村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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ベルリン『第九』体験記-2

『第九』は、アマチュアが良く似合う。指揮者のベーンケさんは、そのことをよく熟知していた。

――― ベルリン『第九』体験記-2 ―――

前回、ベルリンフィルのホールについて、語らせていただいた。今回は、まず、コンサートそのものと第九事情について、僕の感じたことを申し上げたい。

先ず最初に、コンサートの概要から。

日時 2010年6月13日(日)
ステージリハーサル 12:00~15:00
着替え、休憩
ウォーミングアップ 17:00

会場 17:30
開演 18:00

【指揮者】
ケルシュティン ベーンケ

【ソリスト】
ソプラノ:
ジュリア ソフィ ワグナー

アルト:
ジャスミン エテツァツァデン

テナー:
ローレンス バスト

バリトン:
レイナー シェーラー

【オーケストラ】
ブランデンブルグ国立管弦楽団

【合唱団】
現地 ベルリナ カッペラ
日本 第九経験者特別派遣チーム

【演奏曲】
ベートーベン交響曲第9番ニ単調 作品125
合唱付き

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コンサートのポスター

僕は、第九はまだ3回目で、大した経験ではないが、ベーンケさんという女性指揮者の指導ぶりに惚れ込んでしまった。
年はまだ、40歳に届いていないのではないかと思われるほど若いが、指揮っぷりにキレがあってわかりやすいのと、何より、合唱団に対して優しいのである。

IMG_1122.jpg

僕とベーンケさん・楽屋で

ご自分でも、合唱団の指導をされているし、何より、彼女はソプラノの歌手から指揮者になったという人で、実際歌いながら指導をされていたが、その声の美しいの何の、惚れ惚れであった。

客席で聞いているお客さんにはわからないだろうが、第九の第4楽章の合唱部分になると、優れた指揮者は、合唱団と一緒になって歌ってくれる。
(恐らく、声は出していないと思うが、口パクだろう)
すると、合唱団は、わかりやすく、自分の歌い方も指揮者に合わせていればいいわけで、間違えないし、ずれることもない。
何より、自信を持って歌える。

ベーンケさんはそれより一歩も二歩も進んでいて、ソプラノの主旋律の部分ばかりでなく、テナーやバスの出ずらい所まで一緒に歌ってくれるのである。
つまり、あの人は、第九の歌の難しさ、歌いづらいところを熟知していて、僕らが間違わないように教えてくれているのだ。

指揮者によっては、合唱はオケのおまけぐらいにしか考えていない人もいるが、あの曲の4楽章は、特別合唱を大事に扱う指揮者もいる。

我国で催される『第九』演奏会は、その殆んどがアマチュアの合唱団で行なわれる。
それは、プロの合唱団が少ないのと経済的理由から来ているように思う。

だって、あの合唱団は人数的に、最低100名程度から数百名、多い時には5000人、10000人という規模であるから、プロの合唱団を使うなどという発想は出来ないだろう。
仮にプロだけで行なった場合、合唱団1人20000円のギャラだとして、100人で200万円、300人で300万円である。
合唱だけにそんなに払えるわけがない。
第九は、指揮者の謝礼のほかプロ・オケで少なくとも5~600万円、ソリスト4人全てに謝礼が発生する。
軽く、謝礼金だけで1000万円を超えてしまう。

そのほか、会場費から宣伝費、印刷費その他の経費を考えると、大変な経費である。
仮に1,200万円だとして、これをチケット収入でまかなうとすると、2000人のホールを満席にしたとして、一席の料金は最低6000円である。
今、第九のコンサートチケット6000円出して買う人は、そうはいない。
だから、合唱団は、アマチュアなのである。
いや、オケだってアマチュアが多い。

アマチュアのほうが良い場合もある。
僕も含めて、アマチュアの第九好きは、完全に暗譜している人が多い。
楽譜を見ながら歌うよりは、暗譜がよいのは当たり前である。

しかし、プロは、殆んどの人が暗譜はしていない。
譜面を見ながら歌う。
プロは、好きだから歌うのはない。
仕事なのだ。
その仕事は、たくさんの種類・量があるのだから、全てを暗譜できるわけがない。
それに、第九好きのアマチュアは、プロはだしの技量を持った人も少なくない。
だから、第九の合唱は、アマチュア向きなのだ。

ヨーロッパでも、こうした事情は似ていて、この曲はベートーベンのシンフォニーの中でも際立って演奏が少ないらしい。
何かお目出度い時とか、周年記念だとかの時でないと簡単には出来ないらしい。
今回だって、ベートーベンの生誕240周年とベルリンの壁崩壊20周年を兼ねて行ったものである。
日本では、毎年暮れになると年中行事になってきているが、向こうでは、そう簡単ではないということだ。
日本人ほど、第九に限って大好きだという人が多いわけではないからだ。

