村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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試衛館ツアー―1

試衛館ツアーに参加した。
秋の講座に向けて、龍馬関連の貴重な資料を得ることが出来た。―――1
         

今、ベルリン『第九』体験記を書いている途中なのだが、総司忌関連で魅力的なツアーが催されたので、参加してきた。

市谷柳町試衛館を運営されている中居清次さんのグループが主催のツアーで、それは、7月4日に開催された。
この日、午前11時30分にJR中央線市ヶ谷駅に集合して、ほぼ半日ウォーキングしながら見学して、最後に“あさくらゆう氏”の講演を聞く企画だった。

僕は、10月から隔週の土曜開催で10回連続『新選組講座』を引き受けているが
(TAMA市民塾――既に、30名を超えたので、抽選)、
その中で一回、新選組江戸ツアーを行なうことになっている。
そのツアーの出発地が試衛館なので、どうしても体験しておく必要があった。

歩く行程を示すと、

 JR中央線市ヶ谷駅~~市谷八幡社~~千葉束道場跡~~植木屋平五郎墓所~~土方歳三親戚、伊勢屋跡~~ 沖田総司逝去の地~~(サンバカーニヴァル見学)~~試衛館跡~~廿騎組屋敷近藤邸跡~~あさくらゆう講演

市ヶ谷駅の目の前に防衛省が置かれているが、ここは、あの有名な東京裁判が行なわれたところで、三島由紀夫が切腹自殺したところでもある。
最初に訪れたのは、『市谷八幡社』で、その防衛省の広大な敷地のすぐ脇の神社だった。

僕らは、あさくらさんを先頭に「試衛館」の幟旗を立てて、十数人で歩き始めた。
ちょっと、異様な感じの団体である。
何せ、旗はともかく、法被を着ている人が数人いる。
それも、真っ黒の法被に背中にどくろの画が描かれているのだ。すれ違う人々も、みなビックリだ。
すでに、新選組ファンならご存知の、近藤さんが着ていた道場着で、背中に奥さんのツネさんがどくろの図を縫いこんだあれである。
確か、今、町田小野路の小島資料館に現存しているものだ。

この日はやたら陽射しが強くて、チョー暑かった。
僕は、梅雨時でもあるので、折りたたみの傘を用意してあったので、それを差して歩いた。
手術後の自分には、まだ、身体が全快でもないので、湿気と暑さがたまらなく苦痛であった。
最初の市谷八幡社の階段がきつかった。

DSCN2137a.jpg

次が『千葉束道場跡』である。
何故、ここへ行ったか。
総司に関してだが、菩提寺の専称寺墓石に北辰一刀流免許皆伝の文字が彫られているけれど、その信憑性を確かめたいためであった。

それに、北辰一刀流と総司という意味では、僕もこれは深く関係している。
沖田周司さん(沖田ミツ子孫)と僕との交流の中で、彼が、「総司は、北辰一刀流免許皆伝で、その巻物を見たことがある」と、証言しているからだ。

沖田総司の最後の地に近いここは、彼が修行した近藤道場「試衛館」にも近い。
だから、千葉道場があったと聞くや、それは、是非見ておく必要があると、思ったわけである。

結論から言うと、期待はずれであった。
ここは、千葉重太郎(龍馬と一緒に、勝海舟を殺しに?行ったといわれている人)の養子“束”が、明治に入ってから道場を併設したというところで、総司には、全く関係のないことがわかった。
何の変哲もない小さな社で、今は、道場跡といっても実感の湧かないところであった。
やはり、総司と北辰一刀流とは無縁だったのか?

DSCN2148a.jpg

北辰一刀流といえば、“千葉さな”のことが気にかかる。
彼女のことは、この日、あさくらゆうさんの講演の主題でもあるので、後に譲る。

次が、植木屋平五郎の墓がある『安養寺』であった。
この平五郎は、総司が最後に息を引き取った植木屋離れの主人であって、女優江波杏子の祖祖父に当たる人である。
NHKの大河の時は島田順司が演じていた。

DSCN2156a.jpg

平五郎は、天保5年生まれだから、近藤と同じ年である。
庭師として嘉永5年には、新宿大宗寺横丁で修行したとある。
ついでに、この大宗寺とは落語で有名な末広亭よりもう少し四谷よりにある寺で、歴代の内藤家を弔っている寺である。

余談だが、僕が生まれる数年前の昭和19年3月まで、偶然にも、うちの家族はこの新宿大宗寺横丁に住んで古着屋を営んでいた。
うちの母親は信心深い人で、金比羅様を深く信仰していたが、そのお告げがあって、直ちに西荻窪へ越したという。
後年、おふくろが僕に行ったことがある。

「引っ越した一週間後にB29が飛んできてね、新宿近辺を襲撃したんだよ。後で、各務さん(隣りの洋品屋)が言っていたけど、うちの居たところに、見事に爆弾が炸裂していた」って。

引っ越していなければ、僕は産まれていなかっただろう。

その次が、『土方歳三家の親戚、伊勢屋跡』である。
江戸期には小間物商を商っていて、家伝の石田薬の販売元であったらしい。明治以降は質屋を営業していたが、ここで歳三の甥、力三郎が奉公していたという。(後に、画家)
今は、国道20号沿いにあって、四谷3丁目より少し四谷よりの位置にあり、モスバーガーになっていた。

DSCN2164a.jpg

次が、有名な『総司逝去の地・植木屋平五郎離れ』である。
行ってみたら、何と、僕がこの3月入院していた慶応病院の真裏であった。

DSCN2169a.jpg

新宿御苑の横の窪んだ土地の辺りで、今はその辺りは、マンションが林立している。
昔は、高遠藩の下屋敷のあったところだから、鬱蒼とした静かな武家地だったところだろう。
家康が江戸にはじめて出てきたころ、西の固めに武田の遺臣たちに命じて八王子同心を作らせたが、ここ、内藤新宿も内藤家に広大な土地を与えて防備させたのである。それが、今は、新宿御苑となった。

(続く)

ご協力【日野宿本陣文書検討會

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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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