村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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再び、京都へ

突然、京都へ行きたくなって、バスの予約をしたのだが、もう行楽シーズンに入っているのか、一杯だった。
仕方なく、最終の新幹線で行ったのだが、京都駅に着いたら、夜の11時半を廻っていた。

今回は、どういうわけか、『龍安寺』へ行きたかったからである。
何故龍安寺なのかって、たいした理由じゃないが、いつだったかテレビを見ていて生きたいと思ったからだ。
大河の新選組!で、近藤の女房ツネ役の田端何とかさんという女優さんが、龍安寺を案内していたことがあった。
そのときの映像が素敵で、どうしても、行きたかったのである。
龍安寺といえば、有名なのは石庭であって、僕はもう何十年も前に修学旅行で行ったきりなので、ゆっくり拝見したわけではなかった。
だから、一度はゆっくり見てみたいと思っていた。

何よりもびっくりしたのは、龍安寺というのは、あんな広い寺だったのかということだ。
京都の寺って、時々そういうことがあって、西も東も本願寺はでかいし、南禅寺だって、大徳寺だって大きい。
龍安寺も大きいのである。
ここには、石庭のほか、方丈という建物に、もともと立派な襖絵がはめられていた。
それも、30枚にも及ぶらしいのである。
それが見事に、今一枚も残っていない。
テレビでは、テレビ東京で放映していたのだが、見ごたえのある番組だった。
今、その襖絵は、全部海外に流失してしまっているらしい。
そのうちの何枚かを、その番組で発見し、数枚がアメリカの確か、ボストンの美術館に保存されていることがわかった。

なんとも美しかった。
だから、見てみたいのだが、日本では見られないし、帰ってくることなぞ、あるんだろうか。
美しいといえば、竜安寺なのだから『庭』なのだが、たまたま正面の塀を工事していて、前面幕が張り巡らされていて趣どころではなかった。
ただ、このままじゃなんとなく悔しいから、工事中の塀のそばへ行って、どんな工事をしているのか確かめてやろうと思った。
たまたまそこに、宮大工が仕事をしていた。
大概こういうときは、気難しい大工がいて、そばへ寄ると機嫌悪そうにされるんだが、このときの大工は気さくな人で、こちらが近寄ると嬉しそうに、大工の方から話しかけてきた。
「運が悪いね、今、工事やってるから」
僕も、こういう大工と話が出来るのも珍しいことなので、
「ヤッパリ、こういう屋根の修理も宮大工さんというんですか」
「わしら、屋根師かな」
「ところで、今やっているその作業は、そこからまだ何かするんですか」
その屋根師は、もう数百年も前に作られたと思われる土塀の屋根に、一枚一枚薄い小さい板を形を整えては乗せて、芯の細い釘を打ち付ける作業を繰り返していた。
材質は聞かなかったのだが、多分ヒノキだろうと思われる厚さ1センチもない薄い板で、10センチ×20センチ四方の軽い材質のものをカンナで削っては屋根に乗せていた。

あの石庭を囲んでいる塀は全長どのくらいあるんだろうか。
少なくとも正面と両脇は囲んでいた。
それを全部修理するんだから、4ヶ月かかるのはわかる。この3月まで修理するらしい。
「地道な作業ですね」と聞いた。
「でも、これでおしまいさ」
「へえ、その先はないのですか」
「このままだよ」
よく見ると、既に修理が終えているところは、確かにそのままほうってあった。
「室町の時代から、この形ですか」と聞いてみた。
「そうだ、数十年に一回は直してきてるんだ」と。

あの塀の屋根、遠くから見るとよくはわからないが、そばで見てみると、細かい板が重ねられていたことがわかる。
なんとも風情のあるよい光景を見せてくれた。

襖絵は、ないんだからどうしようもないが、庭をゆっくり鑑賞して満足、と行きたかったが修理中だった。

でも、このたびの目的は、『蹲(つくばい)』にあった。


蹲とは、『つくばう』の名詞か。
これは、うずくまることである。
うずくまって、低く据え付けられている手水鉢(ちょうずばち)で、茶客が手を洗うものである。
だから、この石でできている手水鉢が蹲なのだが、これがまたいい。
あの水戸の黄門様がプレゼントしたらしい。
光圀である。
昔の銅銭のような丸い形をしていて、直系50センチほどである。真ん中が四角くえぐられていて、そこに水が溜まる仕組みになっている。そこに、こんな文字が彫られていた。

            五
         矢 口 隹
            疋

実は、したの『疋』という字だが、正確には上の横棒がないのである。
僕が、このPCで探せないので、代わりに使った。
これは、真ん中の口の字を全部に使って、《吾・唯・足・知》と読む。
《われ、ただ、足ることを、知る》と。
これは、禅の無言の悟りで『知足るものは貧しといえども富めり、知足らずものは富めりといえども貧し』ということを教えている。
今回は唯、この蹲が見たくて京都へ行った。
こんなことで行ってるんだから、何年生きても生きたりない。
でも、他に収穫もあった。
『たこ焼き』である。


また、食う話。
そう。寺町どおりにあるたこ焼き店で「なまだこ釜湯で」と書いてある。店は丸幸水産蛸薬師店だ。
ここで食べた〈ねぎかけソースからしマヨ〉が絶品だった。あの京都の九条ねぎがたこ焼きの上にいっぱい乗っかっている。
たこ焼きのしつこさを消していると同時に、それでいてたこ焼きそのものの味がよいのである。
僕は、大坂で食べたたこ焼きがいまひとつ納得いかないので、ここのが印象深かった。
誰か、大坂で『マイウーたこ焼き』教えて。

ところで、この京都行き、行く途上の新幹線で隣に座った塾の先生が面白い人だった。
何せ、夜も9時を廻っている列車で、座るなり生徒の英語の採点を隣りで始めた。
否でも、目がそこへ行くではないか。
なんとなく話しているうち、その先生がイギリスへ留学して、1年間ホームステイした話を聞いた。
今、僕の娘がそういう年齢になっているので、興味深く聞いたのだが、噂には聞いていたが、ヨーロッパの先進国とはいえ、食事には本当にあまり気を使わない民族なんだと実感した。
また、食べる話。
都市の名を聞いたのだが、忘れてしまった。ロンドンより南の海沿いの街で、ドーバー海峡に面している。イギリスの田舎町である。日本で言えば、う~ン、何処だろう。山形県なら酒田辺り、島根なら浜田とかか。
何しろ、1週間の献立が決まっていて、それを延々と繰り返すらしい。それも、朝はパンとスープだけ。昼はサンドイッチ。夜も1品だけだと。
そこの家庭が特に貧しいのではなくて、何処もそんなものらしい。
もっとひどいところは、毎日缶詰を開けては、中からまめを取り出して皿にもって食べるのを、毎日延々と繰り返す家庭もあるらしい。
そこへホームステイした日本からの学生は、さすがに変えてもらったらしいがーーー。

出かけると、毎回何か収穫があるものだが、今回もいろいろとあった。
食べることが多いが。
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コメント
マイウータコ焼き
京都より大阪が多いのではないでしょうか?
2006/03/23(木) 10:59 | URL | orivea #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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