その日本でも、アマチュアだけに、本番の数ヶ月前から練習に入るのが普通である。
プロだったら、そんな流暢なことはやっていられない。

ベーンケさんという指揮者は、その辺の事情は熟知されていて、アマチュアで仕方ない「第九」を、芸術的水準にまで高める最良の方法を編み出しているのではないか。

しかも、日本とドイツの合唱団の合流で行なうという特殊編成だ。
これは、この度、僕は自ら本当に楽しくも素晴らしい体験をさせていただいたと思っている。
僕ら日本からの合唱団は、みなプレゼント持参で渡欧した。
交換のためである。
向こうの人たちは、小学校の音楽室での練習の後、校庭で歓迎の夕食会を披いてくれた。合唱団の人たちの手作りであった。

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日本人とドイツ人の交流

日本語とドイツ語だから、どちらも話が通じない。
だから、お互いに英語を使う。
こちらは、片言である。
向こうはというと、殆んどの人が、英語は話せるのである。
なんだか、日本人のダメさ加減を痛感させられた。
これは、イタリアでも同じで、イタリア人も(ドイツ人ほどではないが)大概は英語を理解する。
日本の、英語教育を、今更ながら考え直さないトーーー。

(続く)
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ベルリン『第九』体験記-1

ベルリンフィルの本拠地で「第九」を体験してきたが、評判どおり、素晴らしいコンサートホールだった

    ――― ベルリン『第九』体験記-1 ―――

このブログは、本来、新選組に関するべきものなのだが、時々は違うものも交じる。
今回からは、以前にも載せたことはあったが、僕の旅行体験記を何回かに分けて紹介したいと思う。

この度の遠征は、単なる旅行ではなくて、目的は『第九コンサート』に参加することであった。
自分が病気を持っていることがわかったので、今のうちに、できるだけたくさんの体験をしておきたくて参加したものだ。

昨年、第九のテノールのパートを覚えたので、今年の2月国技館で行なわれた『すみだの第九』に参加した。
そこでは、全国から5000人もの人々が参加してくるので(外国からも)、様々な現在の第九事情を得ることが出来た。
この度は8日間、全国から応募した約60人の人々と一緒にドイツのベルリンへ行ったので、いろんな有益なお話をうかがうことが出来たのと、何よりも、良いお友達がたくさん出来たのが、大きな収穫である。

クラシックのホールというと、上野に東京文化会館というのがあって、僕は中学の頃にステージにのったことがあった。
確か昭和37~8年当時だ。
その頃はまだ、その会館も出来たばかりで、余りの美しさ、形のよさ、雄大さ、響きのよさに多くの音楽ファンが魅了させられたものだった。
その後も、僕は恵まれていて、ブラスバンドに所属していたせいもあって、3度も大ホールのステージにのる機会があった。
いずれも、良い思い出だったし、感動的であった。

その後、東京には、サントリーホールという名物コンサートホールが出来たが、東京文化会館の魅力に取り付かれている人たちは、いまだに多いし、良いホールとは、いつまで経っても古さは感じないものだし、むしろ磨きがかかる。

この度僕がステージ体験した『ベルリン・フィルハーモニー・ホール』は、その制作にあのカラヤン氏も参加したらしいが、響のよさでは世界有数らしい。
サントリーホールを作る際に参考にしたといわれるだけあって、筆舌につくしがたいほどの素晴らしいもので、ホール内の美しさもあるが、何といっても響きの素晴らしさに驚いた。
ただ、残響音が長いとかいうだけではない。

やわらかくて、暖かいのである。
それでいて、よく響く。

僕はテノールパートで第九の合唱団の一員なので、オケの後ろの中央に立った。
そこでの本番は、出演していたので写真を撮ることは出来なかったが、練習時に、そっと撮ったのがあるので載せる。
そして、会場から、オケの練習しているところを撮ることができたので、これも見て欲しい。
こんなに綺麗なホールは、そうあるものではない。

IMG_1097.jpg

ステージ上から撮ったもの

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正面からの、オーケストラの練習風景

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楽屋のカフェ

僕は病気のおかげで、今回、貴重な体験をすることが出来た。
物事、考えようである。
同じ病気でも、その病気にかかったお陰で得るものがたくさんあるってことがわかった。
入院して手術を受け、2週間ベッドに横になっていて、人生を見つめなおすことできた。

