村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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沖田総司の謎―――特別版

沖田総司の謎について、2回にわたって述べさせていただいたが、その後『チロ之助』氏から貴重なご助言をいただいたので、早速釣洋一氏の『土方歳三波涛録』を拝読させていただいた。
そして、今、思っていることを書く。

最近僕は、自分のブログ“沖田総司の謎―――2/12月15日(UP)”の中で次のように書いた。


16 ここで、興味深い記述を報告しなければならない。
  今回、この調査をしていて改めてその資料にぶち当たってしまったので、紹介する。実は、この資料は、僕が本を書く前から持っていて、気にはなっていたのだが、あまりに出来すぎているので、無視していたものである。だが、本当のところ、無視できない内容なので、載せさせていただく。

その資料とは、『歴史と旅』昭和55年11月号に載ったもので、―――”特集、謎と異説の新選組“の中の《沖田総司の恋人の謎》川西正隆―――の中のものである。
ちと長いが、川西氏の文章をそのまま載せさせていただく。
《沖田総司の覚え書》  
  総司は天保13年(1842)の暑い夏の6月1日に、奥州白河藩10万石阿部家江戸藩邸下屋敷内の組長屋に於いて、友部時右衛門組米32俵3人扶持、沖田勝次郎の嫡男として誕生の声を上げた。

    文久3年3月、上京した総司は近藤勇と京都に残留を決意して、京都守護職に京都留まりを請願して即日聞き届けに及んで、壬生邑郷士八木源之丞宅を宿舎と定めた。浪士組を改名して、新しく選ばれた者の組織の意をこめて、新選組と称することに定め、裁下を願い出るとともに、一同は生国正日を新しく書き留めて、京都守護職公用係に提出したのである。

沖田総司の提出した覚え書きは左の通り。
  生国 奥州白河 天保一三壬寅6月一日生
  沖田総司藤原房良 二十二歳
  父 沖田勝次郎 死 旧奥州白河臣
  母 沖田ミキ  日野宿四谷宮原家娘
  兄 沖田林太郎 御府内
  姉 沖田ミツ  嘉永四年八月二十六日婚 兄林太郎妻
  姉 沖田キン  嘉永五年 長岡支藩峯山藩臣中野由秀妻
  剣芸 天然理心流 近藤周助門人
  学問 小島鹿之助門
          
 …………(中略)…………
  
17 総司の母親について、菊池明氏は月刊『歴史読本』の中で、以下のように述べている。
      (総司の)母親について『沖田家文書』は「父母は幼少の時、死に別れ……」としているが、専称寺の過去帳に該当する人物は文久二年八月九日に死亡した、「同人(林太郎)母」とされる「誠心院清室妙林大姉」のはかにいない。勝次郎の死去から18年後のことであり、とても幼少期のことではない。
       ―――
      やはり過去帳による限り、「誠心院」こそ総司の母親であったとするほかはないようである。
      母親の名前は、残念ながら伝わっていない。

  と、述べられている。
だが、先の川西氏ははっきりと総司の母の名を「ミキ」としている。何もないところから捏造するとも思えないので、何かでお調べになったのであろう。
  でも、不思議だ。これだけ、これまで皆さんが関心を持って調査してきていることなのだが、彼は、母の名を言い切っているし、宮原久五郎についても、詳しくご存知だ。
このことについては、これ以上詳しく詮索はしない。
でも、総司が書いたとされる、京都守護職に提出した身上書なるものが残っているのか。そうなら、是非拝見したいが。



この記事に対して、チロ之助氏から次のようなアドヴァイスがあった。

釣洋一氏の創作です
>その資料とは、『歴史と旅』昭和55年11月号に載ったもので、―――”特集、謎と異説の新選組“の中の《沖田総司の恋人の謎》川西正隆―――の中のものである。
引用された上記の一文にある、総司の生年月日の「六月一日生」と総司の母親の名前「ミキ」は、昭和55年9月25日に新人物往来社から発行された釣洋一氏の著作『沖田総司の手記』が元ネタです。
沖田家の伝承に、「総司が生まれた日は、大変に暗い日で、灯りをたくさん点けたというように聞いております」とあるのをヒントに、1842年7月8日(天保十三年六月一日)が「日食」だったので、総司の生年月日に設定したそうです。
母親の名前「ミキ」は、総司の二人の姉「ミツ」と「キン」の名前から「ミキ」と設定したそうです。
これらの件について、釣氏ご自身が、2003年9月15日新人物往来社発行の『土方歳三波涛録』の中で言及されておりますので、ご一読をお薦めいたします。
2006/12/15


