村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

「直江兼続」と「松姫もなか」、そして「八王子城」と「滝山城」と、いろいろ関連して---3

―――松姫の数奇な生涯―――

姉の菊姫は、上杉景勝に嫁いで殿の寵愛を一手に受け、一時は幸せそうであった。
が、秀吉の命令で京都に人質として差し出されてからは、二度と夫の元に戻ることができず、哀れにも伏見で生涯を終えた。
直江兼続の妻お船も、米沢を出でて菊姫と行動をともにしたが、京都の武将や公家を始め政局を担っている人物と多く交わっていることから、こちらは、京都の情勢をいち早く本国に知らせる諜報部員の香りがする。

さて、妹の松姫である。
改めて、彼女の生涯を追ってみよう。

☆ 永禄四年(1561)武田信玄の五女として生まれる。母は美人で名高い側室油川氏。同腹の兄に仁科五郎盛信、姉に上杉景勝に嫁いだ菊姫。  

☆ 7歳のときに、信長の嫡男信忠(11歳)と婚約。武田家内部では、”信忠正室を預かる"として扱われ、新館御料人と呼ばれる。

☆ 元亀三年(1572)信玄と家康との間で『三方ヶ原の戦』が起こり、信長が徳川に援軍を送ったことにより、婚約解消となる。
   (姉の菊姫は、元亀元年(1570)、13歳で長島願証寺の左堯と縁組があったが、信玄が天正元年(1573)死亡し、信長の本願寺派への虐殺にあって婚約は自然消滅した)

☆ 武田家の家督は勝頼が継いだが、この姉妹は躑躅(つつじ)ヶ崎館でひっそり暮らしていた。
 (天正三年(1575)長篠合戦で織田軍に敗北してから、勝頼に対する家臣たちの信頼は徐々に薄れていった。天正六年(1578)冬、菊姫21歳のときに上杉景勝との縁談)
  
☆ 信玄が没した後、兄の仁科盛信の庇護の下、高遠城の城下の館に移り住む。(天正六年(1578)上杉謙信が世継を決めずに死んだため、景勝と景虎との間で跡目争いが起こる「御館の乱」)

☆ (上杉家の家老直江兼続の策略で、対立関係にあった武田と上杉の間が修復され、同盟したことにより景勝は、跡目争いに勝利する。結果、景勝と菊姫がめでたくご成婚となる)

☆ 天正十年(1582)、かつての婚約者信忠を総大将とする織田軍が武田征伐に高遠にやってきた。
これを避けて、松姫は盛信の幼い娘達3人を連れ、険しい山坂を越えて、武田の旧臣が多く住む武州多摩郡へ落ち延び、古刹金照庵(八王子市上恩方町)に入る。

絵ーー①
多摩のジョギング道より
        
☆ (天正十年3月1日、かつての婚約者信忠の軍は3万の兵で高遠城を包囲し、降伏勧告する。
仁科盛信はこれを拒絶し、自刃。
追い詰められた勝頼・信勝父子らも天目山で自刃し、武田は滅亡)

☆ この年(天正十年)には、松姫は22歳になっていた。
本能寺の変後、信忠亡き後、武田一族とともに冥福を祈って出家し、信松尼と称した。また住まいを金照庵から心源院に移した。

☆ 天正十八年(1590)、八王子・御所水(台町)のあばら家に移住。尼としての傍ら近所の子らに読み書きを教え、蚕を育て、織物を織って3人の姫を養育したという。

☆ 江戸開府の頃、代官頭を務めた大久保長安は武田の旧臣であったが、信松尼のために多大な援助を行った。
また、長安が組織した八王子千人同心の中には、やはり武田の家臣らが多く含まれていたが、美しい松姫の存在が心の支えになっていたという。

☆ 元和2年(1616)享年56歳で没した。草庵は、現在の信松院である。

―――『松姫』の逸話とさまざまな伝説―――

母の油川夫人は甲州一の美人として名高かったらしい。
信玄は、美人好みで、周囲の豪族たちを討ち取っては、美しい女たちを側室にしたという。
同腹の姉妹である菊姫も美貌で有名であったというし、もう一人の真理姫もまた美貌秀麗であったという。

ここで、少し『多摩』のお勉強

 松姫が一時移り住んだ心源院は、多摩の三大悲劇の武将と言われる大石定久の開基になる寺だ。
その昔木曽義仲を祖とする大石氏がいつの頃か関東に移り住み、青梅の三田氏と多摩を二分する勢力を誇ったが、やがて戦国の勇、小田原北条氏が関東の覇権を掌握するところとなり、12代大石定重は自領防衛のため滝山城を築いた。

しかし13代大石定久は北条氏の圧力に抗しきれず北条氏照に城を譲り、自身は戸倉城に隠棲した。多摩の名族としての誇りを傷つけられた定久はその後、八王子柚木の永林寺に移り住み、最後は野猿峠の頂きで自刃して果てたという。

もりたなるお著の歴史小説「千人同心」によれば、
天正十年(1582年)甲斐の武田が天目山で織田信長に滅ぼされた折り、信玄の娘松姫は当時関東を支配していた小田原北条氏の庇護を求めて甲斐を脱出したという。

絵ーー②

山深い道なき道を辿って、和田峠を経て甲州裏街道に入り、上案下(かみあんげ)の里の金照庵にたどり着いて八王子城主北条氏照の助けを求めたと記されている。
その後、松姫は身の安全を守るため下恩方の心源院の卜山禅師(ボクザン)の元に身を寄せたとされる。
北条氏滅亡後は武田の遺臣を多く含む徳川幕府直参の千人同心に手厚く守られて天寿をまっとうした。

当時の武士に弓矢と松姫とどちらを取るかと言われれば、誰もが弓矢を捨てて松姫を取るといわれた程大変な美貌も持ち主だったと伝えられる。

―――続く。
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コメント
ごっちゃん、お宅は、そうでしたね。
そうそう、あなたのところは、富山市。
今、旬の、話題にそうとう近い。

最近、新選組の話題から少し離れて、戦国モノの
講演依頼が多いのです。
今週もあります。
だから、僕のお勉強も、あの時代のことについての
ことと、また、沖田君のことと、いろいろ大変なのです。

この辺の(多摩地区)人たちを対象にお話しするので、
何らかのかかわりがないかと探していたら、『松姫』に
たどり着きました。
そして、秀吉軍が小田原城を攻める際に、八王子城を
攻め落とした。
この中に、前田や上杉、そして勿論秀吉、家康などもいた。
景勝や直江兼続゙もいたんだね。
たまたま、日曜日、NHKの大河を見ていたら、そこのところを
やっていました。

これから、直江兼続のこと、たくさん書きます。
期待していてね。

村瀬彰吾
2009/07/22(水) 00:00 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
お元気ですか?
お久しぶりです。
公務員の宿命なのですが、4月からの人事異動で職場が変わり、毎日10分の通勤時間が50~60分に変わり、なんだか時間の使い方がうまくできなくて、忙しい日々を送っていました。
こちらも覗いてはいたのですが、なかなかコメントする時間がなくて・・・
またしばらく見ていなかったら、直江さま関係の話がいっぱい!!(うれしい!)またゆっくり読ませてもらいます。
とりあえず、忘れられているかもしれないので、ご挨拶まで(笑)
2009/07/21(火) 06:33 | URL | ごっちゃん #mQop/nM.[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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