がん患者や重い疾患の人たちが、“余命あと○○年”などと宣告されて、どのような心持になるものかも自分が身を持って体験することがきた。
自分はこうして動けるだけで、まだしあわせである。
でも、いつまでも続くものでもない。
それがいつくるのか、2,3年先なのか、10年や20年なのかわからない。
それが、僕の病気らしい。
難病だから、仕方ない。
だから、動けるうちに、出来ることはしておきたい。

今回、第九を歌うのは3回目なのだが、一番うまくいった。
最初は日野市民会館のステージだったが、初めてなので自信がなかったのと、あの時は、病気の宣告を受けて体調が優れなかったこともあって、ステージ上で目まいがしていた。
次の国技館のときも2月だったので、このときも目まいだった。
数日後には、入院していた。

でも、この度は、医者から「大丈夫」とお墨付きをいただいた後だったせいか、めまいもせず、自分の実力が発揮できた。
気持ちよく歌えたのである。
慶応病院の鎌田医師のお陰だ。
まだ、30歳そこそこの人だが、僕には大変な名医である。

第九を歌ったことのある人ならわかると思うが、あの曲は、とにかく大声を出す。
大声競争みたいなところもある。
指導者も、もしかしたらいけないのかもしれない。
大きな声を出させるために様々な指導をする。
姿勢、呼吸法、口の形、気持ちの持ち方、さらには眼の形、顔の表情まで。

でも、人間、第九に限らず、なんでも、100%以上で頑張ると逆にマイナスなることが、往々にしてある。
コーラスも同じで、自分の限界を超えて出せば、声が裏返しになったり、音質も悪くなったり、何よりも音程が狂う。
僕は、長年、楽器でジャズをやっているが、全く同じである。

競馬用語で言う『おつり』が、必要なのだ。
四コーナーを廻って、馬が眼一杯の状態になると尻尾を振る。
騎手がそれに対して鞭をふるってケツをひっぱだく。
こういうときは、大概良い結果は生んでいない。
人生も同じである。

つねに、80~90%が良く、余裕=『おつり』が 必要なのだ。

今回、ベルリンフィルのホールの素晴らしさから入ってしまった。
でも、僕の感想は、いつもの癖で、いいことばかり言わない。
あのホール、中味は言うことないが、外面が悪すぎる。
恐らく、有名な建築設計家が建てたのだろうが、形が変だ。

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外からの風景

どこが正面で、全体がどんな形をしているのか、わからない。
それに、色が悪い。
金色だか、山吹だか、黄色だか、とにかく変な色だ。世界中の名門のオペラハウスやコンサートホールはそれなりの格式を感ずるのに、そばでよく見ると、トタン屋根に色を吹き付けたようにも見える。
でも、それは屋根部分だけで、その下の壁や入り口なぞは白である。それも、なんだか汚らしい。

日野に、FFというある有名な企業がいて、そのビルが真っ黄色でよく目立っている。
業績も素晴らしく大きな税金を落としてくれていたのだが、もう、30年も前に山梨の忍野村に本社機能が越してしまった。
お陰で、当市には税金が落ちなくなって、随分と苦労したものだったが、忍野村では、税金は入ってきたが、周りとの景観が調和しないとかで、これまたもめたらしい。
でも、金にはかなわない。

吉祥寺でも、最近、ある漫画家が自宅を変な色?で塗りたくったので、周囲ともめたことがあった。
ベルリンフィルのあのビルは、どう見ても周りと調和しているとは思えないが、オケの実力があるから、それで帳消しか。

日本でも、有名な設計家が手がけると、変なものでも良いことになってしまう傾向がある。
僕は、仕事柄、何度も行った『都庁』。
あのビル、なんだか味気ない。特に、中に入ると、なんだかせわしない。
白一色なのだ。

だから、気持ちが落ち着かない。後は、事務スペースに入ると、ダンボールの山。
機能的といえば、そうかもれないが、事務をとるにしても、中で働く人たちの精神面を考えるともう少し、心休まる色もあっていいのでは、と思うが。
知事室だけには、あったりして。

それに、これはどこの役所も一緒だが、~ホスピタリティー~がなっていない。
お客様に対しての応対だとか、優しさが感じられない。とにかく、行っても、座る長椅子さえない。
人を拒絶しているようで、用が済んだら早く帰れといわれているみたいだ。

不調和という意味では、行ったことはないが、映像で見て変に思えるのが、パリのルーブル美術館の前に出来ているピラミッド型の建物だ。
確か、あれ、ガラスでできているように思えるが、伝統的な後ろの建物とあっていないように見える。
実際に見ていないので、これ以上はいえないが、見た人は教えて欲しい。

