村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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幕末維新と現代

昨年は暮れにかけて、随分と忙しかったと前に書いた。
11月の第3週の土・日に高幡不動の参道で「もみじ灯路」と言う行事が行なわれたが、そこで、僕は二日間ともサックスを演奏した。
夕刻6時から8時まで、殆んどすべての電気を消して道路におかれた行灯の灯りだけにして、その雰囲気を楽しむのだが、実に趣のあるものであった。

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だから、お客さんもたくさん出て、そこで演奏できるのもやりがいのあることだった。
それに、自分で言うのもおこがましいが、とても人気があったからだ。
初日に聞いて、気に入ったので、翌日もまた来たという人もいた。
それだけでも満足できないから、他にライヴはないのかと、聞かれた。
そして、翌12月の21日の市民会館の小ホールでのライヴのチケットがその場で飛ぶように売れたのであった。

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もみじ行灯

ところで、
近年、よく幕末維新と現代が比べられる。
それは、何年も前から、「今は昭和の維新だ」とか「平成の維新だ」とか喩えられる。僕は、昨年から今年にかけての日本の政治状況を見ていると、今こそ「平成の維新だ」と言いたくなるほど時代の変革期に来ていると思いたい。

徳川は、264年間続いた。
自民党の政権は60年ぐらいか。多くの日本人は自民政権に慣れてきているし、(諦めも含めて)この国はそれでいいんだ、それでないとダメなんだと決め付けてきた節がある。
でも、それが今、音を立てて崩れだしていることは、僕ならずとも多くの人たちが実感してきている。前の首相二人が1年足らずで失脚し、今また現首相も失脚しそうである。そういうことのほか、我国が今ほど国民からあきれられている時代もない思えるほど、体たらくである。

次々に起こる偽装事件や高齢者に対する政策の失敗、年金の記録紛失・改ざん、定額給付金の迷走など枚挙に暇はない。
深刻なのは、今、そういうことが始まったとか、起こったとかではなく、終戦後、この国がず~とそのように欺瞞や虚構の上に発展してきたことに対しての落胆であることだ。

一面やむをえないか。
だって、戦争で負けて、東京は焼け野原になった。
しかし、それから20年とたたないうちにこの国は大変な復興を遂げて、オリンピックはやるし世界に誇る新幹線まで作り上げた。人々は、生きるために、汗と涙、血眼になって働き、文化的な生活を勝ち取ってきた。
そして、アメリカに続いて世界第2位の経済大国にまでなったのだ。
多少の無理や不正があっても、生きるためには、発展のためには仕方なかったのか。
大量生産、大量消費であるし、大量廃棄、大量埋め立てである。そのために、この国の自然が随分と汚されてきた。
複雑である。

そういえば近頃、ようやく、東京大空襲のことが正しく報道されるようになってきた。僕らは、学校や様々な報道で、このことを正しく教えられてこなかった。むしろ、小説や映画、テレビドラマで知ったのだ。一晩で10万人もの東京の下町の人々が死んだのだ。原爆の炸裂に匹敵するのに、その割りに、深刻に伝えてこなかった。東京の江東区や墨田区辺りにB29戦闘機によって集中的に爆撃されたのだが、今、その辺りに行っても、歴史を正しく検証できるもの、思い起こさせるものは殆んどない。
浅草や両国、本所あたりは、むしろ、江戸情緒懐かしいところとして観光地にさえなっている。

ここへ来て、これまでの歪みがまとめて出てきているように思える。
「もう、我慢できない」
だから、政権を変えるという人々が増えてきているようだ。

只、今、権力の中枢にいる人々、それを支えてきた人たちは、その深刻さに殆んど気づいていないのではないのか。
永遠と、今の政権が続くと思っているのか。いや、思いたいのかもしれない。

あの幕末だって、徳川の中枢にいた人々は、「まさか」と思っていたに違いない。薩摩や長州の田舎侍に「政」などできるはずがない。仮に、大政を奉還したからって、あの連中に政治はできないだろうから、きっと、再び慶喜にお鉢が廻ってくると信じていたのだ。
ところが、慶応3年の12月9日に、突然、王政復古の号令が発せられ、様々な思惑が錯綜して、徳川のお家取り潰しの提案がなされた。これに逆らって、鳥羽伏見の戦争に発展した。

260年続いた政権でも、ああゆう風に瓦解した。60年程度の政権が崩壊しても、なんら驚かない。デモ、今中枢にいて、甘い汁を吸っている政治家や官僚たちは一部を除いて、まだその意味がよくわかっていないようだ。

