村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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プラハ~ウィーン~ブダペスト―――その5(終)

この度のヨーロッパ紀行で訪れる最後の都市は、ハンガリーのブダペストである。

実は、僕は、ハンガリーという国についてよくは知らなかった。
その首都のブダペストについても、殆んど知らない。
デモ、これは、僕だけでなくて他のツアー参加者も似たようなもので、そもそもこの都市の正しい発音の“ブダ”の部分を”ブタ“と発音する人もいて、無知に近い。

ちなみに、日本語では、”ブタ”という意味はあまり良い感じでは使われないのだが、ハンガリー語でも同じらしく、”バカ“という意味もあるらしい。

ブダペストを案内してくださったミチコさんは、僕らに会って最初にそれを注意されていたから、ここを訪れる日本人はそのような間違った発音をする人が、きっと多いに違いない。

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――ミチコさんと

このミチコさん、ご主人はお隣のブルガリア人といっていた。
ブダペストには、もう20年以上もお住まいしているらしいが、日本の書物がなかなか手に入らないので、寂しいといっていた。
僕が日本から持っていっていた「人間土方歳三」をプレゼントしたら、多いにお喜びだった。
あちらの国では、日本といえば『武士道』と『極真空手』に関心があるらしい。

さて、オーストリアのウィーンからハンガリーのブダペストへの道のりだが、国境まで、2~3時間程度だったように思う。
その後、ドナウ川沿いにバスは走り、西から東へ流れていた川が突然南へと90度右折する。

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――ハンガリーの地図

この曲がっている内側の町がセンテンドレというのだが、実におしゃれなこじんまりしたところである。

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――石畳の道

ここの丘の上からドナウ川を眺めると、西へ向かって流れていたものが突然南へと方向を変えているのが、はっきりとわかる。
このとき、川の向こうに見えたのがスロバキア共和国だった。

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――僕と川向こうのスロバキア

あっ、そういえば、知らなかったんだけど、麻生さんがチェコへ行っていたんだって。
それも、再びというより、今度は、とんでもない失態をあのプラハで演じていたらしい。

あんまり、日本のメディアはそれを報道しないのはどうしたことだろう。
変な圧力がかかったか。
その失態とは、僕のこの紀行の「2」で、結構長く書いたあのチェコとスロバキアのことである。

かりそめにも、一国の首相が絶対に犯してはならないミス(無知)をしていた。
そう、今は既にチェコとスロバキアに分かれている国なのに(1993年)、記者会見の場で、「チェコスロバキア」と発言していたのだ。
僕なんかの取るに足りない人間が間違えたのと訳が違う。
日本国の首相がチェコという国を公式訪問していて、その記者会見の場でだ。
相手国に対して、これほどの侮辱は、そうあるものではない。
チェコの人々は、どう思ったのかーーー。
言葉とは、恐ろしい。
ホテルのバーで、そのような言葉を弾みで発したのとは違うのだ。

若し、ヨーロッパのある国の代表が韓国に来て、韓国と北朝鮮をいまだに一つの国として思い込み発言したら、やはり、取り返しが付かないだろう。

今は、民主党党首の辞任があり総選挙を控えている時だから、これ以上は書かない。
でも、上記のことは事実最近あったことであり、報道もされたことなので、あえて書いた。
情けない。

ハンガリーという国は、大平原の中にあった。
ということは、戦略的には大変まずい地形であり、歴史的には、様々な民族の侵略に侵されることになった。

国を守るには、山あり谷あり川あり海ありがいいのだろう。気の毒なくらい各地からやってきている。
調べてみたら、
古代にはゲルマン人、5世紀にはフン族、6世紀にはアヴァール人が平原に移住してきたらしい。
その後、8世紀にフランク王国の支配下になり9世紀にはハンガリー人が征服した。

10世紀に、ハンガリー王国が建設され、それが大国へと発展した。
ところが、13世紀にモンゴル帝国軍の襲来で甚大な被害を受け、15世紀にはいるとオスマントルコの圧力に屈することになる。
その後は、ハプスブルグ家の支配するオーストリア・ハンガリー帝国支配が続き、第一次世界大戦でオーストリアと分離し、第二次大戦後はソ連の支配下、共産主義のハンガリー人民共和国となった。

