村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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今年は、「第九」コンサートの年

僕の仕事は、昨年の3月までは『新選組のふるさと歴史館』の館長をしていたが、その後は、”芸術文化担当主幹”を命ぜられて一年を経過した。
  今年の初め、恒例の市長の年頭挨拶というものが市民会館であった。その冒頭、市長は「今年のテーマは、”藝術文化の薫るまち“にする」と発言した。
  その後、直ちに僕は呼ばれて、「何か相応しい事業を考えてくれ」といわれたので、数日後に、『第九コンサート』を提案した。
うちの市長はオペラに理解があるので、すぐにOKをもらうことができた。

実は、僕は以前市民会館に勤務していたことがあって、今から12年前にも『第九』はやったことがある。
そのときも、本番までの行程は大変な準備、様々なトラブルがあって相当苦労した記憶があるが、コンサートはすばらしいもので、自分は歌ったわけではないが、大きな感動を味わった記憶がある。
昨年から、僕が芸術の仕事に就いたことを知って、「もう一度、第九をやりたいね」という声が、以前歌ったことのある市民から度々寄せられてきていたので、この実現は、第九好き、コーラス好きの日野市民には大いに喜ばれたのである。

そこで、4月には、「第九実行委員」を募集し、5月には「第九を歌う日野市民の仲間」を募集した。
合唱団は180人募集だったが、あっという間に応募締め切りになってしまった。市民会館のステージには200人が限度だといわれているのだが、既に240人が練習に通ってきている。様々な事情で目減りすることを想定してのことだが、危ない橋渡りである。

それにしても、日野市民というのは、芸術文化的な雰囲気には特に敏感で、こういうことには大きく敏感に反応する。この間、第一回の合唱練習が行なわれたが、その熱気たるものは圧倒されるものがあった。
このとき、ケーブルテレビが取材に訪れてくれたが、いきなり第4楽章の、例の、「歓喜の歌」の部分から入った。指導者の粋な計らいだろうが、初心者は2~30人で、約200人は経験者だから、殆んどの人が歌えちゃうのだ。
あまりの迫力に、僕は圧倒された。ケーブルテレビのディレクターは、もっと驚いていた。
合唱団の募集は、日野の広報で最初にPRし、その後新聞などで補おうと考えていたのだが、補う必要が全くなかった。日野市民だけで240人なのである。初回から、本番前夜のような勢いがあり、この模様は翌日からケーブルテレビで放映された。

ちなみに、今回の「第九」の概要をお知らせしておく。
何しろ、ソリストたちが傑出していて、「地方で行なう第九のコンサートで、このソリスト陣はあまりに豪華すぎる」と、ご批判いただくほどの配役だ。
これは、テノールの村上さんが日野の出身で、以前からの知り合いであったから、彼の紹介で実現した。また、お母様の悦子さんも美しい声のソプラノであるが、僕は彼女を新選組フェスタのとき、一日かけて新選組めぐりでご案内したことがある。
次のようである。
 
ソプラノ 佐藤美枝子
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アルト  森山京子
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テノール 村上敏明
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バリトン 堀内康雄
20070630215514.jpg


オペラ好きの方なら既にご存知だろうが、この人たち4人とも、今年のNHKニューイヤーオペラコンサートに、ソリストとして出演していた。また、1月に渋谷のオーチャードホールで行なわれた【ラ・ボエーム】でも、皆さん主役か脇役で出ていた。
指揮者は北原幸男、オーケストラはTAMA21管弦楽団である。
12月24日(月・祝)午後2時開演
日野市民会館大ホール
入場料 3千円(予定)
9月から発売予定
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【沖田ツアー】第1弾!

沖田周司さんのお店でお食事をしませんか。
―――先着10名。

6・10の“沖田総司フェアー”―――大成功。

6月10日(日)に、日野の新町交流センターで沖田周司さんを迎えてトークを行なった。
この企画は、日野宿文書検討会主催の勉強会の中にそのコーナーが設けられたものだが、僕が最初1時間ほど、沖田家と沖田総司についてお話した後、彼とのトークに入ったものだった。

お客様の中には、沖田家と縁の深い方々が、何人かお見えになった。まず、井上本家の雅雄さん、分家の信博さん、そして宮原家から昨年亡くなった久雄氏の奥様がお見えになってくれた。また、佐藤家から彦五郎資料館館長の福子さんご夫婦もいらしてくれた。

