村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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“お伊勢参り”、“抜け参り”―――2

前々回、お伊勢参りについて、体験談を書かせていただいたが、もう少しあの時代の”旅“というものについて触れてみたい。

大体、江戸時代に旅行が盛んになってきたのは、八代将軍の吉宗の頃かららしい。それまでは、江戸から発する街道筋が整備されていなかったので、危険で一般の市民は行ける状態ではなかったということだ。
家康が天正18年に江戸に入府して以来、直ちに街道を整備するように指示を出したらしいが、安心して旅ができるようになるには100年必要だったのだ。

江戸という街は、本当に良くできていたところで、まず道路下に水道管が通っていて上水道を飲んでいたというから驚く。このことは、最近の僕のブログでも、吉祥寺のライヴのところで、井の頭池の湧き水に家康がいち早く目をつけたと書いて触れたから、詳しくは書かない。
江戸が、世界中のどの都市と比べても先んじていたことは多いが、ごみの処理をはじめ街並み、市民の生活様式、識字率80%を超えるほどの教養など、どこに身分差別などあるんだろうと疑いたくなるほど市民生活を謳歌していたようだし、どこをとっても江戸が世界一の大都市であったといっても言い過ぎではないと思いたい。
こう書くと、戦後教育を受けた僕らは、江戸時代なんて士農工商の封建時代で食べ物も着るものもろくなものがなくて、電気もないし暗黒な時代だったと教育されてきたから「えっ?」と、疑問に思わざるを得ないが、実際、人々は生き生きと生活していたらしいのだ。

ひなこさんの記述で、僕はほかにも「はっ」と思ったことがあった。それは、身分制度のことである。
小学校の頃から、士農工商と教わってきたので、只そうだったんだと思い込んでず~ときてしまったのだが、ひなこさんは、当時の人たちは、そんな身分制度の言葉も知らなかったし、それは明治に入ってから作られた言葉ではないのか、といっておられた。
言葉はあったとしても、一般に流布されてきたのは、きっとそうに違いない。
確かに、「武士は食わねど、高楊枝」という諺があるが、二本差しで歩いていても中は竹光だったなんてことはよくあったことらしい。下級武士は、俸禄だけではとても家族を養うことができなかったので、内職が普通だったという。
もっとひどい場合は奥方が夜鷹に出るとか、京都の下級公家なぞは生活苦で、書や絵画の家庭教師のほか、娘を舞妓や芸妓に身売りさせてまでして生計を立てていたと伝わる。

傘張りや朝顔の栽培や虫の繁殖なぞ武士には多くの内職があったが、その成果物は問屋に一文でも高く買い取って欲しいから、何度も頭を下げる。
相手は商人である。
「この番傘10本を、お願いしたいが」
「そうですな、これじゃあ、一本40文というところですね」
「もう一声、何とかならんか。50文でどうだ」
「お武家様、冗談じゃありません。それは、こっちの売値ですわ。お嫌なら、他の店へ行ってくださっても結構ですよ」

江戸時代は、260年以上も続いた。
開府の1603年から100年も過ぎれば、商品が流通して、米が中心とはいえ貨幣経済である。裕福な商人が続々と誕生してゆく中で、物価が高騰しても武士の俸禄は、当初から増えるということがないのであった。どんどん生活が苦しくなる。
こんな中で、身分社会だったから武士ばかりが威張っていて、なんて聞かされても実感がわかない。この辺りは、あの時代劇の斬り捨て御免の場面は特殊なケースだったのかもしれないと、思うしかない。

前回、お伊勢参りが幕末にブレイクした“ええじゃないか”の原型だったのでは、と書いた。
というのも、お伊勢参りでも、いろいろあって、お金持ちの団体などはそろいの着物姿でおしゃれし、三味線などを鳴らして踊れや歌えやで伊勢講の手ぬぐいを高く掲げて行進していったというから、つなげて考えてしまうのだ。あの“ええじゃないか”も、狂ったような踊りと衣装、顔中白く塗りたくって異常な興奮を煽っている一種のデモなので、よく似ているのだ。

「富士山に一度も行かぬ馬鹿、二度行く馬鹿」
富士山というのは、江戸の人々にとって、日本一の山ということのほか霊験新たかなありがたいお山だったらしい。だから、江戸っ子は、富士山に、一生のうち一度は登るべきところだと思っていた。だが、余りに大変なので、二度行くのは馬鹿だ、ということか。

日本人が、どうしてこんなにも旅好きになっていったのかを考えると、一つには文化文政の頃に発刊された戯作本の影響もあげなければならない。『東海道五十三次』を書いた歌川広重は、定火消同心の家に生まれて役人になっていたが、役目で東海道を行き来するうち「街道絵」を描くようになった。この五十三次が、旅ブームに火をつけた。大ベストセラーになったのである。
これは、読んでも見ても楽しいが、旅のガイドブックとしての役割が大きかったのである。
またこの頃、出版された十返舎一九の戯作『東海道中膝栗毛』も面白いしおかしいし、ガイド本としても質が高く大ブームになったのである。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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