくまって、低く据え付けられている手水鉢(ちょうずばち)で、茶客が手を洗うものである。
だから、この石でできている手水鉢が蹲なのだが、これがまたいい。
あの水戸の黄門様がプレゼントしたらしい。
光圀である。
昔の銅銭のような丸い形をしていて、直系50センチほどである。真ん中が四角くえぐられていて、そこに水が溜まる仕組みになっている。そこに、こんな文字が彫られていた。

            五
         矢 口 隹
            疋

実は、したの『疋』という字だが、正確には上の横棒がないのである。
僕が、このPCで探せないので、代わりに使った。
これは、真ん中の口の字を全部に使って、《吾・唯・足・知》と読む。
《われ、ただ、足ることを、知る》と。
これは、禅の無言の悟りで『知足るものは貧しといえども富めり、知足らずものは富めりといえども貧し』ということを教えている。
今回は唯、この蹲が見たくて京都へ行った。
こんなことで行ってるんだから、何年生きても生きたりない。
でも、他に収穫もあった。
『たこ焼き』である。


また、食う話。
そう。寺町どおりにあるたこ焼き店で「なまだこ釜湯で」と書いてある。店は丸幸水産蛸薬師店だ。
ここで食べた〈ねぎかけソースからしマヨ〉が絶品だった。あの京都の九条ねぎがたこ焼きの上にいっぱい乗っかっている。
たこ焼きのしつこさを消していると同時に、それでいてたこ焼きそのものの味がよいのである。
僕は、大坂で食べたたこ焼きがいまひとつ納得いかないので、ここのが印象深かった。
誰か、大坂で『マイウーたこ焼き』教えて。

ところで、この京都行き、行く途上の新幹線で隣に座った塾の先生が面白い人だった。
何せ、夜も9時を廻っている列車で、座るなり生徒の英語の採点を隣りで始めた。
否でも、目がそこへ行くではないか。
なんとなく話しているうち、その先生がイギリスへ留学して、1年間ホームステイした話を聞いた。
今、僕の娘がそういう年齢になっているので、興味深く聞いたのだが、噂には聞いていたが、ヨーロッパの先進国とはいえ、食事には本当にあまり気を使わない民族なんだと実感した。
また、食べる話。
都市の名を聞いたのだが、忘れてしまった。ロンドンより南の海沿いの街で、ドーバー海峡に面している。イギリスの田舎町である。日本で言えば、う~ン、何処だろう。山形県なら酒田辺り、島根なら浜田とかか。
何しろ、1週間の献立が決まっていて、それを延々と繰り返すらしい。それも、朝はパンとスープだけ。昼はサンドイッチ。夜も1品だけだと。
そこの家庭が特に貧しいのではなくて、何処もそんなものらしい。
もっとひどいところは、毎日缶詰を開けては、中からまめを取り出して皿にもって食べるのを、毎日延々と繰り返す家庭もあるらしい。
そこへホームステイした日本からの学生は、さすがに変えてもらったらしいがーーー。

出かけると、毎回何か収穫があるものだが、今回もいろいろとあった。
食べることが多いが。

本日は(3月11日)、歴史館が大忙し

朝8時、エル・プロダクツの皆さんがリハーサルで来館。
正面玄関前で、練習が始まった。
午前中に天然理心流の演武とエル・プロダクツの芝居があり、午後1時からは全国新選組サミットが2階の講座室で開かれた。
2時からは、エル・プロの2回目の公演があり、講座室では、今度日野新選組同好会主催で、NHK『新選組!』と『新選組!!』の時代考証をした山村竜也氏の講演があった。
その後は、山村氏と土方歳三資料館の陽子館長と僕とでパネルディスカッションを行ったのである。
その後は、その講座室で、永倉新八のビデオが始まった。

いつもは、ひっそりと静かな歴史館なのであるが、今日ばかりは朝一番からシッチャカメッチャカで、自分の席に座ったことがなかった。

自分の出番は、パネルディスカッションでコーディネイトすることだったが、これが意外と大変。
ご存知の方も多いだろうが、山本耕史さんと山村氏とのトークでも、耕史さんが気を使ってリードしていたくらいだから、誠実なお方ではあるのだが、山村氏は決して口数の多い方ではない。

