村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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“新選組・江戸歴史研究 村瀬塾”2013.9.14発足しました


ここのところ、生活が目まぐるしくて、ブログを更新するいとまがなかった。
申し訳ない。
でも、嫌になったわけではない。
むしろ、ますます、気持ちが燃え上がっているくらいなのだ。

少しだけ、言い訳をさせていただくと、この9月辺りからいろんなことがあったからだ。
9月16日に、日野市のふれあいホールで日野市主催『第九コンサート』を予定していた。

ソリストたちのアリアと「第九」四楽章だけのミニコンサートなのだが、それでも、本格的だ。
半年以上かけて合唱団を組織して、練習してきて、若手のソリストをお願いして、綿密な準備をしてきたのだが、コンサート前日から吹き荒れた台風によって、中止となってしまった。
天災とはいえ、ソリストやピアニスト、指揮者はプロである。
彼らは、それをあてにして、生活設計を立てているので、すべて全額を支払った。

このほか、来年3月9日の本格的な『第九コンサート』に向けて、200人規模で、合唱団の練習に入るので、その準備だ。
そして、この10月、11月は特に僕のライヴが多くて、てんてこ舞いだった。
言い訳が多くて、すいません。

ブログ、
随分と間が開いてしまったが、再開させてほしい。

先程、日野宿本陣文書検討会の会長鈴木さんがお見えになった。
久しぶりに、ゆっくり、新選組談義をしたのだが、僕の塾の話になった。

最近、新選組に関する様々なことが、少し寂しくなってきている中、新たに、こういう塾が誕生するなんて、なかなかないことだと、お褒めをいただいた。
確かに、あの大河ドラマ以降、今一つ、盛り上がらない現実がある。
ここ、日野を訪れる人々も、ひところの賑わいがない。

それでも、僕は、多摩地区中心に公民館やデパート、レストラン、喫茶店、高齢者施設などで、サックスの演奏を交えて、新選組をはじめ、江戸時代のお話を続けている。

写真ーーアトレ

特に、この度終了した『多摩市民塾』の受講生たちが立ち上げてくれた“村瀬塾”は、特筆すべき(自画自賛か)もので、心から関係者に感謝している。

9月の14日に、第1回の会合があり、オリエンテーションのほか、約1時間ほど、講義をした。
そして、毎月第2土曜日に僕の講義を開いているが、これまで、沖田君と近藤さんのお話をじっくりさせていただいた。

12月は第2土曜日の講座のほか、第3土曜日に、近藤さんの生家、お墓を拝見して、深大寺までウォーキングを行なう。勿論、そこで、おいしい蕎麦を食うことになる。
この“塾”は新選組の研究をしながら、新選組関係の歴史探訪旅行をすることを目的としている。

来年には、京都への新選組ウォークが予定されている。
勿論、僕が案内する。

もう、7~8年も前になるか、僕の本を読んで、感銘してくれた人たちが全国から集まってくれて、京都ツアーを行なったことがある。
あの時、輪違屋に行く予定が中止になってしまった。
あまりにも経費が掛かるのと、その経費を、僕が前金で立て替える条件だった。
とても高額なので、実現できなかった。
その代わり、一般には入れない『新徳寺』に行くことが出来た。
ここの本堂は、文久三年2月24日、清河八郎が大演説を行ったところで、歴史的には重要な場所なのだが、残念にもふつうは拝観できない。
たまたま、住職の山田さんとは親しくさせていただいているので、快く応じてくださった。
これだけでも、全国からの新選組ファンは喜んでくださった。

この度、再び京都ツアーを行ない、この塾では、以後、会津や函館も計画に入れている。
今は、まだ20名足らずだが、塾頭さんがおっしゃるには、最終的には40名程度まで募集をするという。
関心のある方は、どうぞ、ご連絡を。

さて、講座の進め方であるが、世話人の方のご意見で、僕の『人間土方歳三』をテキストに使って、進めている。
これを書く際のエピソードや秘蔵の話などを聞かせてほしい、というからだった。
そうか、そういうことなら、いくらでもある。
なにせ、ここ日野には新選組の関係者、子孫などが多く、つい筆が滑ると、その方々へ心証を害することもある。
そうしたものは書けない。お話しする分には差し支えないものもある。
だから、了承した。
それに、京都では、いろんなエピソードもあったし。

例えばの話だが、
僕は、8人兄弟の下から2番目である。
歳三は、10人(と言っても、4人は早逝しているから6人だが)兄弟の末っ子で、似ている。
歳三は、父の顔は知らない。
生まれた時には、すでに死亡している。
母は、6歳の時に亡くなっている。
だが、その後の世帯主の兄とは、うまくいっていなかったと思える
。むしろ、盲目の兄、為二郎の方と仲が良かったようである。
その後も、ず~と、歳三は、実家には寄りついていない。

僕も経験があるが、
姉が結婚してアパートに住んだが、そこへよく無神経にも、泊りに行ったことがあった。
歳三の場合は、すぐ上の姉のおノブさんのところへ遊びに行っていた。
もっとも、そこの家主、佐藤彦五郎は親同士が兄弟であり、いとこでもあったから、気やすかったとも言え、場所も日野宿のど真ん中で、石田村よりは、はるかに楽しいのである。
年頃の歳三には、よりふさわしいところだったと思っている。
そこで、総司と出会った。
総司はまだ、子供である。
でも、剣術は群を抜いて強かったーーー。

ところで、
僕の本は、四幕構成になっていて、第1が沖田総司、第2が井上源三郎、第3が近藤勇、第四が土方歳三自身になっている。
順を追って、テキスト通りに進めると、沖田総司から解説することになる。
だから、9月の14日は、総司の話から入った。

でも、この総司の話程、難解で厄介なものはないと言える。
なにしろ、父親も母親も誰だかわかっていないのである。
一応、父は、沖田勝次郎ということになっているが、これだって、確証はない。
また、井上泰助が総司の姉、おミツさんにあてた手紙の下書きでは、井上惣蔵の弟が父親ということになっているが、勝次郎と同一人物なのか、はたまた、違う人だったのかもわからない。

母親は、もっとわからなくて、殆ど手がかりはない。だから、多くの専門書、小説などでは、「不詳」となっている。
でも、ここ日野辺りは、昔から「総司の母親は、宮原の娘だよ」という言い伝えがあり、当の宮原家では、今でもそのように信じている。

その証拠となるいくつかの物的証拠はあるのだが、確証まではいかない。今、なんとか出てこないか、探してはいるのだが、容易ではない。

10月12日(土)は、新町交流センターで総司の話の続きをした。
11月9日は、日野宿交流館で近藤さんのお話だった。
12月14日は、近藤さんの続きの話をする。
そして、翌週の21日に近藤勇ツアーを行なう。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






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