村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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西郷さんの写真

兵庫県の伊丹市に住む友人Hさんから、手紙が来た。
この人は、今から約5年前、NHKの大河ドラマ「新選組」の年に日野に来て、僕のガイドで一日お付き合いした人なのだが、その後もず~と、年賀状やその他で文通などしている。

この方とのつながりは、西郷さんである。
僕が最初に、西郷さんに関心を持ったのは26歳のときで、子母澤寛作「勝海舟」を読んだときからである。
勝が何故、ああまで西郷びいきだったのか、その本の中で納得できた。
そこには勿論、坂本龍馬も出てくる。
残念ながら、新選組は殆ど出てこない。

その本を読んだあと、西郷さんの本を読みたくて朝日新聞社発行のハードカバー版を買ったのだが、最後まで書かれていなかった。
海音寺さんが病に倒れて、途中までだったのである。
その後、お亡くなりになったので、未完のままで終わったと思っていたのだが、学研文庫から出されている「敬天愛人西郷隆盛」全4巻は完成まで書かれているとのことだった。
ぜひ読みたいと思っていたのだが、どういうわけか、これは絶版になっていた。
このことを、先のHさんに告げたところ、彼がその本を探してくれてプレゼントしてくれたのである。
今じゃ、これは、僕の宝物になっている。
というより、再版してくれて、誰でもが読めるようにしてくれたほうが良いのだが。

Hさんは、手紙と一緒に西郷さんの絵葉書を送ってくれた。

Image299.jpg


これは、鹿児島市立美術館にあるらしいが、床次正精作で明治の中頃画かれたものらしい。
これを見ていて思い出したのだが、つい数日前、テレビで西郷さんの写真のことをやっていた。

西郷は、写真嫌いで1枚も残っていない。
有名な肖像は、あれは描いたもので、キヨソーネというイタリア人が書いたものである。
それも、本人を前にして書いたものではなくて、弟の従道と従兄弟の大山巌を足して2で割って画いたものだと伝わる。

西郷隆盛
Image302.jpg

西郷従道
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大山巌
Image301.jpg

この従道と大山巌を足すと、どうしてキヨソーネの画いた顔になるのか良くわからない。
僕には、ならないような気がする。
後年、誰かがそのようなことを言い出して、それがまことしやかに本当のことのようになってしまったように思える。

西郷さんの写真は残っていないが、肖像画は何枚か残っている。実際、西郷に出会った画家もいればそうでない人もいる。
でも、あの独特な顔の輪郭やあの目玉はどの絵にも共通している。
そして体格も。

キヨソーネという人は、イタリアから来たらしいが、明治8年に、明治政府に画家として雇われて来日したという。その時分、西郷は、鹿児島に帰っているから、出会っていないはずだという。だから、弟や従兄弟を参考に画いたと。
でも、ぼくは、このキヨソーネの描いた顔が好きで、これが西郷さんだと今後も思って生きてゆく。だって、あのすっきりした透明な眼差しは誠実で、迷いがなく、優しさにあふれていていかにも西郷さんらしいからだ。

それに、ほかの肖像画とも顔かたち、雰囲気など、一致している。だから、弟や従兄弟を参考にして画いたなどといわれなくても、本人でいいのだ。
本当の西郷さんは、ああゆう顔つきをしていたのだと、確信している。

ただ、幕末の写真でも、誰がそう決め付けたのか知らないが、いい加減なものもある。
例えばこの写真だ。

Image303.jpg

これは慶応元年、長崎に集合した志士たちの写真であるという。
中央に、黒い着物で体格の良い人が立っているが、これが西郷だといわれている。その左となりが大久保利通、一番左に立っているのが勝海舟、そのすぐ下が中岡慎太郎、その手前で腕組みしているのが桂小五郎だって。
このほか、最前列右から四人目が坂本龍馬だということだ。
まだ、伊藤博文や即位前の明治天皇までいるというからあきれる。
み~んな、絶対違う。
いったい誰が、そんな嘘っぱちを。
でも、そういう触れ込みで実際横行しているし、ネットオークションでも高額で取引されているらしい。