でも、その彼が今日は、結構本音でお話してくれた。
(僕)     時代考証の裏話を、今日は思い切りお願いしますよ。
(山村)    考証の場に三谷さんはいないので、検討した結果を三谷邸にディレクターが運ぶんです。その結果がNHKに届く。再び検討する。
(僕)     それで、考証の結果、「ノー」なんていうこと、なかったのですか。
(山村)    ありましたよ。なければ、時代考証がいい加減とい
うことになりますから。だから、三谷さんの家とNHKとで、2~3度原稿が往復、なんていうこともありました。
(僕)     僕は、大河の年は日野市内をガイドして歩いていたんですが、全国からお見えになられたお客様で、兎に角、第1話のあの出会いで「見るの否になった」という人が多かったのにはびっくりでしたよ。近藤、土方、坂本、桂、佐久間象山までが、みんなで黒船を見に行くっていう、あのシーン。
(山村)    タイミングとしては、あの時点であのメンバーが江戸にいましたから、出会うことはあってもいいと思いますが、出会い方が問題でした。蕎麦屋で出会うとか、道端で出会うってことですが、無理がありました。もう少し、自然な出会い方って言うことがあってもと思いましたよ。
(僕)     新選組!!で、土方歳三が市村鉄之助に自分の形見を郷里に届けるように命令する場面がありましたが、その後、大平原みたいなところを走りましたね。ずいぶんと長く。
(山村)   アレは、みなさんどうお感じになられましたか。ああゆうシーンは、最初から組み込まれていて、覆すことが出来ない。つまり、物語の最終のシーンとして必要なんですね。だから、大草原みたいなところを、長々と市村が走っていく。
本当は船で、函館から日野へ向かうのですけどーーー。

このようなやり取りがあって、このディスカッションは、30分程
度と短かったんだけれど、結構実りの多いものでした。

また、この前に全国新選組サミットが行なわれていましたから、会津からいらした関係者が6人ほど、ご出席なさっておりました。
会場からの質問で、「土方歳三が会津から米沢へのルートはどの道をとったのか」というのがあり、進行役の僕も困ったのだが、丁度会津の方々がいらして、彼らが教えてくれた。よいタイミングで、ご発言してくれて助かった。
丁度よい機会だったので、最近僕が問われている『新選組が、会津のお城の中に入れてもらえたのか』という質問をしてみた。
これには大層お困りの様子で、口を濁しておられた。
そう、いいことばかりはないようである。

ヤッパリ、新選組の歴史って、悲しいんですよね。
僕は、それでいいと思っている。
いや、それがいいんだ。
そこに、ロマンを感じる。
幕末の京都中を、震撼させるまで発展した新選組。
たった、最初の半年ほどで、そこまで持っていってしまった。
この手腕、行動力、知恵。
若い命を、この組織にかけた。
でも、最後は、味方からも見放され、裏切られた若者たち。
これらを、ことさら糊塗する必要はない。
あの時代、鳥羽伏見の戦にしても、その後の奥羽列藩同盟にしても、最後はみな裏切りである。
何も、新選組だけが裏切られたのではなく、徳川幕府なり、徳川家なりが裏切られているではないか。
古くは、関が原だって、もっと言えば義経の時代だって、武士は常
に強いほうについてきていたではないか。
そうした激流に巻き込まれて、一途にに生きた若者たちに後世の僕たちは感動する。
その中にはうまく生き残れたものもあるが、若くして落命したもの、落ちこぼれていった者たちもいる。
みんな、夫々の生き方だし、それが、歴史ではないか。
皆さんと、本音で『新選組を語り』たい。

最近、自分の仕事のあり方に難しさを感じてーーー

このコーナーを読んでくれている人たちは、僕が歴史館の館長をしていることは、大方ご存知だと思う。
そのつもりで、書く。

ここのところ、どういうわけかマスコミ関係の取材が多かった。
テレビ朝日では、例の竹脇無我さんとの対談もあり、その後が関西のABC放送だった。そして読売新聞の取材があり、昨日は本陣に日本テレビが入った。
これは、近所の有名な「すし屋」を扱うついでに撮りに来たものだ。
その合間を縫って、週刊誌、月刊誌、ミニコミ誌などは頻繁である。
嬉しいことなのだが、そうとばかり言ってられなくて、僕の勇み足もある。

歴史館に、異常ともいえる今年のこの寒さにもかかわらず、大勢、全国からお客様が来てくれている。
その殆んどが、遠方からの来客なのだ。
この辺鄙な日野に(東京とはいっても行きづらい)、歴史館や本陣を目的に、よく来てくれるものだと感激している。
日野駅からだって、あの急坂を登って15分程度はかかるかな。
それだけ、新選組や大河の余韻がまだ残っていて、まだ浸っていたい?
そういうお客様もいるが、実は、殆んどの方がとても真剣なのだ。
キッカケは大河だったかもしれないが、今は、新選組ファンになっている。
中には長州を越えて、幕末にまで関心を寄せている人もいる。
これらは、NHKや三谷さん、耕史さんや香取君などの功績もあるに違いない。
あの人たちが、実は、良質なファンを作り出してくれていたんだ。
一説には、僕が大河に批判的と思われている方もおられるようだが、あの作品の果たした役割は、とても大きいものがあると評価している。