西郷と勝が最初に面会したのは、元治元年の9月で、大阪で会合した。この時に二人は、相手の人物の大きさに驚き、お互いに、この国の行く末を任せたいと思い、願った。この後すぐ、神戸の海軍伝習所が閉鎖となり龍馬たちが浪人する羽目になったが、勝は西郷にその処遇を頼んだ。(NHKは、篤姫の中で、小松帯刀が引き受けたことにしているが)
その後様々な経緯経て、無血開城の結果に繋がった。

西郷は最初、勝に会うに当たって、徹底的に論破してやろうと勢い込んでいたらしいが、トンと見込み違いで勝にやられたと後年、述懐している。逆に、どれほど知略があって大きい人物がわからないと言っている。
だって、あの時点で、「もう徳川では日本はもたねえ。あんたたち薩摩や長州が中心になって連合政府を作れ」と言っているのだ。誰だってびっくりするし、権力側にとっては大変な裏切り者である。
それが、軍艦奉行なら、即刻首になるのは当たり前だ。

今また、日本の国で裏切り者が独りでてきた。
彼は、自民党から離党してでも自己を貫き通すと言っている。
僕には、彼が、自分の中で勝海舟になりきっているように思えてならない(彼は、安政の大獄が起こっていると表現している)。ひょっとすると、自分が新しい政権の中で中枢につきたいとか、選挙で勝ちたいからとかで、物議をかもし出している程度の小さい人物なのかもしれないが、それにしても大きなかけてあるし、勇気が必要だ。
勿論、勝に比べて人物の大きさも、その行動も違いすぎるのだが、時代が変革するのを察知して先手を打ったのであろう。

僕は、こういう、混沌とした世相が大好きだ。
ようやく、この国にも大きなうねりがやってきたように思う。
このくらいの激震がなければ、世の中変わらないし、百年に一度の経済危機を立て直すには、政党の枠で理解することに無理がある。
なんにしても、面白くなってきた。
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『篤姫』の結末は、やっぱり、思った通り

再び、ナガ~イ間、ブログをお休みしてしまった。
先月12月は特に、僕の仕事が詰まっていて、実はそれどころじゃなかったのです。
毎日、自分のSaxのPlayを磨かなければいけなくてーーー。
何年かぶりで、マジになって、毎日練習に励んでいたのです。
そう、この歳になって。

先日、久しぶりに渋谷の街に出てみた。若い頃から何度も行っている渋谷駅なのに、いまだにあそこは、東口やら西口やら、出口がよくわからない。
岡本太郎の、例の、メキシコで発見されたという壁画を見たかったから行った。
デモ、今回も、場所がよくわからず、通行人に聞いて現場にたどり着けた。そこは、山手線を降りて、井の頭線に向かう通路の壁にかかっていた。
原爆が炸裂したときのものらしいが、圧倒的な素晴らしい壁画である。皆さん、是非、ご覧になって欲しい。無料だし。



渋谷といえば、あのNHKがある。
昨年は、篤姫の年でしたね。
何故、あんなにも人気が出たのか。

前にもこのブログで書いたが、NHKのことだからきっと、『無血開城』は篤姫の手柄として描くでしょうね、と言った。
最後のほうを見たが、ヤッパ、その通りだった。

西郷も勝も形無しである。

天璋院のおかげで、江戸の街は、火の海から救えた、と。
まあ、テレビドラマだから、それでいいのだが~~~。

「大河で歴史を勉強している人もいる」ってこと、『新選組!』の時に担当プロデューサーに告げたことがあった。もう、5年も前のことになるが。
デモ、聞く耳は持っていなかった。

「大河は、ドラマとして描いています、何も歴史の教科書にする考えはありません」
だと。

第1作目から、龍馬と近藤と土方歳三と桂さんと佐久間象山までが一緒に、黒船を見に行くシーンだったよね。
三谷さんだから、許されると言った人もいた。

デモ、その年、僕は、日野を訪れた全国の人々約1,000人を「新選組めぐり」で市内をご案内したが、第1作を見てから、あのドラマは見ていないという人が結構いたのを思い出す。

そう、大河を見ている人って、皆さん、随分と歴史を勉強なさっている方がいるんですよね。
考えようによっては、その方たちを無視している、もっと言えば、馬鹿にしているような感じにとられてしまうのだ。
だから、去年の篤姫と違って、あの時の視聴率は随分と悪かった。

ドラマでは、篤姫が江戸を救ったとか、日本を救ったみたいな表現があったが、そんな意識も思想もない。
彼女は和宮と一緒に、徳川家を救うために奔走したのだ。
それは、その当時、至極当たり前のことで、武家に限らず、どんな階層の女性たちだって嫁ぎ先のお家のために働き、命を掛けたのだ。

西郷さんは、明治に入って、若い衆から

「西郷ドンは、なして、そのように金物について目利きができるのでごわすか」

と、聞かれたことがあったそうだ。

「おいは、まだニセ【青年】の頃、篤姫様が徳川家に嫁ぐための嫁入り道具を探し回っていたことがありもす。その頃、金属を鑑定する能力が養われたのでごわす」と、答えたそうだ。