沖田関連で、これだけのメンバーがそろうのは、きっと、初めてのことに違いない。
宮原家から、こうした場に出てきてくれたのは画期的なことだ。これまで、谷春雄氏をはじめ何人かの人たちが、宮原家の取材はしたことがあっただろうが、あちらからご足労していただけたのは、今回が最初であろう。
この4家が、この日をきっかけに、今後も姻戚関係が結ばれるかもしれない。夢が膨らむ。

沖田家は、江戸の末期からズート日野にいたことはわかっているのだが、(一時的には都内の四谷方面に住んだか)明治に入っても日野にいた。
おミツさんの長男の芳次郎さんと孫の重治さん、その弟の要さんまでは、日野宿の北原(きたばら)にいた。
要さんの代に立川の柴崎町に移った。何か不都合なことが起こって、日野とは縁切状態だったと聞いていたが、今回参加してくれた分家の信博さんは、「要さんは、立川から分家によく遊びに来ていた」と証言してくれた。
考えてみれば、要氏のすぐ上の兄重治は22歳で若死にして、どういう訳か日野の宮原家の墓(薬王寺)に葬られている。日野に縁がなくなってきたのは要氏の子の勝芳氏の代からか。
でも、今回その勝芳氏の子の周司さんが来てくれて、たくさんお話してくれた。再び、沖田家の人が日野の地を踏むようになったのである。
(本日6・14、ある書物を読んでいたら、井上本家の前のご主人信衛さんが昭和51年に書いた文章の中に、「沖田勝芳氏がお見えになったので、沖田家ゆかりの品で『秤』をプレゼントした」と書いてあった。だから、井上家と沖田家との交流は、途絶えたことはないのである。)

様々な話題が出たが、皆さん関心の深いのは、総司が本当に北辰一刀流をしていたのかということだ。
周司さんはその免許皆伝を見た記憶があると言っておられたが、それは兄の整司さんのところにあるという。沖田家の先祖伝来のものは、長男の整司さんのところに集中しているという。
だから、周司さんも整司さんの許可を貰わないと、持ち出したりコピーしたり出来ないのだ。
これから、折を見て、ゆっくり兄弟でお話をしてゆくということだった。

ところで、以前このコーナーにも書いたが、周司さんは立川の高松町で小さなお店を開いている。
その店の名は、『MAMMA』というのだが、食事がうまいので有名だ。勿論バックは常にJazzが流れている。
(たまには、僕のCDも流れる)
カウンター越しに、周司さんと奥様が応対してくれますよ。

そこに、行って見たいという方が何人かいたので、皆さんでお邪魔する計画が進んでいる。小さなお店なので、10人しか募集できない。
行ってみたい人は、僕にメールをください。
日程は、以下のようです。

 集合日時   7月7日(土)18時
 集合場所   JR立川駅改札口
 目的地    ミニjazz live『MAMMA』(徒歩、約5分)
 会費     4,000円(食事と飲み物代含む)

沖田総司と沖田家について6月10日にお話しするのだが、なんと子孫四家が大集合か

沖田総司を取り巻く姻戚関係については、沖田家を始め井上本家、分家、宮原家が関係している。
宮原家の存在については、以前は無視する歴史研究家や専門家が多かったが、近頃は泰助の手紙の下書きが公になってから、無視はできなくなってきたのだろう、随分と取り上げられるようになってきた。

泰助は、井上源三郎の甥で、12歳で慶応3年から新選組に参加し、鳥羽伏見で戦闘に参加した。戦死した源さんの首級を持ち歩いていたことで有名だが、松五郎の後を継いで井上本家を守っていた。
泰助の妹”ハナ“と沖田家の長男芳次郎と縁談話が持ち上がったが、このときに、多少のトラブルが起こったらしい。その原因は、よくわかっていないが、そのときに、泰助がミツ宛に手紙をしたためた。

この手紙は、その下書きが残っているが、残念ながら、途中で切れている。
これは、あまりに生々しい内容が遠慮なく書かれていたので、後で関係者が切り離したものか。それとも、泰助自身が途中で書くのを止めたものか。

