村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

「高島嘉右衛門」について、講演依頼が来た(3)

あの、「高島嘉右衛門」について、講演依頼が来たその3

~~嘉右衛門の父、嘉兵衛は、それはそれは見事な人生を送った人で、この人だけでも、立派な小説やドラマになる人だった~~

「殿、御出座」
と、甲高い声が、鍋島藩上屋敷中に響き渡った。
遠州屋嘉兵衛は、鍋島藩用人成富助左衛門に連れられて、庭先に連れ出された。
表御殿の前庭、白砂の上に座らされ、しばらく待たされた。

廊下をまがって現れた鍋島直正は座敷へ入らず、縁側に立ったままである。
「遠州屋嘉兵衛と申すか。直答を許す。頭を上げい!」
鋭い一括を浴びせた。
嘉兵衛は、静かに頭を上げた。こちらも、冥途の土産に、あの名君と言われている閑叟侯のお顔を拝顔しておきたかった。

「その方、一体、何のためにこのようなことをたくらみ、当家に多大なる損害を与えた?」
「…、南部藩60万領民を餓死から救うためでございます」
「先ごろ処刑された鼠小僧とやらも、盗み出した金品の一部を窮民に施して、義賊を気取っていたという。その方の行為はそれと同じ、いやそれ以上だと見て取れる」

嘉兵衛、頭を上げてはいるが、決して殿様の顔を見ることはない。
「ご当家には、大変申し訳ないことをいたしましたが、あのコメは一合たりとも、わたくしは、口にしてはおりません」
「わかっている。しかし、その罪に対する償いの覚悟はできているな」
「はい、もとより命は捨てる覚悟、殿のお刀の錆ともなれば、幸せに存じます」
「……、三之助」
嘉兵衛を護送してきた若侍の一人が、白砂の上にひれ伏した。すでに、袴の股立ちを取り、襷掛けとなっている。
「最後に、言っておきたいことはあるか」
「はい、…手前自身はどうなっても構いませぬが、他のお方には何の罪もありません。ご家老の井上さまをはじめ、南部藩のお三方、手前の命に代えまして、ぜひお許しをお願いいたします。……、これが手前の最後のお願いでございます」
「そのような指図は、受けぬ。西は右手じゃ、座りなおせ」
嘉兵衛は眼をとじた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、……」

首筋の後ろに、冷たいものを感じた。心の中で、「これが、今生の別れ」とつぶやいた途端、
「あっぱれ!」

愕然として目を開いた嘉兵衛。‐‐まだ、生きている。
縁側の直正、顔には笑みがこぼれている。
助左衛門も、涙ぐんでにこやかに頷いている。

「こ、これは、どうしたことでございますか」
嘉兵衛には、なにがなんだかわからなかった。
「商人には惜しい男だ。わしも家来にそのような男を持ちたいぞ。――最初から、斬るつもりなぞなかった。最悪の場合でもみね打ちじゃ」
鍋島直正閑叟は、みね打ちの後、不浄門から死体と証して嘉兵衛の亡骸を運びだすつもりであった。

「首の座に臨んで、誰にも責任を押し付けず、かえって他人の命乞いをする心意気、わしも、久しぶりに感服致したぞ」
「それでは、私の罪は…」
「鼠小僧や河内山を持ち出したのは、その方の真の心根を確かめるため。その方に、一点の私利私欲がなかったことは、今わしがこの目で見届けた」
「お殿様!」
嘉兵衛は、額から血がにじみ出るほど、白砂利にこすり付けた。
「幸い、佐賀は今年、大豊作じゃ。一割以上の増収は望めるだろうということだった。35万7千石に対して3万石は、1割足らずじゃ。今年、平年作と思えばよいのじゃ。天から、与えられた余剰分だとみればよい。それで、60万人の命が救われれば、これほど嬉しいことはない。その方のおかげで、わしも思わぬ善根を施したぞ」
直正、腕組みしてさらに続けた。
「国元の重役たちにも、書面を使わし、よくぞやったと褒めておいた。この三万石にしても、無償で差し上げてもよいのだが、それは大膳太夫殿の顔もたつまい。長期年賦の支払い、確かに承知いたしたぞ」
嘉兵衛、涙で下の砂利が濡れている。
「……」
「その方には、まだ話を聞きたいこともあるが、南部のお屋敷でも、その方の安否を気遣っていることだろう。一刻も早く、帰ってやれ」
「はあ、……」
「南部藩、後家来衆によろしくな」

