村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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イタリア紀行――3

なんとも不思議な都市、ヴェネチア。

ヴェローナからヴェネチアまでは、約1時間ほどで到着する。
この靴の形をしたイタリア半島、今では大分高速が整備されてきているから、東海岸のアドリア海から西のティエレニア海まで四時間とかからない。尤も、渋滞や事故は多いみたいだ。
僕らも、この旅行中に何回か事故に出くわした。
イタリア人の気質なのか、陽気なのはいいが、自分勝手な個人主義が横行しているらしく、譲り合いの精神というものがない。だから、車の事故が自然多くなる。
日本みたいに、信号が充分に整備されていないため(逆に、日野はありすぎで、ひどいところでは30メートル間隔で3つも続いている)、交差点に早くはいったほうが有利になるから、先を争う。

それにしても、この旅行、すっかり天候には恵まれて、最初から8日間ズート晴れていた。それも、快晴の日々だった。最後の夜に、ローマで降られたくらいだ。
すっかり晴れ上がった午後、僕らは水の都ヴェネチアに着いた。バスの中で添乗員の佐藤さんが、「イタリアの感想を聞くと、大概、女性はヴェネチアが一番よかったといいますね。男性はフィレンツェですね」と、言っていた。
実際行ってみて、なんとなくわかるような気がした。アノ運河を小橋の上から眺めているだけでも、絵葉書で描かれたそのものが目の前にあるようで、ロマンチック。その上、ゴンドラに乗って、運河をうねり運ばれる体験をすれば、大概は虜になるだろう(運河の写真)。
僕らもゴンドラに乗ることができ、水面すれすれに流れるように進んで、低いところからベネチアの街を眺めた。
運河


ここは不思議なところで、物音一つしないのである。
ゴンドラに乗っている間、聞こえるのは船頭さんが漕ぐ艪の音と跳ねる水音だけで、後は静寂であった。
僕は、箱館の土方歳三を書いたとき、箱館湾に小船を出してつりをする彼を描いたことがあったが、あの時も、物音一つしない静けさを強調した記憶がある。春の緑に映えた箱館半島を土方が遠めにみて、自己の最期を悟るシーンだった。
あれとは大分違うが、それにしてもこの静寂はどうしたことだろう。だって、そぐそこにあるヴェネチア観光の拠点サン・マルコ広場は、おびただしい人の群れでむせ返っていたのに、今は何も聞こえないのだ。ただ只管、ゴンドラが進んでいく。
ヴェネチアには、何と、1日10万人の観光客が来るといっていた。確かに、どこへ行っても人、人、人だった。

ヴェネチアというところ、路が運河だから、車というものが通らない。そのせいだろうか、普段と聞こえてくる音の種類が違うのだ。どこか、僕らの体験したことのない空間に迷い込んでいるような気がした。
突然、教会の鐘が鳴った。運河の殆んど真上から聞こえてくるようだった。静けさの運河の上にあって、両側の建物に鐘の音の振動が揺れて、その音だけがやけに耳についた。今回の旅行で、フィレンツェでもベローナでもローマでも随分と教会の鐘の音を聞いたが、日本にはない街の音で、ヨーロッパの香りがする。

ところで、また、話はそれるが、この『鐘』の音だが、どこかで聞いたような気がしてならない。
『鐘』というと、あのフジ子へミングの名演奏を思い出す。
あの曲は、『ラ・カンパネラ』というリストの曲だが、もともと名バイオリニストのパガニーニのヴァイオリンコンチェルトの中の「小さな鐘のロンド」が原曲らしい。
僕は最近、あまりクラシックの音楽を聴かないのだが、それでもフジ子さんのピアノが大好きでたまに聞く。それも、この『ラ・カンパネラ』が特筆もので、最初、どこで聞いたのか忘れたが、道路を歩いていてこの演奏が聞こえてきて、立ちすくんで最後までその場でズート立って聞いていた記憶がある。
その理由は、ピアノのキーをたたいて鐘の音を表現しているのだが、その音色がなんとも美しい。特にフジ子さんの右手は魔法の手なのか、魔女(?)なのか、人間業とは思えないほどだ。聞くところによると、片手でトリルと旋律を同時に弾くという超絶技を使わないと出来ないものらしい。僕みたいな、単音しか出せないテナー屋には、想像を絶する超美技に思える。
あの鐘の音は、きっとイタリアの教会の鐘に違いないと、強引に決め付けた。
リストはハンガリー生まれでドイツの作曲家だが、もともとのパガニーニは、何とイタリア人なのです。それに、『ラ・カンパネラ』という言葉はイタリア語で、『小さな鐘』という意味らしい。
ここまで条件がそろえば、あのピアノ演奏は、イタリアの教会の鐘の音ですね。
『ラ・カンパネラ』を聴いたことのない人は、一度聞いてみてね。それも、フジ子さんの演奏でね。絶品ですよ。
新選組二番隊長永倉新八は晩年を小樽で過ごしたが、スキーで小樽に行ったとき、ラ・カンパネラという店があったのを思い出した。しかし、これは確か、かまぼこ屋だった記憶がある。おっと、これは余計だった。