ルーブル正面

ルーブル正面

続く―――

ベルリンへ

6月9日から、ベルリンの『第九』に出演してきます。
そして、新選組検定。

自分の健康もひと段落で、今のところ大丈夫そうなので、動けるうちにあちこちへ行っておこうと、これまでよりももっと活動的になってきている。

その第一弾で、早速ドイツのベルリンへ行ってきます。
これは、『ベートーベン生誕240年記念事業』として、また、東西ドイツ統一20周年の節目で「歓喜の歌」を演奏しようというもので、日本とドイツが合唱団100人ずつ出して、現地のオーケストラと演奏するというもの。
場所は、あの有名なベルリン・フィルハーモニー・ホールで2010年6月13日(日)に本番がある。

Image337.jpg


僕は、昨年から「第九」を歌うようになって、今年は2月に国技館で行われた『すみだの第九』に参加してきたが、それが縁で、この度も、ドイツに行くことになった。
あの『すみだの第九』は別名5000人の第九といわれているもので、全国のみならず世界中から歌いに来ているので、今回のベルリンも日本全国から参加してきている。

本来、サックスでジャズ畑の自分なのだが、仕事がこちらのことが多いので(クラシック)、自然、こういう方々との付き合いが最近は多い。
そのおかげで、今回、良い経験が出来る。
帰りに、オプションでローマ・ナポリ、ポンペイに寄ってくる。
ポンペイは、以前にも行ったのだが、感動的で、何度でも行きたい。
それに、前回、僕がイタリアに行ったときも、このコーナーでナポリのごみ問題について2度書いたが、その後はどうなっているのか、自分の目で確認してきたいのである。

僕は、鹿児島に何度か行ったが、あそこには『ナポリ通り』というのがあって、美しい路である。
ナポリと鹿児島は姉妹都市なので、ナポリにも『鹿児島通り』があった。でも、どういうわけか、鹿児島にあるナポリ通りのほうがはるかに美しかった。
これをある人に言ったところ、「ナポリの良さは、自然の美しさにあって、町は雑然としているが、それがまたいい」と、表現していた。



ところで、僕は、『新選組の問答集』を書いているといったが、出来上がったので、その100問を日野にいるボランティアガイドの2人に早速、やってもらった。

この二人は、江戸検定の2級を一発で通った優秀な人だが、新選組についても相当な熟達者ある。ちなみに、一級は宝くじのようなもので、1万人受けて4~5人の合格者だったように覚えているから、運の良い人しか合格できない。

僕は、恥ずかしながら、2級を受けて70点の合格ラインに3点不足して落ちてしまった。
再度挑戦する気はなかった。
問題に、どうも疑問があるからで、ああした問題が必要だとはどうしても思えないのである。
これについては、以前にもここでコメントしたので、再度は言わない。

ただ一つ。

料金の高い講座に出席すると問題のヒントが会得できるようになっているのは如何なものか。



二人のガイド氏は、この新選組問答に対して、さすがに正解率がすばらしく、特にⅠ子さんは、100問のうち3問しか間違っていなかった。難易度Aランクの迷うような問題が20問は設定してあるのに、この成績は立派だ。
だって、問題を作った僕だって、実を言うと参考書を見ながら作ったものが三分の一はあるのだ。

それでも、作った僕は「これでよい」と思い込んでいたものが、お二人の指摘で出題の言い回しがふさわしくないという箇所も、いくつか出てきた。

それは難易度Aランクの78番の問題であるが、良くない問題文なので、言い回しを変更する。

● 78 鳥羽伏見の戦端が開かれて、まもなく旧伏見奉行所は炎上し  
た。止む無く、新選組や会津藩兵は南西の淀方面へ撤退を開始したのだが、この戦闘で、新選組は2人の隊士を失っている。そのうちの1人は、誰か。

     ア 宮川信吉       イ 井上源三郎
     ウ 宮川数馬       エ 山崎丞

● 79 慶応三年、12歳で新選組に入隊し、叔父の 井上源三郎      
と共に鳥羽伏見の戦に参戦していた 井上泰助は、源三郎の死体から首を切り落としたが、余りの重さに、付近の寺の前にその首を埋めたとされるが、その寺の名は何と伝わる。

     ア 欣浄寺        イ 宝泉寺
     ウ 妙教寺        エ 光縁寺

79は、おまけで載せた。
78の問題の良くないのは、3行目の『戦闘』である。これは『この奉行所の闘いで』と直す必要があるのである。
「鳥羽伏見の戦で失った隊士」と、間違えてしまうからである。

ちなみに、78の正解は「ウ」の宮川数馬で、79は「ア」の欣浄寺である。両方とも、Aランクの難易度である。

この続きとベルリン、イタリアの報告は、次回乞うご期待。
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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