村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

イタリア紀行――7(最終回)

ローマ、近代都市ではなく、遺跡の町だった。

ローマというところ、イタリアの首都なのだから、もっともっと近代化されているのかと思いきや、意外、遺跡だらけのところだった。
バスの中からの写真

ナポリなどと比べて、車の数は相変わらず多いのだが、街がナポリのように騒然としていない。街全体が世界遺産に指定されているだけあって、世界一の遺跡の町としての誇りのようなものをもっているのか、そこいらじゅうが昔のままである。
なんだか、前回からナポリの悪口ばかり言っているようだが、ナポリは、中南米の香りがするのである。とてつもなく明るく楽しい、すべてについてあまりこだわりがなく、ミラノのようなファッション感覚はない。清潔感などには無頓着な感じか(つい、悪口)。

この日(9月26日)朝早くから、添乗員にせかされた。
添乗員ばかりでなく、ガイドにも急げ急げとローマの道路を走らされたのである。急坂を登って着いたところは、バチカン市国のなにやら長い塀の外。
そこへ行った途端に、急がされた理由がわかった。
まだ、朝の8時前なのだが、そこは既に長蛇の列なのである。一体、何が起こったのかと思うほど、熱気に満ちている。
みんな走ってきて、列に並んでいる。1分おくれれば、50メートルから100メートル後ろになるといっていた。
バチカンの美術館、サン・ピエトロ寺院、システィーナ礼拝堂などを見学するためなのだ。

セント・ピエトロ寺院前

セント・ピエトロ寺院

セントピエトロ寺院内の天井画

セントピエトロ寺院内の天井画

バチカン美術館内の廊下の天井

バチカン美術館内の廊下の天井

バチカン美術館内の彫刻

バチカン美術館内の彫刻

なにせ、この地球上には8億人のカトリック信者がいて、ここがその総本山と来ては、巡礼に来る人々で氾濫するのも仕方ない。メッカの巡礼に対するものと考えれば、納得。
カトリックでない僕らが、むしろ、余計な人間なのかもしれない。

それにしても、この美術館といい、サン・ピエトロ寺院といい、礼拝堂といい、あきれるほどの美しさ、規模、品数の多さ、豪華さ、筆舌に尽くしがたい。
とくに、あのミケランジェロの『最後の審判』は、先に書いた『最後の晩餐』同様、人類の貴重な宝物に違いない。圧倒される天井画に続く最後の審判の壁画は、なんとも神秘的、幻想的、圧倒的であった。僕は、ツイ、中にいる見学者のまなざしを見てしまった。皆さん、普通の目じゃなかった。何か、この世の不思議なものを眺めているような雰囲気なんだ。
普通の感じの人は、中にいたガードマンだけだった。中は、撮影禁止だし、テロなぞを警戒して、こういう人がたくさんいた。
でも、キリストというと、大概がやせ細っていて髭のはやした、下腹部だけ布で隠した裸のオジサンなのだが、この壁画のキリストは筋肉りゅうりゅうで若々しい人なのだ。
どうしてでしょう、わからない。
ガイドさんが説明したのかもしれないが、聞き漏らしたか。

ここの礼拝堂から寺院なぞ、その規模や内装、装飾品なぞは半端じゃない。当時だって、とてつもない金銭が必要だったに違いない、と、ツイ貧乏人根性が出てしまう。
ここを建設するに当たって、当然、計り知れないほどの金が必要だった。16世紀に教皇レオ10世は、サン・ピエトロ寺院建設のために『全贖宥(しょくゆう)』というものを公示し、贖宥状を購入すると犯した罪が許されるとしたらしい。
《これまで、免罪符といわれてきたが、どうやら贖宥状という表現が正しいらしい》
これに反発したのがマルチン・ルターで、そこから宗教改革へと発展していった。過去の罪に対する悔い改めなしに、贖宥状の購入のみでその罪が許されることに、ルターは怒った。もっとものような気がするが---。
宗教の世界も、金か。
この時代から既に、ローマの教皇庁への献金というものが盛んに行なわれていたらしい。それで教皇から特別の権威やら、称号やらを与えてもらい、夫々の地域で絶大なる権力を振るう。
なんだか、政治家と中央官僚、そして地方の悪代官と越前屋の関係みたい。
そこに水戸黄門や大岡越前が出てくる。ルターは民間人だったろうが。

でも、当時のそうした悪業(?)のおかげで、変な話、今僕らは未曾有の素敵な芸術作品にお目にかかれる。
う~ん、困った。
まっ、この話は置いといて。

ローマというところ、変な印象もある。
映画『ローマの休日』である。
あの映画、実に歴史的な名画だと僕も思うのだが、そのおかげでローマの人気スポットに変な変化が起きている。
実は、僕は今から約20年ほど前に、あの新藤兼人さんの主催するシナリオ作家協会で修行したことがあった。その時のシナリオのお手本が『ローマの休日』だった。先生に言わせれば、脚本の起承転結から台詞、ト書きなぞ、すべてにわたってお見事らしい。
僕らは、主演のヘップバーンやグレゴリー・ペックに没入していたのだが、違う角度から勉強させられた。

