村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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プラハ~ウィーン~ブダベスト―――その1

“ダーツの旅”ヨーロッパ紀行第2弾
―――プラハ~ウィーン~ブダベスト―――(その1)

イントロ

年度末に来て今年度の仕事もひと段落したので、再びどこかへ行きたくなった。
何とはなしに、旅行会社のツアーをめくっていたら、上記の都市を巡る企画が目に入った。
一見しただけで、何かロマンティックである。
僕が音楽をしているからというのではなくて、幼い頃、小学校の教科書で出てきた夢の国に行けるみたいな衝動である。

旅行代金も手ごろだったし、何よりもこの3つの都市をバスで移動するのが魅力だった。

一昨年、イタリアをミラノから南へ下がってナポリまで10日間、途中ユーロスターという日本の新幹線のようなものに乗ったが、基本的にバス移動で気分が良かったので、今度も申し込んだ。

前田慶次と直江兼続のお話は途中だけど、すいません、この紀行が終わってから必ず書きます。

バスだと何故いいのかというと、その国のその地方の生活そのものを拝見できるからだ。
ツアーというと、観光地や大都市ばかりを訪れるものだが、バス移動だと、その間、なんでもない小さな村の人々の生活を垣間見ることができる。

所さんのテレビ番組で、『ダーツの旅』というコーナーがあるが、あれである。
人っ子一人いない田舎の路地裏で、普段の生活を営んでいる老人に突然、マイクを向けたりする。
あれ、僕は、好きなのだ。

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プラハ郊外の田舎の風景

一昨年のイタリアも、ミラノの北にあるコモ湖という殆んどアルプスに近いところからピサ、ベローナ、ベネチアやフィレンツェ、ローマなど、温暖なナポリ・カプリまで、見学することができ、実に印象的だった。

バスで長時間移動すると、途中、トイレ休憩を入れなければならないから、ドライヴインや休憩所に寄ったりする。
そこがまたいい。
日本でも、バス移動休憩で立ち寄る茶店などでは、その地方独特の物産を安く売ってたりする。
買うつもりがなくても、つい買ってしまうこともある。
例えば、青森辺りの田舎のドライヴインで、つい「りんご」を試食したら美味いので、東京に送ってしまったとか。

ヨーロッパで、果物を買って日本に送るわけにはいかないが、簡単なお菓子類などは買える。
レジにいるおばさんの笑顔が良かったりする。

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蚤の市で皮製のリックを買ったときのおばさん。ブタペストで。

今回、チェコのコルナやハンガリーのフォリントなどコインがよくわからないから、先方の言いなりでおつりを貰った。
だって、日替わりで、お金が変わるから頭が大混乱なのだ。
小さい買い物が多かったから、くれるおつりを貰っていた。
ロンドンのヒースロー空港でさえ、ユーロのお札を出しておつりはポンドだった。
直ちに換算なんてできないよ。
チェコとハンガリーの2国は、まだユーロさえ使えないところも多くある。

この度、(例えば建築物や、風景など)いろいろ良いことはたくさんあったが、印象に残っているのは、不思議と子供達の笑顔だった。
あの地方の人々って、その多くがスラブ系の民族なのだろうか、子供達が特に可愛く感じた。
そして、若者たちの素直さかな。
僕が、年をとったせいかなあ。

カメラを向けると、無邪気に反応してポーズをとったり笑顔を振りまいてくれたりする。
(日本だと、「何、このおじさん」のように見られることも)

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子供たちと若者

さて、最初に訪問したのはチェコのプラハでした。
プラハは街全体が世界遺産に指定されているから、日本からの観光客も近年多くて人気の場所になっているが、今回もあの気品あふれる町が世界中からの人々で賑わっていた。
プラハといえば、スメタナという作曲家が出現したことで日本人はよく知っている。
組曲『わが祖国』の中の、特に(モルダウ川)が有名で、我国の音楽の教科によく入っていたし、合唱団が良く歌う。

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モルダウ川

僕に限らず多くの日本人は、東ヨーロッパの国々について、いまひとつよく知らない。
今回、最後に訪れたハンガリーのブダペストで、現地の人に「ハンガリーという国について、どう思いますか」と聞かれた。
これには参った。
だって、思う以前に殆んど知らないからだ。先方に失礼のような気がしてーーー。
尤も、向こうさんも日本のことを知らないから、お互い様だが。


プラハという街

女子の体操選手といえば、モントリオールで10点満点で金を取ったルーマニアのコマネチを思い出す人が多いだろうが、僕らの世代はチェコスロバキアのベラ・チャスラフスカだ。
彼女は、1964年の東京オリンピックと次のメキシコで、連続で金を取った。

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プラハの町並み

東京オリンピックの時は、僕は高校生で、強烈な印象を持って様々なシーンをいまだに良く覚えているが(女子バレーの回転レシーヴやマラソンのアベベなど)、そのなかにチャスラフスカがいた。
あの時は、日本の多くの男性たちが、彼女の美しさに惚れ込んでいたように記憶している。
女性としての優美な美しさがあった。
モントリオールのコマネチは、キビキビした非の打ち所のない演技で10点満点だったが、チャスラさんはとにかく綺麗、美しかった。

