村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

“お伊勢参り”、“抜け参り”―――1

先日、急遽“お伊勢参り”に行ってきた。
安いツアーがあったので、突然抜けて、便乗して参加した。以前より、一度は行ってみたいと思っていたので、良い機会だと思ったので決断した。

僕は、このブログで前に、江戸のことを研究していると書いたことがあったが、今でも、毎日勉強を欠かさないようにしている。
すると、江戸時代の人々とお伊勢参りとは、切っても切り離せない仲だったということがわかってきた。それに、幕末の“ええじゃないか”についても不思議な踊りで、関心があるので、そのルーツはこの辺にありそうな気がしたものだからーーー。

いろんな人の著書を読ませていただいて勉強させてもらっているが、一番大好きなのは、杉浦日向子(ひなこ)さんのものだ。この人は、残念なことに、46歳の若さでこの世を去っていった。
東京の下町の長屋育ちであった。
身をもって経験されたことを作品に著してくれているので、僕らの世代では懐かしいことばかりで、それでいて江戸の誰も言ってくれなかった新しいことも教えてくれる人だった。
それでいて、所謂江戸っ子のイメージと違っていて、とても清楚で物腰も柔らかく、謙虚なお人だった。
ひなこさんは、一時毎週NHKの「お江戸でござる」にレギュラー出演されていたから、「ああ、あの人か」と知っている人も多いと思う。著書も「江戸風俗」を扱ったものが殆んどで、いずれも興味深いのだが、最近、『目から鱗が落ちた』というより『人生観がかわ』る彼女の一文に出会った。

それは、NHKの番組と同じタイトル「お江戸でござる」の文庫本で、“杉浦日向子の江戸こぼれ話六p276”に出ている文だが、そのまま引用させていただく。


  江戸の人々は「人間一生、物見遊山」と思っています。生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためだと考えているのです。「せいぜいあちこち見て、見聞を広めて友達を増やし、死んでいけばいい」と考えています。
  ものに価値を置くのではなく、江戸の人々は、生きている時間を買います。芝居を観に行く、相撲を応援しに行く、旅に行く―――と、後にものとして残らないことにお金を使うのが粋でした。



(波線は僕がつけたものだが、これは、特に、「そうか」と感心させられたからである。僕は『粋』という言葉の意味は、広辞苑にもあるように、意気という言葉が変化したものだとばかり思っていた。色気があったり、垢抜けしていたり、『いなせ』と合わせて、遊びごとに精通していて格好いいことばかりを想像していた。でも、これを拝見すると、もっともっと、人間の生き方そのものをあらわしているのであって、金や物で財産を残すことの愚かさを咎めているようである。何世代にもわたって、政治家を続ける愚かさもだ)
 (江戸っ子や杉浦さんは、人間は万物の霊長などではなく、他の生き物と同じように考えていて、特別な存在でもないのだから、世間に迷惑をかけない程度にこの世を見学し、その他の動物と同じように死ねばいいと考えていたのではないでしょうか)

それにしても、江戸時代の人々は、何故もああして”お伊勢参り“に執着したのだろうか。
文政13年(1830年)のおかげ参りの年には、なんと、600万人もの人が伊勢へお参りしたという。当時の人口がおおよそ3000万人だから5人に一人の計算だ。
なぜもこう、人々を伊勢へ伊勢へとひきつけたのだろうか。
わからない。
みなさん、そんなに信心深かったのか。そうでもなかったらしい。
物見遊山が殆んどだったらしいが。
それが証拠に、おかげ横丁のすぐ脇には大変立派な遊郭が連なっていて、当時は7~80軒は営業していたという。“おかげ座”のガイドさんは、『吉原、島原と並んで江戸三大遊郭の一つ』だといっていたが、本当か?

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あの時代の人々の楽しみとは、芝居だったり、相撲だったり、花見、園芸をはじめ様々な趣味、読書、旅行、外食などか。
特に、旅行などは日数もそうだが金もかかる。貧乏人には、お伊勢参りなどとても行けるものではない。でも、実際は、大勢の人たちが行っている。どうして行けたのか。
一つは、『講』であった。毎年仲間でお金を積み立てておいて、くじ引きで順番に伊勢へ行くのである。これは、伊勢ばかりでなく、富士山登山を行なう「富士講」、成田山を詣でる「成田講」、「江ノ島弁天詣」、「大山詣」などが人気だったらしい。

特に、お伊勢参りの場合は、そのツアーの一団にもぐりこめば、誰でも着の身着のままで伊勢まで連れていってくれたというから驚く。商家の丁稚ドンでも長屋の娘でも、突然その気になれば、旅行団の中へ飛び込んでしまえばよかったのである。
伊勢への道中、周りのみんなが身なりを整えてくれるし、一銭も持っていなくとも、道すがら、人々が恵んでくれるというのだ。それにはお決まりのスタイルというものがあって、笠をかぶって背中に筵を巻いて、それに柄杓を差していれば、それだけで金銭を恵んでくれるので、伊勢参りができたというのだ。
信じられないような話だが、このたび、伊勢へ行ってみて、それが事実だとわかった。
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そればかりでなく、飼い犬が「僕も行きたいよ」と言い出せば、飼い主はお伊勢参りの一団に自分の名代としてその犬を入れてやる。すると、その犬も伊勢まで連れて行ってもらえたというのだ。
これも、にわかには信じられない話だったが、今回、歴史館のジオラマで本当のことだと確信できた。
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伊勢の内宮の前に五十鈴川というきれいな川が流れていて、そこに宇治橋という橋が渡されているのだが、向こう岸が『おはらい町』で、江戸時代そのままに様々な店舗が残されている。
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この中に入ると、まるで、江戸時代にタイムスリップしたような感じになるほど、昔ながらの雰囲気をかもし出している。皆さん、ここへ行きたくてきっと、伊勢に来るのだろう。
お参りは「口実・言い訳」に違いない。
あの有名な『赤福』も、この街中の中心にあって人だかりがすごい。皮肉なもので、あの事件があってからは、それ以前より人気が上がっているらしい。
僕なぞも、ああゆう事件の前は特別食べたいと思わなかったが、最近食べてみた。すると、メチャうまい。
だから、宝永年間から現在まで超人気土産なんだろう。
その正面に『おかげ横丁』という一角がある。
(おかげ横丁入口の写真)(おかげ座の写真)

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この中に、おかげ座というジオラマのある歴史館があって、そこでお伊勢参りの歴史を勉強することができる。

長くなるので、次回につづく。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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