村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

時代の変革

時代は大きく変わっていた。
来年は、坂本龍馬の年らしいが。


僕が病気にかかって毎日悶々としている間に、世間では政権が変わって、世の中が大きく変化していた。
自分にとっても一大変革だったが、日本という国が、未曾有の大変革をしていた。

昨今のニュースを聞いていると、これまでの自民党政権になかった大臣や副大臣、政務官なる人たちが連日マスコミに登場して、大きい進路変更を発表し、各方面から注目が集められて大議論に発展している。

60年以上続いてきた自民政権だが(一時的に中断はしたが)、過去に危ないときも何回かはあった。でも、そのたびに、日本人の持つ保守性に助けられて、公明党の協力もあって生き延びてきた。

小泉さんが出てきたときは、「自民党をぶち壊す」といって、人気をはくし、田中真紀子さんを宣伝カーに乗せてまで選挙を戦って、多数の国民の支持を得た。
でも、その田中さんが外務官僚と闘って霞ヶ関改革をしようとしたら、小泉本人からスカートを踏まれたという。

4年前の衆議院選挙では、郵政民営化を掲げて、それが有権者から受け入れられたから勝利したということになっているが、本当にそうなのか。
僕には、いまだに、あの郵政民営化がどんなものだったのか、またその必要があったのかが良くわからない。
小泉劇場と当時言われたが、多くの人たちが彼の魔術にかかってしまっていたのかもしれない。

あの当時、大橋巨泉と言う人が民主党から立候補して大量票を獲得したことがあった。
彼は、すぐ議員を辞職してしまったが、言い続けてきたことを思い出す。
「皆さんは、小泉さんにだまされています」と。
あの当時、大勢の人が小泉支持だったことを考えると、ずいぶんと度胸のある発言だったように思える。
僕は、若い頃から、巨泉信者だったから、余計、そのように感じるのかもしれないが、彼には、競馬の予想で超人気を博したように、凡人と違う何か特殊技能を持っているような気がする。
それに、親近感を感ずる(巨泉は、もともと、ジャズ評論家であるし、最初の奥さんはヴォーカルのマーサ三宅さんだ)。

今だから話そう。
僕は、大学時代サックスも吹いてはいたが、毎週のように東京競馬場に通っていた。
分厚いノートを持って、競走馬の成績をつけて、いつも2階席のゴール板前に分捕っていた。当時は、ラジオ関東という放送局があって(今のラジオ日本)、そこに巨泉がレギュラーで予想するのだった。

昭和41~2年の頃で、競馬馬でいえば、アカネテンリュウやアローエクスプレス、タニノムーティエという馬が走っていた頃である。
彼は、確か、いつも昼の12時15分ごろ出演するのだが、その時間になると、競馬場全体が異様な雰囲気に包まれる。
シ~ンと静まり返るのである。
お客さんの多くが、イヤホンなしでその予想を聞く人が多かったから、場内が巨泉の声一色なのである。
それも、場内のスピーカーからではなくて、何千、何万という人のラジオの音の集合体なのである。
それくらいだから、彼が予想した後の倍率はそれなりに変化するといわれた。また、よく当たった。

今でも、覚えているのは、あのハイセイコーという超人気馬が出現したとき、NHK杯に出走した。
増沢末夫という騎手を背中に乗せて、返し馬(ウォーミングアップ)に入る。それがまた、見事な走りっぷりで、巨泉は「まるで、天馬だ」といった。
その結果、ぶっちぎりで勝った。
その後の、ダービーでは、圧倒的な人気で3着に敗れた。

僕は当時学生だったが、そのラジオ関東の競馬中継にゲスト出演したことがある。
学生は馬券を買うことは禁止されているから、サラリーマンだと言って偽って、巨泉の隣に座って予想をした。
その時、偶然僕の予想が当たって8800円の大穴を当てた。
当時はまだ馬連という馬券がなくて、枠連だけだったので、これはすごい穴なのである。
確か、ケンサチオーとホワイトフォンテンという2頭が1・2着だった記憶がある。
僕は逃げ馬が好きで、ホワイトフォンテンと言う馬は、逃げて逃げて逃げまくる馬だった。
そして逃げ残った。

また、巨泉がラジオで支持された原因のひとつに、彼の「反骨精神」があったからだ、と思い出す。
競馬の予想だけでなく、その当時の中央競馬会(JRA)への批判が多いのである。
歯に絹を着せぬあの調子で言いまくる。
中央競馬会が、一部の利権者にばかり気を使ってファンサービスがなってないから、日本という国はいつまでたっても競馬の後進国でいる、という。
農林省から天下った官僚への痛烈な批判を含めてのことだったのだが、それを理解できた人は、あまりいなかっただろう。
勿論、当時の僕にも、わからなかった。
それがまた、小気味よかった。
馬券のマイナスを、それで気分転換していたのかなあ。

今、これだけ、格差社会が出来上がってしまって、貧富の差ができて、子供を学校にも行かせられないなんていう報道を聞くと、愕然とする。
だって、日本という国は世界第2位の経済大国で、1億総中流なんていわれていたじゃないですか。

今、民主党が、コンクリートから国民の生活へシフト替えをしているということだが、自然な成り行きなのかもしれない。

大変革という言葉を聴くと、明治維新を思い出しますね。
江戸から明治に代わって、「本当に良かったの」と疑問を持った人たちが当時大勢いた。
あの時、果たして国民生活は向上したのだろうか。
ただ一点、きっと良かったのではないかと思われるのは、他国からの侵略がなかったことか。

