村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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少子高齢化対策は、江戸の時代に学ぶようかもーーー

最近、といってももう1年近くになるが、僕は、自転車通勤をしている。
うちから職場まで、歩いて約30分、自転車なら5~6分の距離なので、車なぞで通勤するほうが顰蹙(ひんしゅく)ものなのである。

地方の役所に勤める者ってのは、そもそも役所に近い人間が就職するか、さもなければ僕のように勤め先の近くにわざわざ引越ししてくることが、間々ある。それは、定年まで余程のことがない限り勤め上げることが前提になっているせいだろう。
学校を出て民間会社に就職していた僕には、もともと公務員になる気はなかったのだが、ずるずるといまだにお世話になっている。
多分、居心地がよかったせいか。
でも、僕の若い頃は、終了時間がくれば帰れたし、休暇も比較的とることが出来たが、今は違ってしまった。自分の権利をどのくらい主張しないか、行使しないかで評価が決まったりする。つまり、『滅私奉公』の具合である。
これからの若い人が、気の毒でならない。

以前、杉並区の西荻窪から通っていた頃は(といっても、既に20年以上も前のことになるが)、毎日JR中央線に乗って通勤していた。約一時間の行程であった。このときは、それはそれで楽しみもあった。

僕は、元来怠け者で、決して本なぞをたくさん読むタイプの人間ではない。出来れば、テレビやラジオなぞにお世話になって、与えてもらうだけで楽に生きて生きたいタイプなのだ。
でも、そういう堕落している自分に焦りを感じる一面も若い頃からあって、それが理由で、せめて電車に乗るときぐらいは出来るだけ、文庫本を読むようにしてきた。
うちで本を読み始めると、どういうわけか、すぐに眠くなってしまって5分ともたない。電車の中だと、気持ちよく読める。たとえ、つり革につかまって立っていたとしても、本を読むとよく頭に入る。
不思議。
だから、休みの日なぞは今でも、(これは違反だから言っちゃいけないのかも)JR山手線に乗って、半日ぐらいは本を読んでいる。眠くなれば、そのまま眠ってしまえばいい。昔と違って今は検察も来ないし、山手線はぐるぐる廻っているだけだから、始発も終着駅もない。それに、あの沿線は、江戸の頃の文化を堪能するには丁度良いほどに、名所旧跡をカバーしてくれている。
それはそのはずで、江戸城を丁度、囲むようにぐるぐる廻っているのだから。

そういうわけで、思いつくと、直ちに降りて江戸の散歩が出来る。例えば、上野駅なら西郷さんの銅像があって、西洋美術館、国立博物館、寛永寺、東照宮、不忍池なぞ。隣りの御徒町駅なら、《アメ横》だ。その手前は秋葉原で電気街で有名だが、(今は、『メイド喫茶』のほうが人気ある)この街の小さな店に頼んで、例の土方歳三の軍服も作ってもらった。
《この2月3日から、僕が昨年まで館長をしていた『新撰組のふるさと歴史館』で第2回目の展示が始まっているが、そこで、今回も土方歳三の和装と洋装のコスプレが楽しめるようになっている。》

この秋葉原あたりは、湯島天神や神田明神に行くには便利で、御茶ノ水の湯島の聖堂、昌平校も近い。その隣りが神田で、ここは蕎麦屋やうなぎ屋を始め、江戸の頃からの有名なグルメ店が多く、今でも残っていて、人気がある。僕の行きつけは、神田須田町にある蕎麦の『まつや』だ。このまつやのすぐ近くに有名な『藪蕎麦』本店がある。
この神田から浅草に行きたければ、ここから地下鉄で10数分だ。
神田の隣りが東京駅で、皇居(江戸城)が目の前である。神田と東京の丁度中間の東側に日本橋がある。今は高速道路が真上に走ってしまって見るも無残な姿になってしまったが、すぐ隣りがデパートの三越本店、日本銀行である。
さらに東へ行くと、人形町で、今は明治座などがあるが、昔はこのあたりに中村座や市村座、森田座などがあり、江戸でも人々が楽しく集う場所であった。
今、テレビで松平健の《遠山の金さん》が始まっているが、あの北町奉行所は今の東京駅の構内にあった。大岡越前の南町奉行所は丁度、有楽町駅の構内だ。
まだまだ、有楽町、浜松町、品川と続いて魅力的なところが多いが、こんなこといってたら、枚挙に暇がない。いくらでも楽しいことはある。ここら辺だけで、一日のツアーを組んでも廻りきれない。
だから、JR山手線は楽しいのだ。

