村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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プラハ~ウィーン~ブダペスト―――その2

チェコとスロバキア

前回、最後にチェコスロバキアがいつの間にか、二つに分かれていたと書いた。
世界史の常識で、僕が無知だといわれればその通りだが、調べてみたところによると、こうである。

もともと、この二つの民族は別々だった。
大昔の話は、省略して、
第一次大戦後、この地域にはチェコ人が46%、
スロバキア人が13%で合わせても59%しかいなかった。
後はドイツ人が28%もいて、その他はユダヤ人やジプシーなど民族が混在していた。    
この二つは兄弟のような民族でありながら、チェコはドイツの一部として歴史を刻み、スロバキアはハンガリーの一部として歴史を重ねてきた。

1993年に、この二つは平和裏に分離した。
この当時は、80年代から90年代初頭にかけてソ連や東欧諸国が民主化と国家分裂で混乱しているさ中で、チェコスロバキアでも89年に民主化を求める大規模なデモが起きていた。
このとき共産党政権はあっさり政権の座から降り、スムースな民主化(ビロード革命)が実現した。

その後の分裂が余りにあっさり行なわれたので、『協議離婚』と例えられたということだ。
別れたがっているなら、すんなり別れて流血の惨事を避けたほうが賢明だと、チェコ側が判断したからだが、もう一つの理由は、チェコが市場経済に移行するに当たって、後進地域のスロバキアはお荷物だと理解されていたことによる。

中欧都市の中では工業化が最も進んでいたといわれるチェコのプラハは、「スロバキアは農業地域であり、経済発展の妨げになる」と思っていたから、分裂は、面倒を見なくていいから返ってありがたいと思っていたのである。
デモ、結果は皮肉で、スロバキアの成長はずーっとプラス成長が続いた。だから、この二国は分離後も仲がよいらしい。


Image074.jpg

(プラハの繁華街、カルチェをはじめ世界のブランド店が軒を連ねている。)

チェコ、特にプラハの人々はロシアという国を嫌っている人がおおいようだ。
何百年もハプスブルグ家の統治にあって、ようやく1918年に抜け出せたのだ、と思いきや今度はソ連の圧政だ。
プラハの人々は結構プライドを持っているのだが、自分たちは西側の一員であるという意識が強いらしい。

「よ~く地図を見てくれ、プラハはウィーンよりも西にある」よ、と。

Image065.jpg
(大道芸でサックスやトロンボーンでジャズをやっていた老人)

僕は、外国へ行ってやっぱり女性の皆様と同じように食事に関心があるのだが、ツアーで食事つきの場合は、結論として余り期待しないほうがいいと言える。
イタリアのときもそうだったが、決して美味しいお店に連れて行ってはくれない。
たまに当たりの店もあるが、総じて美味くない。

今回も、朝昼晩、殆んど食事は付いていたが、割安のツアー料金だったせいもあってか、レストランの格が低いところばかりだったように思う。
添乗員の人が正直に言っていた。

「食事は期待しないでくださいね。これとホテルのグレードを落してツアー代金を下げているんですから」と。

正直な人だ。

プラハで、ディナーをいただいたが、貰った栞には

「“クネドリーキ”(チェコ風蒸しパン)とチェコ料理」

と書いてあったので、どんなものかと期待していたが、とても食えなかった。

湿った白いパンで、味も素っ気もない。
それが4切れも皿に乗っていて、残さないで食べるのに一苦労であった。
メインディッシュも大味なものだった。
美味しいお店もあるのだろうに、横目で眺めながら、J○Bの決めたところに従った。

デモ、一回だけ、プラハの昼飯だけは美味かった。
プラハ城の中の修道院を改装してレストランにしたのだろう、薄暗くて細長いところだったが、ここで食べた魚のフライは日本のものに負けないほどだった。
ついでに、ここのビールも美味かった。

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(薄暗いレストランの筆者)

チェスキー・クロムロフという町

今回、行くまでは、そのような都市の名は聞いたことがなかった。
プラハに2泊してウィーンに向かう途中、オーストリーとの国境の手前にある都市なのだが、これが素晴らしくいい。

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まるでおとぎの国の中に飛び込んだような気分を味わえる、中世そのままの街並みなのだ。
みなさん、あのあたりに行ったら、是非寄りましょう。

10何年か前に世界遺産に登録されたそうだが、それ以降、毎年世界各国から観光客が押し寄せ、大変な混雑だということだ。
僕らが行ったときは、寒かったせいか運がよく、人が殆んどいない時で、閑散としていて寂しいくらいであった。
街の中を流れる川に架かっている橋も木製のもので危険なので、頑丈なものに作り変えると工事していたが、商業的に俗化されないことを望む。

ここで、持って行ったフルートを持ち出して、お城のベランダで吹いてみた。
内容がジャズっぽいので、あの辺りの雰囲気にいまひとつ合わないが、勢いでやった。
観光客がたまに足を止めて聞いていたが、よく見ると、中国人が多かった。
やっているのが日本人で、聞いているのが中国人。
何か、変。
寒いので30分でやめた。

(続く)
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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