村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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『篤姫』の結末は、やっぱり、思った通り

再び、ナガ~イ間、ブログをお休みしてしまった。
先月12月は特に、僕の仕事が詰まっていて、実はそれどころじゃなかったのです。
毎日、自分のSaxのPlayを磨かなければいけなくてーーー。
何年かぶりで、マジになって、毎日練習に励んでいたのです。
そう、この歳になって。

先日、久しぶりに渋谷の街に出てみた。若い頃から何度も行っている渋谷駅なのに、いまだにあそこは、東口やら西口やら、出口がよくわからない。
岡本太郎の、例の、メキシコで発見されたという壁画を見たかったから行った。
デモ、今回も、場所がよくわからず、通行人に聞いて現場にたどり着けた。そこは、山手線を降りて、井の頭線に向かう通路の壁にかかっていた。
原爆が炸裂したときのものらしいが、圧倒的な素晴らしい壁画である。皆さん、是非、ご覧になって欲しい。無料だし。



渋谷といえば、あのNHKがある。
昨年は、篤姫の年でしたね。
何故、あんなにも人気が出たのか。

前にもこのブログで書いたが、NHKのことだからきっと、『無血開城』は篤姫の手柄として描くでしょうね、と言った。
最後のほうを見たが、ヤッパ、その通りだった。

西郷も勝も形無しである。

天璋院のおかげで、江戸の街は、火の海から救えた、と。
まあ、テレビドラマだから、それでいいのだが~~~。

「大河で歴史を勉強している人もいる」ってこと、『新選組!』の時に担当プロデューサーに告げたことがあった。もう、5年も前のことになるが。
デモ、聞く耳は持っていなかった。

「大河は、ドラマとして描いています、何も歴史の教科書にする考えはありません」
だと。

第1作目から、龍馬と近藤と土方歳三と桂さんと佐久間象山までが一緒に、黒船を見に行くシーンだったよね。
三谷さんだから、許されると言った人もいた。

デモ、その年、僕は、日野を訪れた全国の人々約1,000人を「新選組めぐり」で市内をご案内したが、第1作を見てから、あのドラマは見ていないという人が結構いたのを思い出す。

そう、大河を見ている人って、皆さん、随分と歴史を勉強なさっている方がいるんですよね。
考えようによっては、その方たちを無視している、もっと言えば、馬鹿にしているような感じにとられてしまうのだ。
だから、去年の篤姫と違って、あの時の視聴率は随分と悪かった。

ドラマでは、篤姫が江戸を救ったとか、日本を救ったみたいな表現があったが、そんな意識も思想もない。
彼女は和宮と一緒に、徳川家を救うために奔走したのだ。
それは、その当時、至極当たり前のことで、武家に限らず、どんな階層の女性たちだって嫁ぎ先のお家のために働き、命を掛けたのだ。

西郷さんは、明治に入って、若い衆から

「西郷ドンは、なして、そのように金物について目利きができるのでごわすか」

と、聞かれたことがあったそうだ。

「おいは、まだニセ【青年】の頃、篤姫様が徳川家に嫁ぐための嫁入り道具を探し回っていたことがありもす。その頃、金属を鑑定する能力が養われたのでごわす」と、答えたそうだ。

この位だから、篤姫と西郷さんとは斉彬の指令を受けて、一橋慶喜を14代の将軍にするために、特別な任務を負っていたといえる。
でも、皮肉にも、その二人ともがその後、15代将軍慶喜とはうまくいっていない。あの時代、この人たちに限らず、いろんな人たちが思想信条をめまぐるしく変えているから、特別驚かない。
彼女は、西郷という人間をよく知っていたし、勝海舟をもよく知っている。

最近、民放のバラエティー番組では、クイズ番組で日本の歴史を検証するコーナーが増えてきている。このことは一面良いことだが、視聴率欲しさに、ことさら面白おかしく歴史をゆがめている節もある。

昨年秋、真実はわからないが、勝海舟と天璋院篤姫が、実は、男女の関係にあったと盛んに吹聴する番組があった。
確かに、明治に入って、勝は赤坂の氷川神社のそばに住んでいたし、天璋院もすぐそばに住んだ。
番組では、幕末からそのような関係にあったのではと報じていたが。

勝と西郷に、徳川の行く末が任されていたのだから、悪いようにはならないはずだと、確信に近いものが、篤姫にはあったに違いない。
二人の性格を見抜いていたからだ。

でも、その両者ともが、味方から信用されていないのだ。
勝は、徳川の重鎮たちからは、『裏切り者』扱いされていたし、西郷は、暴発寸前の雄藩混然とした官軍を従えて、平和的解決をして、本人だけが一人『ええ格好』することに大いに戸惑っていた。
勝も、西郷も、どこかで振り上げたこぶしを下ろさせなければならなかったのだが、一戦も交えないで、そんなことが実現できるとは思っていなかった。

無血開城が実現した後、上野の戦争が旧暦5月15日に起こった。こうした、局地的な小競り合いは、西郷はむしろ望んでいたとも思える。そして、戦場が越後や東北に及んでいった。もとより、承知のことであるのだ。榎本たちが、軍艦を奪って北へ就航した。これだって、勝は、起こりうることとしていた節もある。軍艦を全部、官軍に渡さないで、一部は残して榎本に与えたのでは。