運河の両側は、昔建築された建物の裏側に当たっている。だから、ゴンドラから真上に首を上げると、洗濯物が干してあったりする。観光地の生活空間を見たような気がして、得をした。
例えば、御茶ノ水界隈の神田川沿いは、秋葉原方面に向かって万世橋のあたりでそんな雰囲気もある。万世橋は昔、萬世橋(よろずよばし)と言った。言い方が難しいから明治に入って、優しく(まんせい)にした。
江戸の堀を、船で見て歩く(?)コースも最近あるらしい。周りの喧騒を断ち切ってきっと、静かなんじゃないかな。昔は臭かったけど、今は下水も完備されたから大丈夫。
―――誰か、企画して―――
さっきも言ったが、ここの中心はサン・マルコ広場で、ここを囲むようにしてサン・マルコ寺院、デュカーレ宮殿、コッレール博物館などがあるが、とにかく人が多い。ここの宮殿や寺院は建築物としても立派だが、中の絵画や調度品、牢獄も見学できて興味深い。パリのヴェルサイユ宮殿の豪華なアノ部屋は、デュカーレ宮殿を真似たに違いない、と思った。だって、ルイ14世の祖母にあたる人は、ここからフランスのブルボン王朝に入ったということだから。
ヴェネチアの宮殿


そういえば、ヴェネチアでヤクルトを飲んでいる人がいた。
こんなところで売っているのかと、不思議に思ったが、聞いてみたら、日本製で最も人気のあるのは日本のアニメとヤクルトだそうだ。
あと、車では、トヨタではなくホンダと日産マーチが人気だそうだ。何でホンダなんだと聞いたら、それはオートバイが優秀で、そこからホンダが乗用車も売れるのだそうだ。例のフィアットやフェラーリ、ランボルギニーなどは殆んど見かけなかった。聞いて納得、ああゆう高級車に乗るような人は、何台も車を持っていて、ビジネスの時はベンツやBMですごし、リゾートなどで海岸線を走るときに、スポーツカーに乗り換えるのだそうだ。
成るほど。
また、こちらではオートマチック車は殆んど売れないという。ああゆう車に乗るやつは、運転が下手だからと、今でも思われるらしい。
そうか。

ヴェネチアは奇妙な町には違いないが、アドリア海に面したこの地方が中世には一大商業都市として栄えた。ヴェニスの商人という戯曲もあるくらいで、商才に長けた人々が今でも活躍しているらしい。日本で言う、『堺』のようなところなのだろう。
ヴェネチアの街中

日本では慶長年間に伊達藩の正宗の命令で、支倉常長(はせくらつねなが)という人がスペインのセビリアに行っている。ここで、日本の米を繁殖させ、成功している。イタリアでは、米というものが殆んどない。わずかに北部で作っているらしいが。

ヴェネチアで食べたイカ墨のパスタは、けっこうイケた。
だから、自分でもお土産に買って帰った。日本で”鉄漿(おはぐろ)”になって食べよう。

今回のツアー、どこへ行ってもその都市のツアーガイドが待っていてくれて、説明してくれた。それは、僕みたいな初心者には大変ありがたかった。
日本語がとっても上手な現地のガイドも居れば、英語でしゃべり添乗員の佐藤さんが通訳とか、日本人が現地に住み込んで日本の観光客をガイドするのもあった。
ガイドの説明風景

ここヴェネチアでは、現地のイタリア人が日本語で説明してくれたが、流暢なものでギャグ連発であった。その彼が言うには、マルコ・ポーロはヴェニスの出身で、ジェノヴァと戦闘したとき捕虜になって牢獄に繋がれた。その牢獄内で書いたのが東方見聞録だったらしい。
マルコ・ポーロは、フビライ・ハンに大歓迎されてハンの下に17年もいたといわれる。そこで黄金の国ジパングについての知識を得て、日本を紹介しているのだが、どの程度の資料集めをしたのかは疑わしい。
このジパングという国の王宮は、すべて黄金で飾られている。ヨーロッパの教会の屋根は鉛だがジパングのは黄金であり廊下も窓も4センチの厚さで金で作られている、という意味のことが書かれている。
これを読んで、俄然闘志を燃やして出発したのがコロンブスだったらしい。

