村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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――海音寺潮五郎談――9

「土方歳三はなかなかの戦上手、驚嘆した」
「天才だ」
「西郷なくして、今の平和な日本はなかった」(筆者)
――海音寺潮五郎談――9

今回、大げさなタイトルを、僕自身がつけた。
西郷さんは、2年間だけ、内閣を作ったことがあった。
明治4年から6年にかけて、大久保や木戸、岩倉らが遣欧米使節として出かけて日本を離れた。留守の間、西郷が番を頼まれたのだが、この間におびただしい画期的な改革をしていたのだ。
西郷と一緒に改革を断行したのは、佐賀の江藤新平、同じく副島種臣、大隈重信、土佐の板垣退助、後藤象二郎らであった。
鬼のいぬ間に洗濯をしてしまうようなものだが、すごい勢いだ。

主に人権や身分、戸籍、教育、司法、裁判、土地に関することで、それを列挙すると、封建的身分差別の撤廃、土地制度の改革、教育制度の整備、近代的司法改革などだが、主だったものだけだがまずは見てみよう。

① 文部省を新設(明治4年7月)
② 氏族の帯刀義務排除(同8月)
③ 断髪の許可(同)
④ 士族による斬り捨て禁止(同)
⑤ 華族、士族、平民相互間の通婚許可(同)
⑥ 被差別身分・職業の開放令(同)
⑦ 神社仏閣への女人禁制の廃止(明治5年3月)
⑧ 僧侶の肉食、妻帯、長髪の許可(同4月)
⑨ 学区制による統一的学制の整備(同8月)
⑩ 水のみ百姓の解放・農民の職業自由選択の許可(同)
⑪ 人身売買の禁止(同10月)
⑫ 地方官による権利侵害を人民が裁判所に救済を訴える制度の新設(同11月)
⑬ キリシタン禁制の高札の撤去(明治6年2月)
ざっとこれだけある。

僕は、逆に思ったりする。
こうした改革、何故もっと早く手がつけられていなかったのだろう。まあ、戊辰戦争だって明治2年の5月までかかってしまったのだから、それから様々な改革をしてゆくとなれば、時間がかかるのかもしれない。
でも、ざっと並べた上記の制度は、人道上の精神なり、心がなければ出来ないものまで含んでいる。よいタイミングで欧米に視察団が行ってくれた訳だが、大久保らは実は、廃藩置県の反動で暴動が怖かったとか、島津久光の怒りから逃げ出したくて海外へ逃避し、後は西郷に任せたと言う解釈も成り立つ。
真相は?

今でこそ、これらの改革はごく当たり前なことなのだが、西郷たちは、当時としては常識外の改革をやってのけたと言える。
尤も、これらは西郷一人では実現できるわけがない。佐賀の江藤の存在が大きい。彼は法治主義を提唱し、次々と矢継ぎ早に改革案を提唱していった。それを背後から支えていたのが、西郷だ。

江藤について言えば、彼の存在、活躍で、薩摩、長州、土佐に遅れはしたが、肥前もかろうじて維新四功藩の仲間入りになれた。佐賀藩の火器類が新政府軍の勝利に大きく貢献したからである。
それまで、日本では右に出る藩がないほど肥前は軍事力では優れていた。だが、藩主鍋島閑叟(かんそう)のかたくななノンポリティカルな政治問題に関する態度から、維新回天には無縁にされていたのである。それだけ、新政府の高官に薩長閥が幅を利かせ、土佐も出遅れ、さらに肥前は発言力がなかったのである。

江藤は新制度を作ることにかけては、特に優れた才能を発揮し、新国家を建設するに当たってその骨格を作る構想力では抜群の能力を発揮した。明治4年には制度局御用掛、文部大輔、左院副議長、そして明治5年4月には、司法卿にまで上り詰めた。
江藤は、厳格な人柄で、その点西郷とは馬が合ったのだろう。新国家の法体系の整備に力を尽くしたと同時に、維新の功臣といえども不正腐敗は一切見逃さなかった。
だから、
その点でだらしがなかった長州出身の井上馨などとは、しばしば対立した。
また、江藤によって進められた司法改革によって、長州出身の山県有朋、井上馨、槇村正直など次々と汚職事件が摘発され、長州派は追い詰められた。長州派の筆頭である木戸は、日本に帰ってきてから、これらのもみ消しに懸命だった。それに、維新功労の長州からは、この時一人も参議に名を連ねていなかった。薩摩と土佐と肥前なのであった。

現代では常識になっている結婚、就業、土地売買、信教の自由、平等思想など、この時代に難産ではなく、西郷や江藤によって何の抵抗もなくすらすら改革されていったことは、驚愕に値する。
あの吉原で働いていた遊女たちだが、明治5年に西郷が行なった『娼妓開放令』の布告によって自由になり、自分の意思で商売できるようになった。これにより、吉原をはじめとした遊女屋は貸座敷と名称が改められたのである。

『西郷内閣の2年間ぐらい、自由平等の気風に満ち、能率的に社会改革が進められ、国民の不平がましいこともさして起こらなかった時代は少ない』と、あの福沢諭吉が指摘した。
つづく
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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