これは、フルベッキというアメリカの宣教師が、明治2年に本国に帰るときに、弟子たちと一緒に、記念に撮ったものだといわれている。

次回、西郷さんと庄内藩、函館戦争、渋沢栄一などについて触れてみたい。
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沖田総司終焉の場で肺の手術を受けたが

7日に入院して昨日(8日)に肺の手術を受けた。
本格的な手術は3月で、今回は内視鏡によるものである。
とはいえ、苦しくも辛い体験であった。

たった30分のことであったが、僕には2時間ぐらいに感じた。
最初、手術着に着替えてからキャップをかぶり、特殊な薬の入ったうがい薬を、約3分間ガラガラうがいさせられた。
それで口の中と喉の奥までしびれてくる。
次に、のどの奥をめがけて何回も霧吹きのようなもので噴射する。
咳き込むし、苦しいものだった。
これで、気管支と肺の奥底まで麻酔していると言うことだった。
これが麻酔だから、特に注射などはしない。

いよいよ手術台に乗せられて、仰向けになり、口に筒をくわえさせられる。
医者が周りに3人いた。それに看護婦が一人。

部分麻酔だから、意識はある。
今、何が行なわれているが、すべてがわかっている。
内視鏡のついた管が口の中から入ってきた。
入っていくのがわかるが、別に痛くもかゆくもない。
麻酔のお陰だ。

最初は、左の肺から始まった。
自分でも、管の先端が左の方向へいくのがわかる。
主任の医者が言う。

「痛かったり、異常のあるときは手を振ってください。大丈夫なときは、指で輪を作り、OKのサインをください」

僕は、一度も手を振らなかった。
痛くはなかった。
ただ、ずっと口を開けっ放しで、食塩水を入れながら手術を進めるので、肺に水がたまる。
脇にいる医者が、丁度歯医者で助手が唾液をすり取ってくれるように、機械で吸ってくれるのだが、それでも、とても苦しかった。

内視鏡で肺の中を確認しながら、医者が、あちこちを見ている。
時々、「ここをつまみます」みたいなことをいいながら他の医者に合図を送っている。
合計左右で10箇所ぐらい、肺の組織をとったみたいだ。
あとで、じっくり顕微鏡で、その切り取った肺の一部を覗くらしい。

それでも、まだよくはわからないそうだ。
次の手術では、身体の脇の下に穴を開けて肺から3センチ四方のものを3箇所切り取ってきて、さらに精密に調べるそうだ。
そうして、初めて、僕の間質性肺炎の状態がわかるそうなのである。

たった検査だけのことで、これだけ大げさなことが行なわれる。
次は、3月初旬に、今度は2週間も入院する。

あの慶応病院、兎に角混雑するところだが、何せ建物が古い。

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病院の廊下

僕の部屋は個室だったが、恐らく50年以上経過しているのではと、思える。
壁なぞは、様々なコードや管がむき出しになっている。
例えば、酸素ボンベ用の空気の管が壁に貼りついている。どこか薄暗い。薄気味悪い。

良いことと言えば、部屋が広いことだ。
僕は、ここ数年、毎日朝はストレッチなぞを行なっているので、広いのは助かる。
あと、床が板張りで、よく清掃されているのだろう、ピカピカ光っている。鉄筋だし、廊下なぞはリノリウムの合板材のようなものだが、なぜか、病室の床だけは板張りであった。

Image298.jpg
部屋の中

でも、静かで、自分ひとりの時間が長いので、思い切り本が読めた。
そう、新選組と坂本龍馬の研究をさせてもらった。
今度は、ココに2週間も生活することになる。
まあ、いいか。

今、“龍馬ばやり”である。
異常なくらいだ。こんなに盛り上がっていいのだろうか。
NHKの戦略にのせられている。民放も。

きっと、龍馬サイドに立った「良いお話」が大げさに、時には間違って伝えられることになるだろう。
そのうちのいくつかで、僕が疑問に思ってきていることがある。
例えば、薩長同盟だ。