こういう記述を見せられると、本当に蒙古までも来たのかも疑わしい。だって、17年もいたのに、蒙古側の資料には一切出てこないらしいから。

ヴェネチアの翌日は、一気に半島を横断して西に向かい、ピサに向かった。そして、その日のうちにフィレンツェに入った。
次回、乞うご期待。
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コメント
ごっちゃん、これを機会にどんどんコメントください。
そうなんですか。
なんか、新選組つながりって、結構イタリア好きもいるんですね。イタリアが好きかって言われても、僕の場合は、そうじゃないんだよね。あそこの地域がすごいから行くんですよね。結果として、イタリアっていう国だった。だって、国になったのは1861年って言ってたから、明治維新より7年しか前じゃない。
国としての統一は、まだまだ新しい。

それにしても、最後の審判、あれ、僕もどえらい感動でしたよ。最後にローマでしたから、そのときに書こうと思っていたんですが、修復したあとだからかもしれませんが、全体のスケールの大きさもさることながら、あの色彩、実に美しい青ですね。
あの部屋に入ったなり、とてつもない感激でしたよ。それは、丁度、最後の晩餐の食堂に入ったときと似ていますね。
何か、すごいもの見ちゃったっていう、身震いするような感触です。

明日、僕のライブがあるので、今、神経がプレイの方に行っています。気持ちが落ち着かないのです。それと、本日、僕のCDの中の曲、このHPで聞けるようにしましたので、是非聞いてくださいね。
そして、感想もね。

今晩、次の紀行文、アップしますので、また見てね。
そして、コメントくださいね。

村瀬彰吾
2006/10/12(木) 21:37 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
行きたかったです。
お久しぶりです。イタリア!と聞いて紀行文楽しみにしていました。実は私も昨年の暮れイタリアに行ってきたのです。わがT山は雪国で昨年の出発の日は大雪警報が出てまさに「閉ざされた」日でした。夜行で成田に向かう予定が、JR、高速バス全て運休になり最後の賭けで飛行機を取ったのですが、2時間以上待たされて(機内にも入ったのに)結局飛ばず、次に日にルフトハンザで行く予定が行けず、ANAさんに頼みこんで一日遅れの同じ便に乗せてもらい、なんとかイタリア旅行を楽しんでまいりました。(そう、個人旅行だからできるワザです。)そのせいで、予約を取ってあった「最後の晩餐」が見られなかったのです。村瀬さんがいたく感動されている様子を読んで、「ああやっぱりもう一度行かなくては」と思いました。それとヴェネツィア。なんせ冬だったのでそれはさすがにあきらめまして・・・
私はイタリア旅行の中では一番衝撃、そうまさに衝撃を受けたのは「最後の審判」でしたね。一番奥から見た瞬間金縛りにあったようなそこから動けなくなりました。自分が地獄への審判を受けた気になったのでしょうか。(後ろめたいことがいっぱい…笑)
実はいろいろ考えさせられることがあって、ここ(HP)はいつも見ていたのですが、書込みしたくても自分なんかしてもよいのだろうか、と思う時期がありまして、しばらく読むだけの人でした。それはまた別の機会に聞いてもらいたいな。と思っているのですが…
せっかくのイタリアの楽しいお話中に変なこと書いてすみません。続き楽しみにしています。次回はフィレンツェですね。私、行ったなかではフィレンツェが一番好きでした。
2006/10/12(木) 15:51 | URL | ごっちゃん #-[ コメントの編集]
ヴェネチアに浮かぶ月
ヴェネツィアに泊まった時、小さなレストランで夕食をとり、店を出たらさっぱり方角がわからなくなってしまい、完全な迷子にたなりました。
昼間はそんなことなかったのに、何処の角を曲がっても全部同じ景色に見える。
これは本当に不思議な体験でした。
そういえば・・・と思い出したのが、前夜ホテルの窓から眺めた月。
「月の方角に歩けば大運河に出るはず」
かくして無事に迷子から脱出。
以来、知らない土地へ行ったら、月の位置を確認する習慣がつきました。
2006/10/08(日) 22:43 | URL | 絵美子 #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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