村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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捨助子孫の松本一男さんは、歳三の子孫が正しい

そういえば、捨助子孫の松本一男さんは、歳三の子孫が正しい。
―――輪違屋糸里観劇記も言わなきゃね―――

ここのところ立て込んでいて、このブログもサボりがちになってしまっていた。
気にはしていたのだが、僕のは日記的なものとは違って調査したり数字を入れたりするので、結構エネルギーや時間が要るのだ。
今、一番書きたいのは『年金』と『ごみ』のことだ。
でも、ここのコーナーは”新選組”関連なので、それにあまり関係ないことは遠慮しようと心がけている。それでも、立場もわきまえずに、随分と言いたいことを言ってきているが。
今回、本当は、東京23区でこの秋から行なわれる「廃プラ対策」について書きたかった。でも、ソレは次回に譲って、強引にでも「新選組」関連を書く。

とはいえ、何日か前に浅田次郎原作の「輪違屋糸里」がテレビドラマ化されて放映されたばかりなのだから、僕だって、何かコメントを書かなければいけないと思っている。
でも、観る前から「いやな感じ」がしていて。
「”がっかり”なんだろうな」と予測していた通りになってしまっているので、いま、どうしていいのか、わからないでいる。

浅田先生ほどの方が執筆されたものなので、ソレに対してどうのこうのって、言いづらいですよね。特に、先生は壬生義士伝で一世を風靡した方ですから、司馬遼太郎などと並んで圧倒的にオーラがある。
評論や批評なぞ、できるものではない。
それに、あの方は日野にお住まいの人で、自分でははっきり言わないけど、きっと新選組が好きでこの日野に引っ越されたに違いない。それも、土方家菩提寺のお不動様近くにお住まいである。

「糸里」が主役とはいえ、あのドラマはヤッパ、「土方」じゃないの?
土方を演じた伊藤英明という俳優、確かにシブかった。土方らしいのだ。土方役で僕のお気に入りは、数年前のテレビ東京のお正月12時間ドラマ”壬生義士伝“の伊原剛が、ピッタンコに感じた。観ていて、腹が立つほど憎たらしかった。ソレが、土方なのだ。
今回は、2夜連続の合計4時間ドラマだったが、土方さん、結構両肘を組んでいるシーンが目立った。
土方という男、黙って両腕を組ませれば、それで形になってしまうのだ。
僕は、自分の本の中で、
《考え事をするときは、胸前に両腕を組むのがこの男の癖だ。正座して背筋を延ばし、視線を正面の壁に向け、細目でしかも動かさない。壁には赤字を染め抜いた”誠”の旗が掲げられている。》
みたいなことを書いたことを記憶している。
どこで書いたかは覚えていないが、多分、芹沢暗殺の直前だったと思う。

でも、出来れば、髪の毛は後ろへ垂らして欲しかった。
だって、それが“栗塚旭”だから。
ヤッパ、土方さんは栗塚さんなのである。三谷幸喜も栗塚さんを見て新選組を研究したといっていた。あまりに毎日、「新選組血風録」や「燃えよ剣」を見ていたから、奥さんの小林聡美さんがあきれていたという話を聞いたことがあった。

今年大学へ入った娘が、先日アメリカからうちへ帰ってきた。語学研修で、南カリフォルニアへ(どうせ遊び)行っていた。
久しぶりの日本で、CATV「燃えよ剣」を偶然見たらしい。勿論、栗塚さんヴァージョンである。
その娘が言っていた。「やっぱり、土方さんは、栗塚さんが一番だね」と。
ようやくあいつも、物事の”味”ってものがわかってきた、と思った。

このコーナーで、ブログを書き始めた頃は、土方さんといえば山本耕史だった。我が家の中は、日曜の夜8時になると、あの年は毎週山本耕史だった。
今は過去のことになってしまっているが、それでよい。彼はいろんな役をやるべきなんだから、過去でいいのだ。
でも、栗塚サンは生涯、土方歳三で仕方ないのだ。
彼も、一時期、自分が土方だけしか出来ない俳優と思われていて、相当に悩んだと、言っていた。最近では、女優藤村志保さんと老夫婦役を演じて、良い味を出しているが。
でも、「新選組血風録」や「燃えよ剣」で演じた土方は、フィルムで永遠に残る。あの人以上のはまり役は、二人と出ないであろう。