このご助言により、早速、釣洋一氏の『土方歳三波涛録』を読んだのだが、ますます、訳がわからなくなってしまった。

まず、釣氏の著書の中にはこうあった。
『土方歳三波涛録』155ページから158ページの中の抜粋。


  新選組の七不思議
一、 沖田総司の謎
 不思議なことといえば、 沖田総司ほど不思議な男もいない。
 …………(中略)…………
     
沖田総司出生の秘密といったことは、一時、解決したかのように報じられたが、実のところ、何一つとしてわかっていない。
昭和55年、ある雑誌に、次のような一文が載った。 

~~~~~~~~~~~~
文久3年3月、上京した総司は近藤勇と京都に残留を決意して、京都守護職に京都留まりを請願して即日聞き届けに及んで、壬生邑郷士八木源之丞宅を宿舎と定めた。浪士組を改名して、新しく選ばれた者の組織の意をこめて、新選組と称することに定め、裁下を願い出るとともに、一同は生国正日を新しく書き留めて、京都守護職公用係に提出したのである。

沖田総司の提出した覚え書きは左の通り。
  生国 奥州白河 天保一三壬寅6月一日生
  沖田総司藤原房良 二十二歳
  父 沖田勝次郎 死 旧奥州白河臣
  母 沖田ミキ  日野宿四谷宮原家娘
  兄 沖田林太郎 御府内
  姉 沖田ミツ  嘉永四年八月二十六日婚 兄林太郎妻
  姉 沖田キン  嘉永五年 長岡支藩峯山藩臣中野由秀妻
  剣芸 天然理心流 近藤周助門人
  学問 小島鹿之助門
~~~~~~~~~~

    近藤、土方、 沖田らが、江戸へ帰還する清河八郎らと袂を分かち、京都残留を決定したとき、このような身上書を提出したであろうことは考えられる。しかし、この時点で、新選組を名乗ったとするのは誤りである。このことは後述するとして、 沖田総司生誕の日や母ミキの名前、そして、姉キンの嫁ぎ先である中野由秀の名前や、峯山藩の記述に思わず首をかしげてしまった。
まず、沖田総司の生年月日は、拙著『 沖田総司の手記』で、私自身が初めて記述したものである。
この作品は、すべてが創作である。勿論、いろいろと調査すれば、すべてが虚構であることが判然とするように書いてある。
…………(中略)…………
    次に母の名前がミキになっていることだ。これも、私が勝手に名づけたものである。総司の姉ミツとキンの一字を当てはめたにすぎない。もっとも、母の名前から子の名をとることは稀なことではないから、意外や、ひょうたんから駒になるかもわからない。
その母親が、日野の宮原家の娘としてあるが、根拠のない風聞に過ぎない。

…………(以下略)…………


ここまでが、釣氏の著作の中の引用である。
釣氏も、私(村瀬)が引用した川西氏のあの文章を著書の中で引用されていた。そして、「誤りだ」「首をかしげてしまった」「私自身が初めて記述したもの」などの表現をされている。

これらを整理してみると、
1 最初釣氏が『沖田総司の手記』という作品の中で、 沖田総司に関する様々な記述をされた。唯、この作品は、「すべてが創作である。」とおっしゃっている。
2 次に、釣氏が作った作り話に川西氏が乗ってしまって、さらに創作を加えて、あたかも 沖田総司の真実のように書いた。
3 それを読んだ釣氏が、「あれは、嘘っぱちだ」と批判している。
ととれるのだが………。

『 沖田総司の手記』がどのような表現で書かれているのか、読んでいないから、正確にはいえないが、著者の釣氏がはっきり、創作だといっておられる。
その創作を、受け売りしてしまった川西氏なのだが、ご自分の創作をさらに加えているから、話がややこしい。例えば、総司の母親の名がミキで、その人は宮原家の出であるということ。ミキと名づけたのは釣氏で、宮原家の出としたのは川西氏である。
釣氏は、「日野の宮原家の娘としてあるが、根拠のない風聞に過ぎない」と言っておられるが、全く根拠のないことではない。
昔から、この地域(日野辺り)では、そのように言われてきていることは事実である。前にもどこかで書いたが、あの土方歳三の祖母の出である平家の子孫、平拙三氏も小さいときから、そのように聞いている(宮原家の娘)と言っておられたし、宮原家子孫の久雄氏から直接、丁度昨年の今頃、僕はそのこと(総司の母が宮原から出ているらしいこと)を聞いた。だから、根拠のない風聞ではない。
それに、泰助のミツ宛の例の手紙の下書きにも、宮原久五郎の名が2回出てきているのだから、沖田家と宮原家の関係と言う意味においては、根拠がないとはいえない。

