村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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質のよい『武士道』に接すると気分がよくなるーーー1

僕の友人で、もう20年以上も前から一緒にゴルフを楽しむ仲間が3~4人いて、いまだに年に何回かはプレイするのだが(僕は、ゴルフは下手だ)、その中にSというパチンコの名人がいる。

奴は行き帰りの車の中で、パチンコで勝った武勇伝をするのが得意なのだが、最近は「北斗の拳」というのと「花の慶次」という台が調子がいいらしい。
特に「花の~」は打っていて楽しいと言う。

おまつリーチ3
http://www.newgin.co.jp/pub/machine/hanano_keiji/

僕は、その「花の慶次」に関心を持って、彼にどんな台なのかと聞いたことがあった。すると彼は、「戦国もの」だよと言った。

「特に慶次は実在の人物で、すごい奴なんだ」と、彼が言っていたことがあった。
もう約1年も前のことなのだが、僕はその前田慶次なるものを知らなかったが、「なんだ、村瀬さんともあろう人が知らないんですか」と言われてしまった。

僕が歴史を勉強しているので、当然その前田を知っているものと思ったらしい。
それからその前田慶次という人物を調べてみたのだが、実を言うと、俄然、今、僕は惚れ込んでいる。

僕は、ここのところ相撲道とか武士道とかについて書いてきたが、戦国武将となるとどうしても当時の武士道と言うものに関心を持ってしまう。
そして、その前田慶次という人物がどういう武将だったのかも興味を持ってしまったのだ。

回りくどいことをいっていても仕様がないから、かいつまんで言う。
彼は、加賀100万石の初代藩主前田利家の兄利久の養子である。
であるから、利家から見れば甥に当たる。
前田家の名門の出である。
前田慶次というのは、アニメの「花の慶次」で使った名であって、実際は『前田慶次郎』が正しい氏名だと言う。
背丈は6尺5寸(197センチ)もある大男であり、余りに文武に優れていて魅力的だったので、様々、諸大名家から士官の口があったが、全てを断って、今、NHK大河ドラマで、主役で話題になっている『直江兼続』と上杉景勝に惚れ込み、京から田舎の米沢に移り住み、上杉家のために働いた男である。


窮屈な金沢を捨て、京で自由に傾(カブ)いて暮らすようになる。
勝ち戦より、負け戦に助太刀したくなる胆力の座った男でありながら、恐ろしいほどの酒豪であり、風流な文化人でもあった。
伊勢物語を写本し、源氏物語を語り、千利休とも交流している。
それでいて一風変わった衣服を身にまとって、無頼な振る舞いもする。

彼は、所謂、『傾奇者』として当時、京の街では勇名だったらしい。
あの秀吉から『傾奇御免状』を貰っている。(実際、そういうものがあったのか不明だが、どんな場合でも、自分の我を貫き通してよいという許諾らしい)

『傾奇者』とは、

  「傾き者」「かぶき者」ともかく。
  “傾く”という字を書くことから、異風の姿かたちを好み、異様な様相で派手に振舞い、奔放な行動、ふざけ、戯れなどを粉って、人を驚かせるということか。
  只、単に、粋(意気)がっているだけではなくて、そこには何らかの、社会に対する(または権力)反抗なり風刺なりが混ざっていることが前提になっているのではないかと、僕は勝手に思っている。   
幕末の「ええじゃないか踊り」も、大人数で行なうものだが、よく似ている。

叔父の前田利家に逆らい、秀吉に反感を持ち、家康と戦う直江兼続を助けて米沢の上杉軍に味方して、敢えて都落ちをする。彼は、生涯を米沢で終えていて、墓もそこにある。

僕は、幕末や江戸を研究していたのだが、侍の時代のことなのでどうしても最後は『武士道』に行き着く。
すると戦国武将の武士たちの生き様を参考にせざるを得なくなる。
直江兼続も前田慶次郎も自らの『武士道』を貫き通した。
「利」より「義」を大事にした。

次回も、この二人について継続して書いてゆきたい。

良い武士道に接すると、こちらの気分も爽やかになる。
武士道とは、本来、人間の生き方そのものだからだ。
『生き方』とは『死に方』に通ずる。

昨晩、あのアカデミー賞で、映画“おくりびと”が外国語映画賞を受賞した。
マスコミは、また、例の調子で騒いでいるが、何であの作品が受賞したのか、冷静に受

け止めてみる必要があるような気がする。

外国の人たちは、あの作品から『武士道的なもの』を感じ取ったのではないだろうか。

人間誰でもやってくる『死』と言うテーマに取り組み、そしてそのことは、生ける者にとって常に「恐怖」として付きまとっているものであって、全人類の永遠の課題であることに関心を持ったのではないか。  

