『玉木正之』と言う人のブログを読むのが好きだ。
この人、何が専門なのか、良く分からない。
最近の売れている著書を見ると、例の、あのダ・ヴィンチの鉛筆書きのような男の裸を表紙にした「スポーツ解体新書」や「日本式サッカー革命」というのがある。
マルチタレントで、様々な場面で活躍している。
最近、こういう人がやたら多い。
テレビで、バラエティー番組が盛んで、どこの局もお雛様のようなひな壇を作って、芸能人やスポーツ選手、お笑い芸人を並べて、ただ無意味に笑わせる番組だらけだが、「あの人、なにやってる人だろう」と、素性の分からない人も大勢出てきている。
こういう風に、ああゆうお笑い番組を批判的に言いながら、気が付くと、紳助の”トーク”にツイ引き込まれて、イツしか馬鹿笑いしている自分に腹が立つのだが、とにかく、何が本業なのか分からない芸人(?)が増えてきている。
玉木氏は、いつも視点が斬新で興味深く、立派なお方だと僕は尊敬しているのだが、最近の彼の主張で、どうも良く分からないのがある。
それは、【祇園町の「生活」=「文化」】というタイトルのブログの中のことだ。
こう書いてあった。
いまから十年くらい前、祇園町で見習いをしていた舞妓が何人か、置屋から逃げ出すという事件が起きた。厳しい「お母さん」のしつけに耐えられなかったのか、はたまた、綺麗な衣裳に憧れてはみたものの、封建的なしきたりや人間関係が嫌になったのか、詳しい事情は知らないが、現代ギャルと伝統の世界のギャップという構図を思えば、さほど驚くべき事件とは思えなかった。
が、その事件を報じた東京のテレビ局のニュース・キャスターの言葉には仰天させられた。
「男たちの宴会を盛りあげる舞妓がいなくなったところで、何の問題もありません。それよりも、いま、京都で憂うべきは、京の町屋が次々と潰され、醜いペンシル・ビルに変貌していることです。そのような京都の町並みの破壊こそ大問題で・・・」
その言葉を聞いたとき、わたしは、思わず「冗談じゃない!」と、テレビ画面に向かって叫びそうになった。
「われしのぶ」の髷を結い、だらりの帯を絞めている舞妓は、「男たちの宴会を盛りあげる」ために存在しているのではない。その衣裳は室町時代の京の商家の娘の姿であり、地唄を謡い、京舞を舞い、華道、茶道、習字、日本画を学び、大谷崎(谷崎潤一郎)にも絶賛された舞妓たちの末裔である彼女らは、京の文化の実践的担い手にほかならない。
僕は、ここ数年、自分の仕事や著述のための取材で、京都へは随分行った。そのたびに思ったことは、町の景観のことだった。
何か、雑然としているのである。
整理されていないと言うか、統一性がないというか、成り行き任せで開発が進んでいるように感じていた。
京都府と京都市との共通認識があって、文化財の保存や都市整備なぞが行われているのかと言うと、全然違っていって、何の連絡もなく、むしろ互いに考えや意見が違ったまま、いがみ合いながら、つまり【成り行き】で行政が行われているらしい。
(このことは、これで殆ど間違いない。京都国立博物館で『新選組展』を行うにあたって、何度か会議を重ねたが、府の観光担当者と市の担当者は、全然会話が成立していなかったのを思い出す)
あの『燃えよ剣』で土方を演じた栗塚さんと「幾松」へ行ったとき、彼とそこの女将が京都の街中の開発や整備について、嘆いていたことがあった。
様々なお話をなさっていたが、確か、三条と四条の間の鴨川に、『フランス橋』なるものを架ける架けないでもめている話を、お二人がしていた記憶がある。
市と府が、とにかく、伝統的に仲が悪くてどうしようもない、だから景観も文化財保存計画も連絡調整がないまま進められ、いい加減だと落胆していたのです。
新選組同好会の横田氏も、同じような意味で嘆いておられ、彼自身が出資して、壬生に新選組関係の道標を建てたと嘆いていたのを思い出す。
僕は、京都へ行くときは、金がかかるので夜行バスが多かったが、あの京都駅の趣のなさには、今でもあきれるばかりだ。もう少し、古都にふさわしい発想があってもよさそうなもんだと思うがーーー。
あの駅舎のでかさは、今建設中の東京競馬場のスタンドに匹敵する。黒っぽくて、重厚で異様に迫り来るんだよね(変なたとえで、申し訳ない)。
おっと、いつもの癖で、またまた話がそれてしまった。
玉木氏は、思わず「冗談じゃない」と叫びそうになったらしいが、僕は、テレビのキャスターの言うことも良く理解できる。
そのとおりだと、言いたい。
むしろ、「京の文化の実践的担い手にほかならない」と言う表現に抵抗を感じる。
そうか?
まあ、そうかもしれない。
でも、彼女(舞妓さん)たちって、昔は、家の事情なぞで(殆ど人身売買的に)置屋に入ってきたのかもしれない。でも今は、(これは今川町のお母さんと言われる人にじかに聞いた話だが)親子で置屋にやってきて、最初は、事情聴取をする。
それから、娘さんが、まずは一週間お試しに一緒に暮らしてみる。それで大丈夫なら、さらに一月ぐらい、舞妓の修行に入ることをするらしい。最初は、京言葉から始まって、何よりもまず礼儀作法が大事だそうな。そして、歌舞音曲の稽古に励むし、確かに茶道や華道も身につけるらしい。だから、遊ぶ暇なぞは今でも殆どないのが実情だ。
これで、イヤなら、自分の家に戻るのも他の仕事を探すのも自由なのだ。
こうしなければ、今の15~6歳の娘たちは集められないといっていた。
こうした意味では、確かに「京の文化の担い手」と言うのもわからないではない。でも、キャスターの言うように、「男たちの宴会を盛り上げる」ための存在と言うのも、一面当たっている。それも、超が付くほどのお金持ちや企業なぞの(役所もか)経費でしか遊べないほど高価で贅沢なものなのだ。
こういう遊びをする人間と言うのは、それがその人のステータスであって、「俺は、舞妓を上げられるほどに出世した」「京都に芸子を囲うまでになった」と大概が、顔面に笑みがこぼれて、子分たちを従えて、ふんぞり返っている。
僕は、何回も京都へ行く機会があって、そういう座敷の末席に運よく座ったこともあったが、京の伝統文化を感ずるよりも、そいつらのいやらしさの方をより実感させられた記憶がある。
要は、どっちが大事かってことより、両方とも大事なことだと言うことか。だって、確かにペンシルビルってものが乱立しているのは本当だし、もう少し考えて欲しいなと、何度も思った。
また、舞妓さんが京都からいなくなったら、それこそ”趣”が失せてしまうのも、本当だ。
三条と四条の間に、フランス風の橋がかかるのは、僕的にはよして欲しい。だって、そんな橋が出来たら、せっかく京都まで来たのに、古都の風景を写真に収める気分になれないよ。
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