村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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沖田総司対談

人間は、極度の緊張だとか、これまでに体験したことのない状況におかれると、時として意外な情念とか発想とかが生まれるものだ。

5月21日(日)午後から、日野の中央図書館と市ヶ谷試衛館を結んで、沖田総司対談が行なわれた。
面白かった。
こちらは僕が最初に30分お話し、向こうはあさくらゆうさんが30分お話してくれた。
その後は、ながーい対談だった。
もちろん、出席者からの質問もあった。
ただ、昨日は箱館で五稜郭祭りがあり、そちらに参加されている会員が多くて、こちらの参加が少なかったのが残念だった。
日野宿本陣文書検討会のメンバーたちも、結構山本さんファンがいるんだなあと思った。
それとも、関係なくお祭りに行ったのかなあ。
まあ、それはいいとして、昨日は、自分で話ししていて、今まで発想したこともないことを本番で言ってしまった。

それは、総司のお母さんの出と考えられる宮原家のことを、お話していたときのことだ。宮原家は、井上本家・分家のある日野北原の北側に位置するのだが、昔は四ツ谷と呼ばれていたところだ。今でも四ツ谷子供広場をはじめ、その名残はたくさん残っているが、以前は『四ツ家』とも書いたそうだ。
四つの家だから、四家である。それは、長く伝えられてきているのは、加藤・天野・小島・宮原で、確かに今でもあの辺はこの四家の名が多いし、(特に加藤と天野が多いが)それは武田の落人だといわれている。
僕も、勿論そのように考えてきたのだが、昨年の秋、宮原家のご当主久雄さんとお話していたとき、久雄さんのおばあさまが「うちは、もともと立川で、柴崎にいた」とおっしゃっていたということだ。
「玉川は通称“あばれ川“と呼ばれていて、川の流れが何回かここ数百年で変わった。(そういえば、歳三の家も弘化三年に大水で流されたということだ)もともと柴崎にいたうちは、いつの間にか日野に編入されていた」ということを久雄さんはおばあさまから聞いていたそうだ。

僕は、自分の本を書くとき、とにかく史実に沿って書くことを至上の鉄則に思っていたから、ゼンリンの地図を張り合わせて、あのあたりの地形を随分長い時間眺めていたのを思い出した。
そして、その地図を改めて、見てみた。
甲州街道を挟んで日野宿、その北側に北原、四ツ谷、井上本家と分家、そして宮原家と見ているうちに、多摩川が宮原家のすぐ北側にあることに気がついた。
確かに、おばあさまがおっしゃるように、川の流れが変われば、日野になってしまうことが地図を見ているとわかるのだ。
実は、昨日、あの中継をしている時、その地図を持ち出して皆さんに説明していたのだが、(四家のことと、大野姓が井上分家の周りに多いことを知ってもらうためだ)、説明しながら気がついたことがある。
 
ついでながら、沖田総司の墓石のことを言う。
麻布の専称寺に墓があるが、墓石に総司の戒名が彫られていて、その両側に違う戒名が彫ってある。横書きで見づらいが、こうだ。

  宝握全入信士(ほうあくぜんにゅうしんじ)        文政九年十月十一日
 賢光院仁譽明道居士(けんこういんじんよみょうどうこじ)  慶応四辰年五月晦日
  宝閣燿雲信士(ほうかくよううんしんじ)         嘉永七寅年九月五日

まん中が総司の戒名であるのは、当たり前だが、左右の戒名の人は、俗名大野源次郎と言う人だ。この人がどういう人だかは、誰もまだわかっていない。
ただ、北原あたりの地図をじっと見ていると、やたら、大野姓が多いし、特に、林太郎の出た井上分家の周りは大野姓で囲まれている。
ここに、今、おミツさんの戸籍が残されている。
この件については、別の機会にお話しするとして、話を元に戻す。