これは、慶応2年1月21日に、その気のなかった長州と薩摩が、京都で龍馬の尽力で、仲裁に入って結ばれたことになっている。
龍馬が時代を進めたことになっているが、果たして本当か。
その事実は本当だろうが、龍馬がそうしなくたって同盟は近いうちになったと、僕は見ている。

何故なら、薩摩(西郷)も長州(桂)も、十分にその必要性(同盟の)を感じていて、その取っ掛かりを探していたのだから。
でも、確かに、龍馬の存在は貴重で、上手い具合に動いてくれたということだろう。
もっと言えば、竜馬は西郷にうまく使われた、と見ている。
西郷は、人を見抜く能力にかけては天稟の才能があったと思う。人を使うのも上手い人であり、育てるのも上手だ。

西郷は、あの時、わざとのらりくらりと煮え切らない態度を装っていた。
あの人には、維新を成し遂げるまで、何回もそうしたことがあった。
すべて、計算ずくで行なっていたと思う。
一面ずるいが、大きなことをなすには、踏むべき順序のようなものがあって、それらを踏まえないとその後の事態が上手くいかないことが間々あると、西郷はわかっていたからである。
わざと、遠回りをするのである。

それと、これは、みなさんあまり指摘しないが大事なことなので言うが、西郷と大久保の立場、地位である。

薩摩藩の中でも、下級に位置している二人が、あの大藩を動かすほどのこと(権限)が許されていたのであるか、と言うことだ。
小松帯刀と言う人が同時期活躍したが、彼は、薩摩藩の家老である。
藩主から、十分、ある程度までは、独断で決裁する資格が与えられていた。

西郷はどうであろうか。
当時、薩摩では、実権を握っていたのは藩主忠義ではなくて、父の久光である。
この人は、兎に角西郷のことが嫌いで、明治四年のあの廃藩置県のときは、あまりの悔しさに、一晩中金港湾に花火を上げさせたくらいである。

西郷は、都合3回も島流しにされているが、すべて久光の指令である。
本当は、(西郷を)殺したいくらいだったろうが、周りがそうさせなかっただけだ。
その西郷が、久光の意向を無視して勝手な采配が許されていたであろうか。
武士の世界である。
藩主と家来の間のことである。西郷という人間は、武士道精神を優先して大事にした男である。
前藩主斉彬を慕うあまり、追い腹をきるところまで決断した。ことさら藩主の存在を大きく捕らえていた人である。出すぎたことは控えていたのである。

それでも、久光を田舎もんとして、一面馬鹿にしていたところもあったので、その意向を無視して前に進んだこともあった。
だが、長州と同盟を結ぶと言うような大事を、藩主の許可なしにできるはずがない。
龍馬にせっつかれたからと言って、「はい、そういたします」などと、簡単にいかないのである。
これは、桂だって同じで、当時の長州の事情を考えれば、薩摩などと同盟を結ぶなんぞ、とんでもない反逆なのである。
簡単に、握手するなどとはいかないのだ。

でも、多くの書物は、龍馬の進言で、仲裁で、煮え切らない二人をその気にさせたことになっている。
このあたり、もう少し、真実を知りたいなあ。

あと、病室で、一人思案したこと。
それは、大政奉還である。
これも、龍馬が、土佐の参政後藤象二郎に進言したものが、山内容堂に伝えられて、それが徳川慶喜を動かしたことになっているみたいだが、果たして本当か。
そういう事実は、あっただろうが、それで、慶喜が決断したとは思われない。
僕は、これは、慶喜が大分前からそうしようと考えていたことであって、たまたまタイミングが一致しただけだと思っている。

