村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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終戦後の昔の映画「悲しき口笛」を見た。また、涙してしまった

沖田総司について、僕の考え、疑問など、まだ途中なのだが、違うことを書きたくなった。

昨日、久しぶりに古い映画を見た。
映画といっても、映画館ではなく、ビデオである。
題名は、「悲しき口笛」。
主演は、勿論、美空ひばり。昭和24年の作品だから、彼女がいくつのときなんだろう、10歳程度に見えたが、映画では12歳といっていた。
彼女、この頃から、メチャ、歌がうまい。白黒の映画で雑音もあればところどころ醜い場所もあるのだが、当時の彼女の歌声は、今聞いても群を抜いて見事で、あんなすごい歌手は見たことも聞いたこともない。
誰が言ったか、本当に100年に一人の逸材であったと思う。

映画が「悲しき口笛」だから、勿論この歌が随所で歌われるのだが、ほかにもふんだんに聞かせてくれる。ひばりさんの子供の頃の声をじっくり聞きたい人は、この映画をご覧ください、ビデオ屋にあるでしょうから。

僕は、このビデオを職場の友人から借りた。
彼は、僕が最近,老人ホームを訪問しているのを知っていて、あした(12月9日)、サックスばかりでなく、ギターの弾き語りをすることもご存知なのだ。そのプログラムだが、10曲用意してある。その中に「悲しき口笛」が入っている。
彼は早速、僕のために(?)ビデオを買ってきてくれた。
値札がついていて、190円である。
「随分と、安いな」と、聞いたら、
「最近、古いビデオをこういう値段で売っているんだ」
と、返ってきた。
190円だから、こっちも遠慮なく借りた。

やあー、どういうわけか、あの当時の映画を見ると、どうしても涙腺がゆるんでしまう。正直、どうお世辞を言っても、大した映画じゃない。金もかけられないし、あの頃のことだし、仕様がないですよね。
でも、僕には、感動でした。
さっきの、美空の歌声だけでも価値は十分とあるのだが、昭和24年作品だから、23年当時の横浜を舞台にして、ロケを行なっているし、それを拝見できるだけでも嬉しかった。あの、外人墓地付近で撮影し、そこからの港の風景も確認できる。今は、様々な建物が並んでしまっているから、だんだんと港が見えなくなってしまっている。長崎なども、僕が学生のころだから昭和47年当時だったか、グラバー邸から美しい港が見えていたのだが、今は建物やドッグで風景がぶち壊されてしまっている。
あの横浜の雰囲気は、敗戦で爆撃されたあとの焼け野原で撮影されているので、当時のことを知るには格好の映画である。
この当時の映画は、この「悲しき口笛」に限らず、皆そういうノスタルジックなシーンを持ち合わせているので、なんにしても価値がある。
僕は、特に、幕末の頃の風景に関心があるので、『昔は、こうだったんだ』と、穴が開くほどスクリーンを覗いてしまう癖がある。

この映画のあらすじだが、
ひばりが戦争孤児で、戦争に行った兄の帰りを待ちわびているのだが、周りはみな家、屋敷のない、焼きだされた人たちばかりで浮浪の労働者たちである。(ひばりの周りは子供いなくて、どういうわけか大人たちばかりだ)
その兄は、音楽家で、一つの曲を妹に残していった。
それが「悲しき口笛」という曲だ。
ひばりは「ミツコ」という名であったが、彼女は、あのドラえもんに良く出てくる原っぱにおいてあったド缶(コンクリート製)の中で寝泊りしている。そこを津島恵子ふんするビヤホールで女給をしている京子に拾われて、一緒に住むようになる。
戦地から帰ってきた兄(原保美)は、妹を探すのだが、様々ないきさつがあったあと、妹のミツコがクラブで歌っているところに偶然出くわして、二人で抱き合ってハッピーエンドという、見ていて誰でも結末が想像出来る成り行きなのだが、それでも、涙を伴ってしまうのはどうしたことだろう。
僕が、年をとってしまった証拠なのだろうか。
でも、違うような気がする。今の若い人たちでも、感動的なんじゃないかな。
いろんな懐かしい人がでてきていたが、一人悪役の人が印象に残った。
大変な色男だった。徳大寺伸という俳優で、古い人は知っているはずだ。よく、東映の時代劇に出てきた。新選組関連で言えば、あの栗塚サンのというより司馬遼太郎の傑作、「新選組血風録」で原田左之助を演じていた人といえば、お解かりの人もいるかな。

このあいだ、テレビで「三丁目の夕日」をやっていた。
感動的な作品だった。
でも、ちょっと、出来すぎている感じもし、手抜きもある。あの時代、ああじゃないだろうとか、俺だったら、ああは書かないのに、というシーンが随分とあった。東京タワーのことなんて、どうだっていい。
それより、売れない作家で駄菓子屋の親父が、嫌々預かった子供とひょんなことから引き裂かれる羽目になってしまう。
それがあって、毎日酒びたりになってしまって、このやるせない心境をどうしてくれるんだと、家中のものをブン投げる。荒れ狂う。そういうシーンを見たかった。この辺、もっとリアルに描いて欲しかった。
そして、その子と再会。
「お前なんか、いらない。カエレ」と、気持ちとは裏腹に蹴飛ばすシーンがあった。でも、とうとう抱き合ってしまう。見ている側は、涙なしには見られない場面だ。
そのようにして欲しかったのに。余計なことのようだが。でも、こだわる。
だって、僕の年代の話だから。
僕の娘(高三)が、ビデオをとっておいてというので(受験なので)、僕もとりながら見たのだが、あの映画、子供が主役だが、昭和30年代の頃の自分たちを、髣髴することが出来る。

昨日見た映画も、それよりもっと10年古い時代のものだが、終戦後の外地から引き上げてきた者も、内地で残っていたものも一緒になって、焼け野原の地べたにじかに寝るしかない苦しかった、生きていくための、ぎりぎりの生活を描いているものだ。
人間は、こういうものを見せられると、顔がしわくちゃになる。

名画といわれるものは、日本映画だけをとってみても枚挙にいとまないが、僕は、特に戦争に関連するものに感動する癖がある。
また、戦争ものに名画が多いのも事実だ。大正から昭和、特に支那事変から第二次世界大戦に入っていき、凄惨な生地獄を経て終戦を迎え、その後の食うや食わずの時代を潜り抜けてきた我等の先輩たちの姿に感動する。まだ、僕らの兄や姉、親の時代の実話である。

自分は老人ホームで、大先輩たちを前にして演奏してきているが、何かおこがましいというか、遠慮というものがある。
果たして、聞かせるほどのものなのか。
それに、ズート、座して聞いていることがきっと苦痛になってくるに違いないから、音楽に参加してもらおうと考えた。
このあいだは、一緒に小学唱歌を歌ったが、何か僕には抵抗があって、思い切って『懐メロ』にしたいと思った。
あした、なれないギターを抱えて、皆と10曲ほど歌う。
プログラムは、次のようである。
  1荒城の月(明治34年)
  2船頭小唄(大正10年)
  3月の沙漠(大正12年)
  4波浮の港(昭和3年)
  5赤城の子守唄(昭和9年)
  6人生の並木道(昭和13年)
  7帰り船(昭和21年)
  8湯の町エレジー(昭和23年)
  9悲しき口笛(昭和24年)
  10青い山脈(昭和24年)

ギターを練習し始めて2ヶ月になるが、最近ではようやく流しのギター引きの下っ端ぐらいにはなってきたと思っている。
時々、自分で酔っている。
ただし、歌は、全然下手。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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