村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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坂本龍馬を斬った男―――今井信郎?その2


ここで、話を遡らさせていただく。
坂本龍馬は、ご存知のように、慶応2年1月23日に伏見の寺田屋で奉行所の役人に襲われている。
おりょうさんが風呂に入っていて、裸で2階に急いで、急を知らせたというあの話である。
この前日に、例の薩長同盟が薩摩屋敷で結ばれているから、その立役者として襲われたと思ってきたのだが、どう考えても、奉行所の対応が早すぎないか。

奉行所が、そんなに早く同盟の内容を、どうやって察知できたのか。
出来たとしても、どうしてそれが、龍馬の差し金だと判断できたのだろうか。
それに、このことは、平成の現在でも様々異説があって、龍馬はたいした役割はしていなかったと証言している人もいる。
だとしたら、伏見の奉行が何故襲ったのか。
この事件は慶応2年の1月のことであるが、捕縛に行った捕り方たちは、その前年の坂本の動きに対して嫌疑をかけていたのだろう。

確かに、前年の慶応元年に、薩摩名義で鉄砲や軍艦を長州に引き渡したりしているから、そうした坂本の動きに対して尋問の必要があると逮捕に向かったのかもしれない。

ここが重要なのだ。
だから、捕縛であって、暗殺ではない。
奉行所が捕り方を使って逮捕に向かう時は、殺すことが目的ではない。僕が知っている限り、新選組の出動も、その多くが最初から殺しではなくて、逮捕が目的だった。逆らった時には、始末することもあるだろうが、それは、最終的な判断でだ。
このことは、恐らく、守護職から厳しく戒められていたと思われる。

ところが、龍馬が暗殺されたあの日のやり口は、はなっから暗殺が目的のテロ行為であった。
こういう暗殺は、奉行所はしないだろう。
新選組は、確かに、池田屋ではやったが、関係ない人間を殺すことはしなかったはずだ。
でも、見廻組はそれをした。

佐々木只三郎だ。
彼は、文久3年4月に、清河を卑怯とも思える手口で暗殺した。
深酒してヨレヨレの清河と橋の上で偶然出会った振りして、自分の陣笠を両手で解いて、丁重に挨拶したという。
礼儀として、清河も両手で編み笠を解き始めたその時、あらかじめ隠れていた刺客に背後から襲わせ、佐々木が止めを刺したといわれている。
これらは、実行の前に、綿密にその計画が練られていたに違いない。
行きあたりばったりの、やり口ではない。
龍馬の時と、やり口が似ている。

皆さん、あまり問題にされないようだが、龍馬を殺すことが目的で
何故、中岡まで殺られなければならないのだろう。
龍馬の周りにいるものは、女子供を問わず、皆殺しでよいという了解の元での行為だったとしか思えない。
だって、応対に出た藤吉という子供が最初に、背後から袈裟懸けに斬られたとされている。
普通、幕府の治安部隊が誰彼かまわずぶった斬るなんてことあるのだろうか。
僕は、子供の頃から時代劇少年で、いまだに時代劇チャンネルでちゃんばらを楽しんでいるが、ドラマでも、こういうことは殆んどない。

でも、実際、そばにいた中岡も斬られ、藤吉も斬られた。
この見廻組という組織、戦慄が走るほど恐ろしい集団だったのか。
でも、龍馬暗殺以外には、目立った活躍は伝えられていないが、それだって、今井の証言でわかったことだ。

話を元に戻そう。
今井は、明治3年9月20日に行部省に出頭し、供述書の中で、刺客たち全員の名を上げているが、その時は、自分は見張りだったといっていた。そして、処刑を免れ赦免された。
だが、明治も33年になって、甲斐新聞に「自分が、坂本龍馬を斬った」と、談話を発表した。この段階では、もう捕らえられることはないと判断したから、正直に白状したのだろうか。

そして、見廻組に籍があった渡辺一郎という人物も、大正4年8月5日付朝日新聞11面で、「自分は見廻組の一員として坂本龍馬を暗殺した」と証言している。
今井は、渡辺吉太郎という名を上げているが、これは一郎である。
見廻組名簿には、確かに両人ともいる。

そして、佐々木只三郎の実兄であり京都守護職で事実上采配をにぎっていた手代木直右衛門が、死ぬ間際に子孫に残した文書によると、「あれは只三郎がやったもので、命令は某諸侯から出た」と書き残した。
その某諸侯とは誰なのか、これが重要である。

松平容保と推測する人がいる。
そうだろうか。
容保は、指令を出したとしても、誰かから頼まれたか、幕府の高官からの命令で指示を出したのではないだろうか。

坂本は、先の寺田屋で襲われた時、2名の捕り方をピストルで殺したといわれている。これが事実なら、奉行所は殺人犯として彼を追うだろう。
その場合でも、奉行所は暗殺という手法は使わない。あくまで、ひっ捕らえるはずである。
その後は、勿論、獄門にするとしてもである。