ところで、僕が今日書こうと思っていたのは、このことではなくて、母親の保育園の送り迎えのことであった。
さっき、家に帰る途中で、僕の自転車と横から出てきた自転車とぶつかりそうになった。その自転車は、若いお母さんが二人の幼児を前後に乗せて運転していたのだった。おまけに、どこかのスーパーで買い物を済ませた後だったのだろう、たくさんの食品、惣菜類をかごに詰めていた。だから、運転だって、ふらふらしたって仕方ない。
でも、3歳と5歳ぐらいの子どもを前後に乗せているのだから、失敗して倒れるわけにはいかない。相当危ない芸当である。
でも、そんなこといってられない。
こうしなければ、生活が成り立たないからだ。

彼女たちが通り過ぎてから、僕は、暫くその後姿を眺めてしまった。
「無事に、家まで帰ってくれ」と。
でも、それが毎日のことなのだから、今日だけ祈ったって仕様がない。
雨の日は、どうするんだろう。
多分、子どもたちには合羽を着せて、自分も着て自転車に乗るのだろう。これも、相当危ない。僕も、雨の日は合羽を着るのだが、頭からすっぽりかぶるので、ちょうど競馬馬の遮眼帯みたいに両サイドが見えないようになってしまう(馬の場合は気が散らないように、わざと正面しか見えないようにしてしまう)。だから、交差点などで横から車が来ても、見えないこともあるのだ。

実は、僕の子どもたちも保育園に通っていた。
車で、毎日送り迎えをしたのだが、都合、8年間もやった。
そのときのことを思い出す。
うちは、車だったからまだ幸せだったが、中にはやはり自転車のお母さんたちが何人かいて、子どもたちを荷台に乗せて送り迎えだった。
うちの通っていた保育園は、午睡用の布団を定期的に持って帰ってカバーを新しいのに替えて保育園に持っていくようになっていたので、そうなると、自転車の人はもう無理で、タクシーを使っていた。
そもそも自動車を持っていない共働きの家庭なのか、母子家庭なのかは分からないが、お母さんたちは大変な毎日であることだろう。

でも、いまだに同じ光景をこうしてみるのだから、相変わらず母親は大変なのだ。
最近、少子高齢化の時代を迎えて、世の女性たちにたくさんの子どもを産み育ててもらおうと、政府やお役所が盛んに喧伝しているのを見かけるが、若い女性たちがこうした姿を見れば、それだけで産みたくなくなるのでは、と、思ってしまう。
生みやすい、育てやすい環境とは何なのだろう。

最近、何かにつけ、江戸の時代に学ぶことが多い僕なのだが、この答えもきっと、江戸の庶民生活の中にあるのじゃないかと思う。
例えば、「子どもは親の子ではなくて、社会の子」っていう、概念。
最近、『他人の子を叱る』なんて、「いまさら何を」と思いたくなることが新しいイメージで言われている。
昔、江戸の裏長屋では、近所の子どもたちをまとめて引き取って遊んでくれたガキ大将や、読み書きソロバンを教えてくれた先輩たちがいた。又は、寺子屋だ。
僕が小さい頃までは、まだそんな雰囲気が残っていた。父ちゃん、母ちゃんは、商売が忙しい。どこも家も同じ事情だから、年上の子が近所の(又は長屋の)若輩の子供や幼子の面倒を見る。
「社会の子」なんて観念はないだろうが、それが当たり前のこととして近所づきあいが行なわれていた。

ちなみに、僕の母は明治43年生まれで浅草三筋町の出だと聞いている。父は38年生まれで、黒門町で丁稚奉公をしていたという(上野広小路の近くで、確か半七親分もここだ。歳三の奉公先は隣りの上野松坂屋だった)。
勿論、両親ともに既に他界している。僕は8人兄弟の下から二番目で戦後生まれだが、上の兄弟の殆んどは、戦前である。
うちは、戦後は阿佐ヶ谷から西荻窪に住んだが、戦前は新宿の花園町だった。花園町では古着屋をしていて、夫婦ともに店に出て働いていたから、子供達は近所の子らと一緒に過ごすことが多かったという。戦後になっても、うちは商売をしていたから、僕らは、近所の悪ガキと、西荻窪の駅付近で、夜遅くまでよく遊んだ。
そもそも、保育園なぞ、この世に存在していなかった時代である。
近所同士が協力しないと、生きていけなかった。