でも、新しい時代は、庶民には過酷な辛い時代になったように思える。
だって、明治以降の政府は、何しろ富国強兵、殖産興業、国民には我慢をさせて、その分を国の軍事的な繁栄にまわした。
欲しがりません勝つまでは、忍耐を強要してきた軍国主義の時代への突入だったのだから。

だから、徳川様の時代のときのほうが、よほど良かったということになる。
今度の政権は、その逆を行くという方針だから、あのときのようなことにはならないだろうが、それにしても、マニフェストに書かれていることが、余りに理想的なことが多くて、果たして出来るのか心配だ。
でも、それが可能になるくらい、これまでの無駄を徹底的にあらわにして欲しい。

坂本龍馬は、「日本を洗濯する」といった。
西郷さんは、「明治維新をやり直す」といった。
自分の行った維新は、「こうでないんだ」というやるせなくも忸怩たる思いだったに違いない。
でも、西郷のやり直しは、“最後の士族の反乱”として片付けられ、とんだ罪人にされてしまった。
正しく、歴史を踏まえて欲しいものである。

来年は、坂本龍馬の年になるらしいが、龍馬の親権者、理解者、協力者として登場するのは勝海舟であり、西郷である。
NHKが、どのように描くのかわからないが、正しい歴史検証をして欲しいが。
スポンサーサイト

最後の審判

ここのところ、長らくブログを休んでしまった。
理由がある。
病気にかかっていたからだ。

数年前から、職場の健康診断で「肺に影がある」とのことで、再検査を受けていたのだが、今年も引っかかった。
八王子のT病院に毎年診てもらっていたので、今年もそこでCTを撮ったのだが、その結果が深刻なものだった。
昨年までは、大したことはないとのことだったのだが、今年の9月に突然「病気にかかっている」、それも、難病だという。

僕自身、全く自覚症状はこれまでなかったし、まさか、自分がこういう病気にかかるなんて、今でも信じられない。
T病院の医者から、「長生きしても、7~8年かな」と、宣告された。
「何年か先には、息苦しくなって、酸素ボンベのお世話になる」ともいわれた。

『ガーン』

目の前が真っ暗に。



その日から、これまでなんともなかった「肺」だが、痛みが出てきた。そして、息苦しい。
夜中に眼が覚める。
醒めると、病気のことばかりを考えてしまって、眠れなくなる。
こうなったら、他の医者の意見も聞いてみよう。最近流行ってきた「セカンド・オピニオン」というやつで、紹介状を書いてもらって、違う病院に行ってみることにした。

担当医にしてみれば、患者からそのような要望を出されるのは、屈辱的なことなのか。
行かせないようにしようと、良い対応ではなかった。

9月の終わりに、紹介状を持って市立病院に行った。
たまたま、アメリカ帰りの肺の専門医がいるとのことで、紹介状を持って言った。
そこでも、同じく「間質性肺炎」だといわれた。
ただ、市立病院では、詳しい検査ができないので、「紹介状を書くからもっと大きな病院に行きなさい」と、言われた。
今度は、医者から進められて“サード・オピニオン”である。

結果、信濃町のK病院に今度行くことになった。
何の因果か、あの 沖田総司が肺病で亡くなったすぐ横の大学病院である。
そこで、更なる精密検査を受けて、今後の指針を決めることになるらしい。
場合によっては、肺の一部を切り取って検査ということもあるということだ。
その場合には、3週間ほどの入院は覚悟しなければならないかも。
今月の19日に検査を受けるが、それで、僕の人生の今後が決まると見るべきか。

この病気のことを、否でも、知らず知らず考えてしまう。気を紛らわそうとするのだが、ダメだ。
自然に、頭の中がこの病気に支配されている。
すると、胸が痛むし、ここ数日、貧血気味である。
貧血には、ヨモギが良いというので、昨日も蓬サウナに行った。
どれほどの効果があるのかわからないが、利く薬がないといわれると、神にも祈る気持ちである。
あと、たまねぎの皮を煎じて、豆腐と一緒に食べると良いというので、毎日それをしている。
何かをしていないと、気が落ち着かないのだ。

今、僕は、自分の仕事で、暮の「第九」の合唱練習を毎週日曜日に行なっている。

第九のチラシ

ピアノ伴奏の女性が、僕の病気のことを悲しんでくれて、「治るように、毎日、パワーを送りますね」と、言ってくれた。
この一言がとても、僕の心の安らぎになった。
医学で治らないなら、こういうパワーをいただいて、少しでも良いほうに向かってくれればと願ってしまう。

先日、ある公民館で、テナーサックスの演奏と松姫の話をした。
多いに受けた。
自分の存在が、人々の役に立っていると思うとすごい充実感と幸福感を感じた。
その最中は、夢中だから、痛みも息苦しさもなかった。
今のところ、何かに夢中に没頭していれば、痛みも苦しみもない。多分、「気」から来ていることだろうから、気を紛らわすしかない。

だから、これから、今までどおり、ブログを書きたいと思っている。
次回からは、前回までの続きを書こうと思っている。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






リンク
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カテゴリー
カレンダー
09 | 2009/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の記事
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近のコメント
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。