いずれにしても、その下書きで、これら4家の関係が初めて明らかにされたといってよいだろう。
それまでも、いろんな角度からそのての噂話や聞き伝えのような伝承はされてきていたのだが、これで確定されたといってよい。
なぜなら、この手紙の中で、泰助は主に井上家と沖田家の因縁が深いことを(ミツを相手に)確かめ合っているからである。
親戚同士で、お互いの関係の嘘話を書いたって、何の得にもならない。そんなことは、ありえない。
そこには、真実が書いてある。
だから、第1級の資料なのである。

この本物を、井上資料館で拝見することが出来る。この資料館は、展示されている件数は決して多いほうではないが、井上松五郎の旅日記といい、新選組関連の第1級資料が展示されている。この松五郎日記も、元治元年の富沢忠衛門の「旅硯九重日記」と並んで、新選組を知る上では、大変貴重な資料である。
僕自身、刀というものには大して関心がない。
なるほどと、思う程度である。だって、それからは、歴史を紐解く何も見えてこないからだ。
それに反して直筆の手紙や特に日記なぞは、なぞに包まれている新選組の真相を追究する上で、最上のものだと思っている。
あの、土方歳三の伸びやかで美しくもある筆致を眺めているだけで、実に楽しい。ああゆう、のびのびとした書体で手紙が書ける歳三の人間性というものは、どうだったのか。それに反して、総司の字はせせこましくもある。総司の剣術の稽古は、鋭くも強く、短気であって、下手のものが嫌がったと伝えられる。
これまで伝えられてきている二人の人物像と性格は、本当は全く逆が正しいのかもしれない。

ともあれ、日記にしろ手紙にしろブログにしろ、現代に生きる僕らでさえ多少の誇張や体裁というものを考えて書くこともある。だから、全部信用できるかは、それはそれで気をつけなきゃいけないのだが、真相は行間から読み取るしかない。

今週日曜日(10日)に開かれる「日野宿文書検討会」で、僕と沖田周司さんでトークを行なうのだが、この席に、井上本家から資料館館長の雅雄さんがいらしてくれる。彼が、分家に声をかけてくれたので、恐らく林太郎子孫からの参加もあるだろう。
僕も、宮原家にお誘いの電話を入れた。僕が親しくしてもらっていた久雄さんは、残念ながら昨年なくなった。
彼は、宮原家に伝わる様々な事柄を授けてくれた。おまけに、久五郎のあの精悍な顔写真まで貸してくれたのだった。

【総司の母親が宮原家の出であり、久五郎がその母の兄弟だという言い伝えが宮原家には厳然とある。】

ならば、久五郎と総司の顔が似ていても不思議はない。
僕は、この顔写真をこのコーナーで紹介した(詳しくはこちら)。随分と反響があった。久雄さんには、心底感謝している。75歳だった。
彼は、薬王寺の墓の下に眠っている。芳次郎の長男重治は23歳で若死にしたが、麻布の専称寺ではなく、何の因果かここに眠っている。
謎だ!
沖田家は次男の要が継いだ。周司さんはこの要さんの孫に当たる。
宮原久雄さんの奥様は、ご健在である。昨日、お誘いしたら、参加する意向を示してくれた。若し実現すれば、沖田家、井上本家、分家、宮原家が一同に会することになる。

皆さん、来てみたらいかがですか。
今回創立三周年を記念して、日野宿の史料「上佐藤家上段の間」にあった戸袋、扇型の襖絵数点を初公開するとのことです。
(詳しくはこちらをご覧ください)

日野宿本陣文書検討会 公開例会のお知らせ

2007年6月10日(日)13:00~17:00
JR日野駅前(ファミリーマート先) 新町交流センター

沖田家ご子孫トークショーは15:00~17:00です。
30名限定 無料 事前登録はこちらから受付中

■13:00~14:00 佐藤彦五郎日記を読む 第17回 安政6年3月と4月を予定
■14:00~15:00 報告事項、史料紹介(日野宿、佐藤家縁の品)日野宿古地図など
■15:00~17:00 沖田家ご子孫、沖田周司氏トークショー(対談形式)
沖田家に伝承されてきた沖田総司に関するお話を沖田周司氏から、村瀬と対談形式で行ないます。
最初に今までの概要を説明頂き進行の予定です。

「井上泰助の下書き」「井上分家と宮原家について」「宮原久五郎の写真」ほか

詳しくは日野宿本陣文書検討会のBLOGをご覧ください。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






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