村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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お江戸は理想郷だったかも

僕が新選組のことを、真剣に考えるようになって、約5年ぐらいたつ。
NHKの大河ドラマ”新選組“が具体的になる3ヶ月位前、日野市で『新選組担当主幹』になってからだ。

大河ドラマの年は、もっぱら、日本全国からやってくるお客様をガイドして、日野市内を案内していた。
そのうちに、お客様から「本に書いて」といわれて、その気になって書いてしまった。その頃は、毎日新選組や土方歳三を研究していたので、泉の如くアイデアやエピソードがわいてきて、筆が進んだのを覚えている。
だから、一応、自分が書き終えたときは600ページを超える物語になってしまっていた。本にしてくれる出版社も、決まっていなかった。描き終わってから探したのだが、どこの出版社に当たっても相手にしてくれなかった。だから、自費出版にせざるを得なかった。
それに、そんな長いものは本にできない、駄目だといわれた。だから、3分の1は削った。
また、最初に、200万円以上の金が必要だった。
でも、今じゃとてもそんな気になれないが、その当時は回収できるような気がして、『清水の舞台から飛』び降りた。
結果、周りにいる方々のお陰もあって、目出度く何とか元は取れた。

最初に、余計なことを書いてしまった。
でも、あの当時、どんな動機で新選組物を書く気になったのかというと、仕事だったからということもあるが、自らが、幕末が好きだったからである。
それに、特別に『江戸』が好きだったからであった。

小さい頃から時代劇が好きで、毎週近所の映画館に通っていた。
杉並の西荻窪だったのだが、駅の北に東映系の封切館で『西荻館』と南に『西荻シネマ』があって、南のほうは東映や新東宝のお下がり物を3本立てで上映していた。子供だったから、封切りは高くていけないから、お袋から30円貰ってシネマのほうに通っていた。昭和30年代である。
一番好きだったのは、アラカンの『鞍馬天狗』だった。
映画の最終場面に近づくと、悪者に捕らえられた杉作を助けに、鞍馬天狗が白い馬に乗ってやってくる。街道を駆け抜ける。
ションベン臭い映画劇場西荻シネマで(本当に臭かった)、夢中になって画面を追っている子供達は、鞍馬天狗に一斉に拍手した。
この映画の悪者は、勿論、新選組である。

最近、江戸時代の風俗習慣を懸命になって研究している。
なぜかというと、僕が新選組の研究をし始めた頃から、各方面から講演を頼まれることが多くなって、それがいまだに続いているからだ。
これまでは、新選組や土方歳三のお話が殆んどであったが、来月は『新選組と江戸風俗』というタイトルでやることにしてあるのも理由の一つだ。

僕が新選組に関心を持った約5年ほど前、毎日のように、TVドラマの『燃えよ剣』や『新選組血風録』のヴィデオを見ていた。『燃えよ剣』の確か第1話で、江戸の街中でばたばた庶民がコレラで死んでいくシーンがあったように記憶している。日本でコレラが流行り始めたのは、安政5年の秋からであった。何しろ、死人が連日たくさん出るから、葬儀屋の棺おけが間に合わず、大工がにわか棺桶屋になって作って売っていたという。
ドラマの中では、試衛館という道場はひどく汚くて狭い道場に設定してあり、とんでもない貧乏所帯に感じた。井上源三郎が、針を持って繕いものをしているシーンがあった。

実際も、その通りであったと、僕は思っている。
前回のブログで書いたとおり、この頃の近藤勇は、兄弟に借金を申し込んで断られていたりしているから、食うに事欠いていたに違いない。
そんな折、物価が高騰し始めた。
江戸時代というのは、比較的物価は安定していたはずである。でも、幕末になって、外国との取引商品ばかりでなく、日常の米、味噌、醤油をはじめ生活必需品が軒並み上がり始めた。

その原因は、開国にあった。
いや、みんながそう思っていた。
200年に及ぶなが~い鎖国状態を破り、アメリカを皮切りに列強と和親条約を結んだまでは良かったが、井伊大老が無勅許で、安政5年に通商条約を結んでからは、江戸の人たちの生活基盤がゆらいでしまった。井伊大老自身への各方面からの圧政批判に対して彼は、獄舎につないだり、断罪で権力を誇示した。安政6年10月、吉田松陰も橋本佐内も首を斬られた。
「安政の大獄」である。
その人を、水戸の浪士たちが襲撃して、首を取った。
多くの庶民は快挙だ、と喜んだに違いない。これは、井伊直弼の圧力とか物価高とか言うより、単純に、最高権力者をいとも簡単に葬った浪人たちに対して“あっぱれ”なのだろう。忠臣蔵のあだ討ちが、不平等な決裁をした徳川政権に対する憂さ晴らしと似ているかも。
この一件を、近藤や土方歳三たちはどう捕らえていたのだろうか。徳川が募集した浪士組に応募して京都に上洛した人たちだが、この時点では、開国策の政権には反対であっただろう。

江戸市民たちは、開国反対とか夷狄打つべしとか、尊皇攘夷なぞはどうでもいい。元通りの生活ができればいいのであった。
だから、打ちこわしなどの暴動で豪商たちを襲っても、彼らは、持っていった米などの品物に見合う金銭は置いていったという。

幕末は、嘉永から安政、万延、文久、元治、慶応と続いた。250年続いていた徳川政権も、たった15年の騒動で潰れてしまった。
でも、この徳川時代、江戸時代を歴史的な事件、表舞台に出てきた人物などで計ると、本当の庶民の生活ぶりや実態がわからない。
近藤勇は、牛込柳町の試衛館にあって、庶民の生活苦を心底怒っていたと思う。
だから、尊皇攘夷の思想を抱いた。山南をはじめ、食客たちもみな攘夷だ(原田あたりはわからないが)。僕は、この視点であの本を書いた。
この時代、江戸市民の目線でもう一度見直すことが必要なのではないかと、最近、つくづく思う。

封建社会のもとで、人々は虐げられて暗くも悲しい生活を送っていたのだろうか。自由なんかなくて、ろくに発言も許されなかった時代なのか。日常生活に必要な必需品も粗末で、すしやてんぷら、うなぎなど美味しいものなぞ庶民には縁のないものだったのか。観劇やレジャーなぞ、楽しむなんてことはできなかったのか。
答えは、「ノー」なのだ。
調べてみると、意外や意外、その日暮しで貧乏ではあったが、現代よりもっと緩やかでのびのびして、食いたいものを食い、遊びたきゃ遊び、楽しく人生を送っていたようにも見える。
そして、全く無理なく、ごく自然に物質循環型の生活を営んでいた。暗くなれば早く寝た。明るくなれば、起きた。
今、この地球上で、理想的と思えるほどのリサイクルな生活を、江戸時代の人々は送っていた。
次回から、もっと詳細にみていこう。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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