読売新聞での僕のコメントについて。
記者の取材には気をつけないと、自分の発言が相手の思惑に乗っかっていいように利用されてしまう。
僕は、「いま歴史館で行なっている展示を、評判もいいので、8月まで延長するようになるでしょうね」といった。
新聞には、「自前の展示物を持たないから、延長せざるを得ない」と、僕が言ったことになっていた。

確かに、今の展示は借り物が殆んどである。
あとは、NHKからいただいたものである。
これは、本物の資料とは、確かに違う。
でも、多くのお客様は、大喜びである。
僕だって、いつまでも、これらに頼るつもりはない。
多分、ここ1年程度だろう。
良いではないか。
今年、続編が上映されたばかりなのだし、それらで使った小道具を見たい人が大勢いるのだから。
そして、それを見たいがために、全国からいらっしゃる。

それから、うちの歴史館であるが、地方自治体の日野市が直接、新選組の資料を持つ必要があるのだろうか。
買い集める必然性なぞないと思うし、そんなことをはじめたら、いくら金があっても足りないだろう。
今、日野市内には、新選組関係の子孫の方々がいらして、資料はそこにたくさんある。
何も、市役所が集める必要があるのだろうか、ということなのだ。
それに、新選組関係の資料は、全国に、そんなに存在していない。

今、当歴史館が発足してまだ1年も経過していない。
これから、進むべき道、方向を模索しながら進むことになると思う。
もしかして、うちの館は、新選組を語る、語れるスペースになるかもしれない。
来年度は、歴史館主催で『新選組を語ろう』というタイトルで連続講座を予定している。
新選組に関する落語、講談、浪曲、映画など何でもありだ。
そして、皆さんで、徹底して土方や新選組を語るのである。
もっと、フレキシブルに行きたいものである。

管理人よりお願い

管理人より

皆様にお願いがあります。
このブログは村瀬が管理しているものではないので、できるだけ個人的にコメントをくださる方は村瀬に直接メールをしていただければ幸いです。
「管理者だけに観覧を許可する」でご質問、ご意見をくださる場合も、村瀬から何かしら返答が欲しい方は、ご自分のメールアドレスを表記してお送りください。

できるかぎり当ブログにてご返答をしたいと考えていますが、内容によっては公にすることが相応しくないこともあるので、ご協力お願いいたします。
(メールアドレスの表記がないと、お返事できない場合もありますがご容赦ください)

今後もShougo.netをよろしくお願いいたします。

ホームページ開設1周年に当たって

ブログというものをはじめてから、この3月でようやく1年になる。
あの本を書いて、出版が昨年の4月だったので、ひと月まえの3月からhpを開いてブログを書き始めたってわけでした。

ブログというものについて、なんだかわからないではじめたものだから、日記なのか随筆なのか、はたまたお手紙なのかサッパリ。
それが、いまだによくはわかっていない。
ここのところ、オリンピックのことばかり書いてしまった。
ただ、だらだら書いてしまっていて、皆さんにご迷惑をかけているのかもしれない。

49455
この数字、昨年の3月から本日(3月2日)までの、僕のブログにアクセスしてくれた数字。
多いのか少ないのか、どう評価していいのかわからないが、たくさんの人が見てくれていたんだなあと、改めて気が引き締まる。
また、責任を感じる数だ。
だから、内容のあるものを書こうと気はせくのだが、ネタと知識と能力が上手くかみ合わない。
精進。

昨年の今頃は、自分が書いた原稿が果たして本当に『本』になるものなのか、不安と期待で毎日を過ごしていた記憶があるが、あの『人間土方歳三』という小説、実は、タイトルが二転三転していた。
最初は、”土方歳三の武士道“だった。
僕が書き始めたのは、今から丁度2年半ほど前だったが、その頃はまだ小説化する考えもなく、ただ土方歳三を書こうと、その一念ではじめたのだった。
だから、僕の知っている土方歳三や新選組をどんどん書いていったのだが、そのうち、自己の知識の浅薄で薄弱なのを悟るようになった。
そして、もっともっと新選組や幕末全体を研究した。
すると、今度は困ったことに、史実がわからない、不明ということに直面した。
例えば、沖田総司。
彼の母親、不詳である。
いや、父親だって果たして勝次郎が本当の父なのか、殆んど間違いはないだろうが、確証まではない。姉ミツの父は、周助という説もある。
その、姉のミツ。
彼女が本当の姉なのか、実は義兄とされてきている林太郎が本当の兄なのかも、さえ、不詳である。
次姉のキンさんも、嫁ぎ先については、沖田家の文書と実際とは違っている。
歳三についても源さんについても、試衛館についても、わからないことが多い。
こうも、史実がわからないでは、伝記ものは書けない。
『らしい』『違いない』『と、伝わる』の連続になってしまう。
これじゃあ、つまらない。
だから、途中から、自由に書けるように小説にしたのである。
それからというものは、肩のしこりがなくなったかのようにすらすらと筆が進んだ。

