村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

相撲道と武士道―――2

前回、『「相撲道」って言葉が歴史的にどういう風に存在しているかが、僕にはよくわからない。』と、書いた。

正直なところ、そうなのだ。
いつゴロから、その言葉ができたのだろう。

相撲そのものは、どうやら、「古事記」や「日本書紀」にも神事としてでているらしいから、相当古い。
でも、『相撲道』なんて表現はない。
やっぱり『武士道』っていう言葉ができてから、作ったのじゃないかな。
誰か、知っている人がいたら、教えて欲しい。

ところで、相撲のことを『国技』だとする考え方がある。
と言うより、そのように思い込んでいる人が多い。
デモ、誰がいつそのことを決めたんだろう。
それも、不確かで、どうやら明治42年に国技館ができてからそのようにする”風潮”が出来上がったらしい。
多くの国民がそのように思っているならそれでいいのだが、少しは疑問もある。

だって、いつものことで、これも、メディアに僕らが押し付けられて、そのように思い込まされているような気がしてーーー。
(相変わらず、ひねくれているが)
柔道は国技でなかったのか、剣道は、空手は、合気道は。相撲だけが、国技。

最近の論調では、『相撲人気が復活』と言う感じだが、ほんとうに、そう?
僕には、そう思えない。
前回の初場所は、我等特有の野次馬根性で、ちょっと覗きたくなったから視聴率が30%を一時的に越えただけの事で、今後、あの騒ぎが続くとは到底思えない。

それに、あの午後4時ごろから6時までの時間帯って、他に見るもの、ないんだよね。
せいぜい、2時間ドラマの再放送などで。
一時は、水戸黄門や大岡越前などをやっていたから、時間があると見ていたが。
デモ、大岡忠相の役を加藤剛が演じ、奥さんが土田早苗、その父親を片岡知恵蔵がやっていた時は、何か品があって上等なものを感じた。
僕だけじゃなくて、結構皆さんに人気があって、長い間あの番組は続いた記憶がある。


最近、どうしてこうも、相撲に関してよいニュースがないのだろう。
殆んど芸能ニュース化している。だから、朝のモーニングショウなどでも格好の材料にされていて、横綱審議会の脚本家や漫画家、NHKの旧アナウンサー、元横綱などが出てきて評論する。
貴乃花兄弟の確執や母親との関係、大麻騒ぎ、ビール瓶で殴った殺人騒ぎ、朝青龍の品格、相変わらずの”八百長“問題。
(どうやら、また、あの初場所の優勝決戦も、八百長でもめているらしいね)

こんな評判で、『国技』でいいのかなあ、もう、国技なんて言わないほうがいいように思うが。
それに、新弟子になる人も外国人が多いし、横綱は二人ともモンゴルだし、次の候補だって日本人は挙がってきていない。

だけど、横綱って、土俵入りしますよね。
あれ、独特の仕草、作法があって、拍手を打って、注連縄を腰に巻いて、まるで神社そのものを背負って本場所は勿論、明治神宮などでも土俵入りをする。
その二人ともがモンゴル人で、白鵬のほうはあの大鵬に相撲道を習っていると言うからまだしも、朝青龍は、どういう気持ちで奉納しているのかなあ。
金稼ぎの手段として、割り切っているのかも。

それはともかく、本題として、相撲道のお手本になったらしい『武士道』のことだが、これも、考えていると頭が痛くなってくる。
これぞ武士道、と言うものがない。

ここは、新選組中心のブログだから、いつもそれに照らし合わせて考えるようにしているのだが、彼らの武士道とはーーー。

近藤さんは、頼山陽の『日本外史』を常に座右においていたと伝わる。彼の書いた書を見ても、山陽をお手本にしたと思われる漢文のものが残っている。

『日本外史』は、頼山陽が源平の頃からの武家の家系やその盛衰を現したものだが、何よりも「皇室」を重んじ、天皇を絶対権力者として位置づけて著したから、幕末の尊王攘夷の志士たちに好まれた。
そればかりでなく、この書物は、当時としては大ベストセラーになったほど、人気があったらしい。
天皇を最上において、権力者は次々と変わるという図式で日本という国を分析していたから、当然、徳川の時代もいつかはその終焉が来ると予測している節もあったのだろう、そこに志士たちから支持される由縁があったのかもしれない。

でも、あの近藤さんがそれに没頭していたとは、面白い。
確かに、彼が、元治元年の5月に書いた2通の手紙を見ると、その影響があったと思えるところがある。
だって、あの京地で、「いつまでも市中取り締まりや志士の捕縛をしているのは嫌だ。早く、攘夷の魁(さきがけ)たる活躍をさせてくれ。でないと、新選組は解散だ」、とまで主張しているのだ。
多摩の友人に吐露しているばかりでなく、時の老中にまで上申している。
その数日後の6月5日には、あの池田屋に突入してその成果を誇っているのだから、かなり矛盾しているといえばそうなのだが、そこがまた面白い。

当時は、近藤さんに限らず、多くの人が自己矛盾していたのだ。
あの薩摩や長州自らが、外国と戦争をしてからと言うもの、いち早く開国派に変わったではないか。
背に腹は、変えられないのである。

だから、その思想も攘夷だったり開国だったり、頻繁に変わる。
徳川自らが、一番変わったとも言える。
200年以上も続けていた鎖国、自ら破った。
井伊直弼に先見の明があったとする人もいるが、そうではない。
将軍家の権威のために御三家まで罰し、全てを排斥してきた彼が、止むに止まれず、あのガチガチの保守政治家が、アメリカとの通商条約に踏み切らざるを得なかったのだ。デモ、これが引き金になって、安政の大獄を起こして自らの命を縮め、徳川の命運まで決めてしまった。
そういう時代だった。
もしかすると、この平成21年も、“そういう時代”かも。

「武士道」と言うと、新渡戸稲造のそのものの著作物を思い出すが、「葉隠」には、“武士道というは死ぬことと見つけたり”とある。
これは、意味が深くてよくわからない。
「死」を恐れない、と言うことなのか、「死んで」責任を取るということなのか、それとも「死ぬ気で」やれば何でもできると言うことなのか。
一方、主君の意向に逆らって主家のために発言したり行動したりすることこそ、真の武士道だとする考え方もある。
これは勇気がいる。
切腹覚悟である。
相手が信長や秀吉、家康などの武将なら、即刻死罪であろう。

あの戦国の世に、権力に迎合して堕落している武士を批判して自己を貫き通した武将もいる。
この続きは、次回。
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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