共産圏に属してはいたが、民衆のソ連に対する反発は強く1956年にはハンガリー動乱が勃発し、民衆とソ連軍が衝突して多くの犠牲者を出した。
1989年には、ハンガリーも共産党による一党独裁を放棄して平和裏に憲法を改正してハンガリー共和国とし、2004年には欧州連合(EU)への加盟をしたのである。

街のど真ん中をドナウが雄大に流れていて、その左岸と右岸がそれぞれブダ地区とペスト地区に分かれている。

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――ドナウをはさんでブダペスト

とにかく、美しい町だ。
期待していなかっただけに、先のチェコのミッシェル・クルムロフと同じく、“得”したような気になった。

前回、酒場でのライヴのことを書いたが、本当にレベルが高かった。
なんでもない飲み屋なのだが(こう言っちゃあ、ツアー会社に失礼だが)、演奏者たちの腕前はすごいの一語に尽きる。
きっと、彼らの自慢は、いかに楽器を上手に演奏するかということで競っていることなのだろう。
やたら、早いフレーズ、パッセージを連発するのだ。
表通りから二つほど裏へ入った薄暗い酒場で、日本で言えばどこだろう、銀座のライオンというビアホールがあるが、あれをこじんまりとさせて、裏道へ持っていったようなものだが。
皆さん、エンターテイナーで、とにかくお客を楽しませる。
歌も抜群に美味い。
声も良いし、表現も一流だ。
なんたって、ハンガリーだもんね。

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――酒場139

僕は、フルートも吹くが、そういえば、フルートの名曲でドップラーという人が作曲した『ハンガリー田園幻想曲』というのがあった。
素敵な曲であり、日本人好みである。
これは、超有名なので、みなさん、そのメロディーを聴けば「あれか」というに違いない。

ブダペストの魅力は、その夜景にある。
夕食を終えて、『ドナウ川ナイトクルーズ』に乗った。
ここの夜景は、ニューヨークや香港と違って、きらびやかさはないが、幻想的な雰囲気の中にあちこちに宝石箱がちりばめられている感じである。
それらが、多分、意図的になのだろう、美しくライトアップされているのだ。
昼間の街は、ドナウの薔薇といわれて綺麗だが(世界遺産)、夜もいいのだ。
ここの夜景は、ドナウの真珠とも表現されている。
電柱がないせいか、何しろここもプラハに似て、街がスッキリしているのだ。
写真をいくつか載せる。

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――昼

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漁夫の砦(Fishermans Bastion) - 写真共有サイト「フォト蔵」
国会議事堂 - 写真共有サイト「フォト蔵」



――夜 他にある。

共産国から自由な国になって、民衆たちは気分が開放感になっているせいか、多くの女性が外でタバコを吸っていた。
(この現象は日本でも同じで、男性よりも若い女性の喫煙が目立つ)
街中には、ヨーロッパの多くの都市にある道端のカフェが多いのだが、本当に喫煙している女性が目立つのだ。

また、プラハでも街中で演奏していた大道芸人がたくさんいたが、ここブダペストも多かった。
ここでもサックスを吹いている人がいたが、この楽器、旧共産地区でも人気なんだね。

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――タバコの女性と大道芸人。

これで、一通り、今回のヨーロッパ紀行についてご報告したのだが、かなり荒っぽく急いだので、きめ細かさにかけてしまった。
そういうところは、後々、補いたい。
本当は、プラハとウィーンと、ブダペストの街中のごみ処理の写真なども取ってきた。
僕は、何度もこのコーナーで言ってきたとおり、ごみの仕事をしてきた関係で、イタリアに行ったときもナポリのごみ処理についてコメントしてきたし、世界のごみ処理について関心がある。
今回も、3つの都市の分別方法に興味があったので、よくて見てきたが、どこの都市も迷っているようで、世界中、これこそ最上の処理方法だなんてものはないまま、手探りなのだ。

この廃棄物問題についても、機会があればもっと取り上げたいが、今は途中になっている直江兼続と前田慶次郎について触れたいのだ。
それと、最近新選組についても少し注目されてきているので、再び考えて見たい気持ちになっている。

