村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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『すってん業平』になった土方歳三―――4

背中の傷は幸い深手ではなかったので、順調に回復していった。
歳三には、本当に思い当たる節がない。
何故、自分は寛永寺で襲われたのだろう。あの時、自分が足を払った相手は、悲鳴とともに「ヤマッタ、ゲニマッコト」などと叫んでいた。

安政7年3月3日、大老が白昼堂々と首を取られたことが、かなりの衝撃だったのだろう。江戸の街は、騒然としていて落ち着かない。徳川なぞ恐るるにたらずと、いつの間にか全国から集まった浪人どもで、ひと悶着ありそうな雰囲気である。

歳三は、久しぶりの吉原だったが、まだ時刻が早いので、腹ごしらえに浅草のどぜう屋に入っていた。取り立てて泥鰌(どじょう)が好みって事ではなかったが、吉原へ通うようになってまっすぐ直行も気まずいせいか、泥鰌で一杯引っ掛けてその勢いで大門へ繰り出す癖がついていたのだ。

だから、自然、この店の主人とも話をするようになっていた。
「土方様、その後、お背中の具合はいかがですか」
「ああ、お蔭様で順調だ。もう、痛みもねえし思ったほど傷の後も残らなかった」
「ところで、土方様が襲われたとき賊は『ゲニ、マッコト』と叫んだといっておられた、ということでしたね」

ここの泥鰌屋は下足番に履物を預けて板の間の座布団に座り、じかにおいてある七輪に鍋を乗せて食べるのである。二人が向き合うようにセットされているから、七輪は二人で一つなのだ。
どじょう鍋といっても、現代のものとはちと違う。泥鰌にたんまりねぎを乗せて食べるだけである。味付けは、基本的な調味料のみで、しょうゆ、みりん、塩、酒程度だ。
質素な味がする。

店主の越後屋助七はこの店の三代目で天保4年生まれだから、歳三よりは2つ上である。泥鰌屋のくせして剣術に熱心で、歳三とはウマが合う。
最初に歳三がこの店にやってきたとき、夕方の、まだ店が込み合う前だったせいもあって、主人と会話するようになった。「泥鰌はお好きですか」から始まって“うなぎ”と“どじょう”の話になった。

歳三の故郷、日野ではうなぎを食べない人が多い。
それは、日野宿の北側で玉川に接している四ツ谷の伝説による。
厳密には、歳三は石田村の出だから、その伝説は直接関係ない。
隣村の話である。
むしろ、井上家(源三郎)と総司の母方の実家宮原家がおおいに関係があって、皆、うなぎは決して食べないのである。
沖田総司も井上源三郎も、うなぎは食べたことがなかった。
子供の頃から、食卓に出たことがないのであり、日野では店そのものがないのである(筆者が日野に来た30年程前には、本陣のならびに『玉河』といううなぎ屋があったが、いつの間にかつぶれていた。その後、日野には、いまだに一軒もうなぎ屋はない)。

それは、このような伝説による。
昔、玉川が大水で洪水になり、土手が破られそうになったとき、必死になってその土手を守ってくれた人がいたという。いや、人ではない。うなぎの大群だ。彼らが数千匹、数万匹集まってとぐろを巻いて堤防の決壊を防いだ。人々を荒れ狂う濁流から救ってくれたのだ。だから、昔から日野地区ではうなぎを食べない人が多い(これは今でも、続いている)。
歳三は、この話を店主の助七にした。
助七は、泥鰌にも似た話があるといった。

「その、ゲニ、マッコトですがね、どうやら土佐のほうの言葉らしい」
「土佐」
歳三は、まったく心当たりのない顔つきをした。
自分は天然理心流の試衛館道場にいるが、そこには時々神道無念流の練兵館から応援には来てくれている。ここの弟子は長州系が多いが、土佐はいなかった。むしろ、当時北辰一刀流と並んで人気のあった桃井道場に、武市半平太をはじめ土佐の出身者は集まっていた。試衛館は、こことは縁がない。

この日、歳三は暮れ六つと同時に吉原大門に到着する予定であった。
だが、またしても、手前の日本堤で邪魔が入った。今度は、四人の侍が待ち構えていて、今にも抜く気配である。高尾から身を引いてくれというのだ。
「して、その仔細は」
と、聞き返したが、返事はない。
「この金で、引いてくれ」
と、50両を地面に投げた。
歳三は、何が起こっているのかさっぱりわからなかったのだが、50両を置かれて見えてきた。