ゆっくりと廊下を去っていく直正の後ろ姿は、神か仏のように思えた。
再び嘉兵衛は、今度は声を出して、男泣きに泣いた。

「嘉兵衛殿、嘉兵衛殿」
後ろから、助左衛門が声をかけた。
「さぞかし、寿命の縮まる思いをしたことであろう。どうか、許してもらいたい。殿には、あれで案外、芝居気がおありでな。嘉兵衛という男は、武士にも劣らぬ大人物と思うが、一つこちらも芝居を打って、その心根を見届けたいとの仰せ――それで、このようなことになったのだ。悪く思わないでくれ」
「とんでもないことでございます。――確かに、お殿様は世間で言われている、その通りのご名君。もしも、お家に何かの事件が起こり、手前がお役にたつようなことがあれば、粉骨砕身、今以上の働きををお約束いたします」
嘉兵衛、未だに、こぼれるものが止まらない。

南部藩の上屋敷に戻った嘉兵衛、
「お殿様にもお目通りの上、そのお口から直々に、コメ代金、長期の年賦払いの件、いかにも承知いたした――と、ありがたいお言葉を賜りました」
「なに、も一度申せ。なんだと」
南部藩の重役3人は、すでに浅葱色の死装束に着替えていた。
3人は、顔を見合わせて、茫然自失というほど、信じられない顔つきを見せた。
「…、…、…」一息はいった。

3人は、呼吸を整えた。
「も一度聞く。本当なのだな」
嘉兵衛は、この日おこったことの一部始終を話し始めた。
3人は、途中から、顔はしわくちゃである。
瀬山命助なぞは、大声で泣いている。
「何とも、ありがたいお言葉。…われら3人、孫子の代まで、肥前鍋島の方角へは、足を向けては寝られはせぬ」
「おそらく、その方のことゆえ、生きては帰れまいと思っていた。鍋島ご家中では、出入り商人一人の命で片ずく一件かと。この上更に、御追求があるのが必定とわれら3人、切腹は覚悟しておった」
「われら3人が切腹してお目にかけたなら、鍋島さまのお怒りも和らぐであろうと。そうなれば、両家の確執も未然に収まるであろうと思っていた」
「その方のことも、殿に差し出す遺書には、賛美の言葉を連ねておいた。嘉兵衛万一の折には、幼少ながら、その子清三郎を士分にお取立て願いたい、と。それがせめてもの供養であり、南部藩としても最小限度の恩返しと存じますと、詳しく書いておいたのだが」
嘉兵衛は、畳に手をついていった。
「ありがたいお言葉でございます。もはや、その必要もなくなりました。これ以降は、皆様にお任せいたします。今夜にも、鍋島さま側とお話を再開なされますよう。正式な証文の書き換えを、お願いいたします」


この事件は、幕末列藩史の中でも他に例を見ないような『美談』として、「南部藩史」にも「鍋島藩史」にも、公式の記録として残っている。
この直後、南部藩が、嘉兵衛に対し80石の家禄を与え、永代士分待遇という資格を授けたのは、この大功績に対しては、むしろ過少とも思える。