聞けば、納棺師という職業は世界中探してもないそうである。
また、たとえあったとしても、あのような厳(おごそ)かに美しく所作も見事に行なう日本独特の文化、風土に新鮮な関心を寄せたように思う。

あの映画を見た外国人は、これからやってくる自分の『死』を重ね合わせて、自分と遺族とのことを思いながら、「旅立ちのお手伝いをしてくれる納棺師」がいて「あのようにして黄泉の国へ旅立つのか」と感慨を深くした人もいるだろう。
日本という国に対して、改めて、尊敬の念を持った人がいるに違いない。
それは、経済大国日本などを敬うよりもっと崇高な感性によるものである。
それを見事に映画化したことに対する、喝采であるように思える。

僕は今、藝術文化の仕事をしている。

優れた藝術とは、
「人間の『生』と『死』、又はその『生き様』を必ずどこかで表現している」
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相撲道と武士道―――2

前回、『「相撲道」って言葉が歴史的にどういう風に存在しているかが、僕にはよくわからない。』と、書いた。

正直なところ、そうなのだ。
いつゴロから、その言葉ができたのだろう。

相撲そのものは、どうやら、「古事記」や「日本書紀」にも神事としてでているらしいから、相当古い。
でも、『相撲道』なんて表現はない。
やっぱり『武士道』っていう言葉ができてから、作ったのじゃないかな。
誰か、知っている人がいたら、教えて欲しい。

ところで、相撲のことを『国技』だとする考え方がある。
と言うより、そのように思い込んでいる人が多い。
デモ、誰がいつそのことを決めたんだろう。
それも、不確かで、どうやら明治42年に国技館ができてからそのようにする”風潮”が出来上がったらしい。
多くの国民がそのように思っているならそれでいいのだが、少しは疑問もある。

だって、いつものことで、これも、メディアに僕らが押し付けられて、そのように思い込まされているような気がしてーーー。
(相変わらず、ひねくれているが)
柔道は国技でなかったのか、剣道は、空手は、合気道は。相撲だけが、国技。

最近の論調では、『相撲人気が復活』と言う感じだが、ほんとうに、そう?
僕には、そう思えない。
前回の初場所は、我等特有の野次馬根性で、ちょっと覗きたくなったから視聴率が30%を一時的に越えただけの事で、今後、あの騒ぎが続くとは到底思えない。

それに、あの午後4時ごろから6時までの時間帯って、他に見るもの、ないんだよね。
せいぜい、2時間ドラマの再放送などで。
一時は、水戸黄門や大岡越前などをやっていたから、時間があると見ていたが。
デモ、大岡忠相の役を加藤剛が演じ、奥さんが土田早苗、その父親を片岡知恵蔵がやっていた時は、何か品があって上等なものを感じた。
僕だけじゃなくて、結構皆さんに人気があって、長い間あの番組は続いた記憶がある。


最近、どうしてこうも、相撲に関してよいニュースがないのだろう。
殆んど芸能ニュース化している。だから、朝のモーニングショウなどでも格好の材料にされていて、横綱審議会の脚本家や漫画家、NHKの旧アナウンサー、元横綱などが出てきて評論する。
貴乃花兄弟の確執や母親との関係、大麻騒ぎ、ビール瓶で殴った殺人騒ぎ、朝青龍の品格、相変わらずの”八百長“問題。
(どうやら、また、あの初場所の優勝決戦も、八百長でもめているらしいね)

こんな評判で、『国技』でいいのかなあ、もう、国技なんて言わないほうがいいように思うが。
それに、新弟子になる人も外国人が多いし、横綱は二人ともモンゴルだし、次の候補だって日本人は挙がってきていない。

だけど、横綱って、土俵入りしますよね。
あれ、独特の仕草、作法があって、拍手を打って、注連縄を腰に巻いて、まるで神社そのものを背負って本場所は勿論、明治神宮などでも土俵入りをする。
その二人ともがモンゴル人で、白鵬のほうはあの大鵬に相撲道を習っていると言うからまだしも、朝青龍は、どういう気持ちで奉納しているのかなあ。
金稼ぎの手段として、割り切っているのかも。

