村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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江戸文化とトトロの里―――1

3月8日(土)に、新選組の講演を行なった。
四年ほど前からお付き合いしている、生涯現役をモットーにしている『日進会』の主催だ。
いつもの顔ぶれに、新しい人たちも何人かお見えだった。

今回のテーマは、「新選組と江戸文化」というタイトルで行なった。
これまで、何回か新選組のお話をしてきていて、ここらで新鮮味をもたせたかったので、思い切って江戸文化を入れてみた。
最近の”江戸ブーム”に乗って、僕もかなり積極的に江戸風俗を勉強しているのだが、実はあの本を書くときも、江戸風俗や言葉、習慣などについて研究はしたのだが、余りに自分が無知なので、書き始めてペンを放り出したくなった場面が何度もあった。
新選組本とはいえ、立派に江戸時代である。
あの頃のことを、深く広く正しい知識を持っていないと良い物語は書けない。でも、書き始めてからでは間に合わない。だから、自分が生まれてから育ってきた、見聞きしてきた体験で書いた。
たまたま、自分が東京育ちだったし、親も上野広小路横の黒門町生まれ(父)と浅草三筋町生まれ(母)だったのが幸いして、そのままの姿で書かせてもらった。

土方歳三は、江戸の牛込柳町”試衛館“に居候していたが、生まれは日野だ。僕も生まれは西荻だが、今は日野にいる。だから、似たようなものなのだ。歳三の言葉遣いは、江戸弁と日野弁のミックスで、それでいて丁寧語とベランメエ調とにさせてもらった。実際の歳三さんも、そのようであっただろうと確信している。

よく、江戸関係の本を読むと、そこに銭湯という言葉が出てくる。だけど、僕の親父は、生前、お風呂屋さんのことを『銭湯』とは言わなかった。明治38年生まれで、江戸や明治をかなり引きずっていた男だったが、『湯屋(ゆ~や)』と発音していた。
褌をはいていたが、『フンドシ』とはいわないで、『猿股(サルマタ)』といっていた。自分で独り言を言っては、「ット、クラー」が語尾に付いた。

僕の家は西荻窪の駅の近くだったが(今でも実家はそこ)、貧乏なのに家だけは広かった。戦前、親父が古着屋でぼろい儲けをしたからだという。

風呂は分厚い鉄でできていた五右衛門風呂で、1メートル四方のすのこが浮いていた。それを片足で沈めながら身体を沈めるのである。おふくろが薪を燃や
して風呂をたいていたのを思い出す。湯船の横にあがり湯用の浴槽もあって広くゆったりしていたので、風呂場だけでも6畳程度の広さはあった。だから、冬なぞは、寒かったのを覚えている。

『となりのトトロ』というアニメ映画があったが、丁度あの頃のことである。
昭和30年代だ。
あの物語は、埼玉県の所沢が舞台だが、僕のいた西荻窪からはそう遠くない。さつきちゃんとめいちゃんという女の子二人が主人公だったが、お父さんが所沢の中古の家を買ったのだろう、結構古い家に住み始める物語だった。
ついでだが、最近の所沢は有名な産業廃棄物の処分場になってしまっている。廃家電や廃タイヤがだらしなく捨てられていた。自然が残っていて、美しいところに限って、そんなことになってしまう。悲しい現実である。

あの親子が、お風呂に入るシーンがあった。
確か、五右衛門風呂。
僕の家も、ああゆう感じの家だった。
だから、あのアニメ、僕は子供達と一緒に見たが、見るたびに自分の小さい頃を思い出していた。秘密基地みたいなところがあって、そこに入って知らずうちにめいちゃんは眠ってしまう。僕にも似たような経験がある。
僕のうちの近くに、立派で古びた西洋館があった。イギリスのホラー映画に出てくるような、怖いところだった。子供の頃は、そこが不思議なところで、近所の子供達と何度か探検に出かけたことがあったが、あの頃の子供達ってのは、多かれ少なかれこういう経験をしているのではないだろうか。
僕の小さい頃は、まだ近所に、たくさん防空壕があった。戦時中は、あの辺りの人たちはサイレンがなると直ちに防空頭巾をかぶって、一目散に走ったのだろう。
そこが、僕らの子供の頃は、格好の肝試し、探検場所だった。空き缶の中に蝋燭を立てて、針金でブル下げて懐中電灯に仕立てて、真っ暗なほろ穴に入っていくのである。先頭はかなり怖かった。流石に、骸骨まではなかったが、戦時中の品物がまだたくさん穴の中に残っていたのを覚えている。
あの映画にでてくる家ばかりでなく、あの時代、僕のいた西荻窪や隣りの吉祥寺などでも同じようで、自然の中で生活していた。

そういえば、昨日(3月10日)、TBSテレビで『東京大空襲』をやっていた。つい、最後まで見てしまった。うちは、あの頃(昭和20年)は、既に西荻窪

に引越ししていたらしい。阿佐ヶ谷に店を構えていたとか。
昭和19年までは新宿の花園町太宗寺横丁にいたらしいが、金比羅様のお告げがあって、移ったという。うちが引っ越した1週間後に、そこにB29が爆弾を落したとおふくろがいっていた。
金比羅様は、うちのおじいさんが明治42年に、八王子の淺川の小高い山の頂上に祭った。僕の親戚中、今でもお参りしている。僕も行く。なぜなら、自分が6歳のとき、チンドン屋の後について踊っていた帰り道、電車に轢かれて友達が死んだのだが、僕だけ助かった。そのとき、丁度おふくろが金比羅様にお参りしていた。

噺が、それまくった。
人間、年をとると、昔のことが走馬灯のように思い出される。
元へ戻そう。
え~と、そうか、江戸文化。
江戸文化といっても、幅が広すぎるので、今回は『東京のごみ、江戸のごみ事情』という内容に絞って進めた。これなら、僕の専門分野だし、今の話題としてもタイムリーだと思ったからだ。

今、東京のごみ処理は、多摩地区とは違って23区が殆んど統一して最終処分している。東京湾の中に埋め立てした『中央防波堤』に、持っていっている。最大の問題は、廃プラスチックの処理で、これまで不燃扱いしてきたものを、今年から、可燃にするという。今まで、燃やすと危険だからといわれてきた住民は、今年から燃やしますといわれても、首をかしげざるを得ない。しかも、それらの対応は、区によって微妙に捨て方が違う。リサイクルに回す区と、可燃処理する区があるからだ。
さて、江戸の時代は、ごみはどう処理していたのだろうか。
この話題は次回にしたい。

例によって寄り道が多くて、紙面を使ってしまった。この続きは、後日にしよう。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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