[紀行おわり]
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プラハ~ウィーン~ブダペスト―――その4

《ウィーン国立歌劇場、宮殿コンサート、そしてハンガリーへ》

翌日は、朝早くからウィーン市内見学であった。
最初に駆けつけたのは、あのハプスブルグ家の城、「シェーンブルーン宮殿」である。

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宮殿 

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豪華な部屋

僕は、まだ、パリのベルサイユ宮殿には行ったことがないのだが、ここの建物の豪華さはいまさら言うまでもない。
あきれるほどだ。
世界史で習った、《会議は踊る》で有名な部屋がある。
王女マリア・テレジアが、転んだモーツアルトを抱きかかえてあげたという部屋がある。
そしたら、5歳のモーツアルトがこう言った。
「僕の、お嫁さんにしてあげる」と。
この逸話は、オーストリアの教科書に載っているらしい。

また、ここの敷地の広さといったらすごい。見事な庭園である。

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宮殿の鳥瞰図

日本の権力者の富の象徴として城や別邸が作られるが、豪華さという点ではかなわない。
例えば、今はない信長の安土城、秀吉の大阪城、家康の江戸城だが、その当時を偲ぶには、今となっては二条城が適当か。
徳川家は、264年にわたって権勢を振るい、長すぎると思っていたが、ハプスブルグ家は第一次世界大戦まで600年の統治だという。
気が遠くなる。

ウィーンの街中は、そんなに広くない。
リンクという昔城壁だった環状線の道があり、その中に大概の公共施設はあるという。
このなかを通り抜けるのに、30分もあれば充分だというから、大きくはない。

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ウィーン市街図

あの山手線の中だって、直線で抜けるには、丸1日はかかるだろう。
有名なドナウ川は街の北側を右へ流れているのだが、大したもんじゃない。

あのヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」の流れは、ハンガリーの流れを音楽にしたものではないかと、僕は勝手に思う。
翌日、ウィーンからハンガリーへバスでやはり、国境を越えて入ったのだが、殆んどドナウ川に沿ってブダペストまで行った。

BlueRose-Wiki---ドナウ川
ドナウ川の地図

ハンガリー領内のドナウの流れが、ゆったりと雄大でとっても良く、
あの曲のイメージに良くはまる。

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屋根の向うのドナウ川

日本で言えば、僕の経験からは最上川の流れのようである。
日本ラインや保津川下りのような急流を楽しむのでなく、川幅がある程度広く、ゆったり流れていて、船頭さんが艪を漕ぎながら、最上川舟歌を歌ってくれる。

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最上川の川くだり

芭蕉は奥の細道で、

 五月雨を 集めて早し 最上川

と読んだ。
最初は、「集めて多し」だったが、後で直したと、高校のときの授業で習ったことがあった。
僕には、「多し」のほうがぴったりくるのだがーーー。

最上川では、お客は、乗船する前に酒やおでんなぞを買い込んでいるから、それを頬張りながら船上から景色を楽しむ。
船頭の歌う最上川舟歌の庄内訛りが、またいい。
あの浪士組を提案した清河八郎の出身地、清川村もこの辺りである。

例の「美しき青きドナウ」というウィンナーワルツの出だしを思い出すと、最初はゆっくり始まる。
それから、だんだん早くなるのだが、この日の夜、シェーンブルーン宮殿のコンサートで聞いたその曲は、極端にゆったりと遅く始まっていた。

もう、止まりそうなくらい。
そして、徐々に徐々に、インテンポに入ってゆくのであった。
それは、あたかも、ウィーンではなくて、ハンガリー領内のドナウの流れを表現しているようである。

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ゆったりのドナウの流れ

きっと、シュトラウスはハンガリーへ旅したときに、あの曲を書いたに違いないと、思ったりした。
実は、この日の次は、ブダペストに泊まったのだが、夜飯は酒場でライヴを聞きながらのものであった。その報告は、次回に書こうと思っていたが、少しだけ言うと、
そこでの演奏も際立って上等なもので、ここら辺(東欧)の音楽芸術のレベルはすごいんだと思わされた。

