村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

――海音寺潮五郎談――5

「土方歳三はなかなかの戦上手、驚嘆した」
「天才だ」
「榎本たちが助かった本当の理由は」
――海音寺潮五郎談――5

前回は、明治2年5月、西郷が鹿児島を立って急ぎ箱館に向かったことを書いた。
この月は、11日に土方が戦死し、18日に榎本以下箱館政府が降伏したのだが、なぜ西郷が、戦局が終焉する箱館に自ら行かなければならなかったのか、大概のことはお分かりいただけたと思う。
一言で言えば、『敵将等を寛大に処するかどうか、見届けること』。
これだけだった。
心配で、いても立ってもいられず南の果てから蝦夷地へ飛んでいったということであった。
箱館に侵攻した官軍の中には、薩摩ばかりでなく、長州をはじめ土佐その他多くの藩の兵が混ざっていたのであり、参謀の黒田了介がいくら寛大温情の処置をしたくても出来ない雰囲気もあるかもしれない。
そのときは、西郷自らが発言しようと意気込んで鹿児島を出発したに違いないのだ。西郷は、自分の出発が遅れて、処刑した後であったら大変だと、とにかく急いでいったのだ。
そしたら、腹心の黒田が、実に見事に事を運んでくれて、敵軍の兵たちを寛容に遇してくれていたので安心し、自分の役目はないと判断して直ちに鹿児島へ戻った経過だった。

そういう西郷の心境について、前回の最後に、海音寺さんの言葉で『証拠があります』と書いて終わった。
今日は、その続きを書く。


  証拠があります。明治5年正月12日の日付で、西郷が国許の親友で、藩政時代に家老の一人であった桂四郎に出した手紙があります。
  西郷は、この前年の春、東京に出て参議に就任して、廃藩置県の大事を成し遂げ、11月半ばに、岩倉、大久保、木戸、伊藤らが欧米視察のために日本を去った後は、事実上の首相として国政を執っていたのです。
 必要な部分だけ口語訳して、左に掲げます。

  「さて、榎本などの処置については、ご承知の通り面倒で、薩摩の主張が寛大を主にし、長州の主張が厳格を主にする相違がありまして、なかなか決定せず、西洋への使節たちの出帆前も大論争が起こりまして、決定に至らず、困っていました。
  アメリカなどでは、南北戦争が済みますと、万事すぐに処置を決定した美談もありますこととて、使節らがアメリカにおいてこのことについて非難されましょうものなら、何とご返答なさるおつもりかと心配していたことでした。事実、アメリカの軍艦総督から、榎本らのことについて日本政府へ嘆願したいと申し出たのを、黒田了介が制止していたほどです。
  黒田の初心はずっと変わらず、時を見ては助命の議を持ち出していたのです。近来になって、長州人らも納得するところがあり、大体寛大の論になったのですが、木戸一人がなかなか強硬で運びかねていましたところ、長州の人々がひたすらに木戸に談じ込みまして、ついにいやいやながら木戸も承知しまして、やっと決定の運びになりまして(政府の決定は遣欧米使節の出立直前で、発表は翌年正月6日だったのです)、この4日(6日の誤り)に全員特赦を持って自由の身となりました。
  もっとも榎本一人だけはしばらくの間実兄の家にあずけられて謹慎ということになりました。これだけの差別を立てるだけで済んだことは、天下の大慶と存じます。小生は当時のこととしては榎本らのことだけを気がかりに思っていたのですが、もうこれで全部心残りはありません。(見るべし、西郷はずっと心にかけていたのです)ご安堵(あんど)ください。

  こんなに処置が決定しなかったのは、旧幕臣らが朝廷の処罰の寛大さを甘く見てまた事を起こすかもしれないと、人々が疑惑したところからのことです。しかし、こんなことを1日延ばしにいつまで決定しないでいては、かえって人心動揺のもととなります。猶予狐疑(こぎ)の毒害の大はどれほどのものになるかわからないものです。
  いろいろと困難であったことは筆紙に尽くしがたいほどで、黒田の勇力がなかったなら、とても榎本らは助命されなかったでしょう。全朝廷が殺すといっているとき、ただ一人奮然として、助命の正論を立て貫いたことは、千載の美談でありましょう。
  土佐も近頃では、寛論になっていましたので、まことにやり易いことでした。これまで正論を立て通したのは、黒田の誠心によることです。
  まことに頼もしい人物です。
  一時の奮発は普通の者にも出来ますが、こうまで長期にわたって粘ることは常人には出来ません。
  榎本らは赦に逢いますとすぐ黒田の許にお礼にまいりました由。元来、彼らは黒田に負けて降伏したので、普通なら憎むわけでありますが、かえって謝礼に参ったとは、戦いに打ち勝ったより重みのあることで、まことに味わいいうべからざるものがあると、脇に聞くさえうれしく思います。」

