村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

「第九」合唱団と「新選組」

今の僕のメインの仕事であるが、今年の暮れに「第九」コンサートを行なうことである。
今年の4月に市民から実行委員を公募して、15名でスタートした。その後、市民合唱団を公募して6月3日から合唱の練習を始めて、既に3月が経過したが、これで間に合うのかと、だんだん心配になってきた。

7月と8月は、梅雨と台風と夏休みで合唱団員の出席率が良くなかった。じゃあ、9月に入って戻ってくるのかというと、いま一つ思わしくない。人は、一度足が遠のくと行きづらくなったり、心が離れたりする。だから、こちらからそっと、気づかれないように連絡してあげたりすることが大切になる。ここのところ250名の登録者のうち、出席者は180名ほどである。

実は、この15名の実行委員会、内部で仲が決していいとはいえない。この組織を作る前に、2月から準備会なるものを作って下準備をしていたのだが、実行委員会の中でその人たちが役員に横滑りした。その後実行委員を募集したのだが、あとから入ってきた人たちも、合唱の世界では相当の経験者が多く(例えば、合唱連盟の理事長とか合唱団の団長とか、また日本の第九どころか世界の第九を歌い歩いている人もいる)、皆さん相当の自負をお持ちである。
だから、先行していた役員たちと意見の合わないことも多々あるのだ。

新選組は、芹沢一派を粛清した後は、谷三十郎や伊東甲子太郎など有能な幹部連中も入隊してきたが、試衛館当時のメンバー8人が事実上仕切っていた。この8人も、水戸をはじめとする一派がいるときは、いつ自分たちが殺られるのかと毎日が針のむしろだったかもしれない。何せ、芹沢を始め、新見にしても平山にしても、神道無念流の免許皆伝だったと伝わる。皆さん、腕が立つ。近藤らが先に、粛清されていたかもしれないのだ。だから、あせって暗殺計画を立てた。

この辺りの史実というのは、一体どうなっているんだろう。8月12日の芹沢らによる大和屋焼打ちで、京都守護職容保の堪忍袋が切れて近藤・土方に暗殺を命じたことになっているらしいが、ドラマのように、容保自身が暗殺を命じるなどということはないのではないか。腹心や用人から言わせるならありうるがーーー。
ソレより、本当に芹沢という人間、世に言われているような人物だったのだろうか。酒乱だの暴力的だの、物は壊すやら、一般市民まで斬り殺すなどということだが、「信じられない」のだ。そして、一説には顔にあばたがあって、梅毒説も。
この辺り、再度、こうした情報がどこからもたらされたものか検証する必要があるのではないか。歴史とは、生き残り、勝ち組の歴史である。都合の良いように改ざんも可能だ。永倉新八が証言すれば、ソレが史実になってしまう。八木源之丞が回顧して子母澤寛が書けば、それがバイブルになってしまう。当時の歴史的史実、背景などと照らし合わせて、その信憑性を再度図る必要がある。

それに、8月18日には、例の政変というものがあって、芹沢らの活躍もあって長州を京都から追い出したということになっている。それで、幕府や朝廷からご褒美が出たり新選組という名も貰ったということだ。だとしたら、その功績の第一は芹沢にあるはずだ。その芹沢を殺せ、と。
ふ~ん、
割り切って考えれば、そうなのかもしれないが。
どうも、しっくり来ない。何が、真実なのだろうか。

8月12日の相撲興行では、芹沢は、相撲で金をもうけようなぞと武士にもあるまじき行為として、近藤等をなじったと伝わる。その嫌がらせに、同じ日に大和屋を襲って火をつけたというのだが。
でも、一説には、芹沢本人が大和屋に金をせびりにいったという意見もある。大和で挙兵する尊攘派が、大和屋庄兵衛に天誅を加えると恐喝し、結果、1万両もの献金で和解したという情報もあった。それなら俺たちにもってんで、芹沢たちもせびりに行ったというわけだ。だが、居留守を使ったので、火をつけたといわれている。
この時代、放火の罪は重い。市中引き廻しのうえ火炙りの刑に処せられる。江戸の歴史は火事の歴史といっても良いほど、大きな火事が時代の節目になっている。それに、新選組は市中を取り締まる任務を負っているはずだ。その頭領が火をつける?
梅毒だから、って?
でも、あの時代、新選組にしてもあぶり出し戦術を使って民家に火をつけたといわれているし、長州にしても、禁門の変では街中火の海にして天皇を連れ出すという計略だけはあった。