思い起こせば、ハンガリーといえば、リストの狂詩曲や、ブラームスのハンガリアン舞踊など、すごいのがたくさんある。
芸術性豊かなのは、当たり前であった。
そういえば、ブラームスの舞踊の5番なぞもゆっくりだったものが早くなったり、また遅くなったりを繰り返す。
それが、極端である。
その酒場のミュージシャンたちの演奏も、大方、そのようなものが多かった。

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酒場のライヴ

そういう風土なのかなあ。
それはきっと、ドナウの流れから来ているのかも。

ブダペストというところは、街のど真ん中をドナウ川が街を二分するように雄大に流れている。
それが、この街を一段と美しく輝きを増している。次回、紹介する。

ウィーンでは、様々な施設を見たが、印象的だったのは「国立歌劇場」だろう。


夜の青い建物

オペラは見ることはできないが、歌劇場の中を見学させてもらえる。オペラハウスの職員が専門に毎日案内しているのだ。日本語もあればスペイン語もある。勿論英語もドイツ語も。だから、見学のグループがいくつもできて、午後3時に次々と出発してゆく。
さすが、ウィーンのオペラハウスだけあって、見ごたえのあるものだった。それに、僕にはステージや上手下手の様子まで見ることができたので、すごい収穫だった。

話には聞いていたが、本当に上手も下手もホリゾントの奥もステージと同じ大きさのスペースなのである。だから、ステージのセットそのものが“全とっかえ”できるようにできている。次の場面がそのままやってくるのである。
日本の芝居だと、暗転して、次の場面までの間、ステージ上で釘を打ちつけている音なぞが聞こえるが、そんなことはないのである。

客席で説明を聞いていたとき、突然、僕らの隣りのグループの中の見学の女性二人がソプラノとメゾソプラノで歌い始めた。

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客席の様子

英語だった。
それが、実に美しく会場に響き渡った。
余りの響きの美しさに、僕ならず、その場にいた世界中の見学客たちは聞き入ってしまった。
歌い終わったときは大喝采である。
僕も、思い切り拍手をしてしまった。
案内のガイドたちが、苦虫を潰したような顔をしていたが、止めないで、最後まで歌わせていた。
だって、その間、その近辺にいた見学のグループ全員が聞き入ってしまったので、ガイドさんたちは終わるまで待たされたからである。

こういうハプニングは、実に楽しい。
きっと、アメリカかイギリスの音大の学生に違いない。
歌い終わって、二人の女性は、涙を流して感激していた。

ここのオペラハウスで歌うのが夢だったらしい。

きっと、あの二人は、本国を出るときからそういう作戦を練っていたと思う。
世界最高のオペラハウスで歌おうと。
そして、自分たちの一生の思い出にしてしまおう、と。
デモ、そのときは、夜の公演準備のためにステージ上は職人たちであふれていたのである。
だから止む無く、彼女たちのステージは、オケピットのすぐ前の客席の辺りに変わった。

ところで、この日、あのウィーンフィルのコンサートがこの歌劇場のすぐ近くの「楽友協会」であったのだが、チケットがとうに売り切れでとても入れるものではなかった。
仕方なく、毎日行なわれている「シェーンブルーン宮殿コンサート」に行った。これは、開演時間が遅く夜8時30分からである。

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宮殿コンサート

フルオーケストラに比べれば人数が大分少ないが、それでも結構工夫してアレンジし、ボリューム感のあるサウンドを出していた。バレエ曲やオペラの曲も多く取り入れて、男女のバレリーナやオペラ歌手も交えてのコンサートだったが、レベルも高く、さすがウィーンを感じさせるものであった。

チケットは60ユーロだったが(約7000円)、高めである。
お客さんは約200人以上は入っていて、観光客ばかりでなく土地のウィーン子もたくさんいて意外だった。
あの人たちも60ユーロなのかなあ。
高いと思うが。

ウィーンに2泊してゆったりとできるかと思いきや、そうでもなかった。今度来るときは、ゆっくりオペラ見学かウィーンフィルを聞きたいものである。

翌日は、最後の見学場所、ハンガリーのブダペストである。
(続く)
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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