村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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あの池田屋が、気取った飲み屋に変身していた

久しぶりで、京都へ行った。
僕のHPも、もう五年経過して、大分古くなってきた。
リニューアルしなければならないと感じていたので、トップページのフラッシュ写真用に改めて写真を撮りに行ったのだ。

これまで何度も京都に行っているのに、いざとなると役に立つ写真がなかった。
あっても、人物が真ん中に映っていたりだから、HP用には向かない。

今年の冬は、僕のこれまで数十年体験してきた中でも特に寒い。
最近は暖冬が多く、スキー場などでも雪のない年が多くて気の毒だと思っていたのだが、今年ばかりは逆の現象で、雪が多すぎて、雪国の人々は困惑しているという。

今日は1月の14日だが、先ほどのニュースで、長野県の菅平では「-22度」を記録したといっていた。
北海道の帯広や旭川などでは、毎年そういった寒さが記録されるのだが、菅平あたりでとは驚いた。

僕は、若い頃からスキーが大好きで、菅平には何回か行ったが、確かにあそこは中でも寒いことは事実だ。
八方尾根や蔵王だって寒いのだが、寒さが違う。
何というか、空っ風のような風が吹いて、リフトなぞに乗っていてとにかく冷え切ってしまって、凍えてしまいそうだった。

今年は、東京も相当寒いので、京都の寒さが感じなかった。
京都も冬は寒く、盆地特有の底冷えがある。
その分、夏は蒸し暑く、祇園祭の時なぞ、兎に角湿気が多くて着物がべた付く。

今頃の京都は、シーズンオフなのか、どこでも人が少ない。
新選組のメッカ、壬生あたりでも静かだし、いつも賑わっている嵐山、嵯峨野あたりでも深閑としていて雰囲気が抜群にいい。

今回の目的は、新選組関係の写真を撮りに行くことだった。
だが、直接は関係なかったのだが、嵯峨野の竹薮が朝日を浴びてその木漏れ日がキラキラとあまりに美しかったので、寄り道してしまった。
嵐山の駅から天竜寺の脇を通って、大河内山荘へ向かう有名な竹薮の坂道である。
物音一つしない、嵯峨野の田園風景は、未だに健在である。

京都というところは、街中は、今では東京と変わらないほど変身していて、何の情緒もなくなってしまっている。
だが、一つ寺の中に入るだけで、全く静寂な別天地が拓ける。また、東映の撮影所のある太秦の先が嵯峨野で、少し行くだけで違う世界が広がっている。
東山も同じで、高山寺や三年坂から清水あたりは、今でも雰囲気がある。

いまどきのシーズンに、京都へ行くことをお薦めする。
底冷えはするが、その分、澄んだ空気が肺の奥底まで入り込んで、深呼吸をすると、きれいに掃除してくれているような気がするほど気分がよい。

初日は、壬生寺から前川邸、新徳禅寺、光縁寺などだが、八木邸の入館料は、改めて高いと感じた。
だって、1,000円だもの。
見るべきところは、たったあの狭い二部屋。
僕は、もう5~6回は行った。
だから、行かなくてもいいのだが、写真を撮りたいから中へ入ったのだが、残念なことに、撮影禁止だった。
そうだったのか。
何のために入ったのか。全く、無駄。
その上、あの芹澤が殺された部屋に正座させられて、寒い部屋で20分もガイドの話を聞かされた。

新選組と関係ない八木邸の歴史なぞも含めの20分。
寒さも堪え、長く感じた。
そういえば、思い出した。
あの大河ドラマ【新選組】の年に、日野宿本陣のガイドの話が長い、と、お客から苦情の電話が市役所に入ったことがあった。
自由に見たいのに、束縛が長いとか。
「こっちの勝手にさせてよ」とのことらしい。

ちなみに、八木邸は撮影禁止。
何で~?
あそこって、そんな禁止をするようなところかなあ。
国宝や重要文化財なら、仕様がないが。

翌日は、新選組とは直接関係ないが、朝一で嵐山に行った。
僕の小説では、山南と沖田が最後の別れをしたと言う設定になっているのと、新選組が慶応元年に嵐山で暑気払いをしたことになっているので重要なのだ。
渡月橋のあたりはいつ行っても気持ちの良いところで、取り立ててどれっと言うこともないのだが、兎に角気分の良いところなのだ。

あとは、京阪三条で地下鉄を降りて、三条大橋を皮切りにすぐ脇が『小川亭』である。
ここは、有名な勤皇ばあさんがいて、池田屋で殺された肥後の重鎮宮部鼎三などが潜んでいたところである。
そこから四条方面に歩いて三条縄手から白川の人気スポット巽橋を通れば、もうすぐそこが祇園の『一力』である。

ここでは、文久3年10月、近藤が各藩の重役たちの前で独特の攘夷論を披露し、大見得を切ったところとして有名である。
だが一般的には、大石内蔵助が幕府の隠密たちを欺くために、毎晩芸者遊びをしたところとしてよく知られている。

その左の突き当りが『八坂神社』で、その目の前の角が祇園の『待合所』である。
ここは、今、ローソンになっている。
江戸の頃は待合所で、元治元年6月5日に、新選組が会津や所司代の助っ人を待っていたところである。
いつまで待っても来ないので、痺れを切らした近藤と土方歳三はそれぞれに分かれて、探索に出て行ったといわれている。

一力の脇が花見小路で、景観のすばらしさは京都を代表するから、良いのは当たり前である。
それと、ここは敷き詰めてある石畳が小奇麗で気持ちが良いのだが、あまり喜べない。
その小路を整備したのが、JRAだからだ。
ただでやるはずがない。
この小路の中にJRAの場外馬券売り場があるからだ。
それも、歌舞練習場のすぐ右脇にである。
土・日に競馬の開催があるから、朝から、馬券購入者と観光客が入り交じって、あの路がごった返すのである。

その先の突き当りが『建仁寺』である。
この境内を突っ切って右に折れれば、もうその左が『宮川町』である。
ここは御茶屋と置屋が入り混じっていて、いかにも芸妓や舞妓のいそうな雰囲気がただよる街並みである。
僕は、ここに土方歳三の恋人弥千穂を設定して、彼女を南座近くに囲う話を作った。
今現在、弥千穂さんという芸妓がいるのであるが、その人とたまたま僕は知り合いなのだ。

最後は、四条大橋を渡って、例の古高俊太郎が商いをしていたと言う古道具屋『志幸』を見て、高瀬川を三条方面に遡った。
三条小橋で最後にした。
そのすぐ先が『池田屋』だが、雰囲気が変わっていた。

ここは、僕の記憶では、ユニオンと言うパチンコ屋であったはずだが、今度行ってびっくりした。
【池田屋】という飲み屋に変身していた。
それも、これ以上ないといえるほど、モロ新選組なのだ。
ファンには、きっとたまらないであろう。
好きな人は、あそこで宴会だ。
30人も入れる大宴会場まである。
皆さん、今度京都へ行ったら、是非【池田屋】にどうぞ。

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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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