村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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『すってん業平』になった土方歳三――を、再び


2006年の7月だったから、もうかれこれ4年も前になるのだが、このブログで、土方歳三の小噺を書いたことがあった。

その表題は〈『すってん業平』になった土方歳三〉であったが、連続4回で思いつくままにPCのキーを押し続けた記憶がある。
あの頃は、小説『人間土方歳三』を書いたばかりで結構まだ血が騒いでいたので、気力が充実していたからか。

あの物語は確か、浅草に江戸の昔から営業し続けている「駒形どぜう」の五代目女将渡部栄美さんというお人が、僕に送ってくれた〈どぜう往来〉という店のプロモーション雑誌の一コーナーからヒントを得たものだった。

土方歳三が土佐の藩主山内容堂と恋敵で、吉原の高尾太夫を巡って争う話だった。
この逸話は、浅草辺りではマイナーな話かもしれないが、昔から伝わっているものらしい。
土方歳三が、容堂の手下に襲われる話である。
僕は、この話を基にして小噺を思い立った。
それを、ブログに書き綴ったのである。

今、何故、これを思い出したかというと、この秋に担当する講座の題材で使おうと思い立ったからである。

今年の10月から第1、第3土曜日、連続10回ほどで〈新選組〉を中心に坂本龍馬暗殺などをお話しする。

場所は、府中の多摩交流センターで、『多摩市民塾』がそのタイトルである。

話しばかり10回しても飽きてくるから、合間に何回か『新選組歩き』とか『江戸巡り』、テレビドラマの「新選組血風録」や「燃えよ剣」の上映を入れようかと、今、カリキュラムを考えている。

日野や近藤さんの調布、そして府中や八王子見学なぞも入れるが、ここから都内まで近いので、試衛館や伝通院、そして 沖田総司終焉の地とも言われている浅草今戸神社も行く。
それに今はないが吉原なぞも。
浅草辺りは、美味しいお店がたくさんあるが、きっと昼飯は『駒形どぜう』ということになる。

ところでその小噺、“土方歳三が土佐の藩主山内容堂と恋敵で、吉原の高尾太夫を巡って争う”と設定したが、相手が大藩の藩主で間にいる女が高尾太夫では、いかに歳三とはいえ荒唐無稽すぎる。

たとえ短編小説とはいっても、もう少し現実的な物語の方がと思って心苦しかったのだが、何せ、浅草辺りではそのように伝わっているというのだから仕方がない。

それにしても、吉原で花魁をしかも太夫と遊ぶなぞ、気が遠くなるほどの途方もない発想なのである。
遊女には格付けがあって、普通の遊女にもいくつか位があるが、これ等は花魁とは言わない。
散茶という位からそう呼ばれるのだが、その上が格子、最高位が太夫である。

いくつかの段階を踏まなければ、花魁と一緒の座敷に座ることは出来ないが、最初は、勿論相手にもされないし会ってもくれない。
太夫と遊びたければ、吉原でも一番の老舗茶屋『三浦屋』などに何度も通って金を落す(バラまく)。
その資格がまずあるかどうかを茶屋に判定してもらうのである。

その後、ようやく呼んでもらうことができるが、これとて、最初は花魁が上座に座って、話もしてくれない。近くにも寄れない。たくさんの芸者を呼んで大きな遊びをするだけである。
太夫が、お客を見定めるのである。

金をいくらばら撒いても、そのお客に品格が備わっていなければ(朝青龍は?)二度と会ってもらえない。
それほどに、太夫といわれる花魁には、知識と教養が備わっていた。
美しさは当たり前だが、書物を読み、歌も出来れば、書道、華道、茶道等は当たり前で、囲碁、将棋の相手もできなければならない。

京都の島原では、何と、太夫に正五位の位が与えられていた。
これは、10万石の大名と肩を並べられるほどの格式なのであった。
(話はそれるが、浅田次郎の「輪違屋糸里」という物語に、芹沢鴨が太夫を斬り殺すシーンがあったように思う。島原という遊郭の中でそのような無粋な仕草を、いくら芹沢とはいえやるはずがない。第一、気分が悪い。あの物語、最初にそんな場面があったので、以後、興味がうせてしまった)

歳三の恋敵とされた土佐藩主の山内豊信、憎き土方歳三を暗殺するべく家来に待ち伏せを命じたということだが、本当か。
あの人、幕末の名君と言うことになっている。
薩摩の島津斉彬が名君なのはわかるが、山内容堂(豊信)が何故だかわからない。
僕には、ただ、徳川にご恩を感じて公武合体に拘る単純追従型の酒好きで、女好きのお殿様にしか見えないが。

慶応三年10月に入って、14日に15代将軍の慶喜が大政奉還を露にするのだが、その直前に後藤象二郎からの助言を入れて、容堂が慶喜に進言したことになっている。
これは、もともと坂本龍馬の提案を後藤が横取りしたといわれているものだが、今度の龍馬伝では、どう表現するのだろう。

土佐藩主と新選組副長との争いという設定は、面白い。
だって、あの幕末に、将軍家と対立していた討幕派の薩摩、長州が相手だと、さもありなんとして面白くもない。土佐は、佐幕派で公武合体派であった。
その殿様との争いだった。