あの映画で、グレゴリー・ペックが『真実の口』に手を突っ込んで抜けなくなるしぐさをするシーンがあった。それ以来、あそこが観光名所になったのだが、最初は日本人のバスだけが止まっていたらしい。ところが、今じゃ、世界中の観光客があの寺院へ行くようになってしまった。だから、僕らが行ったときも、西洋人のほうが多かったくらいだ。髭の叔父さんが丸い壁の彫刻に彫られているのだが、嘘つきがその口の中に手を入れると抜けなくなるというもので、これも手を入れるだけで、30分ほど待たされた。
真実の口

それから、あの『トレビノ泉』だが、とにかく人の多いところだった。コインを投げるのもいやになるほど、人ごみだった。写真を撮りたかったのだが、人の頭越しになるので、悔しいから撮らなかった。
もう一つ、あの『スペイン広場』だ。その名は、近くにスペイン大使館があるからという、これまた変な理由でつけられた。それはいいとして、何で、あそこの階段にああして座るのだろう。何かご利益でもあるの?
スペイン広場

きっと、ヘップバーンがあの階段を下りながら、ジェラード(アイスクリーム)を食べていたからなのだろう。
唯、意味もなく座っている。
その人たちの多いこと、押し合いへしあいであった。これも、あの映画のセイカ。ここもきっと、人の少ない静かなときに座ると、落ち着いていいのかもしれない。

ローマは、もっとゆっくり見学したかった。僕の年代は、どうしてもあの映画『ベン・ハー』のイメージが強く、特にあの巨大な馬場で、戦車で戦うシーンが印象的だったのだが、そうした遺跡も見たかった。
コロッセオなどは行ったのだが、ローマ発祥のパラティーノの丘に馬場跡があるらしい。フォロ・トライアーノ、フォロ・ロマーノなぞも行きたかった。もう1回、行くぞ。
コロッセオ付近


夜、ツアー参加者全員で、最後の晩餐を行なった。最後の日だけは、食事がセットされていなかったからだ。(N旅行者も粋な計らいをする?)
日本人が経営している『tomokoのレストラン』に行った。
晩餐

持参していた僕のCDをかけてもらった。たまたま、イタリア映画の主題歌が前半に集中していたせいか、オーナーに気に入られて、そのCDをプレゼントする羽目になった。今頃、あのレストランでかかっているのかな。
ところで、このHPでも、数日前に『MUSIC』のコーナーを設けたので、僕の演奏をお聞きになりたい方は、そちらにアクセスしてくださいね。
tomokoのリストランテは、一人食事料金だけで35ユーロしたので、日本円にすれば5000円以上になる。そのせいか、献立内容も、満足いくものだった。

帰りに、ここにきて初めて雨に遭遇した。いいお湿りに感じた。
僕らは、なんてついていたんだろう。
この日、ヴェネチァは大洪水で、サン・マルコ広場は水浸しだったという。快晴という何よりのプレゼントを神から授かった。イタリアという南国の(といっても、日本と緯度はたいし変わらないが)国の眩しい陽の光を存分に味わうことが出来た。
この次行くときは、イタリアの本格料理を味わうぞ。
それに、一箇所でゆっくり、作品や遺跡に親しみたい。

今回は、一緒に廻った新婚さんなどと仲良くさせていただいた。あの人たちも、きっとこのブログを読んでいてくれるに違いない。
今、このブログを読んでくれている人たちも、僕の脱線の多い、たわいのないお喋りに最後までお付き合いありがとう。
イタリアのお話は、この辺でお開きにいたしましょう。
余談だが・・・
ジプシー

ローマのレストランで、歌いに来たジプシー。
見ると、雰囲気ありそうだが、実際は実にへたくそで残念だった。
もっと、練習してきて欲しい。
金が取れる演奏ではなかった。
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コメント
そうか、T山県民だった。
僕は、今起こっている様々な子供に関すること、教育に関することすべてが、大人たちの都合で起こっている出来事のように思えます。

つまり、子供のことを考えて物事が進んでいない。何か、違うものが軸になって動いている感じ。
それは、政治家なり官僚なり、教育委員会なりの都合だったり、経済性を優先させた結果が、教育や子供たちを犠牲にしていたりです。
この国、何を大事に考えてことが進められているのかーーー。
金、物、権力あたりかなあ。
終戦後、日本が立ち直るために、そうしなければならなかった事情などは理解できるのですが、現在は、もうちっと本来のものを大切にして欲しいな。
環境だったり、もっと人間的なもの、殺伐としていないで心温まるような感じですね。

