村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

大江戸ツアーから、西郷隆盛の人柄へ

この間、僕のBBSのコーナーで、図らずも、その気はなかったのだが、西郷隆盛のことを語ってしまった。
大江戸ツアーで、西郷さんの銅像をみたとき、参加者の方々の多くが「何故着流し姿なのか」を『知らない』というからだ。
でも、実は、西郷さんて、言うのがとっても難しい人だ。
僕は、とっても、最大級に尊敬しているんだけれども、そして、幕末についてこれまでたくさんいろんなところで語ってきているんだけれども、西郷さんについては、上手くいえたことがない。
そのくらい表現に難しい。
だが、折に触れて、気分に任せて言っていきたいと思っている。

話は違うが、今、1月21日の夜中なんだが、どういう弾みか、うちの高2の娘が今後ろで『土方歳三最期の一日』を見ている。お正月番組のDVDをまとめ見しているのだ。
3日の7時30分辺りから、山本耕史が会津を散策した時の模様も今やっていた。
その中で、喜多方で『朝ラー』というのを彼が食べていた。
そう、その名の通り朝からラーメンなのだ。
喜多方のラーメンは、昔ながらの支那そばの風で、『みそ』や『とんこつ』も良いが、僕はやっぱり最後は支那へ行ってしまう。
娘が言った。
「明日、食べたいな」って。
「何処のを?」と、聞いた。
「ウン、ミンミンでいいや」と。

『ミンミン』とは、僕の家の近くのラーメン屋なのだが、昔ながらのラーメンという意味合いでは、この辺りではピカイチである。
この店、兎に角、気まぐれで、いつやっているかわからない。こういう店は、大概が評判悪く、長くは続かないものだが、ここは味がよいから、開いていればいつも並んでしまう。
行ってみたい人は、今度歴史館に来たときにでも声を掛けてくれれば、出来るだけお付き合いしますよ。
車で5分程度だから。
ただし、やっているかはわからない。
(管理人注:ビッグボーイ横のミンミンでしたら月・火休みです。ただ営業日も11時から16時までの5時間のみ)

おっとっと、今日は西郷さんのお話しするつもりだったのだが、悪い癖で、新年になっても相変わらず脱線が多い。

15代将軍の慶喜が、慶応3年10月14日に大政奉還をしたのは知られていることだが、その後、12月9日の王政復古の大号令で慶喜の官位や領地まで没収すると言い出した。
この辺りが慶喜の誤算で、先手を打って政を返上したつもりが、まさか領地財産まで取り上げると言い出されるとは思ってもいなかった。
これには徳川方も従うわけにはいかないから、当然戦争になってしまう。
これが、鳥羽伏見の戦である。

当時、徳川の領地といえば、日本全国に天領として散らばっているものはあったが、最大級のものは関八州であろう。
ここを取り上げられるということになるのだが、新政府は何故、そんなむごいことを言い出したのだろうか。
政権をいきなり返上されても、先立つものがないのである。
天皇政権といったって、徳川幕府からせいぜい3万石程度の領地しか貰っていないのだから、全国を治めるなぞ、出来るわけがない。
天下に、新政府として威厳を持って政治を行なうには、それまでの徳川幕府と同程度の財力を持たねばならぬと考えた。
だから、それまでの徳川の全財産を取り上げるのである。
徳川方からすれば、一大名に戻るのだから、なにも財産領地まで取り上げられるいわれはないということになるのだが、それも一理はあった。
だから、西郷や大久保、岩倉らは徳川を罪人、朝敵に仕立て上げる必要があった。
12月25日、江戸の薩摩屋敷を幕府は焼き討ちした。
これも、西郷の挑発にのせられてしまったもので、面白いように薩摩の思うがままに幕府は翻弄されてしまった。
人生、だめになり始めると、とことん転がり始めてしまうものなのかもしれない。

ここで、西郷という人間について、さまざま憶測されるのだが、つまり、戦争好きな男だと。
あの司馬遼太郎氏まで、そのように思っておられるようだ。
「西郷は、徹底した武力革命思想家だ」としている。
強大な徳川政権を倒すには、おいそれとはいかない。5年も10年もかかるかもしれない。自分たちはそうした途方もない大仕事に手をつけてしまった。
だから、自分たちは『戦屋』にならなければならないと、腹をくくった。

う~ン。
でも、僕は違うと思っている。
戦屋になりきるということは本当だったと思う。
ならなければ、新しい時代がやってこないからであって、でも、そのことと自分が戦が好きかどうかということについて、ストレートにはつながらない。
人生、不本意に事を行なわなければならないことがあるからで、西郷の場合には、そのことが、明治に入っても実に多く、彼の名を持って行なっていることでも、本人は納得していないことの連続である。
僕は、西郷さんは、本当は戦争が大嫌いな人だったと確信している。これは、説明が難しい。
あの人の人生、やってきたことや書き残したことを総合して考えると、あの溢れるばかりの愛情と優しさの中に、人を殺すことに反発を感じるからである。