それが証拠に、慶喜は、本心で政を放り出してはいない。
朝廷も、政治を放り出されても困るから、その後、近いうちに必ず、徳川へ政治を行なうように朝廷から話があると、慶喜は確信しているのである。
そのときこそ、朝廷から依頼で、連立の中心となって自分が理想としているフランス式の政治を行なうのだと、構想していたに違いない。

薩長なぞに、政治が出来るわけがないと、高をくくっていた。
これが、大きな計算違いで、師走に入って王政復古を宣言され、おまけに、慶喜は官位を剥奪、徳川の領地没収まで出てきたのであった。
そこで、鳥羽伏見の戦に発展する。
この話は、ゆくゆく、もっとゆっくりする。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」

「竜馬・伝」を見た。好印象だった。

NHKの大河ドラマは、その制作手法が気に入らないので好きになれないで来た。
だから、毎年、批判的に見てしまっていた。
でも、今年の第1回は僕の好みである。

福山雅治というイケ面俳優を起用して、今年も視聴率狙いで歴史を踏みにじる内容にしてしまうのだろうと、たかをくくってみていたら、すごく良かった。

竜馬の少年時代を描いていたのだが、うちの子供たちと一緒に武田鉄也の「お~い、竜馬」のビデオを見ていたのを思い出した。
竜馬や武市半平太らの下士等が、上士に散々いじめられるシーンが描かれている。
中には、虫けらのようにいとも簡単に殺されてしまうことも。

あそこは土佐の高知で、秀吉の時代では長曽我部元親(もとちか)という人が治めていた土地だったが、関が原で勝利を収めた家康の時代になって、例の山内一豊が掛川から転封でやってきた。

もともとそこに家来としていたのが、長曽我部の家来たちであったが、入ってきた山内家の家来が上士になり、先にいた負け組が下士にされてしまった。
竜馬たちは負け組の所謂《郷士》である。
竜馬の坂本家は、下士に属するから山内家の家来たちに苛め抜かれた。

このあたりのことが、第1回に克明に描かれていて、歴史ドラマとして好感が持てた。
福山さんを起用したこと自体が視聴率狙いの短絡的な軽率さが鼻についていたのだが、とんだ見込み違いであった。

映像もいい。
大河は、ここ数年、いつもNHKのあの502とか503とかの馬鹿でかいスタジオを使って撮影していたから、安上がりかも知れないが、その分安っぽい映像しか描かれていなかった。

例えば、スタジオで『鳥羽伏見の戦』をすべて済ましてしまう発想だから、遠目からの映像は一切ない。
また、大勢の兵士たちの戦闘シーンもない。
なんといっても、床がきれいな平面なので、そこに葉っぱなどを敷き詰めても、野戦の雰囲気は出せない。それに、陽の光が太陽でなくてすべてライトだから、自然でない。

そこへ行くと、今回は、殆んど(多分)スタジオの撮影はなかったように思う。
ロケなのだろう。
竜馬や岩崎弥太郎などが、本当の泥まみれなのだ。2004年の新選組のときも、そのようにすればもう少し視聴率も取れただろうに。
あの時は、すべてが安っぽかった。
悪いが、脚本も。

今度は、専門的なことはわからないが、映像が昔っぽくていいのだ。
所謂、ハイビジョンの美しさを主張するのでなくて、映画の「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」の映像にあった、あの雰囲気なのである。
わざと、そうしたと思うが、僕にはそれがとても新鮮に見えた。

また、福山さんの男っぷりを、誇張し過ぎない程度の演出がいい。
でも、今回の物語、岩崎弥太郎が語ると言う形で進めるのだろうか。
もともと二人とも土佐の出身で接点はあっただろうが、彼に語らせるところに違和感を感じる。
今の三菱財閥を作った元祖だけに。
どうせなら、後に外務大臣になった陸奥宗光あたりに語らせて欲しいな。
彼は、慶応3年12月、尊敬していた竜馬の敵討ちで天満屋に切り込みをかけている。
その時に、紀州藩士三浦休太郎の用心棒として雇われていたのが、新選組の斉藤一や宮川信吉だった。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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