僕は、あの本の中で、山南敬助は自ら切腹したと主張しました。
雪の嵐山で、白装束をまとった花嫁が渡月橋を渡ります。総司と二人で、この世の最後の食事、純白の湯豆腐でした。
すべて白ずくめでした。
鶯が、鳴きました。
総司が、「へたですね」といった。
山南は、「今、練習しているんだ」
これから春にかけて練習して、良い相手を見つけるんだよ、と総司に解説する。
すべて、土方歳三的なものと相反していた山南。西本願寺は神聖なところで、全国から信徒がお参りに集まってくるところで、そこで新選組が大砲等撃ってはいけない、と。ま
してや、殺生なぞ。
山南敬助という男、新選組の幹部でありながら、そのような優しさを持ち合わせていたがために、あの組織の中では生き延びることが出来なかった。
人間的に、優しすぎたのではないか、と。
その点、土方歳三は常に冷静で、組織というものを優先させて、その発展に努め、見事立派な集団に仕立て上げた。
実在した二人ですが、近藤を支えた両輪、味のある人たちだった。

新選組は、先に死んでいった人たちが悪く表現されることが多いので、僕は、どうしても山南さんの辛さ、悲しさをわかってあげたくなるんです。

これが、今の教育問題とどう関係しているのか、自分でもわからなくなってきたが、今大事なのは山南的なもの、山南の中に純白な清潔感を感じるので、思い出してしまった。
今の権力者たち、決して清潔じゃないような気がするのでーーー。
2006/11/08(水) 21:59 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
楽しかったです。
 イタリア紀行お疲れさまでした。楽しかったです。青の洞窟、うらやましいです。次は絶対夏に行こう。なんせ自分真冬に行きましたから・・・「眺めのいい部屋」見られたのかな?これ、イギリス映画で恋愛ものなので男の方にはちょっと・・・かもしれません。期待させちゃってたらごめんなさい。
 日本も世界もいろいろあってなんだかいい話がありませんね。履修不足問題の発端になったT山県民としては心苦しいです。でもやっぱり自分としては救済措置は不公平ではないかと・・・。自分は進学校に居ながら全く勉強しなかったクチで、正に落ちこぼれでしたが、高校時代はものすごく楽しかった。今の高校生たちは 受験のために今しか経験できないことなんかを犠牲にしたり、教師はそうさせたり、でもそれには全然気づいていないんですね。絵美子さんみなさんすみません。第3者の勝手言い分です。
でも知り合いの大学生が自分の母校と同じくらいのレベルの高校出身なのですが、「あんな高校行くもんじゃありません。いいとこありません。」って言って・・・なんだか意外で寂しかったんです。
 また長くなってしまいました。気をつけてはいるのですが申し訳ありません。
2006/11/08(水) 14:26 | URL | ごっちゃん #-[ コメントの編集]
つらいところです。
「いじめ→自殺」の連鎖の問題と履修の問題が一気に来てしまったので、色々と気を遣う毎日です。
生徒のためを思って気を遣うのは当然のことだからいいのですが、なんとなく今回の一件は「マスコミの力に振り回されている」という感じがして、誰のために気を遣っているのかがわからなくなっているところが辛いです。
2006/11/01(水) 13:50 | URL | 絵美子 #-[ コメントの編集]
そうですね、朝早く。
絵美子さん、あそこは、待ち合わせなんですか。
まあ、地元の人はそうでしょうね。特に、あの辺りは、ローマでも繁華街なんでしょうから。
でも、観光客が座るんですよね。
そうか、地元の人が座るから、真似して。
本当に、全員が一緒の方向を向いて、ただじーとしている姿って、なんだか不気味。微妙。
そういう僕も座ったんですよ。
でも、落ち着かなくて、すぐ散歩に出かけたんですが、買うものもなくて、ただ、あの辺りをぶらぶらしてました。

今度行くときは、朝早く、じっくり、しっとりと行きます。
じっくり、しっとりと行って欲しいのは、最近の教育問題。
教育者の貴女は、最近のニュースには困っているでしょうね。お察しします。
自殺の校長が出ましたね。
このままだと、何処まで行くんでしょうか。
誰が言い出したのか、今更、学習指導要領なぞ持ち出さなければ良かったのに。
2006/10/31(火) 23:06 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
スペイン広場は渋谷のハチ公のように「待ち合わせ場所」のメッカになっているそうです。
早朝に行くといいんですよ。
私はスペイン広場もトレビの泉も、朝食前に母と歩きました。
無人・・・でしたよ。
ゆっくり写真を撮ることができました。
2006/10/31(火) 08:22 | URL | 絵美子 #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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