東洋運命学の教えには、次のような格言がある。

『積善の家には必ず余慶あり。積悪の家には必ず余殃(悪事の報いとしての災禍)あり』

人の善行悪行は、本人の代にはあらわれなくても、子孫の代に必ずお返しがやってくる、ということか。

後日、嘉兵衛の子高島嘉右衛門が、『その予言、神に通ず』とか、『人か神か』と讃えられる程の易聖と評価されたのも、その父嘉兵衛の余慶だったと解釈できないか。



なお、この短編は史実とはいえ、その大部分を、高木彬光氏の『大預言者の秘密』から引用させてもらったものである。


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「高島嘉右衛門」について、講演依頼が来た(2)

あの、「高島嘉右衛門」について、講演依頼が来た―――その2

~~嘉右衛門の父、嘉兵衛は、それはそれは見事な人生を送った人で、この人だけでも、立派な小説やドラマになる人だった~~

天保の大飢饉のさなか、嘉兵衛にとって、南部60万人の民を餓死から救うために様々な難問を抱えていたのだったが、当面のこととして、頭が痛いのはコメの運び方であった。
何しろ、今の佐賀県伊万里港から岩手県の石巻まで、3万石のコメを、当時の木船で運ぶのである。
江戸の時代、最大の船でも1,500石積の帆船と決められていたのだから、単純に考えて、20隻以上の船の手配が必要になる。

これらのことは、南部藩の武士たちに要求しても無理な仕事なので、嘉兵衛自らが鍋島藩の現地へ赴いて、次々と必要な仕事を処理していくほかなかった。
まず、コメを運ぶための船であるが、向こうの廻船問屋に掛け合って、充分な船を確保し、手配を完了させた。
嘉兵衛の仕事の正確さ、素早さ、その実直さを間近かに見た鍋島藩の重役たちは感嘆し、その報告を藩主閑叟にも届けたのである。

果たして無事に、3万石のコメを東北の地に届けられるものだろうか。
途中、暴風雨にでも合えば、全滅である。金の支払いだけは残ってしまう。
神にも祈る気持ちで、嘉兵衛は、身を清める毎日だったのである。

もし、南部藩のこの窮状をしのぐことが出来なければ、お殿様からの厳命に窮余の策を講じることが出来なかったとして、江戸詰めのご重役たちは、腹を切ってお詫びすることになるだろう。
勘定奉行の斗賀沢権右衛門は、顔色を変えた。
江戸に帰った嘉兵衛の支払い要求に対して、
「ちょっと待て、わしも勘定奉行として当藩の財政は誰よりもよく知っている。
米三万石の代金となれば当然、十万両は超えるだろう。だが、それだけの現金は、到底工面できかねる」
「……」
「ない袖は、ふれないのだ…、その時は、我ら三人、腹をかっさばく他には、道もあるまいな」
三人とは、勘定奉行の斗賀沢権右衛門のほか、江戸留守居役瀬山命助、用人照井小兵衛であるが、悲痛な面持ちのうちにも、最後は、嘉兵衛の提案に従うしか方法はなかった。

しかし、嘉兵衛だって、11万両なんていう大金を今、南部藩が工面できないことは百も承知の上のことである。
ただ、後先のことは考えず、コメの工面だけを先に行ってしまえば、大勢の餓死者を出さずに済む。
代金の支払いは、その先どうにかするという戦略だった。

そうは言うものの、さて、どうしたものか。
嘉兵衛だって、これだけの詐欺行為を働いたのである。
金のないのはわかっていながら、先に、コメだけいただいてしまおうという策略である。鍋島藩が許すはずがない。
自分の命はないものと、もうとうに腹を決めていた。