この助け合いの精神が、どうしてこの日本から失せてしまったのだろう。隣りに住んでいる人の顔を、何年も見たことがないという昨今の事情である。
なんだか、良いものがどんどんなくなっていくような気がしてーーー。
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日本の100人―――

自分で書いたことは、責任を持たないとね。

ごっちゃンから、コメントをいただいた。その関係の記事を今から書きます。

3月の第2週に、『新選組』の講演を頼まれている。
もう3年も前から、定期的に依頼が来る団体で、日野市内の“生涯現役の会“というところからのものだ。過去に何回か新選組の話は行なっているので、もう僕の話なぞ飽きただろうと思うのだが、そうでもないらしい。
担当者は、「あなたの話だと、集まりがいいんです」と、嬉しいことを言ってくれる。
だから、これから、また、新選組の勉強をしなおそうと、様々な資料をあさり始めた。

ところで、約1年前から、近所の本屋さんから、週間で定期購読しているものがある。本のタイトルは、『日本の100人』と言うA4番より少し大きめの全頁イラストや写真入のカラフルな読みやすいもので、マガジンシリーズと呼ぶらしい。
一時、テレビでも宣伝していたが、今はやっていないようだ。
我が国の歴史上の人物100人を、(多分)ランダムに取り上げて順に載せていくものだが、新選組関係では、近藤さんが既に取り上げられていた。そのNO55が、いよいよ土方歳三で、本日届いたのだ。

既刊の新選組本は飽きてきているし、これは、新選組の勉強をするのには丁度いいやと、じっくり読み始めたのだが、読んでいるうち、なんか、しっくり来ない。
いや、僕はこのシリーズが好きだから、今回だって面白いのだが、僕が自分の本の中で書いたこととよく似ているところが何箇所かあるので、気になりながら読んでいた。
例えば、明保野亭の事件や武蔵野楼の土方歳三なぞだが、僕と同じような関心を持っている人もいるんだ、と思いながら読んでいた。

最後に、[参考図書]というコーナーがあったので、見ていたら子母澤寛の3部作や『新選組異聞』(菊池明)の後ろに、『人間土方歳三』(村瀬彰吾 舞字社)とあった。
なーんだ、そうか。
そうだったのか。
でも、俺って、自分の書いたこと、こんなにも忘れているんだと、内心あせった。原稿を書いていたときは、様々な資料を山積みにして集中してやってたし、それなりに気合ってものを入れてたから、頭が廻っているし練れてもいる。だから、相当なことが記憶されていたんだけれど、今は、自分の書いたことさえ忘れている。
コレハ、ヤバイ。
自分の書いたことは、最低限度の責任があるから、忘れたでは済まされない。
「そんなこと、書きましたっけ」なんて、間違ってもいえない。

恥ずかしながら、自分の本を、もう一度読み直します。
書いたこと、言ったことは、責任を持たないとね。

ついでだけど『日本の100人』ていうマガジン、出版社は横文字で、(株)デアゴスティーニ・ジャパンというところで、定価は560円です。ちなみに、来週の予告を見ると、板垣退助になっていました。

格差を感じるときがやってきた

僕の職場には、日本全国の地方自治体の現状を速報で報告するニュースが配られてくる。最近目に付いたニュースで、ため息が出てしまうのが、我々の給与のカットと勤務評定による格差付けである。
茨城県に、牛久市というところがある。
ここでは、暮れのボーナスで、勤勉手当が格差3倍にもなっているという報告があった。中には、その手当てがゼロの職員もいるとのことである。期末手当と勤勉手当の二本立てだから、全くなくなってしまうわけじゃないのだが、職員間の格差はかなりの開きが出てくる。
金額でいうと、勤勉手当395000円をもらえる人と、ゼロの人がいるとか。