どこかで、『ガス抜き』が必要だったのである。

僕は、今から20年以上も前のことになるが、職場で労働組合の幹部だったことがあった。
闘争に入ると、徹底して組合員を奮い立たせ、スクラムを組んで労働歌を歌ってデモ行進をし、赤旗を振りかざしてストライキに入る。こうして、みんなを発奮させることはたやすいが、一転して闘争終結に入るときの難しさといったら、一通りではない。

要求していたベースアップの半分も取り得ていないのに、状況によっては、早々と闘争終結の提案をしなければならないときも多々あるのだ。
組合の幹部連中は、裏取引をしているのじゃないかとか、「満額獲得まで闘うぞ」のスローガンはどこへ行ったとか、組合員からは突き上げられてぼろ糞であり、散々であった。
こういうことが原因で、組合を抜けていく人も大勢いた。

東征軍は、徳川を倒すために三方から進行してきた。
総攻撃は、慶応四年3月15日と決まっていた。
これで、260年間ず~と我慢してきた徳川の圧制から解放され、積年の恨みつらみを晴らせるときがようやくやってきたのである。毛利なぞは、120万石以上あった領地が家康のために36万石に減らされた。長州の徳川に対する怨念は、計り知れないものがあったに違いない。

彼らにとっては、関が原のリベンジなのだ。

それを、戦わずして戦争を終結させ、なおかつ敵の大将の首もとらず、命を助けてやってなおも領地まで与えるだと、「ふざけるな」ということになる。
西郷は、徳川家に最後まで100万石は与えよと主張してきたのだが、結局70万石で決着した。


そんな、徳川に対する温情があったから、官軍の中で、西郷の命を奪えまであった。
それを、側近の桐野利秋や村田新八や別府晋介らは、味方の造反者から西郷の命を守った。

西郷も勝も、本当の敵は味方の中にあったのかもしれない。
それが証拠に、西郷さんは明治10年に、大久保利通という”竹馬の友”に殺された。
維新のやり直しをしたかった西郷の主張は通らなかった。
龍馬は「日本を洗濯したい」と、言った。幕末に若い命を落としていった人々に、「申し訳なか」と言って、西郷は心の中で謝った。

大久保は、翌11年5月に、西郷を信奉する石川県の士族に紀尾井坂で暗殺された。二人の、維新の最大の功労者の死によって、明治維新が終結したとも言われる。

その後は、伊藤博文や山県有朋なぞの長州系の人々が覇権を握って、日本が軍国主義の道へと歩むことになる。
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コメント
家族愛
カラヤンさんのご指摘で、僕は、何か新しいものを見つけたようです。

今まで、そのような見方をしてきませんでした。
『家族』『優しさ』『良い人』など。
なるほど、そうか。

これまで、そのような感覚で見てきていませんでした。
世間の人たちは、あのドラマをそのような角度で見ていたんだ、と気づきました。

10月に、2回にわたってK市で『新選組』の講演をしたのですが、その時に、たくさん篤姫や西郷さんのお話も交えたんです。
そしたら、とても反響が多くて。
その時、「皆さん、あのドラマ見てますか」って聞いたら8割以上の人が手を上げました。
そして、毎回、泣けると言うんです。

僕は、最近の大河は、座って話をするシーンが多すぎると、批判的だったのですが、そういう自分も反省が必要かもしれません。

勉強になりました。
2009/01/11(日) 01:21 | URL | murase #VvKxtd/k[ コメントの編集]
あ!それから
「篤姫」人気の理由は演じた
宮崎あおいちゃんが
可憐で可愛くて
オジサンの心をくすぐったことも・・・
写真に残っている実在した「天章院」さんとは・・・
このへんも史実とは違うようで
失礼しました。

カラヤン
2009/01/09(金) 13:32 | URL | Karajan #-[ コメントの編集]
「篤姫」がヒットした理由はいろいろと言われていますが、
「家族」「己の役割を果たす」と言ったわかり易いテーマの上に
ドラマ創りが「優しかった」からではないでしょうか?
先日も読売新聞に何方かが書かれていましたが、
見終えた後で涙を流していることが多々あったと・・・。
登場人物が皆良い人で、たとえ対立している相手であっても、
それぞれ「己の役割を果たしている」だけ、
伊井直弼がその代表みたいになってました。
とにかく皆良い人で優しく描かれていました。

昨年後半から
我が国を代表するような
大企業が相次いでリストラを発表しましたが、
かつて「日本企業の強さ」に
家族的であるからと言う理由が挙げられていました。
リストラを発表した企業の中にも
社長を社員が「オヤジ」と呼び
社長が社員を「俺の息子たち」と呼んでいた会社が含まれて
います。
いつの間にか日本の企業も「家族」に冷たい会社になって
しまったようです。

「篤姫」人気は冷たくなってしまった、今の日本の社会に対し
「優しい」ドラマへの憧れがあったからだと思います。
「百年に一度」の「大嵐」だとかですが、「家族」が互いに庇い
あい、それこそ各々が「己の役目を果たせば」、
日本国と言う「大家族」も、企業と言う「家族」も
全員が生き残れるじゃないですかね。
この国には「人材」も「技術」もそして「金」もまだまだあります。

ところで今年の大河ドラマの主人公は「直江兼続」ですが
「義」に生きた武将と言われています。
今年も大ヒットかな・・・?

101年目のカラヤンでした
2009/01/09(金) 13:15 | URL | Karajan #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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