村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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ずいずいずっころばし“とお茶壷道中、そして日野

今年は、ねずみの年である。
ねずみと言うと、小さい頃から歌った歌で、ある童謡を思い出す。

    ずいずいずっころばし ゴマ味噌ずい
    茶壷に追われて トッピンシャン
    抜けたら ドンドコショ
    俵のねずみが米食って チュウ
    チュウ チュウ チュウ
    おとさんが呼んでも
    おかさんが呼んでも
    いきっこなああしよ
    井戸の周りで お茶碗かいたのだあれ

この歌、歌詞の意味がよくわからない。
子供の頃だったから、わからないのは当然のような気がするが、実は、大人になった今でもよくわかっていない。

この歌詞を、研究している人がいるらしい。表の意味と裏の意味があって、裏の方では、なにやら暗号めいたものに使っていたのだという。
中には、この作者は、あのガラシャの父親の細川忠興だと言う人もいる。

裏の意味のある童謡はほかにもあって、「とうりゃんせ」や「かごめかごめ」などもその口らしい。そういわれてみると、この二つも、その歌詞になぞめいたものを感じるのは僕だけかーーー。
裏の話をしていたら、夜が明けてしまうほど難解なので、本日は表のことを考えてみる。

僕の子供の頃は、この歌を随分と歌った。だから、今、この年になっても(今年で定年になるーーートホホ)歌詞をよく覚えている。その後、いろんな歌を覚えたが、殆んど忘れ去っている中で、どうしてこういう子供の頃の歌は忘れないのだろうか。
不思議だ。

僕は、東京でも杉並生まれだが、ここ日野辺りでも、この“ずいずいずっころばし“は良く歌われたと聞く。
それは、よく歌う理由があったからだという。

それでは、表の意味を考えてみる。
大体の大意はこういうことらしい。
 『子供達がお茶壷に追われて、戸をトッピンシャンと閉めて、隠れました。
  お茶壷が行ってしまえば、もう心配はいらない。でも、それまでは(抜けるまでは)じっと隠れていましょう。蔵の中にねずみが出てこようとも、おとうさんおかあさんが呼ぼうとも、出てはいけませんよ。あ~あ、井戸の周りでお茶碗を割る音がしているけど、早く隠れないと』

でも、お茶壷って、なんでそんなに怖いのか。
この”お茶壷”とは、世に言う『お茶壷道中』のことである。
それでは、その『お茶壷道中』とは、如何なるものだったのか。



 


江戸幕府が開かれてからすぐ、将軍家が飲むお茶を、京都の宇治からわざわざ運ばせていた。
勿論、最高級品である。
幕府は、『宇治採茶使』と名づけられた使者に茶壷を持たせ、毎年江戸と宇治を往復させたのである。

一行は、大名行列と同じような隊列を組み、葵のご紋をつけて4月下旬から5月上旬にかけて徒歩頭を筆頭に、茶道頭、茶道衆(茶坊主)、警備の役人など、多いときはなんと1,000人を超える行列を為して街道を往復したという。

何せ、将軍家御用達である。
相手が茶であっても不敬があっては許されない。「斬り捨て御免」である。
お茶壷の取り扱いは、扱うものがどんな身分のものであっても、丁重にしなければいけなかった。

お茶壷が通る沿道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、農家にとって忙しい時季であるにもかかわらず、田植えは禁止であった。また、子供達の遊びも許されないし、ご飯を炊く煙さえ厳禁で、葬式などもってのほかであった。
また、この行列に出会ったものは、皆土下座を命ぜられ、たとえ大名であっても駕籠を降りて道を譲らなければならなかった。

 お茶壺道中という将軍家の行列、しかも摂家、宮門跡に次ぐ高い位を授かっての権威に、大名たちは道中で行き会うことがあれば、道をあけて先に通すことになっていました。
これ程権威のあるお茶壷道中だったから、沿道の民は、これを非常に恐れた。この行列が来たら、「戸をピシャンと閉めて」閉じこもる。行列が「抜けて」いったら「ヤレドンドコショ」なのだ。

じゃあ、この『お茶壷道中』と日野とどう関係があるのかだが、単純なことで、日野を通っていったからだ。
宇治から江戸まで、どのようなルートを通ったのかだが、行きは東海道だったらしい。帰りは、もともと中山道だったものが、後に甲州道も使われることになった。
それは、お茶をいっぺんに運ばないで、途中で気候の優れたところにストックしていたからだと言う。
お茶にとって、湿気は禁物だ。
防湿設備などがなかった時代だから、天然の優れた冷蔵庫になるような場所が選ばれ、そこに保管されたのである。
甲州谷村(山梨県都留市)にある標高571mの勝山山頂であった。そこは、富士山から吹き降ろす風が通り抜ける「富士の風穴」と呼ばれているところであった。

ここから江戸へ行くには、甲州街道を使う。八王子から日野、府中へと向かうのである。
だから、日野あたりでも、盛んにこのわらべ歌が歌われたに違いない。
土方歳三も近藤も、源さんも総次郎も、幼少の頃は歌ったに違いない。僕のいた杉並区の西荻当たりでも歌われていたのだから、絶対歌ったと思うのだが。
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コメント
いえいえ
小さい頃はそれが流行ってなかっただけかもしれません。
全国で歌われてたと思いますよ。同じ茶壷でも、

茶壷、ちゃちゃつぼ
茶壷にゃ蓋がない
底とって蓋にしょ

というのはよく歌いました。手遊び歌ですよね。
2008/01/08(火) 14:07 | URL | ごっちゃん #mQop/nM.[ コメントの編集]
意外。
ごっちゃんは、この歌の経験がなかったのですか。

僕はもう、昔の人間になってしまったのかなあ。
この手の歌を、よく覚えています。
地域に関係なく、この歌は日本中で歌われてきてたのだと思い込んでいました。

実は、地域性があったのかもしれませんね。
また、あの「とおりゃんせ」も、眼の不自由な人のために、青信号で使っていますが、果たして相応しい音楽なのか疑ってしまいます。
なんだか、歌詞が不気味です。
                                                                                                                                                             
2008/01/08(火) 00:04 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
この歌は有名なので、知っていますが子どもの頃よく歌ったという記憶はありません。テレビなどで知っただけで、子ども等にも歌詞を教えて~といわれます。お茶壷が通った地域では歌い継がれてきたのですね~。でも歌詞はちゃんと覚えています。テンポもよくて覚えやすいのでしょうね。
”うんちく”好きの娘に教えてやります。
「かごめかごめ」や「とおりゃんせ」はオカルトによく使われますよね・・・
2008/01/07(月) 10:56 | URL | ごっちゃん #mQop/nM.[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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