実は、僕の職場だって、同じような制度が既に導入されている。牛久市ほどの差は出てきていないが、勤務評定による成績率を導入して、毎年のようにこの差を広げている。
この勤勉手当というものは、勤務成績によって支給するとどこの自治体でも定めているはずだから、この「勤務成績」というものが問題になる。
大概は、現場の課長クラス(所属長)が部下を評定するようになっている。部長が課長を、助役が部長をという風に査定する。
うちの市でも、偉い人が、「年功序列の悪癖の雇用体系から実績主義への転換をし、職員の意識改革を図って市民の理解をうる」と、お決まりのせりふを言っているが、果たしてそのとおりなのだろうか。これによって、働きのいい人間とそうでない人との差をつけることで、市民に理解をうるらしい。
ん~ん。
そんな、もんか。

実は、僕だって、この制度が導入された頃、課長として部下の成績をつけていた。こんないやな仕事はない。だって、原資は決まっていて、それを職員通しで取り合うのだ。強引に現場の課長に差をつけさせる。
つまり、悪いやつから引っこ抜いた分を、トップのヤツに振り分けるのだ。
何を基準にーーー。
仕事っぷり?
男っぷり?
女っぷり?
ゴマすりっぷり?
要するに、時の所属長に気に入られなきゃ、なんにしても駄目なのだ。いくら仕事が優秀だって、課長に嫌われれば、そのような評定にされる。
年に2度は人事異動がある。
課長が代われば、新しい課長がどんな人間なのか、上を狙っているやつは、気になるに違いない。どんな人間にも合わせられるタイプじゃなきゃ、出世は出来ない仕組みだ。

「おい、沖田、この春入隊してきた吉村とかいう、南部訛りの強いやつ。ヤツは、つかえるか」
 副長の土方は、急激に膨れ上がった組織の人事に連日、頭を痛めている。
 昨年の秋、近藤がじかに江戸へ出て、伊東とかいう気取ったおかしな奴と、その一派10人ほどを入隊させてしまった。土方は、どうしてもこの伊東とは肌が合わない。
そのほかにも40名は昨年中に入ったし、今年に入ってからも、土方が江戸へ下って、またまた50人ほど入隊させた。だから、新選組の所帯は一気に、優に100を超える組織に膨れ上がっていたのである。
「ええ、思いのほか、出来ます。ヤットウの方も、かなり出来ますから、即、剣術師範でも勤まると思われます」
「そうか。―――ここで、人材が欲しい。人物としてはーーー」
「そうですね。私には、土方さんほど人を見抜く力はありませんが、信用できる人物に見えますね」
ニ三度うなづく土方。
「ただし、土方さん。あの人には、一つ難点がある」
「―--」
「金に汚いというか、執着が強すぎるんです。だから、進んで死番をやりたがる」
「なぜだ」
新選組はこの春、手狭になってしまった前川、八木邸を引き払って、ここ西本願寺に本陣を移したばかりだ。
慶応元年の夏はやけに暑い。
北集会所の正面に据えてある大きな階段に座って、うちわを仰ぎながら沖田は言う。
「皆が言うには、どうやら、その金をせっせとふるさとの南部へ仕送りしているらしいですよ」
「そういえや、思い出した。俺が最初に接見したときも、奴はそんなことを臆面もなく言っていた。でも、そのくれえのほうが、返っていい。迷いがないからな。-――自分の仕事に忠実に、余計な雑念ってものが入らねえのがいいんだ。そういう意味では、総司、おめえも同じだ」
 何だか、土方に侮辱されたような気になってしまった総司。
 不満そうな顔をのぞかせた。

 新選組には、出世向きのタイプとそうでないのがいる。永倉新八や原田左之助は近藤土方のやることなすこと、いちいち批判的で、元来、出世できる向きではなかったが、試衛館からの付き合いでそれなりの役職はつけてやらなきゃならない。副長助勤は仕方ない。
武田観柳斎、谷三十郎なぞは、幹部から嫌われる性格であった。だから、出世どころか二人ともとうとう、内部から粛清されてしまっている。
この辺りは、実力とはあまり関係ない。あくまでも、土方の眼鏡にかなっているかどうかが問題なのである。
どこの組織にも、土方的幹部はいるものだ。

古都「京都」の保存論争

『玉木正之』と言う人のブログを読むのが好きだ。
この人、何が専門なのか、良く分からない。
最近の売れている著書を見ると、例の、あのダ・ヴィンチの鉛筆書きのような男の裸を表紙にした「スポーツ解体新書」や「日本式サッカー革命」というのがある。
マルチタレントで、様々な場面で活躍している。