でも、よくよく考えてみると、新選組と最も因縁深く対立していたのは土佐藩だった。
薩摩藩などとは、細かい小競り合いはあったにしろ、大きく新選組が斬りあったという事実は殆んど記憶がない。
明保野亭事件も相手は土佐藩士麻田時太郎だったし、池田屋事変でも土佐の望月亀弥太という若者が殺された。
その後、三条制札事件でも土佐と新選組の斬りあいだったし、何といっても龍馬暗殺は新選組の仕業だと決め付けられていた。

近藤さんも、運が悪かった。
甲州勝沼の戦や流山では、相手に土佐出身の谷干城が東山道総督府大軍監として権力を振るっていたし、新選組と因縁のある香川敬三も東山道鎮無総督府大軍監として、流山に来ていた。

罪人は、護送の歳、籐丸かごをかぶせられるが、近藤にはそれを被せず、タバコ盆まで差し入れし、酒肴まで差し入れした薩摩の有馬藤太が助命を主張したが通らず、とうとう斬首された。
何故、有馬がそうまで近藤に寛大であったのか。僕は、西郷の意向が働いていたと思っている。
それは、土方歳三が勝海舟に嘆願し、勝が指令を出して、何らかの経過で西郷の耳に入ったとみている。

そういえば、殆んど知られていない事実を一つ紹介しよう。

明治2年、函館で脱走軍総督の榎本武揚に降参を勧め、命を助けたのは薩摩の黒田清隆だったが、このとき、西郷はわざわざそのためにだけ(助命させること)、鹿児島から汽船で函館に来ていた。
黒田の仕置きが、心配だったのである。
このとき、征討総督副参謀として長州の山田顕義が加わっていたが、長州は脱走軍に対して断固強硬姿勢だった。
黒田の処置を見届けた西郷は、安堵して、直ちに鹿児島に帰っている。

庄内藩が降参したときも、黒田が取り仕切ったが、庄内藩の人々を一切罪人としての扱いをしなかった。
このとき、西郷がやはり庄内にやってきていた。
黒田は、全て、西郷の指令に従ったのだった。

西郷の寛大な扱いに庄内藩全体が熱く感謝し、西郷の教えを直接請おうとその後、酒井候は毎年青年たちを鹿児島に研修に行かせた。
西郷さんの教えを聞き取り、書き綴ったのが「大西郷遺訓」として今も残っている。
庄内から来た青年たちは、その後、明治10年の西南の役には西郷軍に従軍し、戦死している。
西郷の偉業は、皮肉にも、鹿児島より庄内地方で受け継がれている。

これらの事実を書き残してくれたのが、海音寺潮五郎氏であった。
この海音寺さんが、著書『敬天愛人西郷隆盛』の中で、土方歳三をべた褒めしていた。
意外だったが、さすが海音寺さんである。
箱館戦争の時の、土方歳三の采配は並みのものではないと評価している。
見るところは、きちんと見ているんだなあと、改めて感心した。


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コメント
blueさんですね
はじめまして、暖かいお便り、有難うございます。

人間、いつどうなるかわかりませんから、元気なうちに
いろんなことをしておこうかと。
本日(2月28日)、実は、両国の国技館で『第九コンサート』がありまして、歌ってきました。
昨年の暮れ、初めて歌ったのですが、せっかくドイツ語でテノールのパートを覚えたのに、一回でお仕舞いじゃつまんない。

で、5000人の第九に行ってきました。
全国から、なんてこんなにも第九を歌うために集まってくるのだろうと、不思議でたまりません。
日本人の第九好きには驚くばかりか、第九に対する感性というものが不可解です。
いつごろから、こうなったんだろうと。

日本では、毎年暮れに第九を演奏するのがいまや、風物になっていますが、国技館や大阪城ホールで行なうのは、何も暮れじゃない。
この第九、原語で覚えれば、世界中何処でも、いろんな国の人たちと一緒に歌えます。
第九を歌うことが、生きがいになっている高齢者がたくさんいます。

帰りに、電車の中で友人が言っていました。
「ベートーベンは、我々老人に、よい童謡を与えてくれた」と。

おっと、新選組と関係ないことを書いてしまいました。
このコーナーに、よくカラヤンさんと言う人からお便りが来るので、
ツイ第九の話をーーー。

僕に教授できることなんて、きっとない。
でも、新選組を、一緒に楽しみましょう。

村瀬彰吾
2010/02/28(日) 22:59 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
はじめまして~。
視点の違う土方歳三話、興味深く拝読しました。
最近時間の余裕が出来ましたので、10数年ぶりに新撰組史跡を訪ねています。
来月に入院検査をされると伺いまして陰ながら心配しておりましたが、気力が充実していらっしゃるご様子に安堵しました^^
是非、ご教授いただきたいことがありますので、メールも送信させていただきます。
もちろん、退院後でかまいませんので、お時間のあるときにでも目を通していただけましたら幸いです。宜しくお願いいたします。
2010/02/27(土) 09:33 | URL | blue #/9hBKkrU[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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