村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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土方歳三の武士道は「オレ流」だった-その2

前回のブログから、日数に間隔があいてしまった。
この間、本の執筆でお世話になった方々に、お礼を兼ねてご挨拶に京都に行っていたからである。
今年は桜の開花が大分遅れて、4月9(土)10日(日)あたりが満開であった。これほど見事な京都の桜を見れるなんて、一生のうち二度はないかもしれない。それだけに、京都中人人人で埋まってしまっていて、祇園祭のときのような賑わいであった。
この京都行きの収穫については、後日この場でお知らせしるとして、今回は尻切れ状態になっている【明保野亭】事件について続きを述べたい。

池田屋での騒動が起こったのは、元治元年6月5日であったのは有名なことだが、その続編ともいえる事件が10日に起こった。
池田屋急襲で、当時の攘夷浪士幹部の何人かを討取ったのであるが、まだ京都市内には残党が潜伏していた。6日から早速残党狩りを行なっていたのであるが、一面、壬生の屯所が長州勢に襲われるという噂も飛び交い、新選組も厳重な警戒に入っていた。
しかし、この頃の新選組は脱走や病人も多く、戦闘に役立つ人数は40人にも満たない状態で、単独では到底防ぎきれるものでもなかったのである。
だから、6日から直ちに、守護職の会津藩に加勢を要請していたのであるが、やってきた会津藩士の中に年は20歳そこそこ、背丈は6尺1寸、爽やかで性格の明るい柴司(しば つかさ)という人物がいた。
新選組の面々は皆、この青年に好感を持ち直ちに親しく交わったのだが、この男、不遇な事件に巻き込まれる事になってしまった。

6月10日、長州系の残党が、東山の料亭明保野亭に20人ほど潜伏しているという情報が入り、武田観柳齊を筆頭に残党狩りに出かけた。
丁度昼飯時で、浪士たちは食事をしていたところであったが、新選組はそこを襲い、柴は逃げる一人の侍を背中から槍で一突きした。
たまたま軽症で済んだのだが、それが却って仇となってしまった。
刺された武士は麻田時太郎といって、実は土佐藩の藩士で、不逞な浪士ではなかった。
土佐藩は背後から槍で一刺しやられ、しかも応戦するでもなく、傷を負ったまま帰藩するなぞ武士にもあるまじき不覚悟として、翌日切腹の沙汰に処し、自害させてしまった。
さてさて、弱ったのは会津藩であった。
木屋町にある土佐藩邸は、殺気立った若い藩士たちが直ちに新選組の屯所と会津の本陣を襲おうと密議を交わしており、会津から用人が陳謝に訪れても、硬く門を閉ざして会おうともしない状態であった。
困り果てた会津側は、土佐藩との均衡を図る意味で、いらぬ軋轢を発生させないようにとの配慮から、柴司にも切腹を命じたのである。
振り返ってどう考えても、柴には何の落ち度もなかった。
不逞浪士狩りで、怪しい連中を尋問して逃げる相手に一刺ししたのであり、武士道にもとるところは何もないのである。
新選組は、柴司に落ち度らしいところはなかったのだから、まさかお咎めがあろうとは想像だにしていなかったところへ、切腹の沙汰である、まさに青天の霹靂というものであった。
6月12日、前日士道不覚悟として切腹した土佐藩士麻田時太郎のあとを追うように、柴司も兄柴外三郎の介錯で自害して果てた。
柴兄弟は仲がよく、端から見ていても微笑ましいほどであったのだが、兄が弟の介錯をするという尤も悲惨な形で事が処理されることになってしまった。
兄外三郎は、自分が落とした弟の首を抱き上げて号泣した。
その場に立ち会った土方歳三、井上源三郎、武田観柳斎らももらい泣きした。人前で涙なぞ見せたことのない歳三が号泣した。

このことがあって、土方は日本古来の武士道というもの、武家社会というものに不信感を抱くようになったのである。
そして心に決めた。
おれ自身の武士道を作ってやる。
新選組は時の権力者やお家の都合で切腹するのではなく、内部の規律、『法度』がすべてを支配するんだと。
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コメント
まころもさん、はじめまして
沖田総司を演ずるのですね。
がんばって。

ところで、実は、大変タイミングのよいことに、僕は先日、といってもまだ五日前ですが、
総司の母親の実家へ行ってきました。

こんな表現をすると、『あいつ、何を狂ったこと言ってるんだ』と、気違い扱いされそうですが、マジなのです。

この3日間、東北へ行ってきまして、今家に帰ってきたところです。
地震騒ぎで、新幹線がようやく走るほどの混乱振りで、それも遅れに遅れて3時間半も送れたので、特急券は全額払い戻しで、その意味では助かりましたが。

帰ってきて、メールチェックしたら、あなたからのものがあって、これはすぐ、ご返事書かなきゃと、眠い目をこすりながら、今書いているのですが、沖田惣次郎のこと、明日ブログに書きます。
楽しみにしていてくださいね。

眠いので、何だか、支離滅裂かな。

2005/08/18(木) 01:55 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
はじめまして。
私は、来月、舞台で沖田総司を生きます。役者です。少しでも多く、沖田総司という人の色々なことが知りたくて、友人にパソコン借りました。改行すらできない初メールですが、なぜか気付いた時にはキーボード押してました。何も上手く言葉にできませんが、今日、ここに参りましたことを、感謝しております。私の生きる総司にまた力をいただけましたから。これからも来させて頂きます。劇団前方公演墳:樋口真衣
2005/08/15(月) 22:59 | URL | まころも #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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    村瀬へのメールはこちら






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