村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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来週、19日から10日間、イタリアに行ってきます

僕の通った高校は(あの試衛館の近くの成城高校だが)、歴史が選択制になっていて、どういう理由か、世界史を選択した。
そこで、日本以外のこの地球上の国々の大まかな歴史を学んだのだが、そのときの勉学は、受験では大して役に立たなかったが、その後の人生では役立たった。
一番、印象深いのは、チンギス・ハンの蒙古帝国とナポレオンである。この二人の世界制覇の範囲の広いことといったら半端じゃない。その昔はアレキサンダー大王がすごかったのだろうが、時代が古くて実感が湧かない。
でも、世界の歴史を習っていて、神秘的で雄大で、最も魅力的なのは古代ローマ帝国であった。それは、ちょうど昭和40年ごろチャールトン・へストン主演の「ベン・ハー」という映画が話題を振りまいていて、観客を画面にひきつけて虜にしていたという理由もある。あの映画、特に、戦車で戦う競技場のシーンは有名で、あの大スペクタクルは、今後も永遠に語り草になることは間違いない。
あの映画は70ミリの画面で、当時、一種流行だった記憶がある。
丁度、ミュージカル映画も全盛期で、こちらも70ミリで上映していた。覚えているところでは「ウェストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」「マイ・フェア・レディ」などが続々と上映されていたのである。そしてこれらはみな、70ミリの大画面であった。銀座の丸の内ピカデリーという映画館でサウンド・オブ・ミュージックを見たが、空いていたから一番前の席に座ってしまった。
大失敗だった。
画面が大きすぎて、首を天井に向けて四六時中、首を回していなければならなかった。
でないと、一等右に立てに現れる日本語訳を読みながら映画も鑑賞できないからであった。

今、70ミリ映画というものはなくなってしまったのだろうか。
僕は、映画は全く知らない分野なので、わかっていないのだが、あの当時、「シネラマ」という画面も出来ていて、銀座のテアトル東京という映画館で見た記憶があるが、あの馬鹿でかいスクリーンもなくなってしまっている。ドームのような劇場に、半円形に幅広く画面が展開するのだが、同時に3台の映写機が回るらしい。
当時、あの画面をシネマスコープといっていたか。

ついでに、ステレオのことを思い出した。
僕の小学生の頃は、まだステレオというものがなかった。みな、モノラルの時代だったのである。
だから、初めてステレオ放送を聴いたときは、あまりに臨場感があってびっくりもし、あの頃、誰だってそのサウンドに魅了されたものだった。
ラジオ放送も、まだFMが普及していない頃なので、すべてがAM放送で、これはいまだにモノラルである。
あの頃、ラジオの文化放送とニッポン放送が協力してステレオの音楽番組というものがあった。
夕方の6時ごろの放送だったと思うが、2台のラジオを用意してくださいというもので、「左のラジオを文化放送に、右のラジオはニッポン放送にあわせてください」というアナウンスが最初に入る。試験的な音が聞こえたあと、音楽が始まるのだが、その立体的なサウンドに、子供心に胸がときめいたのを思い出す。

話を戻すが、あのローマ帝国。
僕は、古代ローマというものが、あまりに神秘的なので実感が持てないでいた。実際、どんな文明だったのか恐ろしいとさえ思っていた。そして、自分には全く縁のない違う世界のことで、遠い国の昔話、御伽噺のように感じてきていた。
今現在、ヨーロッパの国々に旅行することは別に特別なことではなくなった。だから、ローマ帝国のことは、自分の目で確かめることも簡単に出来る時代がやってきた。以前、ポンペイの街がベスビオ火山の噴火で一瞬にして埋め尽くされてしまう映画を見たことがある。アレはなんというタイトルだったか、「ポンペイ最後の日」みたいな記憶があるが、そのポンペイが掘り起こされて、当時の(アレは紀元70年の頃か)ままの姿が再現されている。
僕は、死ぬ前に、一度はそこへ言ってみたかった。
来週、いよいよその夢が実現する。その当時の文明なるものは一体どんなものだったのか。日本では、まだ弥生時代だったか。全く、文明度が違っている。まだまだ、未開の土地だった。

僕のイタリア紀行の感想も、帰ってきてからここのコーナーで紹介したい。
回ってくる都市は、ミラノ、ベローナ、べネチア、フィレンツェ、ナポリ、ポンペイ、カプリ島、ローマの順である。
あの国、とてつもなく魅力的だ。
なんてったって、文明度、またその芸術性の深さ、広さに驚かされる。古代からのものは勿論、中世から近世に向かっても超特大、余りあるほどの芸術遺産が残されている。ロマネスクやゴシックなぞ様々に時代によって建築様式に変化はあるが、いつの時代を撮ってみても芸術なのである。
特に、ルネッサンスの頃のものは、あのダヴィンチの絵画を始め、ミケランジェロやボッティチェリなどの作品をはじめ数え切れないし、彫刻、建築物なども群を抜いている。また、音楽にひときわ関心のある僕だから、オペラの殿堂もあり、パヴァロッティーなど有名なテノールの歌手もいて、その華やかさにはゲップが出てしまいそうである。それに、クラシック音楽の世界の大ベストセラーは、群を抜いてヴィヴァルディの「四季」らしいが、これも舞台はイタリアである。
どうして、そんなにすごい国なんだろう。
あの土地の空気だけでも、感じて帰ってきたい。
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今日から2学期