書き始めて、約半年間は、本の題名は『土方歳三の武士道』だった。その後、一時、『凍土の涅槃』という難しいタイトルも考えた。これはその後、日野市が組織した新選組フェスタが作成したCGIの題名になって、今、歴史館や日野宿本陣で毎日上映している。

どうしても、歳三の武士道について触れたかった。
というのも、昨年の今頃は、確かアカデミー賞のノミネートが発表されていて、『ラスト侍』と『たそがれ清兵衛』が入っていた。
結果は、その2作とも賞を逃したが、全世界で再び日本の武士道が話題になり、同時に新渡戸稲造の『武士道』が話題にもなっていた。
ラスト侍といえば、土方歳三ではないか。
その彼の武士道って、なんだったんだろうと考えた。

本当に、地元に伝わっているように、彼は若い頃から「我、壮年武士になりて、名を上げん」なんて、言ってたのか。
言ってるわけがない、と結論付けた。
彼は冷静であり、日本古来の武士道に疑問を持っていた。
自己の信念に従って死ねないのが伝統的な武士道であり、武家社会なのである。お家のため、殿のため、上役のため、どんなに理不尽であっても、また自分の家の存続のために命を投げ出す、これが日本の武士道である。
慶応3年6月には、新選組のメンバー全員が直参に抱えられた。
一緒に京都に常駐していた見廻組と、同格になったのであった。
でも、池田屋騒動のすぐあと、やはりお抱えの話は出ていた。でも、このときはお断りしたのである。
二回目のときは、素直に幕臣になったのであるが、反発した佐野七五三之助以下伊東甲子太郎の一味は切腹(あるいは殺害か)という、憂き目に会ってしまった。

僕には、まだわからないことがたくさんあって、例えば、永倉新八。
彼は、松前藩脱藩ということになっているんだが、すんなり徳川家の家臣になったのか。
原田も伊予松山藩の足軽の子?だったし、この人たち、二君に仕えることにはならないのか。
脱藩していたから、いいのか。
でも、永倉は幕府倒壊のあと、許されて松前藩に戻っている。
そして、近藤とはそりが合わない。
でも、その後近藤と土方の墓を建てている。

土方歳三は、いくら豪農だといっても百姓上がりの自分たちだからこそ、馬鹿にされないように軽率な発言には、特に気を使ったに違いない。近藤が、文久2年に、幕府の講武所指南役になれなかったが、どうやら、百姓あがりだったということが不合格の理由らしい。
彼らには、京都にいた5年の間、多摩の百姓だったということが付きまとったに違いない。
世間はそう見たし、味方の徳川の連中をはじめ、会津守護職連中でさえもそのように見ていた。
新選組の面々を、一躍その名を轟かせたあの池田屋事件も、会津の人たちは迷惑なことしてくれたと思っていただろう。
これで、また、西国の連中に会津が恨まれる種をまいてしまったと。
勇気と伝統のある武士として、プライドの高い会津の者共は、後に新選組の生き残りが助っ人にやってきても城の中に入れなかったと伝わる。
百姓の力は借りないと。
このときの新選組の人たちの落胆は、想像に絶する。会津への援軍としてのみ、その存在価値を認めてもらうことしか出来ない集団だったのだから。
自分たちは、何のために生きてきたのか、戦ってきたのか、会津に拒絶されてしまっては、頑張って生きてきた意味さえなくなってしまったのである。
土方歳三はその後、仙台から蝦夷へ渡った。
このときの心境は、―――。
まだ、研究の余地がある。
僕は、あの本では、この頃の話を書くに当たって『空蝉』という小見出しをつけた記憶がある。
歳三が生きる、戦い続けることの背景は、『意地』だけであった。

今年の流行語大賞は『イナバウアー』で、決定―――と、勝手に決めているが

ブログに書き込んでくれた方との対話で、表題にあるようなことを言ってしまったが、本気でそう思っている。
でも、日本人は熱しやすく冷めやすいので、あと一月もすると、いや75日もすれば確実にオリンピックのことなぞ、まったく過去のものになってしまって、荒川選手のことも記憶の外に薄れてしまっているかもしれない。

