村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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歳三は、蝦夷地で何を想ったか

僕の拙著、『人間土方歳三』の在庫もなくなってきたので、再び増刷しなければならない。
これは、自主出版なので、結構お金がかかる。
でも、全くなくなるのも寂しいし、まだ、函館など扱ってくれるところもあるので経費はかかるが、作る。
困るのは、置き場所だ。

押入れには、1000冊も入らない。
庭の簡易倉庫も一杯だし、また、家族から苦言が出るな。

講演活動やサックスのライヴなどをすると、お客様が、時には購入してくれるので、大いに助かっている。
いまだに、読んでくれる人たちがいるってこと、大変光栄である。

話は違うが、
今、僕は、この暮れに行う「第九」コンサートで毎日が忙しい。
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ようやく、ポスターやチラシもできて、チケットも売り出したが、よく売れるのである。
こういうコンサートの仕事を、もう6年もやってきたが、今回が最もチケットの売れ行きが良い。

第九といえば、4人のソリストが出演するが、今回、ソプラノに(世間ではソプラニスタと呼ばれている)岡本知高氏を迎えているので、人気が出ているのだろう。
それに、アルトに伊原直子という大御所にもご出演いただく。
この人は、知る人ぞ知る、日本のアルト界の大物なのだ。
芸大の教授を昨年退職したが、カルメンを演じたら、追随を許さないそうだ。

テノールは日野出身で今や日本のテノールでは有名になってきている村上敏明氏である。
彼は、今年のNHK新春オペラに出演したが、来年も声がかかっているということだ。

バリトンが素晴らしい。
ソウルから来ていただくことになっているカルロ・カンという人だ。
なじみは薄いが、この人は、ミラノやパリのオペラ座で活躍しているというから、相当な人である。
(早く、韓国と仲直りしてほしいが)
ただ、我らに情報がないので彼のことを知らないが、今や、韓国人の勢いはゴルフやサムスンのテレビばかりではない。
様々な分野で、世界を席巻している。

このソリストたちに、第九ばかりでなく、1部で1曲ずつ歌っていただくことになっている。
そのため、コンサートは長くなるが、お楽しみはぐっと増える。
詳細は、そのHPを見てください。

僕の仕事の話で、長くなってしまった。
土方歳三の話である。
『人間土方歳三』の中で、土方の人物像をどのように設定するかってこと、本当に難しかった。

一つに決めることは、決めたが、正直、未だに、迷いはある。
彼は、そんな簡単な、単純な人物じゃなかった。
ふか~い、深~い、人なのである。

*徳川幕府に対する忠誠心が、維新戦争の最期まで戦わせたのか

―――確かに、生まれ故郷の日野には、そのような気風があった。でも、自分の中に、そうした忠誠心が宿っていたのか。
徳川の統領であった15代将軍は、とっくに降参して謹慎に入っている。どんな大義名分で戦っているのか。
     
「榎本は、蝦夷地に新しい国を作るという理由で戦闘を続けているが、自分の考えと一致しているわけではない。
自分に、考えなぞあるわけではない」
    
ただ、意地だけである。
何もないから、榎本とは合わないのである。

今となっては、徳川に対する忠誠心は、ほとんど感じられない。だって、幕府はなくなってしまったうえに、その領地まで取られた。
実体がないのである。
温情で、駿河70万石だけは残ったが。

「近藤さんだって、同じだ」
   
 幕府講武所の指南役試験に、百姓だという理由で落とされた。それでも、武士になりたかった。でも、それは、徳川に対する忠誠からなのか。
上石原の百姓家の倅の勝五郎少年に、どれほどの忠誠心があったというのだろうか。
あったのは、諸外国に侵されてゆくこの日本国を憂えることであり、それが彼の『攘夷思想』だった。
    
彼は、武士の身分が欲しかった。それは、事実である。
たまたま、文久3年の2月に、そのチャンスが訪れた。道場をたたんでも、浪士組に参加した。

「俺は、どうだったのか」
「俺には、正直言って、あの当時、何も欲はなかった。
何を欲していいのかも、わからなかった。
ただ、近藤さんの道場に転がり込んで、剣術に明け暮れていた。
俺と同じような梁山泊のような奴らが、何人かいた」  

剣術を身に着けて、それが、御身を助けるような時代は、もう二百年以上も前に消え去っている。
あるのは、商家や大店、大名などの用心棒程度か。
江戸の、北辰一刀流や神道無念流の剣術道場が繁盛しているのは、地方の武士の若造や近所の商人たちが、おけいこ事として、また武士の身だしなみとして、有名道場に弟子入りしているからである。
それは、茶道や、華道、琴・三味線などの稽古と大して変わらない。

歳三は、何もない自分に対して、世間に対する「意地」を持ち続けたのである。実は、自分の中に、そうした虚しさを感じていた。

戦う自分。戦う新選組。
だが、時代は、近代的な中央集権国家として有能な政治家や軍人を求めていたのだから、歳三には、そうした方向に志す手もあった。
だが、それだけの素養がありながら、新政府には迎えられる可能性は皆無であった。
  
あまりにも、京都での印象が悪すぎた。慶応3年11月15日の坂本龍馬暗殺の犯人にもされていた。

「近藤さんは、薩摩の温情があったにもかかわらず、土佐の板垣や香川に殺された」
    
あの蝦夷地で、新政府に逆らった張本人の榎本武揚でさえ、助命されて後には外務大臣にまで上り詰めた。歳三ほどの素養があれば、陸軍大将になれてもおかしくない。(文化勲章受章者の海音寺潮五郎でさえ、歳三の軍事に対する奇才を褒め称えていた)

「流山の後も、徹底して新政府に抵抗してきた。
そう“演じて”来た。
捕まれば、必ず死罪が待っていた。
そうした中、函館で、自分は、どう生きたらよいのか。いや、どう死ぬかであった」

*京都時代と戊申の役に入ってからの土方歳三に対する評価は、微
妙に違う。
――一般に、性格も円熟味を増して、温厚になった
といわれるが。

*決断力、行動力、戦闘力は抜群。それを裏付ける知力、応用能力
も優れていたと推測できる。

*さらに、書状などにみられる卓越した筆さばきは、教養人として
も評価されてもよい。短歌や俳句は、あまり上手とは言えないが、
一通りにはやる。

土方歳三ほど魅力的な人物も、歴史上、まれである。

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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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