9月1日、今日から学校が始まった。
今月は自民党の総裁選挙がある。もう、安倍さんで既に決まっている。憲法改正と増税路線らしい。あまり、いい印象ではない。だから、党では来年の参院選を心配しているということだ。
東京は、朝から小雨模様で、どんよりした空模様。何かもう一つさえない始まりのようだ。

ところで、夏休みって、あのじりじりした暑さが僕は小さい頃から好きで、思い起こせば、毎年海へ連れて行ってもらうのが最高の楽しみだった。東京地方では、昔は海水浴といえば湘南海岸へ繰り出すのが一般的で、電車に乗って江ノ島、鎌倉が一番人気だった。
近年車社会になって、遠方へも自由にいけるようになってからは、千葉や伊豆方面へも繰り出すようになったが、僕の小学生の頃は、どこの家も車なぞ持ってないから、押し合いへしあいで湘南電車に乗ったものだ。
あっ、その湘南電車だけど、今でもどこからどこまで走っていて、なんでこの名称なのかも知らない。東京駅から熱海辺りなのかなあ。
子供の頃から、なんとなくハイカラな電車という印象なのである。だって、戦後の電車といえば、暗い色のこげ茶のような印象ばかりで、湘南電車の「オレンジ色」と「緑色」のツートンがなんとも美しく写っていたのだった。

この間、暑い盛りに、鎌倉へ行ってみた。
この年齢だから、海水浴ではなく梅雨時の明月院である。アジサイを見に行ったのだ。そのときわざわざ、小田急線の片瀬江ノ島で降りた。そして江ノ電で鎌倉へ行った。
どうしてもアノ駅に降りたかったからだが、僕の小さい頃、アノ駅は竜宮城だった。今でも、竜宮城のつくりのままなのか確かめたくて降りたのだが、いまでもそのままだった。
あの当時、子供心に駅を見て嬉しかったのだ。

8月のお盆の頃になるとこの日野辺りは全く静かで、アノ静寂さが僕は好きだ。年末年始とゴールデンウィークと夏のお盆の頃は共通して森閑としている。
僕の住んでいる日野市には日野自動車の本社があって、自宅からすぐ近くだ。ここは、工場も兼ねているから、連休のときとお盆は一斉にラインが止まる。近くにはコニカ・ミノルタがあり、八王子の工業団地も近いので、この時期になると中で働く人々は皆お休みになり、周りの道路は朝から物音一つ聞こえなくなる。
子供達も夏休みだから、学校もやってないし商店も休むところもある。だから、世間は静けさの中に沈むのだが、ラジオを聴いていると、道路交通情報では高速道路が大渋滞だといっている。
僕の家は中央高速道路から約100メートルほどの距離のところにあるから、見に行くと、なんと、そこだけは満杯なのである。ひどいときは、大月辺りを先頭に高井戸辺りまで断続的に100キロほど渋滞になる。

しかし夏休みも昨日で終わって、本日から平常に戻った。
今日から2学期なので、子供達が一斉に登校する。
僕らは最近、「あいさつ運動」という名目で、たまに朝一番で学校の校門の前に駆りだされるのだ。緑色の腕章を渡されるのだが、それには『防犯』という文字が印刷されている。
任務は、7時50分から8時20分まで、登校してくる子供達に挨拶をするのだが、いまだに何のためにやっているのか、よくわからない。
僕は以前、教育委員会で学務課長という職務についていたが、当時、学区域と言うものをなくして、「選べる学校」制度を発足させた記憶がある。といっても、まだ5年ほど前のことだ。日野は先進市で、多摩地区では最初だった。
アノ当時から、僕は学校へ行くのが好きだった。
給食を食べるのが楽しみだった(ちゃんと金は払う)のもあるが、子供達の笑顔を見るのが楽しいからだ。

今朝も、あいさつ運動の目的はいまひとつわからなかったが、それはともかく、登校してくる子供達と「おはよう」と言い合うのがなんとも楽しかった。これも職務だから、威張ってできるのだが、関係ない人が校門の前でやったら大変だ。
変質者である。

本日が久しぶりの学校なので、親も子供も大変である。
付き添いでついて来る親の数が、実に多かった。中には、しくしく泣いていて、なかなか校門の中に入ろうとしない女の子がいた。泣きわめいている子もいた。親から離れられないのである。仕方なく、母親が教室まで連れて行った。お母さんも出勤時間が迫っていて忙しいのである。でも、子供の気持ちもわかるし、セツナイ光景だった。

でも、今日は特に楽しかった。
一年や二年生のまだ背の小さい子が、宿題の大きな作品をぶる下げて登校してくる。中にはお父さんやお母さんに手伝ってもらって運んでくる子もいて、大作もあった。
「ちびまるこちゃん」を思い出した。
8月31日になって、宿題を始める。おじいちゃんやおばあちゃんにも手伝ってもらって、夜中の12時を廻って夜中にようやく、おっつけで宿題が終わる。
次々と登校してくる子供達の中には、昨日の晩、家族総出で宿題をさせられた家庭もあったのだろう。

僕の隣りであいさつをしていた、まだ20代の女性の先生とその話をした。
すると、彼女も、「私だって、子供の頃は、31日になって宿題を家族に手伝ってもらいました」と笑顔でいっていた。
こういう経験のある先生に教えてもらう子供達はいいなあ、と思って市役所に向かった。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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