村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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土方歳三と『森の石松』 その1

4月9日から3日間、京都へ行ってきた。

鳥羽伏見の戦の折、歳さんが歩いた行程を一度は辿ってみたかったからだ。
本来なら、本を書く前に行っておくべきだったのかもしれない。自分の考えたことに対して、確証を得にいったようなものだ。

まず、新選組と縁の深い藤森神社からスタートしたのだが、その前に、桜が余りに見事に咲いているので、八坂神社を通り抜けて、円山公園に行ってみた。ここには、昔からさまざまな物語で描かれてきている『しだれざくら』があるが、もうこれ以上ない超満開で、見事というほか表現できないほどの美しさであった。
昨年私が日野をご案内した方の中に京都の女性がいたのだが、今回の旅は、その人が地元なのでご一緒してくれていた。僕はカメラなどを持つのが苦手な性質なので、その方の心遣いにより沢山撮っていただいた。そのしだれざくらの前でも、もちろん撮影してもらったが、朝の9時ごろでまだ早いのに、すでに観光客で埋まっていた。
それから、京阪電車で四条から墨染まで行った。ここはご存知のように、近藤さんが伊東甲子太郎の残党に鉄砲で肩を打ち抜かれたところで、その後の近藤の運命を決定づけた場所なのだが、これによって鳥羽伏見の戦いは、土方歳三が新選組の指揮を執ることになった。
藤森神社は、どうやら馬に縁がある社らしく、競馬に関する絵馬や有名馬の写真など、多数、勝利祈願のお札などで溢れていた。
次に、伏見桃山の駅で降りて、御香宮と伏見奉行所跡へいってみた。

そもそも戊辰戦争の発端は、鳥羽街道の方で砲声が轟いたのを聞いて、伏見の御香宮に布陣していた薩摩軍と伏見奉行所に陣を張っていた新選組、会津軍との合戦で始まったのだ。
この緒戦で、幕府軍は無残にも敗退してしまったのだが、その主な原因は第一に、双方の軍事的装備の差にあったとされる。大砲をはじめとした銃器類に最新鋭のものを身に着けていた薩摩軍と、関が原の戦で使用していた鉄砲と同レベルのものを持ち出してきて、鎧兜で戦闘に臨むものさえいた幕府軍では、勝敗は目に見えている。
いうまでもなく、新選組は白兵戦が得意で、刀槍での戦でしかその真価を発揮できない。薩摩が陣を張った御香宮は伏見奉行所の約500メートルほど北方の位置にあり、しかも高台にあることから、眼下にいた土方たち幕府軍の頭上に雨あられのごとく砲弾を落としてきた。接近戦に持ち込む前に、勝敗が決まってしまったのである。現場を検証してみて、なるほどと思わざるを得なかった。

土方はここでの戦闘を早々に切り上げて、南へ逃れた。
私たちも、坂本龍馬が幕府役人に襲われた例の寺田屋まで歩いたのだが、ここの先で宇治川の支流と濠川が合流している。昔は三十石舟が上下に淀川を行きかって、酒とつまみで旅人を和ませていたのだが、今でも三十石舟と十石舟がここらあたりを観光客相手に運行をしている。乗ろうとしたが、人気があって予約でいっぱいだった。
仕方なく、その船が運航しているのを眺めながら、土手沿いを散歩したが、ここで“森の石松”を思い出した。

森の石松とは、『清水次郎長』を浪曲化した浪花節に出てくる次郎長一家の一員だが、思い出したのは、その石松が次郎長の名代で四国の金比羅様に詣でて刀を納め、その帰りに三十石舟に乗ったときのシーンだ。
今の若い人たちは大方知らないだろうが、僕の若い頃は、平沢虎造という人が浪曲の大変な名人で、ここのくだりを十八番としてよくラジオで放送していた。虎造の次郎長はテープに録音されて販売されているが、今聞いてみても、惚れ惚れするような美声である。
そのことを今紹介してみても、ピンと来ないだろうから、新選組に置き換えてパロディ化してみる。

新選組に、原田左之助という副長助勤がいる。別名、山本太郎ともいう。
元治元年四月も末、副長土方の命を受けて大坂西町奉行所与力、内山彦次郎の動静を探るため、大坂に下ろうとしていた。
酒好きの原田は、伏見で三十石舟に乗ると早速酒を注文し、あらかじめ買い込んでおいたすしの入った経木(きょうぎ)を開いた。

* 経木とは……菓子や握り飯を包むもの。杉やヒノキなどの木材を薄く削ったものだ。昔はこれに、経文を写したからこの名がある。

三十石舟は陽春の暖かい日差しを受けて、ゆっくりと大坂へ向け
て進んでいる。舟から両岸を眺めると、川沿いに見事にしだれ柳が並んでいて、まったく風流とは無縁の原田左之助でさえひと時の安らぎを覚えていた。
この辺りでもすでに行楽の季節に入っていて、船内は大きく揺れれば転覆してしまいそうなほど、人でむせ返っていた。

ふと気がつくと、原田のすぐ後ろに座っていた五十を過ぎたと思
われる商人風の男が、連れの若いのに講釈をたれている。
「お前、新選組というのを知っているか」
「ああ、近頃京都あたりで勤皇の志士を追い回している、守護職様預かりの浪人どもだってことぐらいは」 
「その連中だがな、仕切っているのは俺たちと同じ江戸者らしいんだが、こいつら、めっぽう腕が立つらしい。なんでも、牛込柳町の試衛館という田舎道場の奴ららしいが、薩摩の示現流に似た剣法を遣うって、もっぱらの評判だ」
「へええ、江戸に生まれて育ったおいらだが、知らなかった。一度お目にかかりてえもんですね」
 このやり取りが耳に入ってきた原田、持った徳利をそのままに、耳をそばだててしまった。商人風の男の話は続く。

ここからの続きは、長くなるので次回に
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コメント
さて、オチは?(笑)
こんばんは。
山本太郎さん@左之助版、森の石松、ウケました(笑)
森の石松のお話は知っていますが(若くないもので)、さて、左之になればオチはいかがなりますのでしょうか?
続きを楽しみにさせていただきます。
2005/04/16(土) 02:20 | URL | 六条 #-[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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