それはともかく、本題として、相撲道のお手本になったらしい『武士道』のことだが、これも、考えていると頭が痛くなってくる。
これぞ武士道、と言うものがない。

ここは、新選組中心のブログだから、いつもそれに照らし合わせて考えるようにしているのだが、彼らの武士道とはーーー。

近藤さんは、頼山陽の『日本外史』を常に座右においていたと伝わる。彼の書いた書を見ても、山陽をお手本にしたと思われる漢文のものが残っている。

『日本外史』は、頼山陽が源平の頃からの武家の家系やその盛衰を現したものだが、何よりも「皇室」を重んじ、天皇を絶対権力者として位置づけて著したから、幕末の尊王攘夷の志士たちに好まれた。
そればかりでなく、この書物は、当時としては大ベストセラーになったほど、人気があったらしい。
天皇を最上において、権力者は次々と変わるという図式で日本という国を分析していたから、当然、徳川の時代もいつかはその終焉が来ると予測している節もあったのだろう、そこに志士たちから支持される由縁があったのかもしれない。

でも、あの近藤さんがそれに没頭していたとは、面白い。
確かに、彼が、元治元年の5月に書いた2通の手紙を見ると、その影響があったと思えるところがある。
だって、あの京地で、「いつまでも市中取り締まりや志士の捕縛をしているのは嫌だ。早く、攘夷の魁(さきがけ)たる活躍をさせてくれ。でないと、新選組は解散だ」、とまで主張しているのだ。
多摩の友人に吐露しているばかりでなく、時の老中にまで上申している。
その数日後の6月5日には、あの池田屋に突入してその成果を誇っているのだから、かなり矛盾しているといえばそうなのだが、そこがまた面白い。

当時は、近藤さんに限らず、多くの人が自己矛盾していたのだ。
あの薩摩や長州自らが、外国と戦争をしてからと言うもの、いち早く開国派に変わったではないか。
背に腹は、変えられないのである。

だから、その思想も攘夷だったり開国だったり、頻繁に変わる。
徳川自らが、一番変わったとも言える。
200年以上も続けていた鎖国、自ら破った。
井伊直弼に先見の明があったとする人もいるが、そうではない。
将軍家の権威のために御三家まで罰し、全てを排斥してきた彼が、止むに止まれず、あのガチガチの保守政治家が、アメリカとの通商条約に踏み切らざるを得なかったのだ。デモ、これが引き金になって、安政の大獄を起こして自らの命を縮め、徳川の命運まで決めてしまった。
そういう時代だった。
もしかすると、この平成21年も、“そういう時代”かも。

「武士道」と言うと、新渡戸稲造のそのものの著作物を思い出すが、「葉隠」には、“武士道というは死ぬことと見つけたり”とある。
これは、意味が深くてよくわからない。
「死」を恐れない、と言うことなのか、「死んで」責任を取るということなのか、それとも「死ぬ気で」やれば何でもできると言うことなのか。
一方、主君の意向に逆らって主家のために発言したり行動したりすることこそ、真の武士道だとする考え方もある。
これは勇気がいる。
切腹覚悟である。
相手が信長や秀吉、家康などの武将なら、即刻死罪であろう。

あの戦国の世に、権力に迎合して堕落している武士を批判して自己を貫き通した武将もいる。
この続きは、次回。

相撲道と武士道―――1

昨今のニュースで、日本相撲協会の武蔵川理事長が高砂親方に対して、朝青龍の言動について注意したということが話題になっている。
先日の初場所の優勝決定戦で、勝ったあと、ガッツポーズをしたことが原因らしい。

あの人(横綱)の言動については今に始まったことじゃなくて、ここのところ相撲界にとってはマイナスイメージで話題になってきていた。

でも、ず~と、一人横綱できていたし、人気低迷の相撲を彼が一人で背負ってきていた実績から、横綱審議会からお叱りを受けようとも、世間から顰蹙を買おうとも、相撲協会は彼に頼ってきたのだろう。
しかしようやく、白鵬という強い横綱が誕生して二人になり、東西のバランスも取れて正常な形になりつつあったのだが、またまた、朝青龍は問題を起こした。

僕は、幼い頃からテレビで相撲を観戦してきた。
昭和35年頃からだが、横綱では鏡里、吉葉山、千代の山、大関では朝潮、大内山などがいて、次の世代として栃錦や若乃花が出てきた。
あの、相撲の神様とも言うべき双葉山に匹敵する大鵬が出現したのは、その後である。
あの頃は、スポーツ界のヒーローたちが直ちに映画の主演に出てくる時代で、「力道山物語」や「千代の山物語」「若乃花物語」なんていう映画を、近所の映画館に見に行った記憶もある。「鉄腕稲尾物語」なんてのも見た。

