2007-01-17 Wed
前にもここでいったことがあるが、僕の日野市役所では毎日、新聞速報が切り抜き記事で報じられるのだが、これは僕ら職員たちには大変重宝していて、この仕事を担当してくれている図書館の人たちには、多いに感謝している。
この1月15日の速報は、A3三枚にぎっしり情報が載っていたが、気になったものが2つ並んでいたので、紹介する。
といっても、僕が以前担当したことのある仕事内容に関わることなので、これを読んでくれる人たちには、面白くもおかしくもないかもしれないが、最近のニュースにも関連するので、言わせて欲しい。

最初は、『ごみ有料化も視野』というタイトルで、府中市の審議会が答申を出した記事だ。
このことは大変重要なことなのだが、今日は、これに関連した最近話題の『レジ袋の有料化』について考えて見たい。
このことは、現在、日野市でも盛んにキャンペーンを行なっていることで、買い物袋を持参して、レジ袋はもらわないように、と、市民に徹底をお願いしている。これは、当市ばかりではなく、全国的にどこでも始めていることだから目新しいことではないが、ここ数日のニュースになっている。
というのも、杉並区がその方針を出しているのと、区内のスーパーマーケットがいよいよ一枚5円で売り出すというからだ。
そのスーパーにしてみれば、客足に多いに影響することだから、断腸の思いで決断したに違いないが、とにかく環境を優先させての決定だとすれば、英断だろう。
でも、そこは営利追求の企業だから、これだけ世間で話題になれば、その逆の効果も狙っていたかもしれない。
こういうひねくれた見方は、歴史を考える上では結構重要で、『過去の出来事』や『英雄たちがしてきたこと』、『考えてきたこと』を推察する際に、単純に表(おもて)ばかり見ていないで裏から見ることも大切だということにつながる。だって、過去の偉人たちの思考は、そんな単純なものでなくて、人の心理を読みながら、裏の裏まで予測、推察して、戦略を練って戦ってきている。関が原の戦では、どこの武将がどこに陣取って、どう攻めてくるかとか、また、誰が裏切るかなどまで予測する。
鳥羽伏見でも同じだ。
淀藩だ土佐だ藤堂だと、裏切りが続出して、それが結局勝敗を決してしまっている。でも、戦以前に、裏切るような、また裏切らざるを得ないような伏線まで打っている場合だってある。
勝海舟は、西郷隆盛という人物を、親兄弟、嫁、部下以上に理解していて、また尊敬もしていたかもしれないが、慶応四年3月14日、江戸総攻撃を前にして『江戸城無血開城の談判』をした。お互いに、裏の裏まで読みあっていたのだが、あそこまで高度な駆け引きになると、敵味方の武将同士で、面白いもので、逆に『信頼』が優先するのかもしれない。
それにしても、近藤が4月3日に自首する際、大久保大和として、うまく敵をだませると思っていたのか、それとも、斬首を覚悟してのことだったのか、よくわからない。その時の、土方歳三の進言はどうだったのだろう。そして、直ちに歳三は勝海舟邸に急いだ。新選組は、勝に嫌われていたことは間違いない。ナノに、何故?