  西郷の喜びの情が紙上に躍るようでしょう。
  また、西郷が箱館で黒田の処置をほめ、必ずこの人々を助命することを骨折るようにと進め、その後も折にふれは励まし、出京してからは一層バックアップしていたことがわかりますね。この手紙は味読していただきたい手紙です。原文をお読みになりたい方は、平凡社の『大西郷全集第二巻』573ページに出ています。


以上は、学研文庫『敬天愛人 西郷隆盛』第四巻 海音寺潮五郎著から抜粋したものだ。
西郷さんが何を思い、行動したのかを改めて検証したかったので、ここに書いた。とても気持ちの優しい、温かい人柄が伝わってくる部分だと思われるので、長いけど紹介させていただいた。

しかし、明治10年には、西南戦争を引き起こしたとして逆賊にされてしまった。もともと、あの戦争も、明治政府が西郷暗殺の使者を鹿児島へおくり、政府から仕掛けたものであったのだが、薩摩の青年たちがうまくはめられて立ち上がってしまったのである。
西郷さんは、青年たちに将領に祭り上げられてしまった。それに、西郷自身も政府に申し上げたき一件があったので、自ら兵を連れて上京しようとしたのである。

これ以前に、実は征韓論の論争というものがあった。
それについても、是非ふれたいし、西郷さんが庄内藩に対してとった恩赦厚遇も紹介したい。 
つづく
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コメント
平野国臣は、誰に斬られた。
わからないですね。
そのとき、新選組は何処で何をしていたのでしょうか。
アレは、多分、蛤御門の変で、京都中の半分ぐらいが焼けたときでょう。
あの時は、囚人たちを逃がしたのではなくて、殺した。
じゃあ、一体誰が斬ったのかってことですね。

新選組は九条河原に出陣していて、それから彼方此方移動したんではなかったか。
そのときどうしていたのか、僕にはわからない。

ただ、文久3年8月23日ごろ、三条縄手に土方歳三たちが平野を捕縛に出かけたことはありましたね。結果は、逃がしてしまったが。
もっと、調べてみましょう。
2006/05/19(金) 22:40 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
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2006/05/18(木) 00:06 | | #[ コメントの編集]
訂正と追記
失礼、書名を記入ミスしました(汗)。
「幕末動乱の男たち」です。
この列伝中の平野国臣の項で、

「いわゆる蛤御門の変がおこった時、六角の獄中で、同じように囚えられている志士達と共に、新選組に殺された。」

と書かれているのが残念です。
この件については、新選組は全くの冤罪ですから。
2006/05/17(水) 20:50 | URL | チロ之助 #-[ コメントの編集]
チロ之助さま、そうですね。
近藤、土方歳三を書いて欲しかった。
ほんと、その通り。
だって、面白いはずだから。
海音寺さんも、書く予定が、どうしても西郷を書かざるを得なくなった。それが、自分に任された使命だと思ったのでしょう。

あまりに、それまで紹介されてきている西郷隆盛に、解釈の間違いが多いので、ご自分が、正しい西郷を後世に残そうと思われたのでしょうね。
そういう彼の努力のお陰で、僕もほんとの西郷に出会うことができました。
氏のお陰です。

それで、僕の人生にとっても幅というか深みもできました。
そして、何よりも、人間の本当の優しさ、暖かさに触れることができたと思ってもいます。何度、氏の作品を読んでいて、涙したことか数え切れません。
海音寺さんのお陰です。

この後は、亡き西郷、亡き海音寺さんのために、少しでもお役に立てるように、皆さんに西郷について、折を見ては、ご紹介をさせていただきたいと思っています。
2006/05/16(火) 23:36 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
はじめまして、村瀬様。
私の蔵書に、海音寺氏の「幕末の男たち」という文庫本があります(上・下2冊)。
昭和42年2月~43年2月へかけて「小説新潮」に連載された列伝体の作品です。
有馬新七・平野国臣・清河八郎・長野主膳・武市半平太・小栗上野介・吉田松陰・山岡鉄舟・大久保利通、それに三刺客伝(田中親兵衛・岡田以蔵・河上彦斎)がとりあげられています。
海音寺氏のはじめの意図では、高杉晋作・久坂玄瑞・坂本竜馬・中岡慎太郎・真木和泉・橋本左内・近藤勇・土方歳三らについても執筆する予定だったようですが、諸種の事情で有馬新七ほか11名で筆をおいたらしいです。
海音寺氏による、近藤・土方の史伝が実現しなかったのは、とても残念ですね。
2006/05/16(火) 22:27 | URL | チロ之助 #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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