村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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被災地巡り

宮古で土方君と再会したが、被災地は、暗く冷たい空間だった。
すべて自粛ムードの中、吉祥寺アトレで最初に演奏したのは、自分だった。


昨日と一昨日、『被災地巡り』に行ってきた。
今、旅行会社では、大変な人気ツアーになっているそうだ。

僕が旅行会社に申し込みの電話を入れた今から約ひと月前、殆どのツアーが満杯だった。
なぜ、こんな人気に―――。
NHKの人気朝ドラの影響もあったのか、また、三陸鉄道が全面開通したからなのか、異常な混雑ぶりであった。

盛岡まで列車で行き、そこからバスで宮古の北、北山崎というとこらから南下するコースである。

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ここいらは陸中海岸国立公園であるから、すべて、その景観は見事である。
三陸鉄道には、久慈市の南に位置する島越(しまのこし)という駅から乗った。
流された駅舎が、まだ完成していない。
駅のホームには、あふれんばかりの人である。普段は、1輛か2輌だそうだが、今日は月曜日だったが、特別で、4輛編成であった。
長すぎて、ホームをはみ出している。
だから、はみ出したところは、ドアーが開かない。

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この三鉄、その大方がトンネルであった。約9割と言ってもよいくらいだ。
まるで、地下鉄状態。
だから、景色というものは、ほとんど見ることが出来ない。
完全に、生活のための鉄道で、観光用ではない。
でも、その鉄道が、開通したというので、全国からお客が殺到している。そのお客さんと僕の気持と、殆ど一致していたと思われる。
つまり、
きっかけは何でもいいのだ。とにかく、現地へ行って、生で見て、何かできることはないのか、という気持ち。

列車の終点は、宮古駅である。

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浄土ヶ浜という美しい景勝地が、宮古近辺にある。
『極楽浄土』とは、こういう景観なのだというところから、その名がつけられたというが、それも理解できるほどの美しさだ。

ここで、土方君に出会った。
観光遊覧船の、乗り場の目の前にいた。

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ここの【浄土ヶ浜ヴィジターセンター】には、伊藤さんという女性がいる。
彼女、2年前に、高幡不動で僕と栗塚さんがトークを行なった時に、宮古から救援依頼に日野へ来ていた人だ。
懐かしくお話をしたのだが、宮古市とは、新選組サミットでも当日野市とは縁が深い。

ここを皮切りに、海岸線を南下していった。
大槌、釜石の順であったが、僕は、学生の頃、釜石に貧乏旅行で行ったことがあった。
どこの地区へ行っても、海岸線の街は全く亡くなっていたが、釜石も同じである。

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昔、製鉄所があったところで、最初は安政4年からである。その下地は、あの高島嘉右衛門が、父子で苦労して開拓したところである。

大船渡の惨状も見て、碁石海岸を経て陸前高田へ。
ここは、あの『奇跡の1本松』で有名になったところだ。

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だが、この陸前高田、とてつもない大きな橋が建造中である。
陸地奥の山の土を、ベルトコンベアーで運んでいるという。
山を崩して平らにして、そこへ住宅を作るらしい。その土を海岸線近くに運んでいるというのだ。

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何やら、家康の江戸入りの頃を思い出す。
江戸初期、
神田山を崩し運河を掘り、その土で、日比谷をはじめとした入り江付近を埋め立て、新しい土地を造成した。江戸の城下町を完成させるためだというが、実は、北条の影響を受けていない徳川独自の土地を創造していくことが目的だったとも。
家康は、北条ばかりでなく武田の遺臣たちにも気を配った。一揆なぞ起こさせないで、一刻も早く、徳川の威光を敷延させる必要があったからだ。
武田の遺臣たちを、多摩地区で『千人同心』として採用した。500人は多摩地区の地元からだが、遺臣からは500人雇った。郷士のような存在で、家禄は低いがれっきとした直参である。

幕末、
その千人同心らは、敗戦濃厚の幕府軍に従って戦った。慶喜が恭順した後も、上野の彰義隊なぞに加わり、また、会津、函館へと多くが死傷した。
土方歳三は千人同心ではなかったが、徳川さまに恩があると、命尽きるまで戦い続けた。

気仙沼も大きな代償を払った。
でも、ここは、被災者の皆さんが、頑張って魅力的なお店を開店させている。海岸線のみではあったが、街に活気が出てきていた。

この旅、『自分探しだった』『何が、自分にできるのか』を探すのであった。
結果、何していいか、よくわからない。

9・11、飛行機がビルに突入して、ビルが壊滅する状況をニューヨークのアパートの窓から見ていた人がいた。
テナーサックス奏者ソニーロリンズは、『人々はなぜこうも殺しあうのだろう』『人間の歴史とは、殺し合いの歴史なのか』と考えたそうだ。
『今、自分にできることは、音楽をやって、人々に喜んでもらうことだけだ』
それしか、出来ない、と。

次の僕のライヴは、6月1日(日)、吉祥寺駅ビル“アトレ”だ。
思えば、3・11の後、すべて自粛の中、あの駅ビルで最初に演奏したのは自分だった。

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コメント
こんばんは
こんばんは。以前に『人間土方歳三』の感想を送らせていただいた
岩手の佐藤と申します。岩手の話題が出ていたので、コメントをさせていただきます。

盛岡出身の私には、宮古は夏休みの海水浴などでしかいけない特別な場所でしたが、浄土が浜の遊覧船乗り場へ行く途中に『宮古湾海戦』に関する大きな絵入り説明パネルがあったのを覚えています。

1年前に小説や歴史関係の読み物を通して当時のことを詳しく知り、改めて行った時は、「ここで土方さんが烈しい戦いを繰り広げたのだ……」と深く感動してその場に立ちすくんでしまいました。元々大好きな場所でしたが、より一層好きになりました。

被災地の復興はまだまだ道半ばですが、こうして多くの人たちが足を運んでくれるのは岩手県民としてはすごく嬉しいです。三陸鉄道も全線開通したし、これからも「できること」をやっていきたいと思います。
2014/06/27(金) 21:30 | URL | サトー #UC63XEmI[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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