これも、面白い。何故、土方歳三は、勝なんだろう。
このあたり、勝と土方歳三との関係について、僕も含めて新選組の研究者たちは今ひとつ追究が足りない。
いつものことで、話がそれた。
あにはからんや、レジ袋を5円で販売するスーパーは、環境にやさしい企業として評価が高くなるかもしれない。
僕がここで疑問を持ったのは、“買い物袋を持参すると、何故ごみが減るのか”
ということだ。
大して効果はないと見る。
だって、どっちにしろ、ごみを出すときは何かの袋に入れる。それがスーパーの袋か黒い袋か、自治体が指定した有料のゴミ袋かってことじゃないのか。ごみの量が変わらない限り、袋の量も一緒だろうに。
大切なことは、中のごみの量をどうやって減らすかってこと。中味が減れば、自然、ゴミ袋の量も減るし、レジ袋も邪魔になる。
日野市の家庭や企業では、ごみ改革の後、ごみの量が約半分に減っているから、このレジ袋が相当邪魔になっているはずだ。だって、指定の袋でないと持って行ってもらえないからだ。
でも、これはレジ袋が、すべてゴミ袋になるって言う前提に立っている。レジ袋の数があまりに多すぎて、ごみとして出しているケースもあるから、一概には言えない。
日野市は今から約6年前にごみ改革をして、ゴミ袋を有料化してしまったから、指定の袋以外で出しても持っていってもらえない。だから、スーパーの袋が各家庭にたまりにたまる。今、多摩地区では、続々と指定ゴミ袋に変わってきているから、レジ袋の有料化はこの辺では効果が上がるが、全国レベルではどうなんだろう。レジ袋は、ゴミ袋として重宝しているんじゃないかな。
このこと自体では、ごみの減量には繋がらないと見る。むしろ、家庭内で出るごみの総量をどうやって減らすかってことを考えるべきだろう。
そのためには、第1に、『分別』である。
でも、分別して、リサイクルへまわしたからって、それでごみが減るわけではない。リサイクルしてもいずれはごみになるからだ。唯、寿命を延ばしているだけ。でも、何もしないよりはいい。
最も大切なことは、我々日本人は、『江戸時代以前を学べ』ってことかな。当たり前だが、不必要なものはいらない。必要なものでも、いらなくなってもすぐには捨てない。使える限りは、リユースやリサイクルする。
僕の小さい頃は、江戸時代の名残がまだあって、お祭りのときに母親が浴衣を新調してくれる。それは寝巻きになる。それもだめになると、オシメになる。最後は雑巾になった。これは、うちばかりでなく、どこの家庭でも当たりまえだったに違いない。僕が幼い頃、いろんなところに、よくオシメが洗濯物として干してあったが、大概、浴衣のお下がりだったように記憶している。
洗剤だって、当市の学校でも保育園でも、給食ですべて石鹸に変えた。というより、戻したといってよいかもしれない。僕がまだ30代の頃だが、組合と消費者運動の協力の下で換えたのだが、大変な抵抗、妨害にあいながら、苦労して戻した記憶がある。今は、給食の調理員たちは、石鹸が当たり前として使っているから、何の抵抗もない。
だが、これだって、まだ全国的には、殆んどが合成洗剤を使っているに違いない。変えたくても変えられないのだ。
便利さになれてしまっているのと、我が国が、消費者より洗剤メーカーよりの施策をとっているからだろう。だから、消費者のための行政が重要なのだが、その予算も年々減らされてきている。
こういうところは、増やしても減らしちゃいけないんじゃないかな。その記事も同時に載っていたので、載せる。

こういう、生活の後戻りが、僕らに出来るかってことにかかっている。でも、こうしない限り、いらなくなってすぐ捨てる生活を営んでいる限りは、ごみなんて、またCO2も減らない。
最後に、僕が最近学習している江戸時代の風俗・習慣の中で、参考になる『損料屋』について紹介する。
『損料屋』とは、レンタルをビジネスにしている店だ。
僕の小さい頃は(三丁目の夕日と同じ昭和30年代)、街中に『貸衣装屋』という店があって、商売として成り立っていた。勿論、質屋やその流れ品を扱う古道具屋や一六屋なぞもあった。
この『貸衣装屋』は、主に結婚式や葬式に着る衣装なぞを貸し出すのだが、とても合理的な気がする。僕も、最近はメタボリ―――症候群になってきているから、何年か前に造った背広や衣装類が着られなくて困っている。もう捨てるしかないのか。
和服じゃないから、息子にも譲れない。
着物ならサイズは殆んど関係ないから、子孫に受け継いでいけるのだが。こういう無駄が金銭的にも、ごみ的にも良くない。
この損料屋だが、昼間だけ貸すのを、カラスが活動する時間だとして《烏貸し》といった。夜間の場合は《蝙蝠(こうもり)貸し》といったらしい。
貸すものは、ありとあらゆる日常品や、調度品、冠婚葬祭用品など多岐に渡っていたが、かんざしや紋服、羽織袴はわかるが、褌(ふんどし)まで貸していたというから、これはすごい。
しかも、洗濯しないで返していいんだってーーー。
この1月15日の速報は、A3三枚にぎっしり情報が載っていたが、気になったものが2つ並んでいたので、紹介する。
といっても、僕が以前担当したことのある仕事内容に関わることなので、これを読んでくれる人たちには、面白くもおかしくもないかもしれないが、最近のニュースにも関連するので、言わせて欲しい。

最初は、『ごみ有料化も視野』というタイトルで、府中市の審議会が答申を出した記事だ。
このことは大変重要なことなのだが、今日は、これに関連した最近話題の『レジ袋の有料化』について考えて見たい。
このことは、現在、日野市でも盛んにキャンペーンを行なっていることで、買い物袋を持参して、レジ袋はもらわないように、と、市民に徹底をお願いしている。これは、当市ばかりではなく、全国的にどこでも始めていることだから目新しいことではないが、ここ数日のニュースになっている。
というのも、杉並区がその方針を出しているのと、区内のスーパーマーケットがいよいよ一枚5円で売り出すというからだ。
そのスーパーにしてみれば、客足に多いに影響することだから、断腸の思いで決断したに違いないが、とにかく環境を優先させての決定だとすれば、英断だろう。
でも、そこは営利追求の企業だから、これだけ世間で話題になれば、その逆の効果も狙っていたかもしれない。
こういうひねくれた見方は、歴史を考える上では結構重要で、『過去の出来事』や『英雄たちがしてきたこと』、『考えてきたこと』を推察する際に、単純に表(おもて)ばかり見ていないで裏から見ることも大切だということにつながる。だって、過去の偉人たちの思考は、そんな単純なものでなくて、人の心理を読みながら、裏の裏まで予測、推察して、戦略を練って戦ってきている。関が原の戦では、どこの武将がどこに陣取って、どう攻めてくるかとか、また、誰が裏切るかなどまで予測する。
鳥羽伏見でも同じだ。
淀藩だ土佐だ藤堂だと、裏切りが続出して、それが結局勝敗を決してしまっている。でも、戦以前に、裏切るような、また裏切らざるを得ないような伏線まで打っている場合だってある。
勝海舟は、西郷隆盛という人物を、親兄弟、嫁、部下以上に理解していて、また尊敬もしていたかもしれないが、慶応四年3月14日、江戸総攻撃を前にして『江戸城無血開城の談判』をした。お互いに、裏の裏まで読みあっていたのだが、あそこまで高度な駆け引きになると、敵味方の武将同士で、面白いもので、逆に『信頼』が優先するのかもしれない。
それにしても、近藤が4月3日に自首する際、大久保大和として、うまく敵をだませると思っていたのか、それとも、斬首を覚悟してのことだったのか、よくわからない。その時の、土方歳三の進言はどうだったのだろう。そして、直ちに歳三は勝海舟邸に急いだ。新選組は、勝に嫌われていたことは間違いない。ナノに、何故?