その彼女、その後の人生は、さぞかしバラ色かと思いきや、大変な苦労をしたらしい。
現在63歳になるらしいが、例の『プラハの春』で二千語宣言に賛成署名をしたからという理由で、共産党政権から強烈なる嫌がらせ、迫害を受けたそうだ。

よく聞く話に、オリンピックで金メダルを取れば、韓国では兵役を免除されるとか、共産圏では年金が保証されるとか、住宅が与えられるとか、職業も安定するとかだが、彼女の場合は全く逆で、チャスラさんと立ち話をしていただけでも逮捕されたというほどひどかったらしい。
だから、それまで友人だった人も次第に離れ散ってしまったほどで、最後に残った人は片手の指に入るまでになっていたそうだ。

それでも彼女は、二千語宣言署名を撤回しなかったそうだ。

『自分の中にある気持ちを大切にしたかった。節義のために。政治権力というものは、人の心をた易く折り曲げることができると知りました。』と。

このチェコという国、僕らが小中学校で習ったときは、確かチェコスロバキアだったが、今はチェコとスロバキアに分かれている。

(続く)
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コメント
侵略する方と,される方
蒙古来襲で2度侵されそうになった日本だけど、『神風』が吹いて、助かった。

幕末時も、清国がうけたアヘン戦争のような侵略戦争に巻き込まれずに、無事、明治維新を迎えることが出来た。
これまた、神風が吹いた。

日本という国は、『神の国』だから決して野蛮な外国人には侵略されないと、信じていた人が多かった。

だから、明治期に入って、大国相手に戦った『日清戦争』も『日露戦争』も勝った。
またまた、神風だ。

1945年までは、そのように思っていらした方が多いようである。デモ、先の戦争で300万人以上の犠牲者がわが国から出たという。
大きく慢心していたばかりに、国際的にお灸をすえられることになった。
それにしても、あまりに大きすぎる代償である。

第二次世界大戦の時も、まだ、尊皇攘夷という言葉が生きていたらしい。
軍部が国民を懐柔するために、富国強兵、欲しがりません勝つまではと言いはやして、駆り出した。

古くは、秀吉が、多くの反対を押し切って朝鮮出兵をした。
もちろん、失敗した。

昭和に入って、満州国を設立したが、これも失敗。
われらは、侵略されることはなかったが、侵略したことはあった。
われら日本人は、いじめを受けるほうの『痛み』は分からないまま、現代に来てしまった。

学校でいじめを受ける子供たちがいても、いつもいじめる側にいた日本人には、その痛みが分からない。
「いじめられるほうに問題がある」じゃないか、などの発言まで出る始末。
昨今では、自殺するやつが「弱い」んだ、という訳。

ヨーロッパの東側の民族の人たちは、侵略されることが多かった。遠くはローマ帝国、オスマントルコから蒙古帝国まであった。
その後は、ハプスブルグ家の統治である。600年も続いた。
第一次大戦で、ようやくそれも終わったと思いきや、今度は『ソ連』である。
散々である。

僕が、今回訪れたチェコもハンガリーも、外国の圧政に耐えて現在に至っている。
今が、これまでの歴史の中で、一番安心な時代だと、現地の人が言っていた。
2009/04/07(火) 16:33 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
国境
お帰りなさい
旅行記たのしみにしています。

さて日本人にピンとこないもののひとつに
「国境」と言う感覚ではないかと思います。
大陸の国と違い、日本の場合「国境」が有っても海上であり、
多くの領海線は他の国と接してはいない。
領海線と排他的経済水域線、その先は公海となっている場合が
殆どで、他国の領土、領海と直接接していることは少ない。
だから日本人には「国境」と言う感覚が殆ど無い。
ところが大陸の国々では凄いシビアな感覚を持っている場合が
多い。
特に体制が違う国が接してしる場合は大変なものである。
近年中国の潜水艦が日本の領海を侵犯したことがありましたが
これが大陸の国だったらどうでしょう。
国境線を越えて他国の軍隊がやって来たと言うことになります。
それは何を意味するのか・・・
村瀬さんが今回バスで3カ国を移動されたと書いておられるのを
拝見して、以前小生がやはりバスで東側の国へ入ったことを
思い出しました。
当時はまだ東西冷戦状態で、国境の検問が厳しく、国境警備隊が拳銃を持ってバスに乗り込んできて、ひとりひとりパスポートを
チェックしていたことを思いだしました。
今は東西冷戦も終わり、EUも拡大し、ヨーロッパの国々の国境
越えも楽になりましたが、世界中には未だ命を掛けないと
渡れない国境もあることを忘れないようにしないといけませんね。
2009/04/07(火) 07:47 | URL | Karajan #JIwOUj62[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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