最近、こういう人がやたら多い。
テレビで、バラエティー番組が盛んで、どこの局もお雛様のようなひな壇を作って、芸能人やスポーツ選手、お笑い芸人を並べて、ただ無意味に笑わせる番組だらけだが、「あの人、なにやってる人だろう」と、素性の分からない人も大勢出てきている。

こういう風に、ああゆうお笑い番組を批判的に言いながら、気が付くと、紳助の”トーク”にツイ引き込まれて、イツしか馬鹿笑いしている自分に腹が立つのだが、とにかく、何が本業なのか分からない芸人(?)が増えてきている。
玉木氏は、いつも視点が斬新で興味深く、立派なお方だと僕は尊敬しているのだが、最近の彼の主張で、どうも良く分からないのがある。
それは、【祇園町の「生活」=「文化」】というタイトルのブログの中のことだ。
こう書いてあった。
  いまから十年くらい前、祇園町で見習いをしていた舞妓が何人か、置屋から逃げ出すという事件が起きた。厳しい「お母さん」のしつけに耐えられなかったのか、はたまた、綺麗な衣裳に憧れてはみたものの、封建的なしきたりや人間関係が嫌になったのか、詳しい事情は知らないが、現代ギャルと伝統の世界のギャップという構図を思えば、さほど驚くべき事件とは思えなかった。
 が、その事件を報じた東京のテレビ局のニュース・キャスターの言葉には仰天させられた。
 「男たちの宴会を盛りあげる舞妓がいなくなったところで、何の問題もありません。それよりも、いま、京都で憂うべきは、京の町屋が次々と潰され、醜いペンシル・ビルに変貌していることです。そのような京都の町並みの破壊こそ大問題で・・・」
 その言葉を聞いたとき、わたしは、思わず「冗談じゃない!」と、テレビ画面に向かって叫びそうになった。
 「われしのぶ」の髷を結い、だらりの帯を絞めている舞妓は、「男たちの宴会を盛りあげる」ために存在しているのではない。その衣裳は室町時代の京の商家の娘の姿であり、地唄を謡い、京舞を舞い、華道、茶道、習字、日本画を学び、大谷崎(谷崎潤一郎)にも絶賛された舞妓たちの末裔である彼女らは、京の文化の実践的担い手にほかならない。

僕は、ここ数年、自分の仕事や著述のための取材で、京都へは随分行った。そのたびに思ったことは、町の景観のことだった。
何か、雑然としているのである。
整理されていないと言うか、統一性がないというか、成り行き任せで開発が進んでいるように感じていた。
京都府と京都市との共通認識があって、文化財の保存や都市整備なぞが行われているのかと言うと、全然違っていって、何の連絡もなく、むしろ互いに考えや意見が違ったまま、いがみ合いながら、つまり【成り行き】で行政が行われているらしい。
(このことは、これで殆ど間違いない。京都国立博物館で『新選組展』を行うにあたって、何度か会議を重ねたが、府の観光担当者と市の担当者は、全然会話が成立していなかったのを思い出す)

あの『燃えよ剣』で土方を演じた栗塚さんと「幾松」へ行ったとき、彼とそこの女将が京都の街中の開発や整備について、嘆いていたことがあった。
様々なお話をなさっていたが、確か、三条と四条の間の鴨川に、『フランス橋』なるものを架ける架けないでもめている話を、お二人がしていた記憶がある。
市と府が、とにかく、伝統的に仲が悪くてどうしようもない、だから景観も文化財保存計画も連絡調整がないまま進められ、いい加減だと落胆していたのです。
新選組同好会の横田氏も、同じような意味で嘆いておられ、彼自身が出資して、壬生に新選組関係の道標を建てたと嘆いていたのを思い出す。

僕は、京都へ行くときは、金がかかるので夜行バスが多かったが、あの京都駅の趣のなさには、今でもあきれるばかりだ。もう少し、古都にふさわしい発想があってもよさそうなもんだと思うがーーー。
あの駅舎のでかさは、今建設中の東京競馬場のスタンドに匹敵する。黒っぽくて、重厚で異様に迫り来るんだよね(変なたとえで、申し訳ない)。

