村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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「土方さん、もうそろそろですよ」―――沖田総司


先日、久しぶりで、病院に行ってきた。
僕は肺の病気にかかっているから、3~4ヶ月に一度は検査に行く。
そして、年に1回はCTを撮って前の年と比べる。

実は、この診察は恐怖なのだ。
この4ヶ月の間に悪くなっていないだろうか、などと、余計な詮索をしてしまうからだ。
結果、医師からは、「昨年のCTと比べて、悪くなっていませんよ。殆ど変わりありませんね」と言われた。
先ずは一安心。

だが、おまけの一言があった。
「この病気は、いつ急変するかわかりませんから、風邪は引かないように、そしてインフルエンザはまずいですよ」
「風邪を引いて、一週間後に急変した患者さんもいましたから」と。

そうか、自分は、ここ数ヶ月、病気のことを忘れて過ごしてきたが、実は、そういう病気に罹っていたのだった。
昨年の3月、信濃町の慶応病院で精密検査のために大きな手術をしたが、2週間あの病室に横たわっていた。
その病室は、あの総司が肺を患って寝ていた千駄ヶ谷の植木屋平五郎の離れから目と鼻の先であった。

偶然、総司も僕も同じ肺の病気で、同じような季節に、同じ空を見て、同じ空気を吸っている。
彼の病気は結核だった。
幕末のことでもあり、治療薬も見つかっていなかった。そういう意味では、僕の間質性肺炎という病も、今のところ治療薬がない。
だから、難病に指定されている。

昨年の今頃、病室の窓から路行く人を眺めていた。
そのときは、検査の結果がまだ出ていないから、自分の寿命があとどのくらいなのか、残された期間をどう過ごそうかとか、子供たちにはどう言って置こうかとか、あの世でまたお袋と一緒になれるのかとか、人生の終わりをむかえるにあたってのことばかりを考えていた。
死を宣告されたわけでもないのに、毎日病室にこもっていると、どうしてもこうしたマイナスの思考ばかりすることになる。
気がついて、こんなことを考えてはいけないんだと言い聞かせるが、効果はない。
いつの間にか、また、そうしたことを思い巡らしている。

だけど僕の場合は、運の良いことに、「検査の結果そんなに悪質なものではない」「4年前のCTと比べて変わってもいないし、普通に生活していて大丈夫」と担当の鎌田医師が断言してくれた。
この人が、神様に思えた。
それ以降、身体の調子がどんどん良くなってきた。
だから、1年経過した今でも以前と変わらぬ生活が出来ているし、普段は全く病気にかかっていると言う意識もないですんでいる。


総司の場合は、慶応4年も5月に入って、自分の身体はあと1年どころか数ヶ月だろうと覚悟を決めていたに違いない。
いや、もう数日かもしれないと思ったか。
その時彼は、26~7歳である。
今の若者の感覚で測ることは出来ない。

9歳から11歳の頃、近藤周助の試衛館道場に預けられた。
兄弟子に勇がいた。
そのうち、山南敬介がやってきた。
井上源三郎も、土方歳三も永倉新八も藤堂平助も、続々といろんな人が食客として寝泊りするようになった。
金もないし、食べるものもなかったが、毎日が楽しかった。

この仲間と一緒に京都へ行った。
百姓浪人の集団が4年後には、幕臣にまで上り詰めた。だが、実情は凄惨であった。
敵ばかりでなく、身内まで手にかけた。
山南さんばかりでなく、藤堂も、そして伊東の一派も。

そして、淀で源さんが死に、近藤さんも斬首されたと聞く。自分は畳の上だが、もう間近だ。
みんな待っていてください。私も、もうすぐ行きますよ。

20代半ばの青年がこのような心境になるのは、新選組という『死』と隣り合わせの、『死』と一体になって過ごしてきた波乱万丈のまれな集団に身をおいてきたことによるのだろう。

未練などはない。
早くみんなと顔を、再び合わせて、貧乏道場で稽古をやりたい。
そして、たくあんだけのメシ。
総司の場合は、きっと、晴れやかな心境であの世へ旅立っていったように思える。

でも、心の中で笑った。
「それにしても、土方さんは、今どうしているんだろう」
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今年の新選組まつりは、栗塚氏と僕で共演?