僕の、力士に対する印象と言うのは、テレビのインタビューを見ていても、とにかくしゃべらないと言う感じを持っている。
アナウンサーの如何なる質問にも、「ハー」とか、「へー」とか「ゴッツアンデス」とかしか言わないと言うように教えられてきていたのだろうが、とにかく余計なことをしゃべらないのが大相撲の力士なのだ。

ところが、近年、変わってきていて、よくおしゃべりする力士が多くなってきた。トラディッショナルな相撲関係者には苦々しいことなのかもしれないが、お相撲さんとファンやテレビ桟敷で見ている観客たちとの距離が近くなってきた。
それは、親近感ができて、それでよいと思うが。

ただ、日本に伝統として残ってきている相撲道を無視する、踏みにじる朝青龍のああした言動が何故改まらないのだろう。いくら注意しても、その時は体裁をつくろうが、全く改心している風には見えない。
『日本の相撲が、モンゴルに馬鹿にされている』、としか思えない。
礼儀も労りもいらない、とにかく、強きゃいいんだ、と言う。

朝青龍は、このまま行くと、優勝回数からして歴史に残る大横綱になるだろう。
果たして、そんなに強い力士だったのだろうか。
僕が、この50年間見てきた相撲経験からして、あの程度では、確かに強いには違いないが、大横綱までは行かない。

だって、大鵬のときの柏戸や、栃錦のときの若乃花や、貴乃花のときの曙のようなライバルがいないし、何せ大関陣がだらしがなくて、横綱を狙うような力士は一人もいなくて、むしろ角番大関ばかりで、強い人が誰もいないのだ。
だから、余計に、朝青龍が強く見えるだけのことで、運が良かったとしか言いようがない。
若しはいけないのだが、仮に同時代に、貴乃花や曙がいたら、あんなに彼は優勝できたのだろうか。

僕は、ここ一連、メディアの対応に疑問を感じるのだ。
報道に、正確さを欠いている。
この初場所で優勝したが、あれだって、優勝決定戦で勝ったからで、本割りや15日間の相撲を冷静に見ていれば、白鵬のほうが断然強いに決まっているのだが、気合とか気力とかが勝っていたぶん、朝青龍が優勝した。
むしろ、魁皇や琴欧州など大関以下の連中が、彼の気迫にだらしなく負けて優勝させたと見たい。
白鵬が優勝していれば、これほど朝青龍がちやほやされることはなかったはずだ。
むしろ、批判か。
決定戦一番勝っただけで、騒ぎすぎなのである。

それと、たまたま、初場所で、タイミングが良かった。
この時期、毎年、スポーツに関する記事が少なくて、スポーツ新聞の一面に何を持ってくるのか、内容に苦労しているのがわかる。
だから、ことさら、朝青龍は強いだの、白鵬じゃ役者不足だとか、やっぱり彼じゃなくては相撲はだめだとか、相撲界の救世主のような扱いをする。
時には、スポーツ以外の芸能関係が一面にくることもある。
新聞を売るためには、仕方ないのかも。
僕的には、翌日月曜日のスポーツ紙のトップは、マラソンの渋井にして欲しかったのだがーーー。

何でこんなことになってしまったのか。多分、相撲人気が落ちて、お客さんが減って、テレビの視聴率も5~6%台にまで落ち込んで、そのタイミングで若い新弟子も激減して、外国人力士に頼らざるを得なかったことが重なって、とにかく、朝青龍にお願いするしかなかった事情によるのだろう。

確かに、それは成功していて、この間の千秋楽は視聴率30%を越えたらしい。
デモ、それは、朝青龍が人気があってみているのではなくて、あの「やんちゃ振り」を見たいだけのことだと思っている。
果たして、展開がどうなるのかっていう関心だけなのだ。
だから、お客さんは朝青龍が負けて、一斉に『座布団を投げたい』のだったが、デモ、それができなくて、消化不良だったのだ。

でも、あのガッツポーズ問題や帰国問題で、またまた新聞は朝青龍をたたくだろう。
そうした意味では、彼もまた、日本のマスメディアの被害者だ。

本当は、ここで、武士道や相撲道について書きたかった。
そもそも、「相撲道」って言葉が歴史的にどういう風に存在しているかが、僕にはよくわからない。
それはきっと、武士道の礼儀作法から由来しているものだと思いたい。
本来は、神事としての相撲のほうが武士の出現よりは遥かに古いのだろうが、現代に生きる僕らには武士道がお手本なのか。

次回、『武士道』について、新渡戸稲造や西郷さんや内村鑑三などのことを思いながら考えて見たい。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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