(その2)上川隆也と風間杜夫
歳三役の上川さんと近藤役の風間さんが日野へ来たのは、葛山さんが来た翌週だった。葛山さんのときは、トークショウだったから公然とやってきたのだが、この時はいわゆる“お忍び”って奴で、ファンに悟られないようにそっとやってきていた。
この日の夕方まで市内をご案内したのだが、終始、明治座側と上川の事務所の人間が合計7、8人でガードを固めていた。一般の人が人気俳優と悟って、サインや握手などをせがむ場面もあったのだが、周りの付き人たちが、一切拒絶して断っていた。
案内した私でさえ、サインももらえなかった。いわんや写真も。本人達に直接頼めば、サインでも写真でもOKだったに違いないだろうが、何しろガードが固いのだ。案内役の私にさえ、監視の目がついていて、決して写真など撮らせないのだ。
この日の模様は、明治座で売られる分厚いプログラムの中で紹介されるものであったので、専門のカメラマンがついていた。後日、そのプログラムを見たら、私が日野宿本陣で説明している場面が載っていた。上川氏と風間氏が熱心に聞き入っているシーンである。
私が上川さんと風間さんにお会いしたのは、万願寺フェスタ会場の駐車場で、彼らは乗ってきた車から市内を行脚するマイクロバスへ、誰にも姿を見られないようにすばやく乗り移った。
当時の上川さんは上から下まで黒ずくめで、ちょっとした髭面(わざとか)、髪の毛は長め。例のキャベジンのCMあのままである。そうした中で、あの眼光である。彼の目の輝きが、不気味なほど印象的であった。
彼の真摯な態度は、何処へ行っても好感を持って迎えられた。土方歳三資料館で、畳の上に正座して兼定をうかがう眼差しは、今でも鮮明に記憶しているが、役に入り込もうとするその意気込み、真面目さは、飛びっきり上等なものを感じた。そして、その生真面目さを歳三にぶつけて、そのまま舞台で演じていた。
日野宿本陣は歳三の義兄彦五郎の屋敷でもあったので、歳三が昼寝をした部屋というのがある。上川さんと風間さんと私と三人でその部屋に座り、近藤と土方という人間、その生き様について語り合った。
確かこんな内容だった。
風間氏、
「近藤が自首したときの土方の心境には、辛いものがあったでしょうね。幼いときからの友人だったんでしょう」
村瀬、
「そうですね。二人が最初に出会った場所は、今、お二人がおられるこの佐藤家ということらしいです。その当時は火事で焼けていましたから、仮母屋だったと思いますが、近藤が20歳、土方が19歳の頃ですね」
上川氏、
「土方のすごいのは、ナンバー2に徹していたことだと思います。あれだけの才能、実力を持っていながら、決して自分は先頭に出ない。常に、近藤さんを立ててきた。そして、近藤さんの新選組として自分は影に甘んじていたんですね」
風間氏、
「二人の性格は大分違うと思いますが、どうして気が合ったんでしょう」
村瀬、
「恐らく、この二人は凹凸の関係にあって、お互いにないものを持ち合わせているってことを、最初出くわした頃から感知していたんじゃないでしょうか。そして、次第に求め合うようになっていった。
何か、男と女の関係に似ていたのかもしれません。女房は旦那の欠点を隅々まで知っていて、常にカバーしていたんでしょう。近藤はそんな歳さんにいつも感謝していて、試衛館にいるころから、先輩の山南を超えて土方を自分の片腕と決めていたんでしょうね」
上川氏、
「歳三は近藤を失って、自分が新選組をしょって立つって考えはなかったのかもしれないですね。だから、もう自分は幕府脱走軍の中の一員でいいんだと。そして、闘えるだけ闘って、後はどう締めくくるか考えていたのかも」
その後上川さんは、NHKの6回連続の時代劇に主役で出演していた。金曜日の9時15分から10時までの、あの番組である。役柄は赤穂浪士のただ一人の生き残り、寺坂吉右衛門だったが、忠臣蔵のその後を描いたもので、寺坂の艱難辛苦の生き様が品良く描かれていて、とても好感が持てた。来年のNHK大河では、主演で決定しているそうだ。それだけのものをもっている俳優だと思った。
この案内の最後は高幡不動尊であったが、五重塔の前で再び上川氏と風間氏と私とで『歳三論』を互いに交わした。
上川さんは既に大分研究していて、
「箱館の歳三は死に場所を探していた」
と、力説しておられたから、歳三役への準備、心構えは既に十分整っている風だった。
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