そういう意味では、今回のドラマ、配役に違和感を感ずる。
NHKの新選組が終わってから、まだ何年もなっていない。あの時、捨助役をやっていた中村獅童がなんと芹沢鴨役で出てきた。僕に限らず、芹沢だといわれても、即座に、そう思えない人も大勢いたに違いない。
あの捨助という役は、トンだ三枚目の役で、新選組に入りたくても入れてもらえない設定であった。その割りに、妙に僕らの脳裏に焼きついて残っている不思議な役柄だった。

浪士組が文久三年2月8日に伝通院に集合したとき、捨助は鎧兜(よろいかぶと)を着てやってきたが、土方に追い返されていた。
その後も京都にやってきては、入れてくれと懇情するのだが、入れてもらえない。三谷さんは、そこで創作話を挿入して、敵側の長州や見廻組に関与して京都に居残ったような筋書きを作っていた。

ドラマでは、滝本捨助という架空の人物にしていたが、彼は、実在している。
本名は松本捨助である。
武州多摩郡本宿村(今の府中市西府町)の出身で、庄屋の長男である。だが、生来の乱暴者で、小金井小次郎をはじめ、多摩地区のやくざ者との付き合いも深くあったと伝えられている。そんなことが原因だったのか、長男でありながら、家督を継ぐことができずに、松本家は歳三の甥の錠之助(隼人の四男)に継がせている。多分、歳三の差し金だろう。
そんな捨助であったが、甲陽鎮無隊には参加させてもらっている。あの時点では、誰でも良かったのかーーー。そして、各地を転戦して最後まで戦っていたと伝わっている。
その後、面白いことに井上源三郎の姪のモトを後妻に迎えている。
この辺りの(日野)新選組関係の結びつきには、強い仲間意識と姻族としてのつながりを感じるところだ。
この松本捨助は、大正7年まで生きている。永倉や斉藤一より3年先まで生きた。

偶然だが、僕は、松本本家の子孫の一男さんとはゴルフ仲間であった(錠之助子孫)。彼は日野市の職員だったからだ(定年退職している)。
この松本一男さん、NHKの新選組本編の後に放映される「ふるさと紀行」というコーナーでも、捨助子孫として出てきた。捨助の血は受け継いでいない。錠之助の血だ。
実際は、歳三の血を引いているーーー。

もう一人、山本太郎という俳優だ。
彼は、NHKでは原田左之助役で出ていて、赤フンに皮製の鎧のようなもので登場してきて、例のおまさちゃんと夫婦になる経過だったから印象は更に深いはずだ。
このたびは、なんと、芹沢と一緒に斬られる平山五郎の役である。
芹沢が斬られた日は文久三年9月16日の晩で、雨が降りしきっていた。この日、あの八木家の庭側から土方と沖田、それに源さんもいたのではないかと思うが、進入して芹沢と平山を斬る。玄関側から山南と原田が侵入して平間を斬る算段だったと思っている。
結果、平間は糸里と伴に逃走した。だが、平山は同衾中の吉栄と一緒に殺られた。原田左之助役だった彼が原田左之助たちに襲われて殺されたのだ。

あのドラマの筋書きにも、どうも解せないところがたくさんあってーーー。
土方に惚れている糸里が、土方はんのために平間の女になる。ソレも、初めての体験でーーー。その後も平間の女で。
平間は逃げ延びて、行方知れずになっているが、情報では明治以降、養蚕の専門家になったとされているが、どうだか。
でも、不思議なのは、その後も糸里は輪違屋で太夫を務めたのなら、土方との仲が取りざたされてもいいのだが、ソレは一切ない。むしろ、違う名の芸妓が、土方との仲を伝えられているのだが

僕は、いまだに新選組関連でわからないことが山ほどあるのだが、その中のひとつに、あの組織の財政面のことがある。
文久3年3月に京都守護職のお抱えになって、固定した給金はもらえるようになったってことはわかるが、江戸に帰って直参として抱えられた三人扶持25両の【新徴組】ほどは、待遇が良かったとは思われない。
ドラマや小説で描かれているような遊郭での遊興が、あのように連日行なわれえたのか、不思議でならない。最下級の遊女なら今のお金で3~5万円程度だっただろうが、太夫クラスとなれば、数十万円から百万単位の金を用意する必要があったはずだ。