僕は、ここでまだ、紀州藩からの頼みがあった可能性は在ると思っている。
例の、いろは丸事件で、龍馬に8万3000両を巻き上げられた一件だ。翌12月7日の天満屋事件。
これは龍馬を信奉する陸奥陽之介を始め、数人の海援隊士と陸援隊士などが踏み込んだものだが、斎藤一と数人の新選組隊士が用心棒として宴会をしていたが、紀州藩の三浦休太郎の護衛だったはずだ。

新選組隊士と三浦が、何故、この時一緒に酒を飲んでいたのか、謎である。

僕は、以前にも書いたが、6,7人の刺客が廊下を歩いてきて、その足音を籐吉がしこを踏んでいると龍馬が勘違いしたという話は、頷けない。
龍馬も中岡も剣豪である。
この時は、特に、刺客に気をつけるように、龍馬は進言されていた時期だし、懐にピストルだってあったのでは、と思うのだが。だったら、足音で、怪しいとわかるはずだが。しかも、ふすまを開けて、同時に二人を斬るなんてことが可能なのか。
せめて、刀の柄に触ることぐらいは、坂本も中岡も出来たはずだ。
その二人ともが、油断して、剣をにぎることもなく一刀の元に殺されるなんて、考えにくい。

きっと、気を許していた油断の時に、とっさに斬られたと思いたい。
例えば、酒を酌み交わしていて、盃を持って酒を注がれている最中に殺られたとかである。
それも、左利きの殺し屋に。
これなら、いかにも、只三郎の手口らしくないか。

であるとするならば、誰か、龍馬と知り合いがいないとまずい。見廻組の先のメンバーで、龍馬と知り合いなぞいるのだろうか。
左利きの斎藤一と龍馬との接点は、ないだろうか。
でも、斎藤は、この11月は10日まで伊東甲子太郎のところにスパイとして潜入していた。
そうか。
伊東と龍馬は交流があり、たびたび身の安全を龍馬に注進していたというから、そうした席に意外と斎藤は同席していたかも。
その伊東も、龍馬が殺された3日後に、今度は、新選組の手で殺られている。
ふ~む。
改めて、考えてみよう。

ところで、この今井信郎という男。
意外な人生を送っていた。
明治2年5月18日に五稜郭は降伏した。
今井は、江戸に護送され、獄につながれて明治5年1月まで牢獄生活を送っていた。
この間、獄中で、大鳥圭介に英語を学んだという。
そして、自分は殆んど処刑されるだろうと覚悟していたところ、意外にも、釈放された。
西郷隆盛の口添えがあったというのだ。

成るほど、ありうる話だ。
西郷は函館降伏の数日前、黒田が温情のある采配をするか不安で、わざわざ函館まで薩摩から極秘で行っている。
すると、榎本らをはじめ降伏した敵将たちに情けを持って遇したことを知って、安心して鹿児島に帰ったという。
西郷は、これ以前に、庄内で降伏した酒井候とその家来たちにも、一切罪を科さなかった。それを恩義に感じた庄内の若者たちは、西郷を慕って毎年鹿児島に留学したという。そして、西南戦争にも西郷軍で戦ったといわれている。

「大西郷遺訓」という文書があるが、これは、庄内の人たちが西郷から直接聞いた言葉をまとめて書物にしたもので、今でも、庄内地方では西郷を慕う人たちがいるという。
それは、鹿児島以上だというから皮肉である。

今井はその後、駿府に住んで私立学校を設立したり県の官吏になったりした。
しかし、その後が面白い。
明治10年に西南戦争が勃発すると、静岡県を依願退職して東京に出た。そして、警視庁の募集に応募して警部に就任した。その後、九州に行き、西南戦争で官軍として戦おうとした。
ここまで聞くと、なんだか斎藤一によく似ている。
だが、ここからが違う。
自分は前線で寝返って、命の恩人である西郷軍に味方して戦うつもりであった、というのだ。
なんとも、奇妙な話だ。

だが、前線に行くまでもなく、西南戦争は終結してしまった。
その後、大井川河畔で開墾を行なったのだが、そこへキリスト教の宣教師が布教に遣ってきた。
保守的な士族の間から、その宣教師をぶった斬ろうと話が持ち上がって、今井が斬ることになった。
ところが、その宣教師の話を聞くうち、今井は感動してしまい、その場で入信してしまったという。
その後は、熱心なクリスチャンとして余生を送り、大正7年6月25日に息を引き取ったという。

おわり


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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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