村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

沖田総司と沖田家について6月10日にお話しするのだが、なんと子孫四家が大集合か

沖田総司を取り巻く姻戚関係については、沖田家を始め井上本家、分家、宮原家が関係している。
宮原家の存在については、以前は無視する歴史研究家や専門家が多かったが、近頃は泰助の手紙の下書きが公になってから、無視はできなくなってきたのだろう、随分と取り上げられるようになってきた。

泰助は、井上源三郎の甥で、12歳で慶応3年から新選組に参加し、鳥羽伏見で戦闘に参加した。戦死した源さんの首級を持ち歩いていたことで有名だが、松五郎の後を継いで井上本家を守っていた。
泰助の妹”ハナ“と沖田家の長男芳次郎と縁談話が持ち上がったが、このときに、多少のトラブルが起こったらしい。その原因は、よくわかっていないが、そのときに、泰助がミツ宛に手紙をしたためた。

この手紙は、その下書きが残っているが、残念ながら、途中で切れている。
これは、あまりに生々しい内容が遠慮なく書かれていたので、後で関係者が切り離したものか。それとも、泰助自身が途中で書くのを止めたものか。

いずれにしても、その下書きで、これら4家の関係が初めて明らかにされたといってよいだろう。
それまでも、いろんな角度からそのての噂話や聞き伝えのような伝承はされてきていたのだが、これで確定されたといってよい。
なぜなら、この手紙の中で、泰助は主に井上家と沖田家の因縁が深いことを(ミツを相手に)確かめ合っているからである。
親戚同士で、お互いの関係の嘘話を書いたって、何の得にもならない。そんなことは、ありえない。
そこには、真実が書いてある。
だから、第1級の資料なのである。

この本物を、井上資料館で拝見することが出来る。この資料館は、展示されている件数は決して多いほうではないが、井上松五郎の旅日記といい、新選組関連の第1級資料が展示されている。この松五郎日記も、元治元年の富沢忠衛門の「旅硯九重日記」と並んで、新選組を知る上では、大変貴重な資料である。
僕自身、刀というものには大して関心がない。
なるほどと、思う程度である。だって、それからは、歴史を紐解く何も見えてこないからだ。
それに反して直筆の手紙や特に日記なぞは、なぞに包まれている新選組の真相を追究する上で、最上のものだと思っている。
あの、土方歳三の伸びやかで美しくもある筆致を眺めているだけで、実に楽しい。ああゆう、のびのびとした書体で手紙が書ける歳三の人間性というものは、どうだったのか。それに反して、総司の字はせせこましくもある。総司の剣術の稽古は、鋭くも強く、短気であって、下手のものが嫌がったと伝えられる。
これまで伝えられてきている二人の人物像と性格は、本当は全く逆が正しいのかもしれない。

ともあれ、日記にしろ手紙にしろブログにしろ、現代に生きる僕らでさえ多少の誇張や体裁というものを考えて書くこともある。だから、全部信用できるかは、それはそれで気をつけなきゃいけないのだが、真相は行間から読み取るしかない。

今週日曜日(10日)に開かれる「日野宿文書検討会」で、僕と沖田周司さんでトークを行なうのだが、この席に、井上本家から資料館館長の雅雄さんがいらしてくれる。彼が、分家に声をかけてくれたので、恐らく林太郎子孫からの参加もあるだろう。
僕も、宮原家にお誘いの電話を入れた。僕が親しくしてもらっていた久雄さんは、残念ながら昨年なくなった。
彼は、宮原家に伝わる様々な事柄を授けてくれた。おまけに、久五郎のあの精悍な顔写真まで貸してくれたのだった。

【総司の母親が宮原家の出であり、久五郎がその母の兄弟だという言い伝えが宮原家には厳然とある。】

ならば、久五郎と総司の顔が似ていても不思議はない。
僕は、この顔写真をこのコーナーで紹介した(詳しくはこちら)。随分と反響があった。久雄さんには、心底感謝している。75歳だった。
彼は、薬王寺の墓の下に眠っている。芳次郎の長男重治は23歳で若死にしたが、麻布の専称寺ではなく、何の因果かここに眠っている。
謎だ!
沖田家は次男の要が継いだ。周司さんはこの要さんの孫に当たる。
宮原久雄さんの奥様は、ご健在である。昨日、お誘いしたら、参加する意向を示してくれた。若し実現すれば、沖田家、井上本家、分家、宮原家が一同に会することになる。

皆さん、来てみたらいかがですか。
今回創立三周年を記念して、日野宿の史料「上佐藤家上段の間」にあった戸袋、扇型の襖絵数点を初公開するとのことです。
(詳しくはこちらをご覧ください)
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コメント
あの、下書きに、そんな部分がーーー。
えっ?
そうなんですか。あの下書きにそういう後半部分があったのですか。
僕の見落としかな。

【後半部分に「芳治郎君歿シ第卓吉殿セイ人致サレ」「重治ノ致セシ件」という記述があることから、芳次郎の没後に書かれたものと考えられます。】

僕は、長い間ずーっと勘違いしていました。
アレは、芳次郎とハナがまだ結縁していないときに書かれたものだとばかり思っていました。
ありがとうございます。

本日、いらっしゃるのですか。
緊張するなあ。
これまでと同じことの繰り返しが多くなりますが、よろしく。


2007/06/10(日) 07:15 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
泰助の手紙
村瀬様、こんにちは。

これ以上ないような豪華な顔触れで、どのようなお話が出るのかとても楽しみです。

泰助の手紙の下書きについては、後半部分に「芳治郎君歿シ第卓吉殿セイ人致サレ」「重治ノ致セシ件」という記述があることから、芳次郎の没後に書かれたものと考えられます。
内容の詳細はよく分かりませんが、ハナや重治に関する事柄について泰助がミツに苦情を述べた手紙と思われます。

仙台で芳次郎が亡くなった後、沖田一家は日野に戻ったようですが、ミツは嫁のハナとの折り合いが悪くなり、日野を出て娘や妹の所で暮したという話が残っています(『新選組誠史』)。
重治が専称寺に埋葬されなかったのは、ミツとハナの間に生じた問題が影響していたのかもしれません。

親族間の揉め事を記した手紙が一級の資料になってしまうのは皮肉な感じがしますが、そのような内容の手紙でもきちんと公開して下さるのは有り難いと思います。
2007/06/09(土) 11:41 | URL | 夏虫 #-[ コメントの編集]
沖田関係者勢揃い!!
村瀬さま、井上本家、井上分家、宮原家、沖田家勢揃いに御尽力頂きありがとうございます。沖田総司については判らない事ばかりなので今回のトークショーは楽しみにしています。

関係者を前にして、話しずらい部分もありますが、120分よろしくお願いいたします。詳細はメール及びwebTV会議システムで調整して参ります。

資料は使わない予定でしたが村瀬さんのblogを引用させて頂き希望者に¥200円で販売いたします。

7月15日、小野路宿史蹟めぐり(沖田総司が歩いた道、布田道)をたっぷり歩きます。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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