以前、このコーナーで「すってん業平になった歳三」を書いたとき、吉原のことを随分と調べた。また今、京都の嶋原のことを調べてみたが、そもそも太夫というのは、
『正五位の官位にあり、10万石クラスの大名の格式を有する』とあった。
その上、
『帝に接見を許された地位を持つ』といい、『万芸に通じ、高い教養を極めた女性で、別称こったい』という。
『太夫の下には、大名、公家、豪商の人々が遊びに来るから、遊びに付き合えるだけの知識、人格、品位、遊芸などが高いレベルで求められた』と、ある。
そのため、日頃から『三味線、琴、茶道、書道、俳句、囲碁や様々な古典にまで精通している必要があった』と。
この格式が江戸の末期まで続いていたかはわからないが、それにしても、嶋原という郭の中で、たとえ芹沢といえども、超格式の高い”太夫”を斬り殺すなどという無粋なことは考えられない。その後も、いくら京都守護職お預かりといったって、立派な殺人罪なのだが、まったく問われていない。いくら小説の中のことだといっても、僕はいやだ。
でも、あのドラマは、そこから始まった。

遊女というのは、多くの借金を抱えて廓の中で年季が明ける(借金を返し終える)まで働く。通常、順調にいって27~8歳ぐらいまでかかるらしい。不思議なのは、ああした遊女たちが、自由に廓の外に出て寝泊りが出来たのだろうか。でも、確かに、糸里や吉栄らは八木家にいたんだよねーーー。
ちなみに、太夫クラスをお買い求めるには、なんと、50万~400万円ぐらいは必要で、身請けとなると、7千万円ほど必要なんだって。
近藤勇が、元治元年に大阪木津屋の女郎深雪太夫を、京屋忠兵衛の世話で身請けした話がある。一説には、500両を用意したとあるが、今の金で言うと1両10万円として5000万円だから、納得だ。ただ、そんな金、どこから調達したんだろうね。
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コメント
呼ばれなくて、残念。
呼んでくれれば、直ちに駆けつけたのに。

この夏、宇和島から母子が東京に受験で出てきて、「もま」さん母子と「とこめぐ」ちゃんがおもてなしして、そこへ僕が呼ばれて、なんてシーンがありましたよ。
新宿で、随分とお話しました。
あの人たち、この間会津へ行ったんだって。その話で盛り上がってました。今度は、函館なんだって。
み~んな、京都ツアーと大江戸ツアーに参加してくれた人たちですが。

絵美子さんは、大江戸に参加されたんですよね。
だから、名古屋のあの人、誰だっけ、そうそう、『耳緒』さんだ。彼女と知っているんですよね。
いろいろな人たちといろんな場所でお会いしたので、大混乱してます。今はもう、なんだかわからなくなりました。

近藤さんのツアーを二人でやったんですか。
嫁入り前ノーーー。
いいですね。
僕は、日野のご案内を随分とやりましたが、観光会社のツアーも何回かお手伝いしたことがあって、調布と日野のセットでバスツアーを企画しました。
たくさんお客さんが見えましてね、とても懐かしい。まだ3年ほど前なのに。

新選組の、わからないこと、謎のことがたくさんあって、皆さんとお話したいですね。
今度そういう「集会」みたいなこと企画しましょうか。
また、上手いものを食べながら。
スルト、皆さんまた、遠くから参加なさるんだよね。中国地方や四国あたりから。

考えますから、お楽しみにね。

村瀬彰吾
2007/09/16(日) 22:13 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
村瀬さん、お久しぶりです。
覚えてらっしゃいますか?

深雪太夫落籍の件ですが、よく、この資金を調達するために、急遽、隊の帳簿が改められ、河合さんの悲劇に繋がったと書かれている本があります。
小説だけでなく、史実本でもそう説明されているときがあるのですが、村瀬さんはどうお考えになりますか?
そんな大金を近藤さんが私費に使うことはありえるのでしょうか。

夏に、耳緒さんが上京された時に、二人で『たまには近藤さん巡り』をしました。
生家を中心に調布の縁の地を歩きました。
暑かったけど楽しかったです。
近藤さん巡りのわりには、話題は歳さん一色でしたが・・・(笑)
その時、村瀬さんを呼び出そうか・・・などとも話していたのですが、丁度お盆の最中でなんとなく電話しそびれてしまいました。
耳緒さんもお会いしたがってました。
いづれ是非!
2007/09/16(日) 08:34 | URL | 絵美子 #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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