おっと、いつもの癖で、またまた話がそれてしまった。
玉木氏は、思わず「冗談じゃない」と叫びそうになったらしいが、僕は、テレビのキャスターの言うことも良く理解できる。
そのとおりだと、言いたい。
むしろ、「京の文化の実践的担い手にほかならない」と言う表現に抵抗を感じる。
そうか?
まあ、そうかもしれない。
でも、彼女(舞妓さん)たちって、昔は、家の事情なぞで(殆ど人身売買的に)置屋に入ってきたのかもしれない。でも今は、(これは今川町のお母さんと言われる人にじかに聞いた話だが)親子で置屋にやってきて、最初は、事情聴取をする。
それから、娘さんが、まずは一週間お試しに一緒に暮らしてみる。それで大丈夫なら、さらに一月ぐらい、舞妓の修行に入ることをするらしい。最初は、京言葉から始まって、何よりもまず礼儀作法が大事だそうな。そして、歌舞音曲の稽古に励むし、確かに茶道や華道も身につけるらしい。だから、遊ぶ暇なぞは今でも殆どないのが実情だ。
これで、イヤなら、自分の家に戻るのも他の仕事を探すのも自由なのだ。
こうしなければ、今の15~6歳の娘たちは集められないといっていた。
こうした意味では、確かに「京の文化の担い手」と言うのもわからないではない。でも、キャスターの言うように、「男たちの宴会を盛り上げる」ための存在と言うのも、一面当たっている。それも、超が付くほどのお金持ちや企業なぞの(役所もか)経費でしか遊べないほど高価で贅沢なものなのだ。

こういう遊びをする人間と言うのは、それがその人のステータスであって、「俺は、舞妓を上げられるほどに出世した」「京都に芸子を囲うまでになった」と大概が、顔面に笑みがこぼれて、子分たちを従えて、ふんぞり返っている。
僕は、何回も京都へ行く機会があって、そういう座敷の末席に運よく座ったこともあったが、京の伝統文化を感ずるよりも、そいつらのいやらしさの方をより実感させられた記憶がある。

要は、どっちが大事かってことより、両方とも大事なことだと言うことか。だって、確かにペンシルビルってものが乱立しているのは本当だし、もう少し考えて欲しいなと、何度も思った。
また、舞妓さんが京都からいなくなったら、それこそ”趣”が失せてしまうのも、本当だ。

三条と四条の間に、フランス風の橋がかかるのは、僕的にはよして欲しい。だって、そんな橋が出来たら、せっかく京都まで来たのに、古都の風景を写真に収める気分になれないよ。

中大のスウィング・クリスタル、素晴らしかったよ

そして、最近のニュースから。


ここのところ、僕のブログは、明るい内容の記事が少ないように思う。
それは、この国の中で起こる様々な出来事が、いわゆる暗い、あきれてしまう事件が多いからなのかもしれない。

一番最近のは、一昨日のことで、朝日の記者が読売の記事を拝借したアレ。
次は、「女性は産む機械」発言。
僕らだって、あちこちで発言する機会がありますよね。そういう時って、誰だってこの手の差別発言は、絶対にしないように、かなり気をつけるはずです。それも、厚生労働大臣という、わが国で少子高齢化に関する最高責任者、権力者の失敗。
僕も、一度だけ失敗がある。
日野市が、佐藤彦五郎の屋敷を買い取って、『日野宿本陣』にして、大河ドラマの年にたくさんのお客さんが来ているとき、毎朝、あの広い母屋を一人の若い女性が箒ではいてから、雑巾がけをしていた。冬は、暖房もないから、手足がしもやけになるんですよ。
ぼくは、つい、言ってしまった。
「きっと、いいお嫁さんになれるよ」
そばで聞いていた人が、
「あっ、それ、差別発言」と、言った。
そのときは、暫く、その意味が分からなかった。だけど、時間を置いて考えてみると、なんとなく分かってきた。
ぼくは、そうとう鈍感なのか。

今でも、「このくらいはいいじゃないか」と言う思いはあるのだが、この時代、違うのだ。一度、発してしまった言葉は取り消せない。僕は、差別発言をした男にされてしまった。今、わが組織内では、このての差別を弾劾する運動が盛んなので、気をつけないと大変なことになる。まして、国務大臣となれば、相当な気の使い方が必要だろうニ。
いくら弾みだとはいっても、常日頃潜在的にそういう意識があるからなんでしょうね。