あるいはこの間に起こった天誅組による大和挙兵騒ぎで意見の対立があったのかもしれない。いづれにしても、《尊皇攘夷を貫きたい芹沢一派対公武合体の近藤徳川派》の争いか、それとも、単なる主導権争いか。
新見は、清河と似たところがあって、西国の攘夷志士らとの親交が深く、京都で既に深く潜行して緊密な連絡を取り合っていたのかもしれない(京都霊山護国神社には新見錦の名が維新の功労者として載せられているということだーー未確認)。ソレを知った土方らにすれば、言わば、長州をはじめとした浪人共と同じ扱いにしたのかもしれない。だとすると、新選組からすれば、内情を探り密通する長州側の密偵ということになる。それで、9月4日に料亭山緒で切腹ということなのか(実際は闇討ちかもしれない)。この場合には、9月12日に死んだ田中伊織と新見が同一人物ということになっているが、別人ということになる。

この時点で、近藤の心境はどうだったのだろうか。
彼は、攘夷で京都に行き、芹沢らの主張に同調していた節もある。なんといっても水戸は、攘夷の総本山である。徳川斉昭のもと藤田東湖をはじめ、有能な学者が出ていた。あの西郷隆盛も若い頃はこの人たちの薫陶を得て運動を開始している。当時の感覚で考えると、芹沢らに対して、近藤には尊敬の念さえあったかもしれない。それに耐えられないのが土方であったと、考えてみてはどうだろうか。だから、芹沢暗殺については、近藤には内緒だったか、殺るとは言ってても何時とはいわなかったのかもしれない。
僕の、稚拙な推測に過ぎないが、つい謎が多いのでーーー。

組織とは、本当に運営が難しい。
土方は、新選組を運営するに当たって、常に「烏合の衆」と考えていた。この連中を束ねて功績を揚げ、生き延びるには、厳しい「法度」を作って、全て法度という尺度でもって処断してゆくと考えたに違いない。
法度の前には、権力も権威も身分も出自もない。みな“平等”である。たとえ芹沢でも近藤でも、新見でも切腹してもらうのである。だから、新見には死んでもらった。
土方らは、芹沢らからの報復の前に、水戸派を一掃したのである。

でも、「第九」の合唱団を新選組と同じに考えるわけにはいかない。
実は、昨晩遅く、私の家に一本の電話が入り、合唱団についていけないからやめたいと行ってきた女性がいた。
練習用のCDを直ちに渡すことにした。そして、再度一緒に頑張りましょうと。何とかなだめて継続してもらうことになったが、これが新選組なら、どうしただろうか。
規律や統制にかけている団体を『烏合の衆』というのだが、土方にとっては、新選組隊士というのは放っておけば、勝手なことを始める輩の集合体と見ていたから、厳しい掟が必要と考えた。

第九合唱団というのは、全く見ず知らずの人たちが200人以上集って、一つの目的に向かって突き進むのだが、コンサートが終えれば、即解散である。
でも、そうしないで、あのエネルギーを来年以降も継続していただいて、この地域の芸術文化活動の核になってもらおうと模索している。
この場合には、規律、統制というより、ず~と集っていられる魅力を作らないといけないのかもしれない。
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コメント
旅先で
そう。
もう、今から5年ほど前かな、会津に行ったときに例の清水屋という旅館跡にいきました。確か、七日町というところだったかな。
土方歳三が、宇都宮で受けた傷の治療のために留まっていたというお話があったので、是非、行ってみたかった。でも、今は、どこかの信用金庫かなんかになっていて、当時の面影は微塵もかけらも残っていない。ただ、寂しく、昔を偲ぶ看板だけが立っていました。
でも、看板の文章の中に、吉田松陰と宮部鼎三がここに長逗留していたことがあった、と、ありました。
それを読んで、僕は、そこに1時間も立ちっぱなしで、考えにふけっていたことを思い出します。

そうか、ここに、歳蔵と松蔭との接点があったのだと。
それで、歳三の辞世の句が松蔭のそれに似ているのかと、勝手に決めつけた。
それで、僕が書こうとしていた歳三物語の構想が膨らんでいったということがありました。
その松蔭は、嘉永7年、ペリーの黒船に乗りこもうとして捕縛されましたね。

あの、NHKの大河の第1話は、黒船を見に行くシーンからでした。あろうことか、松蔭の師匠の佐久間象山と桂小五郎、坂本竜馬、近藤勇、土方歳三が連れ立って見学、という設定でした。
でも、あの年は1854年で、歳三が20歳の頃で、はっきりしたことはわかりませんが、もしかして、すでに試衛館に転がり込んでいたかもしれませんね。スルト、黒船を見に行ってもおかしくはない。
一体、歳三は何歳のときから試衛館に入り浸ったのでしょう。源さんにしても、わかりません。
だけど、あの5人が『ご一緒』はどうでしょうーーー。
2007/09/28(金) 00:30 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
新見さんについては、水戸藩邸内で切腹したという説もありますよね。
謎がいっぱいです。
だから、面白いんですけどね。
夏に童謡詩人の野口雨情を調べに、文芸部の生徒を連れて北茨城を旅しました。
一番興奮したのは、野口雨情の生家にあった、藤田東湖の書でした(笑)
さすが、水戸藩。
2007/09/27(木) 08:02 | URL | 絵美子 #-[ コメントの編集]
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プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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