むしろ、どうしてそうしたのかは分からないが、例え小説だとしても、総司の母の名を勝手に『ミキ』と名づけてしまう方が、問題が大きいのではないのか。「嘘も百回言えば、本当になる」と釣氏自身も言っておられる。釣氏ほどの影響力のある人が書くと、それが真実であるかのように思ってしまう人もいる。

歴史上の人物で、沖田総司といえば皆さん関心の深いところでもあるし、注目もされている。その母の名を創作してしまうってこと、ありなの?生年月日も、作ったということだが、それだって一人歩きし始めている。
それでなくとも、この家系は複雑で混乱しているのだから、ややこしいことしないでくれといいたい。
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コメント
引用や創作は、今後気をつけます。
そうですね。
引用の仕方も考えてしないと、大きい誤解を受けかねませんね。今回、あなたや夏虫さんのご助言で随分と助かりました。
大変感謝しています。

僕も、『人間土方歳三』では、小説として創作はしてしまったのですが、歴史上の真実、事実に沿って話を作っていったつもりです。例えば、近藤さんが何故長州へ大目付の永井様に付き添って尋問使として行けたのか、そんなことが実現できたのか、とか。
それから、芹澤鴨が殺されたとき、同衾していたお梅も泥酔させるように土方歳三が思案して、馬詰父子に手伝わせたことなど、創作した部分がいくらもあります。

また、雪の嵐山に、総司と山南さんに二人きりで湯豆腐を食べさせました。
そして、その晩に、山南は切腹して果てたのです。
勿論、作り話ですが、あの二人にはこうあってほしいという僕の願いがこめられているのです。それに、山南さんのプライドや武士としての最後をきちんと飾ってやりたいという僕の気持ちから、自ら死を選んだ形にしてやりたかったのです。決して脱走なぞではなくて。

それに、土方という人間を鑑みて、そのくらいの権謀術は当然使って当たり前、頭のさえている人だと思っているからなんです。
幕末というあの数年、新選組で魅力的に後世に伝えてくれた土方歳三さん、歴史的に、大きく貢献した、優れた大参謀だったと確信しています。

でも、全くの空想集団ではありませんし、実在した、そしてつい最近まで生き残りの子供さんなぞがいた組織ですから、先の引用なり創作は気をつけないといけませんね。
いい教訓になりました。
多くの人にお礼を言わなければなりません。
改めて、有難うございます。


村瀬彰吾
2006/12/20(水) 00:05 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
私のコメントを記事の中で取り上げて頂き恐縮です(汗)
「チロ之助氏」などと言われると気恥ずかしいので「チロ之助さん」でお願いします(笑)

>釣氏ほどの影響力のある人が書くと、それが真実であるかのように思ってしまう人もいる。

それと同じように、村瀬さんのような影響力のある方がブログ上で、川西正隆氏(故人)の創作した「沖田総司の提出した覚え書き」を「資料」として引用されますと、「それが真実であるかのように思ってしまう人」がいるのではないかと危惧しまして、あのようなコメントをさせて頂いた次第です。

『沖田総司の手記』について著者の釣氏は、「この作品は、すべてが創作である。勿論、いろいろと調査すれば、すべてが虚構であることが判然とするように書いてある」と述べておられるが、この作品の中で著者は、沖田総司を主人公とした物語上で「歴史考証」をされているのですが、その考証部分も「すべてが創作」「すべてが虚構」というふうに採られかねない発言ですねぇ。
ちなみに、この本の「あとがき(1980年7月19日付)」にも「表紙カヴァー」にも、この作品が小説、創作だとは一言も書かれてはいません。
それどころか、帯には「新発見史料で描く!!」とか「沖田総司の手記を発掘」と書かれています(苦笑)。

>ややこしいことしないでくれといいたい。

村瀬さんの血圧が上がってしまったようですね。
2006/12/19(火) 22:02 | URL | チロ之助 #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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