ここは、新選組関係のブログなので、もう、オリンピックのことは言うのはよそうと思っていたのだが、さっき、荒川さんたちが成田へ帰ってきたのを見て、もう一回書いてみたくなった。

本当に、あの『イナバウアー』って素敵ですね。
正直、美しい、きれいだよね。
そういえば、荒川さんて、金メダル取ってからさらに美しくなったように見えるんだけど、そう感じるのは僕だけでしょうか。

あの技は芸術的なのに、レベル的には何も評価の対象にはなっていないようですね。
だから、どんな選手も普通はそんなものを競技の中に入れないのでしょうが、彼女はあえて、それに拘って「トューランドット」という曲の最も盛り上がる、美しいフレーズのところで、効果的に入れていた。
オペラについては詳しくはないけれど、あの「トューランドット」という曲、美しいですね。
この度の開会式で、パヴァロッティーが歌っていましたね。
今、何処のレコード屋に行っても、売り切れ状態らしいですよ。

3大テノール歌手の競演が何年も前から世界的に行なわれていて、日本でも確か、国立競技場でありましたよね。
パヴァロッティーとドミンゴと、タレーラスでしたね。
この人たちみんな素晴しい声の持ち主で、オペラなぞ全くの素人の僕が、夜中じゅう彼らの声に酔っていた記憶があります。
国立競技場で行なわれたコンサート、本当によかったのだけれど、最後のほうで『川の流れのように』を歌ったのですが、よせばいいのに、アレで興ざめだった記憶があります。
アレは、ひばりちゃんが歌うからサイコーなのであって、どんなオペラ歌手でもダメですよ。だって、日本の誇るテノール歌手、錦織健があの歌を歌ったときのことを想像してくださいよ。ダメでしょう?
演歌のハートで歌わないと、味が出ないのです。
天童よしみさんのほうがあっていると思いますよ。
だから、錦織さんは決して歌いたくないと思いますが、でも某国営放送って、そういうの、よくやらせるんですよね。

オリンピックの勝負には関係ないのだけれど、あえて自己の演技の中にイナバウアーを入れてくるあの余裕、貫禄。
自己の主張があってああゆう人、魅力的ですね。
もしかして、本当に、金メダルよりも、自分のスケーティングを見て欲しかったのかもしれませんね。いや、両方かな。
それが、結果として金メダルに結びついた?
あまりに格好良すぎる。出来すぎ。
でも、確かに、日本のほかの2選手と比べて、すべりに余裕が感じられたし、ジャンプしても転倒の心配がほとんどない。
いや、外国の一流選手と比べても、同じことが言える。
これまでの実績、経験、そして過酷なまでの練習に裏づけされて、あの域まで達していたのですね。

今回のオリンピックで感じたことは、日本の国を挙げて選手の強化策に取り組まないと、韓国に大きく引き離されて、取り残されていくような気がしたということ。
女子ゴルフにしても、宮里さんよりもっと若い人たちが、アメリカのツアーで大活躍してます。
宮里さんがまだ若いから、なぞと言い訳いっている場合じゃないですね。
「楽しみました」
「いい勉強になりました」
は、通用しません。
でも、彼女は今年必ず1勝は上げると僕は確信してます。
そのくらい、技術的にも世界に通用するものを持っているし、『気』を感じます。
そして、横峯さくらちゃんも、いけそうです。

でも、この人たち、お父さんがコーチしてお金も出して、大変な苦労。
荒川選手のお母さんも、静香ちゃんのスケート靴が一足15万円もするんで、パートに出たりしてたらしいですね。
今回、多くの日本選手たちが、自前で資金調達してたらしい。
限界ってものがあるのだから、ある程度は国で面倒見るべきだよ。

韓国は今回メダルもたくさんとって、韓国ブームはまだまだ続きそうだけど、メロドラマを見ていても、日本の50年以上前の映画『君の名は』の雰囲気を感じるのですが、それでいて、テクノロジーをはじめ環境問題(ごみ)に及んでもわが国より進んでいますよ。
僕は、ごみの仕事を5年前までしていたから、ある程度は知っているのですが、韓国はごみの分別から違反企業に対する罰則など、法的な整備が日本より進んでいます。

今度、野球の世界選手権が近々始まりそうですが、韓国、意外と強いのではないでしょうか。

オリンピックの話しはこの辺にして、次回から、新選組に戻りまーす。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






リンク
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カテゴリー
カレンダー
02 | 2006/03 | 04
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新の記事
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近のコメント
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード