村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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久しぶりの新選組講演会―――1

先日、久しぶりに新選組講演会を行なった。
主催は『日進会』という生涯現役を名乗る高齢者の集団なのだが、学習意欲の旺盛なのには、頭が下がる思いである。
ここのグループからは、これまで3回ほど新選組のお話を依頼されてきているから、顔見知りの方も多いのだが、今回は特別に、新選組以外の話も聞きたくて、一般の人からも申込みが多かった。
何故なんだろう。それだけ、幕末に関心のある方が多いのかもしれない。
僕の話は、もともと、新選組の話よりも幕末全体の話のほうが多いから、新選組のファン以外の方々の参加者も結構いる。

今回のテーマは、『近藤と土方の友情』だったが、それを話す前に、前提として時代背景を言わないわけには行かない。それが、二人を運命付けたからだ。
二人を取り巻く環境を考察して初めて、浪士組参加にいたる道筋が分ってくるし、其の後の二人の別れも理解できる。
だが、僕のいつもの悪い癖で、時代背景の話が長すぎて、本題の時間は3分の1程度で終わってしまった。申し訳ないことをしてしまった。
それでも、参加してくれた方々は大方満足してくれていたように思う。あの時代の様々な出来事は、一つ一つ全てに渡って興味深いことばかりだからだ。

ペリーが嘉永6年に日本へやってきた。(NHKの大河ドラマ新選組は、ここから始まった)あわてた幕府ってことになっているが、実は、来ることは以前から分っていた。
「やっぱ」なのだ。
お隣の清国がアヘン戦争で(1840年)英国に敗れて植民地化された。南京条約で(1842年)香港を割譲された。150年後に戻す約束だったから、ツイ数年前に戻ってきた。僕の学生の頃は、香港は英国領だった。

何年か前に演奏旅行で香港に行ったことがあったが、山の手地区でのライヴだった。そこいら辺は石畳の急坂が多く今でもハイカラな雰囲気で、いかにも西洋人好みの町並みが続いている。
それに、香港そのものは大して大きな都市ではないが、競馬場が二つもある。英国紳士淑女たちの楽しみの一つだからだ。僕もサティンという競馬場に行ってみたが、スタンドの下のほうはギャンブル好きの中国人でいっぱいだったが、最上階のスペシャルルームは正装して大きいハットをかぶったご婦人たちが大勢いたのにはびっくりした。確か、ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」で競馬場のシーンがあったが、あの豪華な雰囲気だ。
今でこそ、日本はようやっと、世界でも認められる競馬の一流国の仲間入りが出来ているが、つい最近までは、馬鹿にされていたから、世界の一流馬は日本へは来なかった。(未だに、本当に強いウマは日本には来ていない)
だから、ジャパンカップという高額賞金のレースを設けて、湯水の如く金をばら撒いて外国の競馬関係者を招待して盛り上げたから、来ることは来たが、世界を代表するようなウマは未だに来ていない。
昨年、日本に50年か100年に一度ぐらいの強さのウマがいた。皆さんよくご存知のディープインパクトというウマだ。僕のここ40年の競馬遍歴でもやっぱ強い馬だと思うが、一番強かったのは同じ武騎手が乗ったサイレンススズカという馬だと思っている。
武自身も、多分そう思っているに違いない。
だって、ゲートが開いて、サイレンスがいち早く飛び出すと、ほかのウマがそのスピードについていけずゴールまで《そのまんま》なのだ。いつでも、そうだった。騎手は、作戦も何も無かった。ただ乗っていればよいだけだった。あんな強いウマは二度と出ないだろう。あの時点で、恐らく、世界最強だったに違いない。
でも、98年秋の天皇賞で、レース中四コーナー手前で故障してしまい、そのまま殺処分になってしまった。
そこには有名な大けやきが植えられている。というより、伐採されないで残っていると言ったほうが正しい。何故邪魔な木を切らないのか。
切れないのである。
今、残っているけやきを切る前に、2本の木を切った人夫が二人いた。その二人ともが、謎の死を遂げてしまっている。―――寺山修二がそう書いた。
そこには、井田摂津守是政という人の墓が今でもある。子孫が今でも、お参りしている。
サイレンススズカは、そこで、自らのスピードで骨が砕けてしまった。
でも、彼は倒れなかった。
騎手を守ったのである。あの時、武が落馬していれば、あのスピードからして、騎手の命さえ危なかった。
ウマは騎手の命を守った、かばったのであった。
悲しい競走馬の宿命だ。
菊池寛は言った。
『無事、是、名馬』と。

こんな横道にそれているから、講演が予定通りに行かないのである。
話を戻そう。
え~と、そうそう、香港は競馬ではずっと前から、日本より先進国だった。だから、最近では日本から香港のレースに日本馬が随分と参加するようになった。たかが(?)香港なのに、活躍すると、結構大騒ぎ。
何か、寂しい。
ここ2,3年である。
それまでは、競馬の世界でも『鎖国』が続いていた。
これは、競馬の世界のことばかりではない。ゴルフなんかでも同じで、ジャンボ尾崎を始め国内では『内弁慶』だが、外へでるとまるでダメという選手が多かった。最近、藍ちゃんが外国で活躍するようになって、多少は変わってきたが、まだ、韓国の女性達には、足元にも及ばない。
ついでに、数日前に行なわれた世界フィギュアのキム・ユナ。
あの娘、サイコーに美しい演技をする。彼女の演技を観ていると、自分の心がとろけていくようになってしまう。この年になって、恥ずかしいこというようだが、そのくらい完璧だ。まだ16歳だという。
まいった。
僕は、心底惚れている。
それにしても韓国には、誇れる選手は彼女一人だけだというから驚きだ。
話が、それすぎだ。

アヘン戦争や南京条約の情報が、長崎の出島経由でオランダ国から江戸城に逐一報告されていて、時の老中阿部正弘(福山10万石藩主)はじめ幕府重臣たちは、来たるべく心構えは出来ていた。
でも、対策は一切とっていなかった。
とれないのである。210年も鎖国を続けてきていて、徳川本家自らそれを破るわけには行かない。じゃあ、攘夷を決行するのかというと、それ程の実力もないし、決断も出来ない。結局、一年考えさせてくれと追い返したが、次の年の2月には、ペリーは再びやってきてしまった。この間、日本国内では、喧々諤々の議論が行なわれた。

見栄も外聞も無い。これまでの歴史に無かったことが次々と行なわれた。まず、幕府がとるべき方針について、外様大名にまで意見を聞くことになった。考えられないことである。公儀の行なう政治向きのことに外様が口を挟むなど、ありえないことだった。だが、背に腹は変えられない。意見を聞いた。
だが、これといって妙案は一つもない。
仕方なく、幕府は次の手を打った。
一般市民にまで公募したのであった。商人でも農民でも僧侶でも神官でも博徒でもかまわない、誰でもいいから、いい案があったら出しなさいと。
これで、700以上の提案が寄せられたということだが、中に、面白い提案があがってきた。

長くなったので、続きは次回。
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コメント
使ってくれて有難う
とくダネ!!お小遣い稼ぎさん、はじめまして。

あなたのブログ、拝見いたしました。
いろいろ多岐にわたっていて、楽しいですね。
僕のつたない文でよければ、どうぞお使いください。

村瀬彰吾
2007/04/04(水) 00:19 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
はじめまして^^

私のブログで
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

紹介記事は
http://blog.livedoor.jp/ko4602/archives/50765448.html
です。

これからもよろしくお願いいたします^^
2007/04/03(火) 20:34 | URL | とくダネ!!お小遣い稼ぎ #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






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