三万石のコメは、無事に、全部が石巻港に安着した。次は、北上川の河船に積み替えて盛岡までだ。これは、そう心配はない。
神の助けがあったとしか、考えられなかった。

天保の飢饉で、秋田藩では20万人の餓死者が出たという。ところが、南部藩では、殆んど犠牲者を出さなかった。それは、この嘉兵衛の血みどろの活躍あったからである。

嘉兵衛は、江戸の鍋島藩の屋敷を訪ねた。
「おかげさまにて、この大役も首尾よく勤め終了いたしました。三万石のコメも一俵残らず無事に石巻まで到着した由にございます。南部藩60万の領民も、鍋島さまのご慈悲に感涙いたしておりますとか。
手前よりも、厚く御礼申し上げます」
用人、成富助左衛門は、
「それはまことに執着至極。ところで、その代金の決済のことでござるが、如何かな」
嘉兵衛の顔には、困惑の色がみなぎった。
「はい、…正米三万石の代金11万両と申されましても、大変な大金でございます。今、南部藩のご金蔵にはその一割もございません」
「なんだと」
「……、如何でしょうか。しかるべき利息を付して長期の年賦払いという条件に切り替えていただけませぬか」
「な、な、なんという話だ」
用人の成富、開いた口がふさがらない。飛び上がらんばかりの、驚きようだ。
「その方、あの時なんと申したのだ。その代金は、最初は国元で船が出港した時に引換払い。その後は、裏を返したように江戸表で一括払いともうしたではないか」
「はい、左様でございます。そうでなければ、このお話はまとまらなかったでございましょう。手前としましても、一生に一度、二度とつけない大嘘でございました。それもこれも、数十万人の人の命を救うためでございます」
「うむ…」
わなわなと、震えている。
「南部藩のご重職方、どなたにも責任はございません。このお詫びには、商人ながら遠州屋嘉兵衛、切腹してお目にかけます。なにとぞ、私一人の命と引き換えに、長期年賦の件、よろしくお取り計らい、お願いいたします」
「うむ…、うむ…、うむ…」
ただ、唸るだけである。

気持ちを静めた助左衛門、
「その方の気持ちは、よくわかった。……、でもな、この一件、わし一人で即答できるものでもない。殿に申しあげてご意を伺うが、しばらくここで待つがいい」

助左衛門、腰を上げたが、直ちに振り返った。
「ただ、念のために申しあげておくが、決して早まったことはするでないぞ。わしが、ここへ戻ってくるまで、この座敷なり庭先を血で汚すことは許さぬぞ」
再び、振り返って、
「くれぐれも、早まるな」
嘉兵衛の固い決意を読み取ったのか、しつこいぐらいダメを押した。

それから半時もたったころ、助左衛門は戻ってきたが、ますます顔の表情は憂色のままである。
「遠州屋、…その方、鼠小僧次郎吉という大悪盗を知っているか。諸大名家に忍び込んでは、多大なる金品を奪い去った怪盗だが」
「はあ?勿論、その名は知っておりますが」
「奴は、今年の8月19日、36歳を一期としてお仕置きにあった。…、そして、次には、河内山宗俊、そして片岡直次郎だ。この二人はどうだ」
「はあ、その二人も知らずしていかがいたしましょう。河内山は先年獄死し、直次郎の方も、今は牢内で死罪を待つ身だと聞いておりまするが」
一体何を言い出すのやら、遠州屋嘉兵衛は狐につままれたようである。
「そうか、それを承知なら、あとは言うまでもあるまいが、その河内山、奴の一世一代の大芝居のことも知っておろうな」
「はあ」
「上野一品親王さまのご使僧、大僧正浄海と偽って雲州松江侯のお屋敷へ乗り込み、松江候のお目にかなった侍女を無傷のまま無事親元へ連れ戻しただけではなく、正体を見破られてから、さらに開き直って、多額の金を出雲家からゆすりとった大悪人だ。殿には、その方をそれ以上の大悪党だと、仰せあった」
「ははあ…」と、畳に頭をこすり付けた。
「処分は後刻決定するが、生前に、一目だけでもその人相を確かめておきたいとの仰せなるぞ。さあ、お手討ちを覚悟の上、御前に参上するがよい」
「かしこまりました」

つづく

村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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