又、あきれるのは、チリだがどこか忘れたが、例の青森で起こった公金横領をそそのかしたアニータとか言う女が、どうして日本に来ているのか。又、それ以上にアキレルのが、日本のマスコミが追い回して面白がっていること。
そして、東電でしたっけ、原発で、ズート、何年もの間、隠し事していたってコト。こういうことは、きっとあるに違いないと、僕は思ってきたが、現実に「ありました」と突きつけられると、無性に腹が立つ。
原子力発電所ですよ、普通の企業とはわけが違う。

まだある。
普通の企業の不二家。
これは、もう、何もいわなくても誰でも知っているから、書かない。
でも、一言。
こんなこと言うと、皆さんから顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれないが、アレ、期限切れの材料を使っていたってコトですよね。このこと自体はよくないが、そんなに罪が重いのかなあ。だって、死亡したとか病人が出たとかでもないしーーー。それに、どこのうちだって、冷蔵庫の期限切れの食品、食べてますよね。若し、それらをすべて捨てていたら、それこそ『もったいない』。
みんなでよってたかって、潰してしまうってやりかた、なんとなくやだ。
もう、あの企業、きっと立ち直れない。だから、山崎パンだかが手を差し伸べてきたらしい。合併するのかなあ。
何年か前に、雪印の事件があった。日野にもこの企業の工場があって、ズタズタにされていた。工場長が、明日自殺してもおかしくないほどやつれていたのを思い出す。
あの馴染み深い『雪印』というネームが使えなくなってしまったから、現在は『メグミルク』と呼んでいる。

誰か一人、悪いのが出ると、徹底的に潰しにかかるのが、わが国の性癖。
人ばかりでなく、最近では企業も。政治家も。みーんな、やってることなのに、明るみに出てしまったところが運が悪い、そいつだけの問題だと片付けられる。もっと悪い巨悪は、それで助かるって寸法。

それから、「あるある大辞典」の納豆。
ああゆう体質は、どこの民法のテレビ局にもキット(絶対だろう)あると確信する。
当たり前だ。出来るだけ安く制作費を上げるために、下請けに競争させるでしょう。そして安いところに落とす。
制作費をかけられないから、下請けは、金かけないで番組作るもんね。ああゆうインチキは、この国の中、どこでも起こっているんじゃないかな。
うちの組織だって、委託費を安く上げるために、毎年予算をぶった切る。企業は採算ぎりぎりで入札してくるでしょう。中には、赤字覚悟のところも。だって、仕事きられるのは忍びないから。
でも、そこは企業だから、採算にあわないことはしない。だから、手抜き工事をはじめ、見えないところをごまかすような算段をめぐらす。誰だってそうする。
でも、違反だから、相当ヤバイ。
見つかったところが、犯罪者として裁かれる。
あの、耐震構造を誤魔化したアネなんとかいう設計事務所だって、生け贄にされた。それが、この国のやり方。
不二家関係は、書かないつもりでいたが、ツイ、言ってしまった。―――問題発言。

ため息が出るだけで、いうのもいやになるのが、頻発する身内の殺人事件。それも、バラバラですよ。
気の毒なのは、当選したばっかしの宮崎県知事。
何で、あそこの鶏だけが、あんなインフルエンザにかかるの。
不思議だ。

1月24日の祝賀会。
絵美子さんのコメントに対して、その日のうちにご返事しましたが、ここでも簡単に。
あの時も、書きましたが、中大のスウィング・クリスタルっていうフルバンド、さすがに上手でした。
みんなまだ20歳前後で、もちろんベースを弾いていたのも若い女性だ。この人が結構うまい。ドラムも女性で、いい迫力だ。
一部がジャズの演奏で、グレンミラーものが殆どだったが、サウンドが正確で、しかもやわらかくて優しい。僕は、こういう演奏が大好きだ。
何で、この子達にこんな音が出せるのだろうと、不思議だった。
正直、頭が下がった。
二部が歌謡曲。
『川の流れ』に始まって、『見上げてごらん夜の星を』、『昴』『琵琶湖就航の歌』『雪国』『学生時代』『命くれない』『ふるさと』と、僕がコンダクターになって演奏したが、想像以上のいい音を出してくれた。
いま、MDからCDにダビングしている。
皆さんに、聞かせたいよ。
中大のスウィング・クリスタル、覚えておいてくださいね。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






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