村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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流山――近藤・土方の別れ

僕の新選組村瀬塾も、順調に毎月講座を行なってきている。
先日も、近藤さんのお墓のある三鷹市大沢地区辺りを散策し、深大寺で蕎麦を食って解散した。
なんだか、皆さん、人生を謳歌なさっているようで、少しでも自分が役立っているのかと、感慨深い。

この間、流山・綾瀬・板橋付近を下見に行ってきた。
4月26日に、「村瀬塾」が、そこのウォーキングを行なうからである。

流山・江戸川あたり
流山・江戸川の流れ

近藤が自首した旧暦4月3日。
この時期、菜の花が川沿い一面に咲き誇っていたはずだ。
近藤たちの本陣長岡屋は、向かって右川沿いのすぐ近くにあった。

流山本陣前
本陣前

そういえば、源さんが命を落とした京都、淀の川沿いもここにそっくりだ。
近藤さんは、この流れを見て、降参する気になったか――。

村瀬塾では、ここの見学が終われば、次は京都だ。

改めて、近藤さんの後半生を振り返ってみよう。
近藤、大目付の永井さまのお供で、長州に訊問使として行ってきた。
領内の様子を調べようとしたが、長州領内へは一歩も入ることが出来ず、思惑通りにいかなかった報告を、土方歳三に西本願寺の屯所でした。
それどころか、連中は、来るべく決戦を控えて、着々と軍備を整えており、今戦えば、確実に幕府軍は敗退するだろうと予測できた。
そして、慶応2年8月、第二次の長州出兵は大敗北し、失敗に終わった。

慶応3年11月18日、近藤ら新選組は、油小路で伊東甲子太郎を闇討ちした。その後は、その一派を再び待ち伏せして、伊東の配下数名を更に殺した。
中には藤堂平助まで含んでいて、大きな粛清となったのだが、これがきっかけで、近藤に大きな転機がやってきた。

12月18日には、今度は、伊東配下の残党に、京都の墨染付近で右肩を撃ち抜かれた。
瀕死の重傷で、気力で生き返ったといってもよいほどに深い傷跡が残った。右手が、元通りには上がらなくなった。
勿論、それまでの剣術ができるほどには回復はできず、剣術家としての道は閉ざされたと言って良い。

翌慶応4年1月3日に勃発した『鳥羽伏見の戦』では、自身、参戦できなかったばかりか、肺病の沖田総司と並んで大阪城に臥せていたのだった。
だから、この戦では、土方歳三が采配を振るった。

ここでは、負け戦となったが、1月上旬には、新選組も大阪湾から船で江戸へ引き返すことになった。
京都の仇は江戸でというわけだが、傷の回復が思わしくない近藤は、ここで何を考えていたのだろうか。

3月1日に内藤新宿を出発して甲州に向かい、甲府城を守って籠城しようと戦略を練ったのだが、板垣退助を頭とする西軍に先に奪取されてしまって、勝沼で追い返されてしまった。
というより、それ以前のこととして、幕府御殿医を勤めていた松本良順がつけてくれた味方の兵士たちが、次から次へと脱走してしまって、とても戦にはならなかったのだ。
土方は、直ちに横浜へ引き返して加勢を求めた。だが、ここに屯集していた「菜葉隊」は直参連中であり、新選組への加勢なぞまっぴら御免であった。

その後、3月中旬に綾瀬の金子家に屯所を構えるのだが、ここも普通の民家である。200名を超える隊士たちが次々とやってきたが、いつまでも居座るわけにはいかなかった。

綾瀬ーー金子家
金子家――門と建物

4月に入って、直ちに流山に移った。
直ぐに、官軍に囲まれて、近藤はとうとう自首する羽目になった。
自首と言っても、この場合は大久保大和という偽名を使っていたのだから、うまく逃げられれば、儲けものという賭けもあったのだろうか。
薩摩の有馬藤太率いる東山道軍に、板橋の刑場まで運ばれ、4月25日に板橋で露と消えた。

ざっと、近藤さんの後半生を振り返ったのだが、僕は拙著の中で、近藤さんが斬首される約一月前、綾瀬川の堤で、歳三としっとり言葉を交わす場面を書いた。
ここに、たっぷり時間をかけて、じっくり二人の会話と綾瀬川沿いのたたずまいを描いたつもりだ。

二人は、並んで、堤に腰を下ろし寝ころんだ。
死を覚悟して、松本良順に毒薬をもらいに行った近藤と、まだまだ血気盛んで、戦闘意欲の盛んな歳三を対比させた。

綾瀬川
綾瀬川の原風景

今は、上空に高速が走ってしまって、当時の面影は感ぜられない。

それは、熱望していた攘夷も否定され、肩を打ち抜かれて剣術家として生きてゆくことを閉ざされた道場主と、自分の居場所を求めて、硝煙の中に身を置くことを決めたものとの違いであった。

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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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