もし、玉川に洪水がなければ、宮原家は今も、立川市柴崎町だったかもしれない。おばあさまも柴崎だったと言っていたそうだ。
ここで、ひとつの疑問を思い出した。

総司のお母さんが宮原家の人だとして、(僕は宮原久五郎――天保5年10月9日生――のお姉さんに当たる人だと思っているが)、宮原家と沖田家とのつながりはどうしてあったのか、出来たのかということが、ここ数年の疑問だった。
だって、沖田家は白川の阿部家から扶持をもらっていた二十二俵二人扶持の下級の武士だったし、江戸屋敷は麻布にあった。
もう一方の宮原家は、日野である。
どこに、接点があったのだろうか。
だが、柴崎だとすると、疑問が解けてくる。今ここにある謄本によると、明治期の沖田さんの住所は柴崎なのである。(おミツさんの孫に当たる要氏は柴崎町にいた)もともと沖田サンは柴崎にいて、後に武士の株を買ったとすれば、なんとなく灯りが見えてくる。沖田家と宮原家は、同じ部落だったということになる。
だが、本当にそうなのかーーー。

人の発想とは、不思議なもので、これまで何十時間もかけて考えてきて、どうにも見えてこなかったことが、イントラネットの本番中にふと見えたりする。
人間は、極度の緊張だとかこれまでに体験したことのない状況におかれると、時として意外な情念とか発想とかが生まれるものだ。
僕は、JAZZを演奏していて、本番中、時に、これまで練習でも出てきたことのないフレーズがうまれることがあった(と、言っても、レベルは低いが)。
それと、よく似ている。
JAZZやROCKのプレイヤーが、昔はよく麻薬を使った。それは、自分の実力以上の神がかった演奏が期待できるからだ。今は、ほとんどない。一部のカブいている連中だけだろう。

それと、こんなことも問いかけてしまった。
昨日の本番が終わってから、検討会の人たちにまずい質問かなあ、と思いながらも、
「総司が京都にいた頃、はっきり誰々を斬ったという言い伝えでも、証拠書類でも何か、ありましたか」って。
でも、それをいうと、土方だって近藤さんだって、はっきり誰々を斬ったというのは、ほとんどない。
記憶では、宇都宮で、見せしめのために、後ろを見せた兵を土方が背後から斬ったという言い伝えはあるが、京都時代はない。
近藤だって、池田屋に急襲したってことだから、何人かは斬っているのだろう。沖田もそのとき一緒だったから、斬っているのだろう。だが、果たして本当に斬ったのか。本人は、ふるさとへの手紙には斬ったと書いてはいるがーーー。
そのほか、新選組は油小路事件や天満屋、高札引抜事件など、集団でチャンバラをしたとはっきりしている伝えはあるが、個人的に宮本武蔵の果し合いみたいな話は聞いたことがないのだ。
沖田総司について、はっきり、誰かと果し合いをしたって話し、誰か聞いたことある?いや、総司ばかりでない、土方だって、斬った話なぞ、聞いたことがない。
でも、剣豪、剣士で伝わっている。
すると、映画や物語が先行して伝わってきた新選組って、本当はもっときちんとした礼儀正しい集団だったのでは、と思えてきた。
一応、これまでは、めったやたらに斬りまくってきたような人たちのように伝わってはいるがーーー。

あの司馬遼太郎や海音寺先生らも、「元治元年に入ると、京都に潜入したところを新選組や見廻組に見つかれば、即座に斬られた」という表現を、多少の違いはあるが、されている。
本当なのーーー。
つづく
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コメント
総司子
鶴岡のお寺の過去帖にあるそうです(というか、過去帖を所有する住職から聞いたのですが)。
素性までは難しいですが、これからの期待材料ですね。
2006/05/26(金) 04:08 | URL | ゆぅちゃん #fZQeSxjk[ コメントの編集]
沖田の子供って?
総司のですか、それとも林太郎?
勿論、総司に子供なぞいるわけがナイト、誰だって知ってるんだけど、そういうのがありましたっけ。
ゆうちゃんの新発見、楽しみですよ。
2006/05/26(金) 00:09 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
お疲れ様でした
村瀬さま、お疲れ様でした。
タイムロスで若干ズレを生じましたが面白い話しができました。
大野家といえば、井上源三郎の弟が養子に行ってますよね。場所も宮原家の近くの。
いつか鶴岡に行って沖田の子供を調査はしたいと思います。
今後も検討会の活躍期待しています。
陰ながら応援しています。
2006/05/24(水) 03:52 | URL | ゆぅちゃん #r48.u01Y[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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