「ははあ、成るほど。お前さんたちの殿様が惚れちまったってことか」
四人の侍の周りをゆっくり大きく廻りながら、あざけ笑うように、また馬鹿にしながら揶揄した。
「ところで、たった50両か。その金じゃ、一回も太夫と遊べねえよ。お前らの親分は、土佐のお殿様だろう。千両箱の四つや五つ、積んだっていいんじゃねえのか」
「何を、ホタエナ」
一人が、上段から猛然と斬りかかってきた。
歳三には余裕があった。さっとよけたが、二の手はなかった。
暮れ六つとはいえ、まだ明るかった。
抜刀しての喧嘩である、人々が集まってきた。
流石に、土佐藩24万石の藩士が一人の浪人相手に斬りあいは具合が悪い。

このときの土佐藩主は第16代山内豊範であったが、まだ14才であった。だから、実際の采配は、15代目の藩主豊信(とよしげ)がとっていた。豊信は薩摩の島津斉彬などとともに、西洋文明を積極的に取り入れ、この時代の名君といわれていた人だが、第14代将軍後継争いに敗れ、自ら隠居した後大老井伊直弼から謹慎処分を受けていた。だが、大老が暗殺されたので、謹慎が解けたのであるが、無類の女好き、酒好きであった。
吉原の吉野太夫に、ぞっこん惚れてしまったのである。
歳三の恋敵は、土佐24万石のお殿様であった。

いくら日野のお大尽の息子とはいえ、所詮は百姓、問題にもならない。それに、歳三は実家から一銭の金ももらってはいないのである。すべて、自分の実力、男っぷりで勝負してきた。

だが、歳三はこの勝負に勝った。
高尾太夫は山内豊信の座敷を断ってまでも、歳三の相手をするようになっていた。
豊信は当時、江戸在勤の並みいる藩主の中でも、教養ばかりでなく男前もなかなかのもので、女たちの間でも評判の殿様であった。
それでも、軍配は歳三に上がった。

我慢のならない豊信である。
この男、人一倍自尊心の強い男であった。おまけに、身分の上下には、人一倍厳しい裁決を下してきた。
だから、町人なぞに負けることが我慢ならないのである。

土佐という国では、あとからこの土地へやってきた山内家の家来は上士として身分が高く、以前から住み着いていた長宗我部(ちょうそかべ)の家来は下士とされていた。
関が原の戦以降このようになってしまったものだが、豊信は開明的ではあったが、下士の身分の者を弾圧してやまなかった。徳川幕藩体制の中で、脈々と260年もの間この関係が続いてきた。

豊信は会津の容保などと同じく、長年の徳川への恩顧が忘れられず、最後まで忠誠を尽くして慶応3年12月まで公武合体を主張したが、薩長の反撃、策略に負けて引き下がった。だが、会津とは違って翌慶応4年1月の鳥羽伏見の戦では、見事官軍に寝返るのだが。

坂本竜馬の家は豪商で、金銭的には不自由はなかったのだが、身分は下士の侍で、上士からいじめ抜かれた記憶が消えなかった。
土佐では、道を開けなかったくらいで、ひどい暴行を受けた。
時には、上士に下士が、簡単に上意討ちをされた。
女や子供でも同じであった。
龍馬は幼い頃から、こうした光景を目の当たりに見てきている。彼は、とうとう脱藩して日本中を駆け回ることになったのだが、理由の一つには豊信の弾圧もあった。

新選組と土佐藩とは因縁が深い。
土佐にとって新選組は、薩摩や長州などより、よほど憎しみが深いのである。
有名な池田屋事変では、長州の吉田稔麿や肥後の宮部鼑三、土佐の望月亀弥太など、有能な若者を失ったが、その後、薩長は新選組とはさほどの摩擦は起きていない。むしろ土佐藩と多いのである。きっかけは池田屋事変のすぐ後に起こった明保野亭の一件であり、その後三条河原高札引抜事件などがあって、何よりも決定的なのは、坂本龍馬暗殺であった。当時は、誰でもが新選組の仕業だと信じ込んでいたのだから。

そして、その仕返しが、近藤の斬首であった。薩摩の有馬藤太が西郷の指令を受けて、寛大な処置を主張したのに対して、土佐の東山道総督府大軍監谷干城(たてき)らは強く打ち首を主張し、遂行した。
そして、事もあろうに、首のみを京都の三条まで運んで晒し首とした。相手は、若年寄格まで上り詰めた武士であったのだが。
その憎しみたるもの、極致である。
もしかして、その元は、恋に破れた山内豊信の嫉妬による恨みか。

豊信は、家来どもに土方歳三の暗殺を命じた。
しかし、これもうまくいかなかった。
この刺客劇は、吉原中で評判になってしまった。
情けないお殿様であると。
自然、土佐の殿様も足が遠のいた。
歳三は、有頂天になってしばらくは吉原通いを続けたのだが、こんな贅沢がが続くものじゃない。いつの間にか足が向かなくなった。
金が続かないのである。
『すってんてん』になってしまった。
江戸の在原業平も、ここまでであった。


おわり

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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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