これも、面白い。何故、土方歳三は、勝なんだろう。
このあたり、勝と土方歳三との関係について、僕も含めて新選組の研究者たちは今ひとつ追究が足りない。
いつものことで、話がそれた。
あにはからんや、レジ袋を5円で販売するスーパーは、環境にやさしい企業として評価が高くなるかもしれない。
僕がここで疑問を持ったのは、“買い物袋を持参すると、何故ごみが減るのか”
ということだ。
大して効果はないと見る。
だって、どっちにしろ、ごみを出すときは何かの袋に入れる。それがスーパーの袋か黒い袋か、自治体が指定した有料のゴミ袋かってことじゃないのか。ごみの量が変わらない限り、袋の量も一緒だろうに。
大切なことは、中のごみの量をどうやって減らすかってこと。中味が減れば、自然、ゴミ袋の量も減るし、レジ袋も邪魔になる。
日野市の家庭や企業では、ごみ改革の後、ごみの量が約半分に減っているから、このレジ袋が相当邪魔になっているはずだ。だって、指定の袋でないと持って行ってもらえないからだ。
でも、これはレジ袋が、すべてゴミ袋になるって言う前提に立っている。レジ袋の数があまりに多すぎて、ごみとして出しているケースもあるから、一概には言えない。
日野市は今から約6年前にごみ改革をして、ゴミ袋を有料化してしまったから、指定の袋以外で出しても持っていってもらえない。だから、スーパーの袋が各家庭にたまりにたまる。今、多摩地区では、続々と指定ゴミ袋に変わってきているから、レジ袋の有料化はこの辺では効果が上がるが、全国レベルではどうなんだろう。レジ袋は、ゴミ袋として重宝しているんじゃないかな。
このこと自体では、ごみの減量には繋がらないと見る。むしろ、家庭内で出るごみの総量をどうやって減らすかってことを考えるべきだろう。
そのためには、第1に、『分別』である。
でも、分別して、リサイクルへまわしたからって、それでごみが減るわけではない。リサイクルしてもいずれはごみになるからだ。唯、寿命を延ばしているだけ。でも、何もしないよりはいい。
最も大切なことは、我々日本人は、『江戸時代以前を学べ』ってことかな。当たり前だが、不必要なものはいらない。必要なものでも、いらなくなってもすぐには捨てない。使える限りは、リユースやリサイクルする。
僕の小さい頃は、江戸時代の名残がまだあって、お祭りのときに母親が浴衣を新調してくれる。それは寝巻きになる。それもだめになると、オシメになる。最後は雑巾になった。これは、うちばかりでなく、どこの家庭でも当たりまえだったに違いない。僕が幼い頃、いろんなところに、よくオシメが洗濯物として干してあったが、大概、浴衣のお下がりだったように記憶している。
洗剤だって、当市の学校でも保育園でも、給食ですべて石鹸に変えた。というより、戻したといってよいかもしれない。僕がまだ30代の頃だが、組合と消費者運動の協力の下で換えたのだが、大変な抵抗、妨害にあいながら、苦労して戻した記憶がある。今は、給食の調理員たちは、石鹸が当たり前として使っているから、何の抵抗もない。
だが、これだって、まだ全国的には、殆んどが合成洗剤を使っているに違いない。変えたくても変えられないのだ。
便利さになれてしまっているのと、我が国が、消費者より洗剤メーカーよりの施策をとっているからだろう。だから、消費者のための行政が重要なのだが、その予算も年々減らされてきている。
こういうところは、増やしても減らしちゃいけないんじゃないかな。その記事も同時に載っていたので、載せる。

こういう、生活の後戻りが、僕らに出来るかってことにかかっている。でも、こうしない限り、いらなくなってすぐ捨てる生活を営んでいる限りは、ごみなんて、またCO2も減らない。
最後に、僕が最近学習している江戸時代の風俗・習慣の中で、参考になる『損料屋』について紹介する。
『損料屋』とは、レンタルをビジネスにしている店だ。
僕の小さい頃は(三丁目の夕日と同じ昭和30年代)、街中に『貸衣装屋』という店があって、商売として成り立っていた。勿論、質屋やその流れ品を扱う古道具屋や一六屋なぞもあった。
この『貸衣装屋』は、主に結婚式や葬式に着る衣装なぞを貸し出すのだが、とても合理的な気がする。僕も、最近はメタボリ―――症候群になってきているから、何年か前に造った背広や衣装類が着られなくて困っている。もう捨てるしかないのか。
和服じゃないから、息子にも譲れない。
着物ならサイズは殆んど関係ないから、子孫に受け継いでいけるのだが。こういう無駄が金銭的にも、ごみ的にも良くない。
この損料屋だが、昼間だけ貸すのを、カラスが活動する時間だとして《烏貸し》といった。夜間の場合は《蝙蝠(こうもり)貸し》といったらしい。
貸すものは、ありとあらゆる日常品や、調度品、冠婚葬祭用品など多岐に渡っていたが、かんざしや紋服、羽織袴はわかるが、褌(ふんどし)まで貸していたというから、これはすごい。
しかも、洗濯しないで返していいんだってーーー。