栗塚旭氏と久しぶりに、電話で会話した。
アイも変わらず、元気である。
1937年生まれだから、もう73歳になる。
兎に角すごい健脚で(剣客ではない)、住まいのある“哲学の路”を基点に、京都中を自転車で駆け回っている。

あの頃(丁度、NHKの大河ドラマ「新選組」が放映されている頃)よく京都に行ったが、いくと必ず僕らは、南座前のステーキ屋「みやた」で落ち合った。(ここは、今でも営業している)

一度、祇園祭の晩に、ステーキを食ったあと、四条通を壬生方面に一緒に歩いたことがあったが、あまりに早足で歩くので、追いつけなかった記憶がある。
「もっと、ゆっくり歩いてくださいよ」と、言いたかったが、「土方さんたちは、この道を、こうして先を急いだのですよ」と言う返事が返ってきそうで、言えなかった。
そういう人である。

実は先日、日野の新選組まつりの関係者からメールが来て、「今年のまつりに是非お呼びしたいので、連絡をとってくれ」という申し入れがあった。
僕も、大分久しぶりだったが、電話をするとようやく返事が来た。

あの人、携帯と言うものを持っていない。
自宅の電話もろくに出ない。
もう一つ秘密の電話があって、そこしか出ない。
でも、そこも、一回じゃ出なくて、何回か電話して初めて、返事が来る。

ああゆう世界にいる人だから、きっとそうなんだろうと思っている。
ほかの芸能人も、恐らく似たようなものかもしれない。

『栗塚旭』といえば、もう言う必要もないほどだから、改めてここで詳しく紹介はしない。
司馬遼太郎原作のテレビ映画、「新選組血風録」や「燃えよ剣」の主役土方歳三を演じて、一世を風靡した役者だ。

山本耕史がNHKで土方を演じて、いよいよ新しいヒーローが生まれたかと言われたが、どうだろう。
僕には、ヤッパ、土方は栗塚なのである。

山本耕史さんは、自分が土方とイコールで見られることをあまり快く思っていなかったらしい。
これは、栗塚さんも同じで、以前彼に僕がそのような質問をすると、「僕は役者だから、どんな役もやるし、今だって、取り組んでいる役に夢中です」と言っていた。

役者と言うものはそういうものらしい。
確かに、過去の役にこだわっていても、飯は食えない。
栗塚さんは、僕が京都に行くと、自分が今出演中の作品の紹介に、いつも余念がなかった。
その頃は、藤村志保さんと老夫婦役で共演していた「二人日和」と言う映画に思い入れが激しかったので、あまり土方の話題はしないようにしていた。

栗塚・藤村

でも、そうはいっても、はまり役と言うものがある。
古くは、僕の記憶で恐縮だが、「鞍馬天狗」といえばアラカンこと嵐寛十郎、「丹下作膳」といえば大河内伝次郎、「遠山金さん」といえば片岡知恵蔵だし、「旗本退屈男」といえば北大路欣也の父、市川歌右衛門であった。
そうした意味合いから、「土方歳三」は栗塚旭なのである。

僕は『新選組講座』を連続してやるときは、必ず新選組のヴィデオを上映することにしている。
その方が、受講者たちも楽しいに決まっているからだ。
大概は、「燃えよ剣」と「新選組血風録」だが、今やっている講座は10回連続で長いので、3本は見る。
勿論、土方歳三は栗塚である。

その栗塚さんが今年の5月に、日野にやってくる。
栗塚さんとは親しくさせていただいているせいか、彼は日取りだけ決めておいて、中身は全部「村瀬さん任せ」でよいという。
日取りは5,6,7日の三日間で、初日は、「燃えよ剣」の第1作に出てくる大国魂神社の『くらやみ祭り』に行く。
7日は、日野の新選組まつりで「土方コンテスト」の審査員になるだろう。
そして、その7日に、僕とトークショウをきっとやる。
これは、まつりの中の企画なので、僕の一存では決められない。
6日は、今のところ、何も決まっていない。

何れ、もっと具体的に決まってから、ここにお知らせする。

村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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    村瀬へのメールはこちら






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