この位だから、篤姫と西郷さんとは斉彬の指令を受けて、一橋慶喜を14代の将軍にするために、特別な任務を負っていたといえる。
でも、皮肉にも、その二人ともがその後、15代将軍慶喜とはうまくいっていない。あの時代、この人たちに限らず、いろんな人たちが思想信条をめまぐるしく変えているから、特別驚かない。
彼女は、西郷という人間をよく知っていたし、勝海舟をもよく知っている。

最近、民放のバラエティー番組では、クイズ番組で日本の歴史を検証するコーナーが増えてきている。このことは一面良いことだが、視聴率欲しさに、ことさら面白おかしく歴史をゆがめている節もある。

昨年秋、真実はわからないが、勝海舟と天璋院篤姫が、実は、男女の関係にあったと盛んに吹聴する番組があった。
確かに、明治に入って、勝は赤坂の氷川神社のそばに住んでいたし、天璋院もすぐそばに住んだ。
番組では、幕末からそのような関係にあったのではと報じていたが。

勝と西郷に、徳川の行く末が任されていたのだから、悪いようにはならないはずだと、確信に近いものが、篤姫にはあったに違いない。
二人の性格を見抜いていたからだ。

でも、その両者ともが、味方から信用されていないのだ。
勝は、徳川の重鎮たちからは、『裏切り者』扱いされていたし、西郷は、暴発寸前の雄藩混然とした官軍を従えて、平和的解決をして、本人だけが一人『ええ格好』することに大いに戸惑っていた。
勝も、西郷も、どこかで振り上げたこぶしを下ろさせなければならなかったのだが、一戦も交えないで、そんなことが実現できるとは思っていなかった。

無血開城が実現した後、上野の戦争が旧暦5月15日に起こった。こうした、局地的な小競り合いは、西郷はむしろ望んでいたとも思える。そして、戦場が越後や東北に及んでいった。もとより、承知のことであるのだ。榎本たちが、軍艦を奪って北へ就航した。これだって、勝は、起こりうることとしていた節もある。軍艦を全部、官軍に渡さないで、一部は残して榎本に与えたのでは。

どこかで、『ガス抜き』が必要だったのである。

僕は、今から20年以上も前のことになるが、職場で労働組合の幹部だったことがあった。
闘争に入ると、徹底して組合員を奮い立たせ、スクラムを組んで労働歌を歌ってデモ行進をし、赤旗を振りかざしてストライキに入る。こうして、みんなを発奮させることはたやすいが、一転して闘争終結に入るときの難しさといったら、一通りではない。

要求していたベースアップの半分も取り得ていないのに、状況によっては、早々と闘争終結の提案をしなければならないときも多々あるのだ。
組合の幹部連中は、裏取引をしているのじゃないかとか、「満額獲得まで闘うぞ」のスローガンはどこへ行ったとか、組合員からは突き上げられてぼろ糞であり、散々であった。
こういうことが原因で、組合を抜けていく人も大勢いた。

東征軍は、徳川を倒すために三方から進行してきた。
総攻撃は、慶応四年3月15日と決まっていた。
これで、260年間ず~と我慢してきた徳川の圧制から解放され、積年の恨みつらみを晴らせるときがようやくやってきたのである。毛利なぞは、120万石以上あった領地が家康のために36万石に減らされた。長州の徳川に対する怨念は、計り知れないものがあったに違いない。

彼らにとっては、関が原のリベンジなのだ。

それを、戦わずして戦争を終結させ、なおかつ敵の大将の首もとらず、命を助けてやってなおも領地まで与えるだと、「ふざけるな」ということになる。
西郷は、徳川家に最後まで100万石は与えよと主張してきたのだが、結局70万石で決着した。


そんな、徳川に対する温情があったから、官軍の中で、西郷の命を奪えまであった。
それを、側近の桐野利秋や村田新八や別府晋介らは、味方の造反者から西郷の命を守った。

西郷も勝も、本当の敵は味方の中にあったのかもしれない。
それが証拠に、西郷さんは明治10年に、大久保利通という”竹馬の友”に殺された。
維新のやり直しをしたかった西郷の主張は通らなかった。
龍馬は「日本を洗濯したい」と、言った。幕末に若い命を落としていった人々に、「申し訳なか」と言って、西郷は心の中で謝った。

大久保は、翌11年5月に、西郷を信奉する石川県の士族に紀尾井坂で暗殺された。二人の、維新の最大の功労者の死によって、明治維新が終結したとも言われる。

その後は、伊藤博文や山県有朋なぞの長州系の人々が覇権を握って、日本が軍国主義の道へと歩むことになる。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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