チャップリンは言った。
「一人を殺せば殺人犯だが、大勢を殺せば英雄だ」と。
西郷さんは、一人でも大勢でも殺したくない人だったに違いない。

でも、彼は革命を推し進めなければならない立場に立たされていた。徳川政権を倒し、新しい政体を生み出すには、前時代のものを全部払拭して、焼け爛れた焦土の中からあたらしいエネルギーを見出すものだろうと考えざるを得なかった。
それまでの歴史が、日本国ばかりでなく、世界の先例からして無血の政権交代なぞないのだった。
でも、出来ることなら、血を流さないで事を収めたかったのである。
だから、『無血開城』に快く応じた。
むしろ願った。
だから、そうなるように仕向けた。勝海舟は立場は違うが、全く同じ考えを持つ人物だったから、ことは順調に進んだ。
明治維新が、ああゆう風になったのは、時代がそうさせたのではなく、勝と西郷が強引にそのように終結させてしまったといえなくもない
。あの二人でなければ、100%、ああゆう結果にはなりっこないからだ。
あのときには、山岡鉄太郎の駿府への、有名な斥候としての働きもあった。この間の書簡がたくさん残っていて、西郷と大久保、岩倉などがどのように変化していったかもわかる。
残る課題は、慶喜の命をどうするかということと、領地没収についてである。
結果として、殺されなかった。
敵将の首をとってしまうことは当然のことだが、そうしなかった。そして70万石残った。
徳川家も一大名になった。
西郷は最低でも100万石は必要だと主張したが、反対されて70万石になってしまった。

西郷さんは心優しい人で、徳川家が存続してゆくには、100万石程度ではとても足らないだろうとわかっていた。
だが、新政府軍は薩摩藩だけではないのである。
過激な人たちの集合体であり、薩摩ばかりがいい顔するわけにはいかないのである。
実際、5月15日に起こった上野の戦争も長州の大村益次郎の活躍で収まった節もある。薩摩の戦略ではなかった。
大将とは、あちらもこちらも立てなければならないのである。

土佐の立場もある。
だから、近藤勇は殺された。
この場合、勝の助命嘆願書は確かに板橋に届けられたらしい。また、別ルートで西郷の指令もあったかもしれない。
だから、有馬藤太は近藤に優しくしたし、命だけは助けてやりたかったと伝わる。
この話は、薩摩は新選組に特に恨みがなかったからだという人もいるが、そうかもしれないが、僕は西郷さんの人柄だと思っている。

長くなってしまったので、続きは次回とする。
スポンサーサイト
コメント
かえさん、懐かしい。
まだ、昨年の京都ツアーから何ヶ月も経ったわけじゃないのに、なんか、スゴーク昔のような気がします。
大江戸ツアーが終わってしまったからかもしれませんね。

かえさんも、遠くに行かないように、いつまでも近くにいて欲しいです。
ですから、うちの歴史館が展示やってるうちに、一回は来て欲しいですね。

たとえば、ゴールデンウィークか次の週の新選組まつりに。
多分、抹茶んやその他の人たちも来るでしょうし、何よりもかえさんが来るなら、みんなきっと集まりますよ。
調整してみてください。

函館ツアーについては、今、練りに練っています。
近々、お知らせしますので、お待ちください。

村瀬彰吾
2006/01/30(月) 00:10 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
お久しぶりです!
こんにちは!村瀬さん☆
ご苦労様でした!
江戸ツアー楽しそうで家でかなり羨ましがってましたよ~(涙)
青ちゃんからの写メで深川めし&飲み会の様子・・・・。
参加したかった!!
函館は絶対参加しますから!
村瀬さんにも会いたかったですよ!!
楽しみにしています!
でわ~♪
2006/01/28(土) 15:11 | URL | かえ #2O1MgrBY[ コメントの編集]
もまさまへ、西郷が。
西郷の名がありますか。
う~ん。

誰がどういうセンスで入れたのでしょうね。
あなたがおっしゃるように、武人としてなのかそうでないのか、興味があります。
『情の人』として、西郷さんが取り上げられて欲しいです。
敵も含めて、相手を思いやる包容力みたいなものでしょうか。
2006/01/27(金) 02:30 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
「代表的日本人」内村鑑三
最近、読んでみたい本の1冊です。
取り上げられている5人の中に、西郷さんも入っていますね。
私は、上杉鷹山からのアプローチなんですが、あとの4人が鷹山をはじめ、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人と「文」のイメージが強いのに、西郷さんだけ「武」の人なのが不思議だったのです。
でも、村瀬さんのおしゃるように「戦い好き」でないのが本当の姿と考えれば、納得できそうですね。
ますます読んでみたくなりました。
2006/01/26(木) 23:52 | URL | もま #tHX44QXM[ コメントの編集]
コメントの投稿
【Font & Icon】
管理者にだけ表示を許可する
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






リンク
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カテゴリー
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新の記事
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近のコメント
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード